第61話:男子高校生は己に忠実な生き物である。

 翌日。


 寝不足気味のあまり宜しくないコンディションで朝練のランニングメニューをこなした俺はすでにグロッキー状態でHR開始までのわずかな時間で少しでも体力を回復させるために机に突っ伏していた。


「それにしても、晴斗が寝不足なんて珍しいな。眠れないことが何かあったのか?」


「あぁ……悠岐か。そうだな……昨日、ちょっと色々あってな。興奮して眠れなかったんだよ」


 普段なら絶対に口走らないことだが、この時の俺の頭は疲労でまともに回転していなかったためについいらない情報を悠岐に与えてしまった。しかもこの親友は妙に鼻が利くから―――


「ま―――まさか晴斗……昨日飯島さんと何かあったのか!? いや、あったんだな!? 何があった! 吐け! きりきり吐け! 僕の目が黒いうちはそんなこと許さないぞ!?」


 案の定キャーキャーわめき出す悠岐。面倒なことになる前に完全黙秘を決め込んで机に突っ伏すことにしたんだが、そうは問屋が卸さないとばかりにさらに面倒な三人・・が近づいてきた。


「おっ、なんだなんだ。今宮に春が訪れたのか? 幼馴染に振られて傷心だったのに新しい彼女でもできたのか?」


「さすが今宮、イケメンだな。羨ましいな」


 ガハハと豪快に笑いながら近づいてくる諸岡と静かな口調で自分のことを棚に上げた発言をする梅村。今日はそこにもう一人、眼鏡をかけた痩躯の男子生徒がいた。


「野球もできて顔もよくて勉強もそこそこ出来る。お前みたいな典型的なリア充はほんと死ね。今すぐ爆発してしまえ」


 物騒な悪態をついて俺を罵ってきたのは学年トップの成績を中間、期末テストで記録した君塚隆一きみづかりゅういちだ。その手に持っているのは昨日書店に並んだラノベの新刊だ。内容は恋愛物だったと思う。Web発の小説だが主人公とヒロインの揺れる感情がとても丁寧に描かれていて感情移入できるとか、キスの表現がとてもエロくてたまらないとか、そんな感想を書籍化される前から話していた。怪我をしていて暇をしていた夏休みに何の気なしに読んでみたのだが、確かにキスしかしていないのに妙に官能的だった。


「それで、坂本は今宮の寝不足の理由に心当たりがあるのか? 飯島さんって誰だよ? そんな生徒、うちの学校にいたか?」


「……うちの生徒じゃない。晴斗の隣に住んでいる女子大生さんだ。晴斗に妙にくっつく悪い虫だ!」


「ほぉ……幼馴染の次は女子大生か。今宮、お前、本当にイケメンだな」


「クソ! 世の中ね顔かお金かなのよ、ってか! ふざけんなちくしょう! そのイケメン要素を少しは俺にも分けろ! いや、今宮様、どうか惨めな私目にその恋愛運を分けて下さい!」


 キャンキャン騒ぐ親友、ボソッと呟くイケメン、涙目になりながら大声で俺の肩を揺さぶり喚く秀才。筋肉達磨は顎に手を当てて唸っている。


「なぁ、今宮。お前……もしかしてモテ期なんじゃね?」


「はぁ? 何言ってんだよ、諸岡。俺にモテ期? 来るわけないだろう?」


「そうは言っても説得力皆無だぞ? 清澄先輩がお前を狙っていることは周知の事実・・・・・だし、噂によれば相馬先輩もだろ? 明秀高校二大美女から好意を寄せられているのにこの上女子大生とか…………これでモテ期じゃないとか言ったら殴られるぞ? 主に俺と君塚から」


「そうだ! 一発殴らせろ! そして俺にも運気を分けて下さい! 何でもしますから!」


 黙れ、君塚。まずその鬱陶しい前髪を切ってこい。そうすれば清潔感は出るし、話も面白いし勉強を教えるのも上手なんだからチャンスは自ずと増えるはずだ。だがそんなめんどくさい態度をとるならこのことは教えてやらないからな。


「さすが今宮だ。イケメンだ。甲子園のヒーローは違うな」


 梅村、お前はそれしか言えないのか。腕組んで頷いているんじゃないよ。その姿も絵になっているから本当に嫌味な奴だ。お前のファンクラブが密かに出来つつあることを知っているのか?


