第85話:エースの激突

 国吉は額の汗を拭いながらベンチに戻った。一息ついて落ち着きたいところではあるが、2回表の攻撃は四番の自分から始まるのでそんな余裕はない。急いで打席に立つ準備をする。


「国吉。打たれたけどいいスライダーだったぞ。あれは打った奴を褒めるしかないさ。だから気にするな?」


 ガチャガチャとレガースを外しながら。国吉の相棒を務める同級生のキャッチャー、益子ましこは彼なりの慰めの言葉をかけた。彼なりに先制の、しかも場外まで運ばれた2点本塁打による精神的ダメージを和らげるための行動だった。なにせ国吉は常華明城高校にとって精神的支柱。彼の心が折れることはすなわちチームの崩壊を意味する。


「大丈夫だよ、益子。次は抑える。あんな舐めた真似は二度とさせない」


 益子の心配はむしろ見当外れだ。国吉は打たれたことにショックを受けるどころか闘志に更なる燃料が投下されていた。その瞳には燃え滾る炎が幻視できるほどに、今の国吉はかつてないほどに勝利に飢えている。


「やられたらやり返す。まずは夏のヒーローの球がどんなもんか見てくるさ。お前の言葉が正しいのかどうか、自分の目で確かめてくるさ」


 初回の攻撃。益子は三番打者として打席に立ったがストレートを見せ球にされ、緩いが鋭く曲がるカーブをひっかけて凡退していた。


 国吉はヘルメットを被って打席の方へと向かい、マウンドの今宮の投球練習をじっと見つめる。そのフォームは高校一年生ながらすでに完成されていると国吉は思った。


 すぅと一本足で立った姿はある意味芸術品のように美しく。淀みなく流れるような重心移動から鞭のように腕をしならせて放たれた白球は糸引くような軌道でミットに吸い込まれて実に気持ちいのいい音を奏でる。


「国吉。甲子園でノーヒットノーランをやって天狗になっている一年生に現実を教えてやれ」


 投球練習が終わる頃。国吉に監督の金村が静かな檄を飛ばした。金村はあの才気溢れる選手を自分の物にしたいと思っているが今は試合中でまだ敵。小生意気な投手に洗礼を浴びせてこいと教え子に発破をかける。


「はい。俺にだって意地がありますから。なんとか食らいついて、あれが偶然だったと教えてきますよ、監督」


 その檄に応えるべく。国吉は拳を強く握りしめる。本塁打を打たれて失点したが、その分は取り返せばいいだけの話。試合が終わった時に1点でも多く点を取っていれば勝ちなのだから。


「恵里菜の前で、カッコ悪いところは見せられない」


 しかもその相手が元彼氏となればなおのこと。国吉は殺意に近い闘志を瞳に宿し、マウンドに立つ男を睨みつけた。


 必ず打つ。そして勝つ。



 *****



 打席に立った国吉さんの身体からは鬼気迫る空気が発せられていると俺は感じた。18m近く離れていても伝わる肌を焦がすような気迫と熱気。悠岐に打たれたこと、そして彼女の前で無様な姿は見せられないというプライド。そんなところだろう。


「だけど……それは俺も同じですよ。早紀さんの前で、無様な姿は晒せない」


 呟きながら、俺もにらみ返す。俺達の間に見えない火花が散る。


 この試合はあくまで復帰戦であり秋季大会前に実践感覚を確かめるいわば調整試合の意味合いが強い。だから全力を出すつもりはなかったし、そうでなくても抑えることができる自信はあったが悠岐の気持ちを知った以上そんなことは言っていられない。


 右打席に立つ国吉さん。エースで四番というチームの柱のこの人をどのように抑えるかが試合を左右する。ただアウトにすればいいのではない。アウトの取り方が重要だ。


 すなわち。希望を砕くこと。あいつで打てないなら俺達も打てない。そういう空気をチームに与えることが出来れば勝ちだ。


 一球目。俺は慎之介のサインを見て思わず笑みを零す。考えていることは同じで安心した。脱力した姿勢から左足を大きく上げて地面に下ろす。胸をビシッと張って腰をうねらせて神経を指先に集中し、リリースするその瞬間に全力を込めて腕を振る。


