第62話:文化祭への下準備と縁の復古
本来ならHRが終われば帰宅するなり部活に行くなり生徒の自由時間となるのだが、今日は少し違っていた。俺は委員長に連れられて彼女が所属している裁縫部に連れて来られていた。
「ようこそ、我が裁縫部へ! と言ってもみんな今は文化祭の準備でバタバタしているんだけどね。さっさ、こっちへ来た、来た!」
そう言って奥の準備室まで腕を引かれて案内されて入ると、そこにあったのは一体のマネキン。それが着せられていたのは深海を想起させるほどの昏い紺青の燕尾服。しかもそれは所謂ゴスロリ調、ビジュアル系バンドが着るような服だ。無駄なベルトの装飾など、とにかくゴテゴテしたデザインだ。
「い、委員長……まさかこれって……?」
「フッフッフ。そうだよ、今宮君。君が文化祭で坂本君と一緒に着る予定のドレスだよ? どうかな? どうかな?」
「いや……どうかなって言われても……えっ、採寸したのって昨日だよな? いくらなんでも仕事早すぎませんかね?」
悠岐の涙ながらの訴えによって俺もコスプレして接客することに決まったのが昨日の昼。それからわずか一日でこの服を用意したというのかこの人は。愕然としている俺に、委員長はそんなわけないでしょと苦笑いしながら手を振った。
「これはお姉ちゃんが前に自作して着たものだよ。でも一度着たきりでクローゼットの肥やしになっててさ。勿体無いから使ってもいいかって聞いてたらオッケーくれたの!」
委員長のお姉さんが何者かは知れないけれど、少なくとも俺の目の前にあるこの衣装を一人で手掛けたということは相当の技術を持っていることは間違いない。
「文化祭まで時間もあまりないから、とりあえず一度着てみてくれるかな? サイズは昨日測ったけど、着てもらって確認したほうがいいかなって思って。ささっ、恥ずかしがらずにちゃっちゃと着替えちゃって!」
ここまで来た以上、俺に抵抗の術はなく。言われるがままに大人しく委員長が用意した燕尾服を着ることにした。感想? 予想していたよりも重くて肩が凝りそうだと思いました。
こんな服を着て接客しているところを早紀さんや清澄先輩、相馬先輩達に見られたら当分の間いじられる。委員長が呆けた顔をしていたが、俺はそう確信した。
*****
事前に連絡をしていたとはいえ、衣装合わせをしていたせいで部活に遅れてしまったことは事実であり、だからと言って練習メニューが減らされることはない。この点工藤監督はとても厳しい人だが、これも全て、まもなくやってくる秋季大会を勝ち抜いて春のセンバツ甲子園に出場するためだ。
「ハァ……ハァ…………ハァッ…………」
以前は当たり前のようにできていた外周だが、夏の大会が終わってからと言うのもそう簡単に行えなくなっていた。と言うのもグランドの周りには野球部の練習が始まるとそれなりの数の野次馬が集まるようになってしまったからだ。
「お疲れさま、はる君。はい、これ」
長距離走を終えて一息ついているところにマネージャーの美咲さんがタオルとドリンクを持って来てくれた。俺は膝に手を突きながらそれを受け取った。
「ありがとうございます、美咲さん」
美咲さんはいつもと変わらない向日葵のような笑顔を浮かべている。ランニングで疲れていた俺の身体と心がその微笑みでほんわか癒されていくような感覚を覚える。さすが明秀高校二大美女の太陽だ。
「この後は体幹トレーニング? 足のケガなのに随分とノースロー調整が続くんだね」
「ふぅ……まぁ仕方ないですよ。さすがに一か月間、まともな練習ができていないんで体力を戻すことから始めないといけませんからね。投球練習はその後ですかね。それに、今のうちに体幹を鍛えておけばこの先きっと役に立ちますから」
「そっかぁ。はる君はよく考えているんだね。すごいや」
「ハハハ。すごいのは俺じゃなくて監督ですけどね。悠岐の怪我が明けたときも、先々に向けた身体づくりのメニューを渡していましたし、ほんと……すごい人です」
汗を拭いながら、向けた視線の先には投球練習場で二年生の先輩投手たちをじっと腕を組んで観察している工藤監督がいる。絶対的エースの松葉先輩が抜け、次期エース候補筆頭とか言われている俺も怪我明け。秋季大会だけではない、来年の夏の甲子園出場に向けて予選を勝ち抜き、さらに全国制覇をするためには間違いなくあと一人以上、エース級の投手が必要となる。
「はる君の目から見てどうかな? 松葉先輩の代わりになりそうなピッチャーはいるかな?」
美咲さんの素朴な質問に、俺は思わず苦笑いで返した。
