さようなら、ニーチェ(10)
順番がやってきてニーチェの名前がコールされる。一度の成功が彼女にステージ度胸を身に付けさせていた。今度は怖れる気持ちもなく中央へと進んでいく。
(難しくなんてないし。もう一回同じ事を……。おぅ!)
空間の広がりが違う。大舞台にも使われるステージの観客席が彼女の視界を埋めていた。
(これは上がるし! これだけのお客を湧かせられれば絶対に間違いない。パパも鼻高々であたしを自慢できるはず。上手くいけば学費の負担を減らせられるかもしれないし)
否が応にもテンションが上がってきた。
(一発勝負。決めてやるし)
自分の中で何らかのスイッチが入ったような気がした。
序盤は不安を歌う。花嫁の気持ちに添うように抑えめに行かなくてはならない。
前回の自分だったら現在のテンションだと走り過ぎてしまっただろう。しかし、今のニーチェはヘルマンの指導で歌唱技術に余裕がある。意識して抑えに行くのも可能だった。
曲は中盤から後半へと移っていく。花嫁の気持ちも上がってきて、少しずつ身体の内で暴れているテンションを解放しても良くなる。身振りにもそれを加えつつ声量を増していく。
♪ 私を見つめる瞳 そこに息づく不安と思い ああ、貴方も私と同じだったのね 二人は繋がっていたのだわ その不安を掻き消してあげたい
そっと触れるだけでいい そっと囁くだけでいい きっと伝わるから だってこの出会いは運命なんだもの 私は貴方の理想の伴侶になれるはず
(どう? あたしの歌。ほら、そこの人も喜びの表情に変わってるし)
想いが繋がる場面が観客にしっかりと伝わっていると確認できる。もう抑える必要なんてない。全力をぶつけるだけ。
(宇宙のパパにも届け、この思い!)
渾身の力で歌う。
(あっ!)
ニーチェは自分がミスしているのに気付く。
◇ ◇ ◇
軌道艦隊との戦闘が
(少しペースが速いかもしれません。あまり目立つのもよろしくない)
想定よりも中破させた機体が多いのは、相手の熱が上がってきている所為であろう。おそらく現状を恥じるあまりに前掛かりになってしまっているからだ。
(全体を退き気味にするべきでしょう。頭を冷やして、こちらが取るに足りない戦力だと思い出してもらわなくてはなりません)
ジェイルは
「課長、下げましょう。ちょっと熱くなり過ぎてます」
「そうか、すまない。こっちじゃそこまで掴めんからな」
「よーし、下げ気味にするぞ。遅れるなよ、シュギル」
グレッグも機敏に反応してくれる。
(え!?)
ニーチェの声が聞こえたような気がした。力強い歌声に励まされたように感じる。集中力を高めたジェイルは慎重にパルスジェットを使って後退する。
「おいおい、逃げんなよ。こっからが面白くなんじゃねえか?」
共有回線から剣呑な声が聞こえてきた。
(ゼビアル!)
(剣王が来てしまいましたか。これは完全に失敗です)
顔を顰めるが時すでに遅し。
ジェイルは中破機体の数による刺激が強過ぎたのだと覚った。
◇ ◇ ◇
(悪い癖が出ちゃった。入り過ぎちゃったし。ほんのちょっとだけど音程がズレちゃってる)
このクラスの発表会の審査員となると僅かなズレも見逃してはくれない。
(あーあ、終わっちゃったし。オネストおじさんにも面目立たない。なのに、こんなに気持ちよく歌えてる)
その音程のズレはニーチェの気持ちの一部なのだ。身体がそこが正しいと言っているのだからどうしようもない。
(いいや、このまんまでいっちゃえ!)
暴走気味のメロディを彼女は全力で観客に向けてぶつけた。
「あははー、やっちゃったし。ごめんね、応援してくれたのに」
舞台袖で迎えてくれたイヴォンたちに謝る。
「やめてよ、ニーチェ。もう笑いを堪えるのが大変だったんだよ」
「ほんと。一番あなたらしいあなたを見せてもらったわ。どうせ自分のしたこと、何一つ後悔してないんでしょう?」
「ニーチェっぽくって聞き惚れたのよぅ。最高のステージだったのだから評価なんて気にしなくていいんじゃない。だって、ほら」
ヘレナが指差す。
観客席は未だ収まっていない。ニーチェの歌に込められた情感に振り回された観客はそれに酔ったままでいるようだ。
「場所柄を弁えてるからそんな事はしないけどね、許されるのならきっとアンコールの大合唱が響いている筈だよ」
イヴォンはそこまで言ってくる。
「楽しんでもらえたってこと? それなら良し!」
「そうそう、あなたも楽しんでお客様も楽しんだのよ。結果は気にしなくていいわ」
「結果が悪いって決めつけてるし!」
イザドラの揚げ足を取る。
「えー、それは酷いよぅ?」
四人は声を殺しながらもお腹を抱えて笑った。
◇ ◇ ◇
「よう、そっちから喧嘩売ってきたんだから、きっちり相手してくれよ」
「いえいえ、できれば遠慮させていただきたいんですけどね」
「そんな冷たいこと言うなよ。あんな塩っぱい連中の相手じゃ欠伸が出ちまう」
物騒な台詞を浴びせられる。簡単には逃がしてもらえそうな気がしない。
「剣王は僕が抑えます」
部隊回線に切り替えて訴える。
「皆は全力で後退してください。彼は容易な敵ではありません」
「そんな事は分かってる! 余計お前を残していけるか!」
「ありがたいですが、後輩まで道連れにしてはいけません」
グレッグは痛いところを突かれ口籠る。
僚機が反転するのを確認してジェイルは右手のビームカノンをブレードグリップに持ち替えた。
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