第40話:学校に行けなくなるかもしれないぞ?

 ベンチの中はある意味で殺気立っていた。その爆心地は小柄な天才打者。最初の打席こそ先制のツーランホームランを打った、その後の打席はまともに勝負してもらえず全て四球フォアボール。打ちたいのに打てないストレスが溜まっていたところに俺に向けられた声援が、悠岐の堪忍袋にとどめを刺した。


「晴斗ぉ……いいご身分だぁな? 親友の僕に黙っていつの間にハーレム築いたんだ? なぁ、教えてくれよ……晴斗ぉ?」


 7回裏の攻撃は悠岐から始まるのでヘルメットを被りながら向ける瞳に光はなく、むしろ暗く淀んでいた。俺はタオルで汗を拭いながらやれやれと頭を振った。


「勘違いするなよ、悠岐。別に俺はハーレムとか求めているわけじゃない。俺は―――」


「はいはい、わかってるよ。一人だけ、だろう? ならさっさとどっちか選べよ。ちなみに僕のおすすめはマネージャーだ。なぜかって?  僕はあの女子大生が苦手だからだよ! まるで僕を犬か何みたいに扱いやがって! 晴斗があの女と付き合うと、僕は毎日のようにからかわるじゃないか! そんなのはごめんだ!」


「お前の好みや早紀さんにからかわれる話は、まぁいずれゆっくり聞いてやるから、早く打席に向かったほうがいいぞ? そろそろ投球練習が終わるぞ?」


 指をさした先では敦賀清和高校の守備の準備が整いつつあった。悠岐は慌ててベンチを飛び出した。ようやく俺は一息つくことが出来ると力を抜くと、今度は日下部先輩がにやけ面とともに声をかけてきた。


「おいおい、晴斗く―――ん、綺麗な女子大生の飯島さんだけじゃなくてマネージャーにまで唾つけていたのかよ? お前、夏休み明けたら大変なんじゃないか? 生きていられないかもしれないぞ?」


「日下部先輩……やっぱり、そう思いますか?」


「あぁ、残念ながら間違いなくな。飯島さんだけならまだからかわれる程度で済んだかもしれないが、相馬さんはまずい。彼女のファンがどれだけ校内にいるか知っているだろう? なんなら親衛隊に囲まれるぞ?」


 物騒なことを言っているが日下部先輩の口元は愉悦に歪んでいた。人の不幸は蜜の味とはよく言うが、まさにこの人は試合中とか関係なしにこの状況を楽しんでいる。なんて先輩だ。


「まぁ俺から言えることは一つだ。気を付けろよ・・・・・・、晴斗。お前を狙っている女子はあの二人だけじゃないかもしれないからな。しかも、甲子園初先発で完全試合目前まで来ているとくれば、なおさらな」


「そうだぞ、晴斗。今日の試合後からお前に飛ぶ黄色い声援は増えると思うぞ? あとカメラの数もな―――っと、そんなことを話しているうちに悠岐の奴が勝負してもらえているぞ。カウントは……おっ、珍しく追い込まれているな」


 いつの間にかそばに寄ってきた松葉先輩がほらよ、とスポーツドリンクを手渡してくれた。それを飲みながら打席に立つ親友に目を向けた。


 フゥ―――とバッターボックスで熱気を吐き出す悠岐。はじき返したボールはタイミングが微妙に合わなかったのかバックネットに弾き飛んでいた。そしてこのファールにより、カウントは1ボール2ストライクとなり、この試合では初めて追い込まれた。


 マウンドに立っているのは初回から変わらずエースの引地さん。球数はすでに100球を越えているはずだが、球威はまだ衰えていない。それどころか、ここまで悠岐との勝負を避けてきたはずが一転して抑えに来ている。


「いくら悠岐の一発が怖いと言っても、ノーアウトでランナーは出したくないってことだろう。それに後ろには今日長打を打っている城島ジョーがいるからな。ランナー溜めて打たれるくらいなら悠岐と勝負したほうがまだマシってことだろう」


 松葉先輩はこの勝負の意図をこのように読んだ。日下部先輩もおおむね同じ考えのようだが、俺の考えは少し違う。これはおそらく、彼ら・・の意地だ。初回に打たれた本塁打の借りを返さずにはいられないのだろう。そして、悠岐を抑えることこそが、明秀に傾いている流れを取り戻す最善策だと監督の指示ではなく、グラウンドで戦う戦士の本能が囁いたのだろう。その証拠に、相手ベンチの監督は苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべている。


「ほんと、タフなバッテリーですね。初回に先制できて本当によかった……」


 俺の呟きを聞いた先輩二人は首を傾げたが、俺は気にせずドリンクをもう一度口に運んだ。


 投じられたボールは変化球。外から曲がってくるカーブ。ストレートに山とタイミングを張っていた悠岐の身体がわずかに泳ぐ。しかし悠岐が天才たる所以は、前に突っ込んでバランスを崩しかける身体を右足を柔らかく曲げながら踏ん張り、ボールが曲がり切った落ち際を手首を返してバットで拾い上げる技術をもっているところにある。


 掬い上げられた打球はレフト線へ低い弾道で風を斬り裂きながら鋭く飛んでいく。あっという間にフェンスにまで到達してドガンッ、と派手な音を立てた。悠岐は悠々とした足取りで二塁に到達した。マウンド上の引地さんはあれを打たれたら仕方ないかと言わんばかりに苦笑いをしていた。打たれはしたが後悔はない。そんな表情だ。


「タイミングを完全に外されながらも流してツーベースか。ほんと、晴斗といい悠岐と言い、今年の一年生は化け物ばかりだ」


 松葉先輩のあきれ顔に日下部先輩も同意するようにうんうんと頷いた。俺は腰を上げてベンチの最前列から塁上の悠岐に向けて声を張り上げる。


「悠岐――――――!! ナイスバッティング!!」


 これに気付いた悠岐が若干俯きながら右手を上げた。俺も拳を突き上げ返した。


 しかし、残念ながら後続が倒れて8回表は無得点に終わった。もしかして城島先輩は悠岐が打つと緊張して打てなくなるのだろうか。


「……三回戦は打順を変えたほうがいいかもしれませんね」


 工藤監督が困ったように顔をして呟いた。気楽に打てばいいのにと思いながら、俺はマウンドに向かう。


 残るアウトは6つ。8回表の攻撃は4番、下水流さんから始まる。


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