さようなら、ニーチェ(12)

 結果としてニーチェの総合順位は九位に終わった。二十人中の九位なのだから中ほどの結果でしかない。芸術点は高かったものの、技術点が足を引っ張っての順位。


「ごめんなさい」

 頭は下げるが、上げた顔は舌を出しているニーチェ。

「残念な結果だったね?」

「オネストおじさんが忙しい時間を割いてくれたのに、こんなものだったし。あたしはやっぱりこの程度かも」

「ええ、合格ラインを大きく超えてきてくれた」

 意外なひと言に首を傾げて「へ?」と声が漏れてしまう。


 約束の結果が出なかったのに合格とはこれ如何に。彼女の頭は混乱状態に陥っている。


「なんで?」

「何故もないだろう? 客席の様子を見ていれば一目瞭然。誰もがあなたの情感に酔っていたのではないかね?」

 確かにそんな印象はある。

「それで合格?」

「うむ。コンクールだから成績は凡庸。でも、これがコンサートだったら大成功。拍手喝采の中でステージを降りてきたはず。それが求めていた結果。あなたはきちんと自分の色を出し切ったね」


 イヴォンたち三人に抱き締められる。ニーチェの成功を皆が涙を流して喜んでいた。それが嬉しくて彼女も抱き締め返し頬にキスを贈る。


「私の心は決まった。君と一席設けたいと、ジェイル君が戻ってきたら伝えてくれたまえ」

「了解だし!」


(パパもきっと成功を喜んでくれる。早く帰ってきて)


 感涙にむせぶ彼女は天空を赤い瞳で見上げた。


   ◇      ◇      ◇


(危うく詰め切られるところだったぜ)

 リューンは戦慄する。

(こいつは俺らみてえな戦気眼せんきがん持ちとは最悪の相性だ)


 戦闘が組み立てられてしまっている。仕掛けているつもりが、相手の意図通りに動かされるのだ。攻撃も防御もそれ一つひとつが次の挙動への誘いにもなっていて、意識せず動いてしまっていた。

 結果として戦気眼で感じた輝線を躱したくとも躱せない状態に追い込まれている。彼との戦闘中に嫌な感覚が背筋を這った。


(だが足りねえ。てめぇにゃ俺は墜とせねえ)

 ところが現実に撃破寸前なのはムスタークのほうである。

(てめぇに足りてねえのはアームドスキンの性能だ。そのしょぼい量産機が最後の詰めの瞬間に追い付いてきてねえんだよ)

 意図に踊らされているのまで分かるリューンには詰めの一撃がどこに来るかまで感じられてしまう。その一撃が刹那だけ遅れている。専用機ゼビアルを駆る彼には、その刹那だけで十分なのだ。


「なあ、あんた。黙って俺んとこに来い」

「遠慮します。僕にも事情があるんですよ」

「じゃあ、墜とす」

 彼は「それも遠慮します」と返す。


 まだ抵抗の意思を緩めない。ビームカノンは片方失い、機体全面に斬痕を刻まれ、左脚の膝から下も無く、頭部も斜めに斬り裂かれているというのに。


「悪ぃが遠慮できねえ。危険すぎる。これで……」

「やめなさい」

「なんだと、エルシ?」

 部隊回線に割り込みが掛かる。

「もう退きなさい。その機体は警察機。彼は捜査官で軍人ではなくてよ。民間寄りの相手の命を奪うのはあなたの流儀に合うのかしら?」

「う……」


 線引きとしてはゼムナ政府の犬ともいえる。実際に反政府活動に対する公権力の一部であろう。撃破するには十分な理由だが、真正面から対峙すべき敵ではないとも思える。


「ちっ!」

 舌打ちが苦々しく響く。

「もういいぞ、ジェイル! 戻れ! 皆離脱したぞ!」

「逃げられましたか。幸いです」

 向こうのハイパワーの部隊回線が漏れ聞こえてきている。

「第三軌道連艦隊が地獄エイグニルと交戦しつつ接近中だ! 早くしないと離脱困難になるぞ!」

「言ってんぞ。もう行け」


 リューンは踵を返すと僚機を引き連れてイオンジェットを噴かした。


   ◇      ◇      ◇


 戦闘光が近付いてくる。離脱タイミングとしてはぎりぎりだろう。だが、それも儘ならない。

 2D投映コンソールは警報だらけ。メインスラスターは機能してくれているが、姿勢制御用パルスジェットは出力の安定しない物が多い。まともには飛んでくれない。


 そして……、目前には漆黒のボディを持つアームドスキン。

 大きな球形のショルダーユニットが目を惹く。平たい頭部に走る三本のセンサースリットが赤く輝いた。黒い爪がムスタークへと迫る。


「さようなら、ニーチェ」


 ジェイルは静かに目を瞑った。


   ◇      ◇      ◇


 彼方にひとつ、光球が花開く。


「8番機……、反応……、消失……」

 シャノンが流れる涙を拭わぬままに告げる。

「すまん……」

「何でなんだよ! ジェイル! ばかやろー!」


 グレッグは操縦室のキャノピーを殴りつけた。


   ◇      ◇      ◇


(早く帰ってこないかなー、パパ)

 待っていると一日一日が長い。

(二日もメッセージが返ってこないのは変だけど忙しいのかもしれないし。そうだ! きっと帰る準備が忙しくて返事できないんだもん!)

 派遣目途と聞いている一ヶ月が過ぎている。


 携帯端末が鳴動してニーチェは慌てた。ちゃんとサイレントモードにしてあったのにけたたましく騒ぎ立てる。


「ニーチェさん、いけませんよ!」

 今は授業中。講師に注意を受ける。

「すみません! でも、緊急メッセージだし! え!!」


 文面を目にした彼女の手足が震える。身体がふらつき、視界が徐々に暗くなっていく。


 画面には『ジェイル・ユング、殉職』の第一報が表示されていたのだ。


 ニーチェは失神してその場に倒れた。

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