魔王顕現(10)
(あの跳ね返りの捜査官も今頃反省してるだろうさ)
ゲラルトはほくそ笑む。
(どうせ戒告程度で済むと思ってたんだろう。僕を甘く見るなよ)
二等の降格はキャリアに大きく響く。今後の出世は難しくなるだろう。
(もしかしたら謹慎明けに泣いて詫びを入れてくるかもしれないな。
裏路地をにぎやかしながら皮算用が捗る。
「あれ? ディーターの野郎どこ行った?」
いかつい顔の連れの男が振り返ってキョロキョロする。
「またいい女見つけてカマ掛けに行ったんじゃないすか?」
「悪い癖が出たか。すんません、ゲラルトさん」
「許してやるさ。今夜は気分がいいからな」
彼より遥かに体格の良い男は、今度詫びを入れさせますからと平身低頭。それが余計にゲラルトの気分を良くさせる。
「ん? ヒーゼル、どこだ? あいつ、探しに行ったのか」
男も渋い顔になる。
「いいじゃないか。仲間思いで」
「でも、ゲラルトさんを置いていっていい訳じゃ。ヒーゼル、どこだ! 戻れ!」
彼も少し遅れる。
「おい、ヒーゼ……」
「だから、もう良いって……」
少し苛ついたゲラルトが振り返ると誰もいない。
「はぁ?」
(なんだ、これは?)
意味が分からず目を丸くする。
「おい、お前ら!」
応えはない。それどころか人通りさえ絶えている。
(これは……)
荒事特有の空気感に気付いた。闇社会に属する裏路地の住人は鼻が利く。すぐに身を隠したのだろう。
ジャリっと靴が砂を食む音が響く。咄嗟に振り向くと一瞬だけ何かが見えた。銀灰色の髪。それがスッと通路へと消えていく。
(あ、あいつ!)
背筋を悪寒が駆け上る。
「おい、モーリッツ!」
大柄な男の名だ。
恐るおそる通路に近付き覗き込む。そこには大の字になって気を失っているモーリッツの姿。
そして、すぐ横の通路でまた靴音。ビクリとして振り向けば今度は確実に件の捜査官の横顔が見える。視線でゲラルトを捉えたまま、口元に薄ら笑いを浮かべて引っ込んでいった。
「あ、あう……! た、助け……」
彼は何度もつまづき転びながら表通りへとまろび出た。道行く人を押し退け、必死になって無人タクシーを停めると慌てて乗り込む。
(あいつ、ぼくを狙ってやがるのか!)
自宅に戻るまで歯の根が合わなかった。
◇ ◇ ◇
翌日、ゲラルトは四人の屈強な護衛を従えて家を出る。
(あの野郎、ぼくを怯えさせたりして許さないからな。来るなら来い。今度は返り討ちにしてやる)
自尊心を傷付けられたと感じた彼は応酬に出る。
夜の街に繰り出す。まずは人通りの多い大通りを闊歩する。相手を釣り出してから人気の無い場所に誘い込み、取り囲む作戦。護衛たちにはそう命じてあった。
週末の通りは人で溢れている。彼らの剣呑な空気を察して避けて通るが、袖をすり合わせるような距離だ。
「ぎっ!」
護衛の一人が小さな苦鳴と同時に崩れ落ちた。
「来たぞ」
三人の護衛がゲラルトを取り囲むように配置する。
「うぐ……」
また一人がその場に倒れる。
その頃には通行人も気付く。女性は倒れた屈強な男に小さな悲鳴を立てるが、大勢が何事かと遠巻きに様子を窺う。
(今度は人ごみに隠れてるのかよ)
彼は戦慄を禁じ得ない。
しばらく緊張の時間が過ぎたが何も起こらないと分かると人波は流れ始める。護衛の二人も倒れた同僚の容態を窺っていた。
「ごっ!」
また一人の護衛が首をふらつかせて頭から落ちた。
「ひいぃ!」
「下がってください」
残った一人が周囲を警戒する。
その瞬間、横に人の気配。護衛の背中に踏み込むと後頭部に指を折りたたんだ手刀を浴びせる。短く苦鳴を漏らす護衛に一瞥もくれずに身をひるがえす。注意していなければ見落とすほどの素早い動きで横をすり抜けていく。
「次はあなたの番です」
耳元に囁きだけを残して。
へたり込みそうになる足を叱咤する。恐怖だけがゲラルトを衝き動かしていた。這うように駆け出すと人ごみの中へと逃げ込む。速まる動悸と運動不足からくる息苦しさで悲鳴も上げられない。焦燥感に振り返ればまた銀灰色の髪だけが残像を刻む。
(やられる!)
自分の失敗に気付いた。人ごみに紛れればと思ったが、そこは相手の領域。このままでは思うがままに翻弄されてしまう。
(こうなったら)
ゲラルトは路地に駆け込む。小さな靴音を背負いながら。
「そこまでだ!」
人気の無い十字路で振り向き、背中に手を伸ばす。突き出した手にはハンドレーザーが握られていた。
「止まれ! ぼ、ぼくが何も準備していないと思ったか!」
息も絶えだえになりながらも照準レーザーを迫りくる影に合わせる。
「撃つぞ! 本当に!」
「ありがとうございます」
警告した瞬間には両手を掴まれて壁に押し付けられていた。
「上手い具合に人気の無い場所に逃げ込んでくれただけじゃなく、正当防衛が成立してしまいました。心置きなくあなたを殺せます」
(誘い込まれたのはぼくのほう? 人ごみは危険だと思わされた)
彼の両手はビクともしない。逆に捜査官の右手にはハンドレーザーが現れ、額に押し付けられた。
「ゆ、許して」
「彼女もそう言ったんでしょうね。でも、あなたは凌辱した」
額の銃口が皮膚を通してごりごりと骨を圧する。ゲラルトは生きた心地もしないままに口をパクパクとさせた。
「今更詫び言ですか? そんなものは亡くなってしまった彼女には届きませんよ」
「殺すなぁ。殺さないでくれぇ」
手の力が抜けてハンドレーザーを取り落とす。両手を放されたので、路面に額を擦りつけた。
「嫌だ。死にたくない。許してください」
レーザーの発射音で跳ね起きる。彼のハンドレーザーが半ば溶けている。腰が抜け、股間を生暖かい液体が濡らす。
目の前の男、ジェイル・ユング捜査官の黒い瞳は冷たく冴えざえと光を反射してゲラルトを貫いていた。
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