「―――ッハァッ!」


 ズッバンッ―――


 裂帛の気合と共に放たれたボールは慎之介が外角低めに構えたミットに収まると同時にド派手な音をグラウンドに響かせた。


「ストラ―――ク!」


「―――っな!?」


 驚きの声を上げる国吉さん。だがなんてことはない。これでも怪我前の7割程度。全開には遠いストレートだ。


 静寂に包まれる球場。やがて小さなどよめきに変わり、それが大きな歓声に変わるのに時間はかからなかった。


 二球目。考える時間を与えるつもりはない。サイン交換も一度ですんなり決まり、すぐに投球モーションへと入る。


「―――ッラッ!」


 初球の再現映像のように。寸分たがわぬ同じコースに同じ球種ストレートを投げこんだ。当然、審判のコールも全く同じ。


「ストライクツー!」


 ここで慌てたように国吉さんは一度打席を外して深呼吸をしている。その間を利用して俺も両手をゆっくり上げてからだらりと下ろす。肩に入っている余計な力を抜くためとリラックスするための動作。


 そして三球目。意図のない遊び球を嫌う俺の性格を慎之介は理解しているようで、出してきたサインに俺は再び笑みを零した。


 さぁ、一度目の対戦で脳裏に植え付けるとしよう。


 今の俺の実力を。



 *****



 国吉は追い込まれてから落ち着くために一度打席を外した。


 彼の心中にあるのは焦りと戸惑い。初回に投げていた時とは比べ物にならないほどのストレートを二球続けて見せられた。コースも完璧なアウトロー。


 ―――本気を出す必要はなかったとでもいうのか? ふざけやがって


 冷静さを取り戻すため深呼吸を繰り返す。球速はおそらく142、3キロと言ったところか。これは静岡県どころか全国を探しても中々お目にかかることのできない超高校級のストレートだ。それを自在に操るコントロールもあるので、今宮晴斗はまさに令和の怪物と呼ぶにふさわしい投手だ。


 だが。いくら速くてもそれを二度続けたのはさすがに悪手と言える。恐らく次に来るのは変化球かもしくは見せ球。そう考えた国吉は球種ではなくコースに的を絞って粘ることにした。ストライクゾーンに来るボールは全て振りにいき、甘い球が来るまで待つ。


 今宮の持ち球で最も警戒しなければいけないのはスプリット。ストレートと似たような球速で向かってきながら打者の手元でストンと消える縦の魔球。あの大阪桐陽の北條選手を三振に切って落とした彼の決め球。


「すぅ……ふぅ……」


 集中する。カーブでもカットボールでも、それこそツーシーム、甘い球が来るまで全部ファールにしてやる。そう意気込む国吉に対して、マウンド上の今宮はにやりと笑みを浮かべた。


 その笑みが意味するところは何か。国吉はグリップを握る手をギュッと絞る。今宮のゆったりとした投球フォームに呼吸を合わせるようにテイクバックしながら小さく足を上げてタイミングを測る。


 来た。コース、球種ともに全く同じアウトコースの低め真っ直ぐ。馬鹿の一つ覚えのように同じ球を、と思って振りに行くがその動作を止める。


 普通に考えれば三球続けるとは思えない。ツーシームならより外側から入ってくるバックドア。とするならばこれは外に逃げるカットボールか縦に落ちるスプリット。見送ればボール。そう直感して国吉は出かかるバットを止めた。


 しかし―――


「ストラ――――――ク!!! バッターアウトッ!!」


 曲がりもせず落ちもせず。キャッチャーは微動だにせず。白球はミットに叩き込まれた。


 三球続けてアウトローギリギリのゾーンにストレート。しかも最後の球が一番球速がでているように感じた。


 手も足も出ず、見逃し三球三振に抑えられた。


 国吉にはホームランを打たれたこと以上に深い精神的ダメージが刻まれた。

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