第94話:雨中の感覚と生じる狂い
ぱらぱらと、しかし大粒の雨が降る中、試合開始のサイレンがなった。
明秀高校の一回戦の対戦相手は北の大地からやって来た札幌国際高校。新二年生主体のチームでありながら北海道大会を勝ち抜き、センバツ初出場の切符を手にして大会に乗り込んできた出場校の中でも最も勢いがある。
晴斗はこのマウンドに帰って来られたことに喜びを感じながら、記念すべきセンバツ甲子園大会の一球目を相棒であり主将である日下部のミット目掛けて投げ込んだ。
「ストラ―――イク!」
サイレンの音が止まないうちに投じられたボールはストレート。一番バッターの外角目掛けて投げたが真ん中寄りにだったのでコースとしては甘かったが140キロ弱の球速が出ていたためバッターは見逃した。歓声が甲子園球場に響き渡る。
『令和の怪物。明秀高校の新エース、今宮君の初球は伸びのあるストレート! この悪天候の中でも唸るような直球は健在です!』
実況の
『試合前の工藤監督へのインタビューでは、怪我が治ってからしばらくは投球練習をさせなかったそうですよ。その間は体幹トレーニングや基礎体力作りを重点的に行い、今でも継続しているそうです。その甲斐あってストレートの威力は増し、一試合を安定して最後まで投げ切るだけの体力がついたそうです』
『なるほど。ということは夏からパワーアップした今宮君が見られるというわけですね! これは期待が高まります!』
夏のコンビがやり取りしている間。サインが決まった晴斗はゆったりとした投球フォームから綺麗な一本足で立ち、沈み込みながら左足を踏み出して腰の回転と連動させながら右足を蹴り、思い切り腕を振って二球目を投じた。
札幌国際の打線の特徴はとにかく思い切りよく振って来ること。三振、凡打を恐れることなく、各々が狙いを定めてスイングしてくるところにある。だから少しでもコース、高低が甘くなれば痛打される可能性がある。
この雨の中だ。全力を出して投げると余計な力が入ってコントロールミスをする可能性がある。出力としては7割程度にしていつも以上に低めを意識する。
晴斗が選択した球種は打者の手元で小さく鋭く変化するカットボール。この右打者のボールゾーンから曲げる得意球。カウントを稼ぐにも、三振を奪う決め球にも、凡打に打ち取るにも使える汎用性の高い球種。それ故にコントロールミスは考えられないのだが―――
『―――あぁっと! 甘く入ってきた変化球を打ち換えてセンターヒットです! 今の球種はなんですかね?』
『おそらくカットボールだと思います。思った以上に滑って変化が大きくなってしまったので真ん中に行ってしまいましたね。雨の影響だと思います』
『なるほど。さすがの今宮君もこの雨の中だと苦労しそうですね』
ふぅ、と天を仰ぎながら晴斗は息を吐く。大粒の雫が顔に当たるがそれが試合開始前から昂る気持ちに落ち着けと訴えているように感じた。気負い過ぎていた。雨の中でも大丈夫だと早紀に話したこと、安心して観ていてくれと言ったこと。それらを意識しすぎて悪い方向に働いてしまった。
もう一度深呼吸をして。余分なものを取り払うように晴斗は肩を二度三度揺らした。初回の一番打者に打たれたことで自分の状態を把握することが出来たと切り替えて次のバッターに視線を向ける。
中肉中背の左バッター。猫背気味の前屈みに独特のバッティングフォーム。右足を外側に開いて置いている、所謂オープンスタンスの構え。
この構えは、投手に対して正面を向けるためボールの見極めがし易くなる他、スイングの際にテイクバックを取るときに開いている足をホームベース側に戻すので、その反動を活かしてボールに対して強く踏み込むことが出来る。さらに身体の開きも抑えられるのでより力をバットに伝え事が出来るなどのメリットがある。
反面。足を開いていることでバッティングの動作が大きくなりがちで振り遅れたり速いボールに差し込まれたりしてしまうデメリットもある。プロならばスイングスピードを上げることで対応が出来るが、果たしてこのバッターはどうか。
警戒すべきは打撃以外にもバント、もしくは初回ということもあり機動力を使ったヒットエンドランなども考えられる。
セットポジションから視線で一塁ランナーをけん制しつつ
打者はストレートと思い振りに来る。それを確認してからランナーが走り出す。札幌国際の選択は送りバントではなくよりチャンスを広げるヒットエンドランだった。だがこの作戦はギャンブル要素が高い。何故なら―――
「ストライクッ!」
打者は空振り。
「アウトッ―――!」
走者はスライディングで二塁に滑り込むが判定はタッチアウト。作戦は失敗。
ランナーは投球すると同時に走ることが前提のため普通の盗塁と比べてスタートは遅くなる。そのため打者は必ず、何としてでもバットに当てなければならないのだが、今回のように空振りしてしまうと二塁で刺されてしまいチャンスを潰してしまう。
「ワンアウト! ワンアウト!」
日下部は敢えて大きな声を出してアウトカウントを野手に伝える。落ちるボールをしっかりとキャッチして正確無比の二塁への送球。晴斗のクイックと日下部の肩は相手チームにしてみれば厄介極まりない。
「ありがとうございます、日下部先輩」
かつて組んでいた相棒―――夏の甲子園を制した正捕手―――に劣らない頼れる主将に感謝をして、仕切り直しで打者と向かい合う。
さぁ、改めてここから。日下部先輩がチャンスの芽を潰してくれたから、ここは必ず無失点で終わらせる。
晴斗は心の中で獲物を捉えた肉食獣のように獰猛に笑いながら、投げミスをしても痛打されないだけの威力を球に込めるべく指先に神経を集中させる。
雨は段々と強くなる。
波乱含みの初回の攻防が続く。
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