父と娘(7)

(リューン・バレルの境遇に感情移入しちゃって、自分の生活に関わってくるなんて思ってなかったし。どこか違う世界でのことだって勘違いしちゃってたかも)

 ニーチェはそれまでの言を恥じる。


 実際に『剣王』ことリューン・バレルは人口密集地など都市に対するテロは一切行わない。彼が狙っているのはライナック本家と傍流のライナック姓を持つ者、それに追従する体制派の人間ばかり。

 なので戦闘はほぼゼムナの惑星圏である宇宙空間である。軌道上で撃破されたアームドスキンや艦艇の破片が地上に被害を及ぼすケースは散見されても、剣王が直接民間人を攻撃対象にした事例はない。


(ライナック体制を崩壊させるってことはゼムナの社会基盤を覆すってことだし。この国の社会はそれくらい過去の英雄の色に染まっちゃってる)

 何が起こるのか考える。

(社会構造が変わればどうなるか分かんない。パパが言うみたいに今の生活を続けるのは無理になるかもしれないし)

 予想の域は出ないにしても可能性は厳然としてある。


「そうなれば剣王の善は僕たちにとっては悪に変わるだろう?」

 ニーチェの面は迷いに染まる。

「ほんと。あたし、考えないようにしてたかもしれないし……」

「ところが、これも一側面に過ぎないとも考えられるんだよ? 関係を結ぶ国々もゼムナを警戒しているのは事実だ。観光に訪れたり、都会に憧れてゼムナに転居したりした人が被害者となるケースも少なくない。現体制の転覆は諸国によって都合の良いことであり、リューン・バレルの行為は善行になる」

「あぅー……。どう受け取ればいいのか分かんなくなっちゃうし!」

 少々混乱してくる。

「表裏の話じゃない。一つの事象がそれぞれにメリットデメリットがあってそのバランスで受け止め方が変わってくる。善と悪のせめぎ合いがリスクとなって社会を構築している。善がイコール正義ではなく個々の捉え方次第になるだろうね」


 では、剣王の行為は自分にとって善なのか悪なのか? 社会構造的不安が解消されるのはメリット以外の何物でもないだろう。ただ、そこに至る過程は大きな痛みを伴ってしまう可能性も捨てきれない。


(その程度でパパとの絆が壊れるとは思わない。でも、パパの職務はその時に起こる騒動に絶対に関わってくるし。そうなると不測の事態なんてことも……)

 考えたくもない可能性が浮上する。

(剣王はライナックに関わりの無い民間人は攻撃しない。それでも活動を止めようとすれば容赦しないと思う。ましてや反政府組織の中には『地獄エイグニル』の魔王みたいに冷酷無比なのも居るし)

 背筋を悪寒が駆け上がる。


「命令に従わないといけないのは分かるんだけど、死んだりしないよね、パパ?」

 不審げに眉がぴくりと動くが、すぐにニーチェの顔色から考えたことを理解してくれたのだろう。

「そうだな。職務上、絶対大丈夫だなんて言い切れはしないね。でも、頑張ってみるさ。君の生活を守るのも親の務めだろうからね」

「うん!」

 彼女はジェイルの横に回ると腕を取って身を寄せる。

「パパが居ればあたしはどこでも何をしてでも生きていられるから」

「ずいぶん不穏当な発言だ。そう言わず、まずは自分の夢を追ってみなさい。僕は援助するのをまったく苦労だなんて思っていない。それどころか楽しみで仕方ないんだよ」

「もちろん、今頑張れることは思いっ切りやってみるし!」


 ジェイルの体温を感じているだけで心が落ち着いていく。顔色は元に戻り、自然な笑みを見せられているだろうと思う。


(こんなに誰かに頼れるだなんて思いもしなかったし。小さい頃なんて、絶対に他人に依存して生きたりしないとか考えてたんだもん)

 稚拙な考えだったのも分かっている。人はひとりでは生きていけない。それを今の生活で学んだ。ジェイルは何でも教えてくれる師でもある。


「それで本題なんだが」

 ついキョトンとしてしまう。

「本題?」

「ミラベルとクレメンティーンの件だろう?」

「ああ、これ、例え話だった! 忘れてたし!」

 大きく思考が脱線して、どうでもよくなってしまっていた。

「ええっと……、ミラベルのやったことは悪事に思えるけどあたしにとってもメリットのある結果ではあったし、クレメンティーンも迂闊なところがあったわけで、一方的に責めるのはいけないのも本当で……」

「じゃあ、君はどうするんだい?」

「喧嘩両成敗?」

 ジェイルが失笑する。

「いや、やめてあげなさい」

「あははー、それは駄目だし」

「考えてみようか。君が感じているのは個の善悪を基準にしているよね? それを捨てて超えられないものだろうか? 君なら全体の善悪を基準に行動できると信じているよ」


(全体の善悪? 自分基準の善悪を超えてその向こう側に)

 彼の期待には応えたい。


「うーん、足を引っ張り合ってもみんなが良い方向に向かうことはないし。それだったら前向きに努力すべきだと思う」

 おぼろげながら方向性が見えてきた。

「いがみ合っている場合じゃないだろう? 良き友人であり、良きライバルであるのが理想じゃないかな」

「そうだし! あたしが怒って非難しても始まらないから、お互いに今回のことは水に流して高め合っていこうって仲裁する!」


(良かった。正解を見つけられたし)

 ジェイルの柔らかな笑みでそれが分かる。


 ニーチェは嬉しくなって愛する父の肩に頬を寄せた。

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