ぐるり異世界、めぐり世界。

祖父江直人

第0部 始まりはハッピーエンドから

序章という名のクライマックス




   海も草木も生命いのちもない

   うつろに針の落ちる音

   それが世界の始まりで

   そこからすべてが生まれ出で


   嗚呼ああ 世界針せかいしん 世界針

   ヒトも魔物も神様も

   貴方はどこへ連れて行く




「―――はっ!?」


 開けた目には空が。

 背中には地面が。

 身体は仰向け。


「シンジ殿、目を覚まされましたか」

『シンジさん』

あるじ・シンジ」


 そして、周りには、自身を案ずる三人―――いや、


「やいシンジ。死ぬかもしれねぇんだったら先に言いやがれ」


 ふところから這い出す、小さな四人目の仲間。

 小人妖精ラルの小生意気な声。


 匂いもする。煙臭い。そして、それ以上に充満する血と死の匂い。


 辛うじて倒壊は免れたが、瀕死の新宿駅ビル。

 脱線し、跳ね上がり、横倒しになった電車。

 瓦礫の山の中で避難所と化したホテル。

 ぽつぽつと見える黒煙と火炎。

 逃げ惑う人。

 サイレン。

 地鳴り。

 悲鳴。


 獣の如き、の咆哮。

 

 五感は正常だ。


 つまり、まだ死んでいない。


「―――石だらけの河原で、鬼と悪魔が地獄のわらべ歌を合唱していた……」


 物語の冒頭で、なかなか堂の入った死に損ない少年―――シンジは呟く。


「足は二本あるな。腕も。指の関節は増えてないよな。骨は、まぁ流石に何本かやったか。でも、心臓がケツから出てるようなこともない」


 いろいろなことを確認しながら、ゆっくりと起き上がる。


「まだ心臓は動いてる。“”は、まだある。まだ戦える、馬車馬のように」


 全身をくまなく覆うしろがね色の鎧と、視界を遮る大兜。どちらもボロボロだ。もう使い物になるまい。それが、シンジを守ったようだった。


 さながら、時代遅れの重装じゅうそう歩兵ほへい


「ありがとうよ、竜皮りゅうひの鎧。成仏しろよ」


 いや違う。


 時代が忘れた竜槍りゅうそう歩兵。


「さぁて、あンのクソ魔王……」


 数キロメートル先には、つい数分前まで、東京都庁と呼ばれていた巨城。


 現在は、2019年冬の現代に現れた魔王の居城。


「ヒトをぶっ飛ばすだけならまだしも、律義に振り出しに戻しやがって」


 先だって、シンジは単身その魔王にやられ、ここまで吹き飛んできたのだった。


 鎧はボロボロだが、身体なかみはまだ動く。


 シンジは鼻息荒く、気合を入れ直す。


「ボコる。被災された新宿区民と人類を代表して絶対ボコっちゃる」


 シンジの世界と仲間の異世界、二つを同時に滅ぼし得る凶悪な存在に対して、この物言いである。


「我々が、また活路を開きますぞ」


 岩のように大きな仲間、レッサーオークのジオが言う。


「おう、次は勝つ。もうあんな臨死体験欲張りセットは十分だ」


 さきほどから、このシンジ、致命の一撃を貰い損ねたばかりのくせに、口の減らぬ男である。


「さすが、勇者殿は勇猛果敢でありますな」

「いや、違う」

 仲間からの称賛を、シンジは言下に否定する


「……そうでしたな」


 ジオは苦笑い。


「俺は、勇者じゃない」


 異世界へと転生し、また元の世界に戻ってきたアサキ・シンジは、勇者にあらず。


「旅人だ」


 と、そう、言い張っている。


「よっしゃ。もういっちょ行ったるか」


 言うと、シンジは、会心の一撃をかろうじて耐え抜いた竜皮の鎧と、兜を脱ぎ始めた。


 既に壊れているし、大体が邪魔だった。魔王と一戦交えてみて、盾による防御など意味をなさないことも学んだ。ならば、身軽な方が良い。


「マイト」

『シンジさん』

 篭手こてを取る。顔をすっぽりと覆ったローブ姿の女商人が、こくりと頷く。


「ジオ」

「シンジ殿」

 脚部を外す。劣性レッサーオークの賢人が野太い声を返す。


「サムライエルフ」

あるじ・シンジ」

 鎧を脱ぐ。名もなきエルフの剣客が、呼びかけに応じる。


「しゃあねぇ、おいらがまたついてってやるよ、シン坊」

「ラルは別にいいんだけど」

「なんでだよっ!」


 戦力としてはほぼ期待できない小人妖精でオチをつけた。


 最後に、装飾のない地味な兜から、

 黒より黒い黒髪と、

 夜より深い瞳と、

 つまるところ、大して特徴の無い極東アジアの平均的な顔を晒す。


「とっとと魔王をとっちめて―――」


 その手に持った槍を構える。


「さぁ、旅を続けよう」






 ―――これは、

 広い世界と異世界を、

 巡って廻る少年の、

 愉快な勇気の物語。


『良かったです』

「……なにがだ? マイト」


 シンジが「決まった……!」と思っていたら、旅の仲間がそう声をかけてきた。


『シンジさん、いきなり鎧を脱ぎ出したので、そのまま全裸になるのではないかとマイトは心配でした』

「……お前、俺のことそのレベルの傾奇者かぶきものだと思ってたの? この割と最終決戦で? ……うん、ま、そこまでは歌舞かぶかんから。心配するな」


 少しばかり間の抜けた、中途半端な異世界転生。


 運命の、外側に立つ物語。


 読者諸兄諸姉しょしにおかれましては、じっくりと腰を据えて楽しんでいただきたい。


 では、ことここに至るまでを語ろう。

 時間の針を、2019年の秋に戻す。

 場所は、地球日本のとある高校。

 年に一度、文化祭の日であった。


 十五歳の朝希あさき慎二しんじは、この日、母なる地球と別れを告げ、異世界ホロギウムへと、壮大な旅に出ることになるのである。


 ……まぁ、旅の目的は、特にないのであるが。

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