第5話 波打ち際でドキ!

「一哉!いこっか」


 優が俺の手を取り、指を絡ませてくる。だからー。それ反則だって!


小学校低学年の悪友(ワルトモ)ならありかも知れないが高校生だぞ。俺ら。世間が勘違いするだけじゃなく、俺が勘違いするだろうが。


 十六年間、一度も彼女なしの平民男子に、変な希望を持たせるんじゃない。余計にみじめになるだろ。開放的な海で、一夏の思い出って、夏じゃねえし。太陽だけがやけに眩しい。


 細くてスラッとしている指なのに、なんでこんなに柔らかいんだ。しかも温(ぬく)いし・・・。依存性があるのか。この指。頭では振り払おうとしても、体がその逆をいく。


 ドキ!


「なあ、優。手つなぎはやめないか」


「ダメ!」


「俺ら悪友(ワルトモ)なんだろ」


「一哉、逃げちゃうじゃん」


 逃げたいのは山々だけど。自分から逃げだす勇気もない。なんで俺、こんなにもヘタレなんだろう。時間がいったい俺のなにを変えたというのだ。


「絵になるわい。肉食系美女と草食系野獣」


 後ろから声が聞こえてくる。ば、婆さん。まだいたのか。


 肉食系美女ってなんだ。女ヒョウか・・・。顔ちっちぇえし。優はネコ科系かもな。言えてる。でも、草食系野獣はないだろ。葉っぱ食ってる野獣なんて思い浮かばない。


 うーんと。パンダはクマの仲間だけど、竹、食っているか。葉っぱだけじゃないけど、一応、草食系野獣!って俺、パンダちゃうし。どっちかって言うと群れからはぐれたインパラって感じか。もやし体形で、直ぐ捕まっちゃうし・・・。


「お婆さん!許可なく他人を撮影するのは肖像権の侵害ですよ。さらにプライバシー侵害で訴えることもできます」


 キリリとした顔に目力(めぢから)を蓄えて振り向く優。学園での神聖女子(アンタッチャブル)に戻っている。明晰な頭脳が拒否権を発動したら、お婆さんもタジタジだ。


 ・・・。かつてのドンくさデブ、三島優(みしま ゆう)は容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能!三拍子揃い組のクールビューティに変化(へんげ)したのだ。


「いや。悪かったのう。世間が喜びそうな、あまりに面白い組み合わせじゃったもんだから。つい、ついていきとうなった」


「その言葉は一哉に対する名誉棄損と受けとめることができます。先ほどのビデオ投稿と合わせて民事訴訟をおこしますよ」


 カッコいい!やり手の女弁護士みたいだ。神聖女子(アンタッチャブル)健在って感じ。そうなんだよな。こいつ、地頭は学年一番だった。容姿を抜きにしても釣り合わん。


「ひっ」


 慌ててスマートフォンをいじりだすお婆さん。哀れな姿に少しばかり同情する。まあ、あの眼で睨まれたら俺だって、非がなくてもそうするわな。まして、非がありありだもんな。


「先ほどの動画投稿は消さなくてもよいです。ですが、これ以上つきまとわないでくださいね。ストーカーなんて評判がたったら人気のハンドルネームが使えなくなって、楽しみにしている視聴者が可愛そうなことになりますよ」


 可愛い顔して、追い込み方がパワフルすぎる。もう安心。って普通は、こういうのは男子の役目。情けない。でもあんな対応とてもできない。怒鳴って追い払う事すらできず。


 フリーズする婆さんを捨て置いて、優は俺の方に向き直った。すっかり笑顔に戻っている。女子の変わり身に驚嘆するばかり。


「一哉、波打ち際まで競争しょっか」


「おう」


 愛され天使のみたいな楽しそうな表情に俺の心が溶けだす。


 婆さんをその場に残して俺達は走りだした。少しばかりかわいそうな気もするが、自業自得だもんな。


 本気をだして走っても男の俺が置いてかれそうになる。学園での優はスポーツ万能!陸上部の助っ人もしている。ここでも無敵の最強女子の片鱗が垣間見えた。


「やっぱ、女ヒョウじゃん」


 俺は彼女に聞こえないようにつぶやいた。


 砂浜までたどりつくと、優は靴とソックスを脱ぎだした。スラリと伸びだ脚の色っぽさと、その仕草にドキマギさせられる。見惚れたことに感づかれないように、慌てて俺も靴と靴下を脱ぐ。


 やっぱり、全然、違うわ。俺のごつごつした足と優のシュッとしながらも、絶妙に丸みを帯びた足を見比べる。ドンくさデブがこんな美人さんになるなんて、あの頃のだれが想像できるんだろう。