「松葉先輩級がそうポンポンと出てきたらどのチームも安泰ですよ。まだ一年生の俺の口から何か言うことはありません。正直みんないいピッチャーですし、気付いたら別人のような選手になっていることは、高校野球ではよくあることです。だから今は監督の教えを信じて練習するだけです。先輩達もきっと、そう思っているはずですから」
貰ったスポーツドリンクをもう一度煽り、俺は次のメニューへと移るために軽く屈伸をする。それからタオルとドリンクボトルを返そうとしたら、美咲さんはもじもじとしていた。
「……美咲さん? どうしたんですか?」
「あぅ!? う、ううん! なんでもない! なんでもないよ!? 別に文化祭はる君と一緒に回れたら嬉しいなぁーなんて考えてないよ!?」
紅潮した熱を頬から逃がすように手をパタパタと振りながら取り繕うとする美咲さんだが、全く誤魔化せていないのが彼女らしい。
「……全部口に出てますよ? 文化祭を一緒に回るんですか? それくらいなら別に構いませんが、まだ喫茶店の当番のシフトとか決まってないしそれに―――」
「はる君! 言質取ったからね!? 一緒に文化祭回ろうね! 約束だからね! 絶対だからね!」
俺が言い終わるより早く。背伸びをしながらユニホームを掴みながら声を張り上げて美咲さんは言った。そのあまりの勢いに俺は驚いたが、思わず首を縦に振った。
「よし! これではる君を独占できる……早紀さんにはまだ負けてない! ここから逆転していかないと……!」
一人でガッツポーズをしながらぶつぶつと呟く美咲さんの目はギロリと光っており、小動物ながら肉食獣の雰囲気が漂っている。
俺の本能がこれ以上近くにいてはダメだと囁いている。俺はそろりとなるべく足音を立てないようにして、その場を離れることにした。
*****
今日もヘロヘロになりながら帰宅した。今日も今日とて里美さんは仕事でいないが、早紀さんからの誘惑はない。その代わり、なぜか食卓には彼女の置手紙があった。
―――今日も里美さんがいないから一緒に居たいんだけど、あいにくバイトがあってダメだから……その代わりに昨日作ったカレーと買ってきたカツを冷蔵庫に入れておいたから食べてね! 今日も練習お疲れさま!―――
なんで早紀さんが我が家にこうも簡単に入室できるかと言えば、怪我をしていた時に里美さんが合鍵を渡していたからだ。意外にも達筆な字で書かれた手紙に思わずほっこりしながら俺は冷蔵庫からカレーが入った鍋とパックに詰められているカツを取り出してそれぞれ温める。
加熱が済むまでの間に俺はある子に電話をかける。
『も、もしもし……』
「もしもし、久しぶり、ナオちゃん。突然ごめんね。今大丈夫?」
縁を切ったあの女とその家族。だがその中で唯一、俺のことを応援してくれた可愛い妹のような女の子。
『は、はると……さん? はるとさん……なの?』
「あぁ。晴斗さんだよ。久しぶりだね、ナオちゃん」
「ナオちゃん、もしよかったらだけど……うちの文化祭に来ない? あぁもちろん、誰にも内緒でね」
『は、はると……さん? えっ? 文化祭? わ、私……また晴斗さんに、会えるの?』
「この間はごめんね。あの時は……あぁ言うしかなくてね。だからそのお詫びも兼ねて、文化祭に遊びに来ないってお誘い。どうかな? 時期は9月25日の土曜日と26日の日曜日なんだけど大丈夫かな? もしかして、もう予定入ってる?」
『大丈夫です! 何も問題ありませんから!! むしろ何かあってもキャンセルして晴斗さんに会いに行きますから!』
「そっか……うん、ありがとう、ナオちゃん。じゃぁ来れる日がわかったらメッセージくれるかな?」
『必ず! 必ず連絡しますから! は、晴斗さん! た……楽しみにしてます!』
「うん。俺も楽しみにしているよ。それじゃ、
『はい! それじゃぁ……また、今度です。晴斗さん』
そしてナオちゃんとの通話は切れたが、一度途切れかかった彼女との縁は繋ぎなおすことが出来た。そこにまず一安心した。だが―――
「あの女はまだ何かしてくるだろな……あの時は早紀さんにも迷惑かけたし……今度は俺自身の手で―――」
決着をつける。
再会は遠いようで、近い。
ちなみに。
温めたはずのカレーたちは、すでに冷めていたのでまた温めなおしました。
一晩熟成された早紀さんお手製のカレーは昨日よりも美味しかったです。
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