「うるさぁい! 晴斗、ようやくあの女から解放されたんだから、これを機に少しは女性とは距離を置くべきなんだよ! 無理しなきゃ骨折ることもなかったんだし……」


 諸悪の根源はテンションの急降下ぶりは勘弁してほしい。これでは俺が悪いみたいじゃないか。やれやれと重い身体を起こして、


「心配してくれたんだな。ありがとう、悠岐。でも俺はもう大丈夫だから。安心してくれよ」


「晴斗……」


「それに、お前が思っているほど、早紀さんは悪い人じゃないぞ? 昨日だって疲れている俺のためにわざわざマッサージを―――あっ、やべ」


「は―――る―――と―――今、なんて言ったぁ? マッサージだってぇ? お前……やっぱりあの人に毒されているなぁ!!??」


 余計なことを言ってしまったと後悔したが、悠岐からの追及は担任の白鳥先生がタイミングよく来てくれたので難を逃れることができた。



 *****



 昼休み。


 いまだにぶつくさ言ってくる悠岐を半ば無視しつつ、俺達五人は教室で昼食を食べていた。昨日お弁当を作ってくれた清澄先輩だったが、


『すまない。今日も作りたかったんだが家政婦の依田さんに怒られてしまってな。少し練習の時間をくれ。後、君の手料理を食べられる日を楽しみにしているよ』


 というメッセージが今朝あった。だが幸いなことに、今日の俺の手元には別の人から渡された弁当箱がある。


「おい、今宮。それってまさか手作り弁当か?」


「そんなの見ればわかるだろうが。早紀さん、お前らが言うところの隣に住んでいる女子大生さんが作ってくれたんだよ」


 今朝。俺が朝練のために家を出たら早紀さんが待ってましたと言わんばかりのタイミングで家から出てきた。しかもパジャマ姿で。俺がドアを開ける音に反応したのだろうかとか、こんな朝から何か用かと思っていると、早紀さんは俺に小さな手提げバックをずいっと差し出した。


 ―――はい、これ。昼ご飯のお弁当。ちゃんと食べてるか心配だったから作ったの。晴斗の好きな・・・・・・唐揚げが入っているし、野菜もいれたから、持って行って。どうせ碌なご飯食べてないでしょう?―――


 確かに、昼飯は学食か菓子パン買って済ませているから健全な野球部男子にしては不健康な食事と言える。


 ―――だから、私が早起きして、丹精込めて作ってあげたお弁当、食べてくれたらすごく嬉しんだけど……ダメかな?―――


 もし、この嬉しくて可愛い押しつけを断る男がいるというなら名乗り出てほしい。俺は照れるのを自覚しながらも有り難く早紀さんの手作り弁当を受け取った。


 ―――感想聞かせてね! あと、食べたいものあったらリクエストちょうだい? また作ってあげるから! それじゃ、いってらっしゃい!―――


 回想終わり。


「マジかよ!? つかどんだけハイスペックなんだよその人!? 隣に住んでいる女子大生の美人なお姉さんで、その料理上手なのかよ!? お前、完全に狙われてないか?」


「…………さぁな。そんなことよりさっさと食べないか? 時間がなくなる」


 なおも姦しく騒ぐ諸岡に、恨めしそうな視線を向ける君塚。我関せずにいる梅村にぐぬぬと唸り声をあげる悠岐。本当にこいつらといると面白くて飽きない。


「はぁ……それにしても本当に羨ましいな。隣にそんな人がいたら、毎日楽しいだろう?」


「そうか? 別にいうほど毎日会っているわけじゃないし……むしろ楽しいというより悔しいぞ?」


 早紀さんと会うのは里美さんが仕事で帰りが遅くなる日と決まっている。そのことがわかっているかのように早紀さんは夕飯を用意してくれていて、俺が部屋に行くこともあれば、突然チャイムを鳴らして家に来ることもある。


「ほぉ。楽しいより悔しいと。なんでそう思うんだ?」


 眼鏡をくいっと上げながら問いを投げてくる君塚。まるで取り調べ官のような仕草だが妙に様になっている。


「それは……あの人からすれば俺はまだガキだろ? そんな俺をからかってきては反応を見て楽しんでいるんだよ。なんとか反撃するんだけど、結局最後は俺が負けるんだ……これが悔しいって思う以外に何かあるか?」


