第十四話

ポレオンの悲憤(1)

『ポレオンを脱出しなさい。今すぐに』


 可及的速やかに首都脱出を促すメッセージが初めてイヴォン・マストラタの手元に届いたのは一週間前。それから一日おきに届き続けている。

 一年足らずでホアジェン音楽学校の卒業が控えている身で急にポレオンを離れる訳にもいかない。家の事業のこともある。ただ、脱出・・の文言があまりに気になり、父アドラーに相談するか迷っていた。


「え、イザドラのところにも?」

 迷った挙句に連絡した友人たちに意外な事実を告げられた。

「ええ、わたしにも届いているわ。とうとう三通目になったからヘレナに相談していたところなのよ。そうしたらイヴォンからも着信が」

「そうそう。わたくしにも来てるわぁ。どうしようかと思ってたのぉ」

 ヘレナまでもが思い切りが付かずに口をつぐんでいたという。


 皆、良家の子女ばかり。妬みからの中傷や悪意ある脅迫が聞こえてくる事も少なくないし、あまり耳を貸さないように努めている。

 ただ、個人のメッセージIDとなると極めて珍しい。が、まったく事例がなくもないので判断がつけづらい。


「他の人も確認したいわね?」

 イザドラの言葉の含むところを彼女は正しく汲み取る。

「もし、私たちだけっていうのなら、匿名になっている発信者は自ずと知れてくるものね」

「うん、きっとニーチェ」

「共通項はそれしかないわね」

 三人は同じ結論に至っている。

「それだと余計に脱出って内容が気になるわぁ。あの娘、今どこに居るのぉ?」

「そこも問題。自分のメッセージIDから送信すればわたしたちの信用を得るのは簡単。なのにそれをしない、もしくはできない環境から送信しているって事になるわ」

「確かに。イザドラの言ってるのが正しいと思う」

 不安は増すばかり。


 ニーチェに学校を去る決意を聞き別れてからから一年半以上。この間、全くの音信不通だった。

 彼女の行動力とバイタリティはイヴォンの想像をゆうに超える。何がどうなっていたとしてもおかしくはないと思う。

 赤い瞳に宿った決意は固かった。ジェイルの仇討ちをするのだから、相手はライナックかはたまた剣王か。そこから類推するにせよ、常識の狭い彼女たちでは想像を絶する。


「わたくし、それとなく訊いてみたのぉ。そんな感じの知り合いはいなかったわぁ」

 天真爛漫を感じさせるヘレナに隠し事をする者は少ないだろう。

「だとすれば当たり?」

「そうみたい。私、父さまに打ち明けてみる」

「思い切ったわね、イヴォン?」


(もし、ニーチェからのメッセージなら絶対に無視できないししたくない。確実に私たちの身を思っての行為だろうから)

 それには確信がある。


「わたしも家族に相談してみる」

「わたくしもまずはお母さんと話してみるわぁ」

「じゃあ、この事はまた結果が出てからね?」

 彼女は会話を打ち切る。

「誰かから似たような相談を受けない限りは普段通りにしていましょう」

「ええ、賛成よ」

「分かったぁ」

 あまり言い触らしたいような内容ではない。


 イヴォンは忙しくしている父親の帰宅がいつになるか確認を始めた。


   ◇      ◇      ◇


 彼女が父アドラーに相談できたのは次の日。それも、娘から深刻そうな声音で連絡を受けたので少し仕事を詰めて無理したらしい。


「何か相談があるのだろう? 教えてくれないか?」

「うん、これ見て」


 疲れているだろう父親を思い悩ませたくはない。しかし、イヴォンは全て告げるべきだと思った。正確を期する為、携帯端末に届いたメッセージを示しながら説明する。


「これは?」

 父もその内容に只事ではないと感じてくれたようだ。

「一週間前から届いてるの。見ての通り、今日のを合わせて四通目。どう思う?」

「疑わしいといえばキリがない。だが、それはお前も分かっている筈だね。それでも訊いてきたという事は何か理由があるんだろう?」

「届いてるの、ヘレナやイザドラのところにも」

 アドラーは瞠目し、「なんだと?」と視線を彷徨わせる。


 その意味を正しく理解してくれたのだろう。つまりは娘が情報としての信憑性を感じているのと、何を心配しているのかを。


「なるほど。相談してくれて正解だ」

「ね? 私はニーチェだと思ってるの」

 念押しするように続けた。

「うむ、彼女だとして、これが何を意味しているのか?」

「何か起ころうとしているのかも?」

「そのまま受け取れば何かの事変を暗示しているのだろう。それで友人の身を案じているのだとしか考えられない」

 同じ結論に達したようだ。

「信じてくれる?」

「信じるしかないだろう。おそらくニーチェ君だと思われる発信者は、まだお前がポレオンに居ると確認できる立場にあると思う。だから繰り返されているんだ」

「はっ!」


 イヴォンは息を飲んだ。父親は彼女が気付きもしなかった点に言及する。確かにその通り、イヴォンがポレオンを離れていれば繰り返す必要などない。警鐘として意味を強めるだけともいえなくもないが、それは楽観的。


「すぐには無理だが準備する」

「へ? そんなに早く決めるの?」

「いや、怪しげな情勢が続いているので警戒はしていたんだ。これで踏ん切りがついた。近いうちに支店のあるバーシーまで避難するぞ」


 ハシュムタット革命戦線の存在がアドラーを悩ませていたのだと説明された。兄のヘンリーと母のミネアも呼び出されて決断が告げられる。


「ヘレナやイザドラにも伝えておきなさい。いや、私から家のほうへ連絡しよう」

「ありがとう、父さま」

 彼女は父の首に抱き付いて頬にキスした。


(無駄にはしないよ、ニーチェ)


 家族に信じてもらえたのが嬉しくて涙をにじませるイヴォンだった。

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