紅の歌姫(2)

(発表会とは銘打っていますが、要は校内コンクールですからね)

 ジェイルは無色の液体の入ったグラスを揺らしながら思う。

(基礎課程の一年を終えた二回生からすれば、ようやく他人様の前で歌う機会なのですから、あまり競う意識は無いのかもしれませんけど)

 ニーチェには当てはまらなそうだが、緊張でそれどころではない子が多そうに思える。


 グラスからはアルコールの香りが漂う。彼が掛けているスツールにも後ろから幾つもの嬌声が響いていた。

 そこは下町のバー。とても質の良い酒場とは言えない場所である。室内には揮散したアルコールが充満し、それとは異なる体臭の類や香水の混じり合った匂いも鼻を突く。


(何にせよ、早めに片付けなくてはいけなさそうですし)

 彼は腰を上げた。


 娘と発表会の事を話した翌日、機動三課に出勤すると折悪く捜査五課から協力依頼が入っていた。ノーマークだった商船団の船員が薬物を持ち込んで街で捌いているというのだ。

 アナベル・ライナックの逮捕で麻薬供給に穴が開いていると考えた者が手っ取り早く荒稼ぎを目論んでいると五課の捜査官は言っている。が、ノーマークだっただけに情報が無く裏取りから始めなくてはならない。人手が足りなくて協力捜査と相成ったらしい。


「これは困ります」

 テーブルの上を滑らしたタブレットケースを途中で受け止めて持ち上げる。

「中身は密輸品ですよね?」

「……あ!」

 ケースを受け取る筈だった青年は言葉を失うと脱兎の如く逃げ出した。

「なんだ、てめぇ!」

「ここがデロトファミリーのシマだと知ってのうえでの事ですか?」

「ぐ……」


 テーブルを占拠している三人の男は周囲を見回していた。捜査官ならバディが居るはずだと知っているのだろう。生憎とジェイルにはバディはおらず、相手を誤解させやすい。


「こいつ」

 一人が腰を浮かす。

「よせ。アームドスキン乗りだぞ」

「賢い選択です」


 彼が装着しているσシグマ・ルーンに気付いたのだ。半感応式人型戦闘兵器のパイロットならば体術にも通じているのは常識である。


「普通の船員がこんな物を扱っていいと思っていますか?」

 口調が丁寧だけに余計に圧を感じているようだ。

「そんなルールがどこにある」

「我々のルールですよ」

「だからよせって。デロトなら裏でライナックと繋がっているのは常識だろ。ポレオンここで揉めたら出入りできなくなっちまう」

 年嵩の男は分別があるらしい。決して良い意味ではないが。

「とはいえ、違法性を覚悟で持ち込んだ物。捌けなくては割に合わないでしょう? 多少利ザヤは落ちますけどこちらに流しませんか? 渡りを付けて差し上げます」

「ちっ、見つかったもんはしょうがないか」

「なら、現物を確認させてもらいます。それなりの量を持ち込んでいるのでしょうから」


 店を出て駐車場に向かうとカーゴ車が停められている。船のカーゴルームに積んだままにしておいて、抜き打ち臨検を受けて困った事態にならないよう分割して持ち出しているらしい。


「結構な量ですね?」

「後ろのほうはカモフラージュで衣料品を積んでる。出すから待ってくれよ」

 一人が乗り込んで箱を出してきた。

「手売りは難しいでしょうに」

「ネットワークは警察に監視されてるからな。あんたんとこみたいなルートは無いんだよ」

「最初から持ち掛けていれば良かったものを」

 男が言うに、コネクションもないし中間搾取を嫌ったようだ。

「確認しました。では……」

「任せていいのか?」

「機動三課のジェイル・ユング二等捜査官です。あなた方を麻薬取締法違反容疑で逮捕します」


 警察標章を投影させた彼は静止を呼び掛ける。しかし、ハンドレーザーさえ抜かないジェイルに三人の男はいきり立った。


「騙しやがって!」

「犯罪者相手に道理を説く趣味はありません」


 殴りかかってきた男の腕を捻って転がす。腹を踏みつけて悶絶させ、突進してきたもう一人の鳩尾に肘を打ち込んだ。

 蹴り上げた足で最後の男の銃を弾き飛ばし、掌底で顎を打ち上げる。呻く彼らを拘束バンドで捕縛して回った。


「何だこりゃ」

 駐車場の奥から肩を怒らせた若者がやってくる。

「俺らの名を騙った奴がいるって聞いたんだがお前か?」

「あー、そうなってしまいますか」

「とぼけやがって!」

 渋い顔のジェイルに食ってかかろうとする。

「やめとけ」

「どうしてです、兄貴?」

「そいつがあのジェイル・ユングだ。手を出すな」

 ぎょっとした相手は二度見している。

「惜しいですね。公務執行妨害で引っ張って差し上げられたのに」

「たちの悪い冗談は止してくれ。あんたと揉めると上に迷惑が掛かるんでな」

 彼は若者の襟首を掴むと引き上げていく。


 通報を受けた捜査五課の捜査官が大挙してやってくる。うち一人が彼を胡乱な目で見ながら近付いてきた。


「協力してくれとは言ったが、勝手をしろとは言ってないんだがね」

「先走りでしたか。お詫びしておきましょう」

 ジェイルは素直に頭を下げる。

「反省してるふうがないじゃないか」

「そうでもないんですけどね。後はお任せします」

「嘗めてるな?」

 捜査課のほうが上だと思っている人種は少なからずいて、居丈高に接してくる。

「そいつに噛みつくな! 例のジェイルだぞ! 関わるなって言ったろ!」

「げっ、お前がそうか!」


 先輩捜査官に窘められた五課の捜査官は後ずさる。若く見える彼を、手柄ほしさに暴走した若手捜査官だとでも思っていたらしい。ばつが悪そうに一つ詫びて去っていった。


(これは嫌われたものですね)


 ジェイルは苦笑いしながら自分の車に戻っていった。

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