「ほうほう。つまりお前は女子大生のお姉さまから色々誘惑されていると、そういうわけなんだな? けしからん! 全くもってけしからん!」


「今宮、お前、相当な助平だな。見直したぞ」


「晴斗ぉ……やっぱりお前はすでにあの人の毒牙に……ここは一度僕がしっかりガツンと言ってやらないと……」


「お前ら……少し黙れ」


 俺はぴくぴくとこめかみを震わせながら、早紀さんが作ってくれた弁当に入っていた唐揚げを一つ、口に放り込む。まさか二日続けて唐揚げ弁当になると思わなかったが、さすが早紀さん。生姜醤油の味がしっかり染みている、白米が進む逸品だ。


「そんな美人な女子大生さんがいるならさぞかし妄想も捗るだろう? なぁ、お前はどんな格好をさせたいんだ?」


「諸岡、お前なぁ……そんなことばっかり言っているからエロ岡とか言われるんだぞ? それが少し控えめになればお前だって……」


 諸岡だって一部の女子からそのワイルドな見た目とバスケ部での活躍ぶりから人気はあるのだが、如何せん己の欲望に忠実な性格なので若干引かれている部分がある。


「うるせぇ! 男ってのはこういうどうしようもない生き物なんだよ! それで、お前はどんな服装コスプレをさせたいんだ!? 俺は断然―――ブルマだ!」


「よし、諸岡。その口今から縫い付けてやるからそこで大人しくしていろ」


「なんでだよ! いいじゃねぇか! 最高じゃねぇか! 艶めかしい足を惜しげもなく披露しながらあの際どい食い込みがまたなんともエロティックなんじゃないか! どうしてそれがわからない!?」


 わからないわけではない。早紀さんがブルマな体操服を身に纏うことを想像してみると、うん。やばいな。あの人の大人な色香と子供っぽいブルマというアンバランスな組み合わせにより生み出される衝撃は海を割るだろう。あの適度に鍛えられた生美脚を惜しげもなくさらけ出し、下着が見えるのではないかというほどの際どいブルマ姿はただの下着姿よりもエロいかもしれない。


「俺は断然…………チアガールだな。美人な女性にスタンドで応援されたらハットトリックも余裕でできそうだ。昼も、夜もな」


「お前もか、梅村……」


 早紀さんのチアガールか。確かにあの人がポンポン持ってミニスカートで足を大きく上げながらダンスで応援してくれたら相手が春夏連覇の王者が相手でも完全試合なんて余裕でできそうだ。美脚もそうだが、踊ることによってあの人の豊かに発育したメロンのような双乳がぷるんぷるん揺れるのを見ただけでよだれが―――俺は何を考えているんだ。これ以上はいけない。


「ふっ。愚かなり。これだからお前らはダメなのだ。綺麗なお姉さまに着ていただくとすれば……そんなもの、お風呂上がりのモコモコ生パジャマに決まっているだろうが!」


「君塚ぁ……お前まで」


 だが冷静に考えてみろ。早紀さんがお風呂上りにモコモコパジャマを着て出てくる姿を。わずかに髪の毛から滴る雫をバスタオルで拭いながらもその頬は湯気でまだほんのり蒸気している。有名ブランドのモコモコパジャマは寝る前だからという理由でブラを付けておらず、溢れんばかり柔肌の魅惑の果実が目の前に迫って来たら俺は―――


「それで、坂本はどうなんだよ! お前はどんなのが好きなんだ?」


「……僕か? 僕は……エプロンかな」


 紙パックの牛乳を飲みながら、適当な感じで悠岐が答えた。だがその意外な回答に俺達四人は戦慄を覚えた。


「ま、まさか……坂本の口からエプロンという単語が聞けるとは。やはりこいつは天才だ……俺達の想像をはるかに超える、天才だ」


「さすがだ、坂本。脱帽だ」


「っく! まさか俺の生パジャマ以上の最適解をこうもあっさりだしてこようとは!?」


 それはコスプレでもなんでもない。早紀さんが普通にエプロンを身に付けて、俺のために料理をしながら待ってくれている。そんな姿を想像するだけで、俺の心はどこか安心した。そんな未来が来ればいいとさえ思う。やはり悠岐は親友だ。


「……? どんな姿がエロいかって話だろう? エプロンはエプロンでも裸エプロンが一番エロいに決まっているじゃんか。なぁ、晴斗?」


 何を当たり前のことを言っているんだ、と言わんばかりのしれっとした顔で宣う我が親友に、俺は思わず瞑目した。他の三人もあんぐりと口を開けている。


「…………悠岐。とりあえず俺の感動を返せ」


 悠岐の意外な趣味がわかった、そんなくだらない昼休みだった。

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