父と娘(6)
今夜も帰宅したジェイルとその日の出来事を話しつつ夕食にする。ニーチェが一方的に話すだけで父は相槌を打ち、時折り短い感想を差し挟むに留まる。捜査官である彼に一日何をしていたのか話を聞きたがったりはできない。
「で、ミラベルったら酷いんだ」
色々と多事で、食後にお茶を楽しむ時間までずれ込んでいる。
「課題発表で高音の多い楽曲の時はいつもクレメンティーンに負けるからって、前の日に一緒に食事をして辛いものばかり勧めたんだって」
「それで?」
「ちょっと喉が焼けちゃって、いつも通りに高音が伸びなくって珍しく注意されてた。感情乗せて歌うのはミラベルのほうが上手だから講師の評価は彼女のほうが上になったし」
失敗で涙に暮れるクレメンティーンに問い質すとそんな事実があったという。
「その娘にも落ち度はあるね。課題発表があると分かっているのに喉に悪いと分かっている料理に手を伸ばした」
「でも、そういうふうに持っていったのはミラベルだし! 講師の評価の自慢ばかりして嫌な奴!」
評価ではニーチェのほうがミラベルより上だった点は溜飲が下がるものの、彼女がやったことには腹立ちが収まらない。不正だと思えてしまう。
競わせる意識を生み出すためか、授業ごとにランキングされるのもニーチェは好きではない。比較的順位が高い彼女でも、気が乗るとメロディをアレンジしてしまう癖があるので評価が下がり悲しい思いをしなくてはならない。
「クレメンティーンは君ともランキングで競い合う相手だよね。評価が下がって嬉しいとは感じなかったかい?」
「そんなのあり得ない! パパはあたしがそんな人だと思ってるの!?」
意外な質問が来て彼女は余計に腹を立てる。
「少し話をしよう。いいかい?」
「……うん」
「『
急な転換に戸惑うが、例え話だと思って応じる。
「ネットに情報のあることは知ってるし。ほんとはライナック正統の血を引く人で、しかも協定者だとか。産みの親も育ての親もあの名を持つ馬鹿どもに殺されて恨みを持っているから反政府活動をしているのとかもね」
「だったら彼のしていることを正しいと思うかい?」
「心情的には理解できるし。あたしでも同じことをしちゃうかもしれないもん」
一番最初に湧き上がってきた本音を口にする。
「それが非合法でも?」
「当事者だったら、きっと合法非合法なんかで割り切れないし!」
「相手の立場で考えられるのは素晴らしいことだと思うよ。ニーチェは優しい娘だからそう思えるんだね」
褒められて相好を崩す。
「つまり、彼の破壊活動が悪事と認識していながら君は正当性、いうなれば個人の善の側面を持っていると感じているわけだ」
ニーチェは気付いた。父は善悪の話をし始めているのだと。彼女が苛立っている今日の出来事の意味するところを掘り下げようとしているのだ。
「そしてリューン・バレルの唱える正当性に対して肯定的でもある」
「うん、仕方ないって思えるし。それにパパだって知ってるでしょ? ライナックって名前を持ってるだけのろくでなし達のこと。うちの学校はセキュリティしっかりしてるし、お金持ちの子ばかりで危なげなところに近付かないから問題になってないけど、他の学校の生徒だと暴こ……、被害に遭ったりしてる子も結構居るみたい」
被害者のことを思えば口に出すのもはばかられて言葉を濁す。
「管轄と違うから不用意に関われないけどね」
「あんな連中排除されればいいと思うし、それを容認してる本家の人たちのこともどうかと思うし」
「じゃあ、彼の行為は一側面的ではあれど善だとしよう」
ニーチェの心情に立っての仮定になってきた。
「その行為の犠牲者やその家族にとって決して善ではないとは分かるね?」
「もちろん!」
怨恨の連鎖は彼女も当然理解している。断ち切るべきだとも思うが、ではどうするのが正しいのかと問われれば今は返す言葉を持たない。
「戦闘犠牲者の人たちには悪いけど自分に置き換えて考えられないし。だって軍人なんだもん。どういう意識で武器を手にしてるか分かんないし」
ニーチェには理解不能の領域の住人である。
「それは当然だろうね。教育と訓練が彼らを特殊な存在にしている。同じ心を持っていても、身体はいつでも何を感じようと戦えるように自らを鍛えている者だ」
「理解しようと思ったことはあるもん。だってパパもアームドスキンで戦うんだからあっち側の人に近いし。でも、どうしても分からない。きっと経験してみないと分からないと思うし」
「僕は君にそんな経験をさせたくはないね。ちょっと話が脱線してしまった」
変な方向に行ってしまったのは彼女の言い分からなので首を振って転換を促す。
「こう考えてみてはどうだい? リューン・バレルは僕たちが暮らす社会の破壊者だ。彼の善が実行されればこの暮らしは続けられないかもしれない。僕は失職するかもしれないし、君がホアジェン音楽学校に通い続けるのも無理かもしれない。それでも彼の善を肯定できるのかな?」
「え?」
ニーチェは自分が現実から目を逸らした思考に捉われていたと気付いた。
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