「気持ちいいー」


 優はバレエダンサーみたいな軽やかなステップで砂の上をクルクルと舞った。ショートヘアの髪が丸く広がり、太陽の光を受けて金色に輝ている。


 テレビCMでも見ているかのような気分だ。素直に綺麗だと思った。


 意識しちゃダメなんだけど・・・。無理あるよな。アイドル顔負けの美貌。腐っても男子である以上、目を離すことなんてできっこない。


 名残惜しいが、これ以上は耐えられそうにない。俺は砂を蹴散らしながら波打ち際まで全力ダッシュ。


「優、先にいくぜ」


「一哉、ずるい」


 優も俺を追ってすぐに走りだす。波打ち際まで走り抜けると、手に持ったカバンと靴を大空に向かって投げ捨てる。乾いた砂にちゃんと着地するかも確認せずに、そのまま浅瀬に駆け込んだ。


「最高だー」


 開放感で自然と笑いが込みあげてくる。気がつくと優が隣りに立ち、同じように笑っていた。優に誘われるまま、彼女の手を取って波間を駆け抜ける。


 優が神聖女子(アンタッチャブル)であることも、俺がヘタレ平民男子であることも、どうでもよくなった。悪友(ワルトモ)だろうが恋人だろうが関係ない。


 俺の心を縛りつける物は、全部、波にさらわれてしまえ!


 なにもかも忘れて二人は波を蹴ってはしゃいだ。弾け飛ぶ水しぶきが火照った顔に当たって心地いい。


 誰もいない砂浜。輝く太陽。二人っきりの世界。潮の香りが懐かしい。この満たされた気持ちは、いつ頃から失われたのだろうか。


 気がつくと、水を吸って重くなった砂に足を取られてよろめく優を抱きとめていた。制服のうえからでも感じる細くて華奢な体。ギュッとハグしたら腰骨がポキリと折れるんじゃないか。なのにふんわり柔らかい。


 真っすぐ見つめられる。今日、なんどめかの大接近。瞳も鼻も、形のいい唇もドアップ。俺は流れに身を任せて唇を寄せた。


「ブッ、ブッー。ストップ!そこまでは許してない」


 軽いモーションでかわされて、夢から目覚める。なんて大それたことをしているんだ、俺。正気じゃない。言い訳することもできない。


「一哉!今、私にキスしようとしたよね」


「ごめん」


 もう、素直に謝るしかない。


「一哉!私のこと好き?」


「多分」


「嘘だ。私の見た目に引かれただけだ」


「しょうがないだろ」


 少しばかりやけになる。


「みなんそうだよ。誰も私の心なんて見てくれない」


 悲しそうな顔をして、支える優の体が微かに震えている。


「ごめん」


「一哉には、ちゃんと私の心を見て欲しい」


「悪友(ワルトモ)だかんな」


「うん。悪友(ワルトモ)だから」


「そっか」


「私ね。うわべだけの恋人なんて欲しくない。期待されてむりして作った私のキャラ。そんなの、もう、うんざりなんだ。神聖女子(アンタッチャブル)なんて呼ばれたくない。ほら、一哉はちゃんと、私に触れてるよね。私、ちゃんとさわれるんだよ」


「ごめん」


「意地悪で、ずる賢くて。臆病で自分勝手。ドンくさくて、泣き虫なおデブちゃん。私の心はなんにも変わってなんかいない。ただ、包み隠すことがうまくなっただけ」


「優・・・」


「濡れちゃったね。海の水ってしょっぱい」


 海水だけじゃない。優の瞳から涙が零れ落ちてかわいい唇へと伝っている。でも、口にだして言えない。


「鼻水の味じゃね」


 ようやく優に笑顔が戻る。その笑顔は、人を拒む神聖女子(アンタッチャブル)の笑顔じゃい。ぜんぜん違う。悪戯好きな太陽のようだ。


「ばか。一哉につけてやる」


 そう言って手の甲で鼻先を拭う。子供みたいだ。


「優、汚ねーからやめろよ」


「待て、こら。一哉!逃げるんじゃねー」


「待てっかよ」


 俺は砂浜にあがって逃げる。手の甲を差し出しながら優が追ってくる。


 そっか。美少女だからって、満たされているわけじゃないんだ。決めつけていたのは周りの方だって、普通のことが普通に理解できた。


 追いつかれて腰にタックルされる。スポーツ万能は伊達じゃない。二人して砂浜を転げる。制服も髪も砂まみれ。でも、気にならない。


 砂にまみれた手の甲を頬に押しつけられて、口の中までジャリジャリする。


 すぐそこに彼女の顔が飛び込んできてもなんとも思わなくなった。本当の優の悪友(ワルトモ)になりたい。


 勇気が出た。俺は彼女の心を知らない。彼女だって俺の心を知らない。


 見た目や日頃の行動。勉強やスポーツの成績。スペックなんかじゃなんにもわからない。そんなの単なる憧れや幻想にしか過ぎない。心が通ったわけじゃないと教えてもらった気がする。


 佐伯優という名の一人の女の子。俺は彼女の心に、一歩だけ近づいたような気がした。


 心の殻がガキッて壊れて、俺の心臓がトクンと鳴った。

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