第3話 電車の中でドキ!

 工藤一哉(くどう かずや)と佐伯優(さえき ゆう)は学校とは反対に向かって進む電車に乗っている。


 都市部へと向かう通勤・通学列車と違って車内はガラガラだ。


 こんな時間に逆方面行きの電車に乗ったことがなかったので、新鮮な気分を味わえる。反面、学校をサボったという実感も湧いてきて罪悪感がつのる。


 二人は拳(こぶし)一つ分の微妙な距離を取って、並んで電車の長椅子に座っている。


 車窓を流れる高層マンションの姿が徐々に少なくなり、建物の背丈が段々と低くなるにつれて視界が開けていく。のどかでのんびりした風景だ。


 差し込む日差しを受けて、優の白い肌がより一層輝き出した。


 くーぅ。


 小さなため息がこぼれもれる。美しい!アイドルんなてレベルじゃない。美の女神さへ、かすんでしまいそうだ。


 まっすぐ前を見つめる優の横顔。長いまつ毛がゆれている。タルミのないあご、細くて長い首筋。少し開いた襟元から華奢(きゃしゃ)な鎖骨がのぞいている。


 ドキ!


 最近は髪の長い女性がもてはやされているが、ショートカットの女性は髪の毛で隠す所が少ない分、美しさが存分に表に現れる。


 ごまかしがきかないので、自信のない女子は絶対にしない髪形だ。これだけでも佐伯優のたぐいまれな価値が証明される。


 長いまつ毛も、柔らかな眉毛も、大きな瞳も、シュッとした鼻筋も、小さな小鼻も、とがったあごも、桃のような滑らかな頬も、小さくて形のいい耳も、濡れ光る唇も、滑らかなデコルテも。


 彼女を形づくる、パーツの一つ一つが称賛に値する。それらが完璧に配置されて調和を作りだしている。


 一瞬にして脳裏に焼きつき、俺をフリーズさせる。失礼だとは理性でわかっていても、本能がそれを許さず目が離せない。


 朝日に照らされて産毛が金色に輝いている。それがよく見えるくらい距離が近い。


 ドキ!


 ゴクリ。


 生唾を飲みこまずにはいられない。聞こえてないよな。


 同年代の女子となんて、まともに話したことがない俺にとっては、気まずい時間が続く。


 どうしたものか。気の効いた話なんて、なに一つ思いつかない。


 せめてだらしない格好に見えないように、椅子の奥までお尻を押し込んで背筋を伸ばす。


 余計に緊張するんだけど。のどが渇いて仕方がない。


 乗客の少ない車内で、わざわざ隣り合って座っているのだから無関係には見えないだろうなー。向かいに座る女子大生らしき三人組がチラチラとこちらの様子をうかがっている。


 チョー、気にされてる。ヒソヒソ話なんか始めているし。絶対に怪しんでいるよな。


 アイドル並みの美少女の横にさえない俺!ほら、なんか指とかさして笑っているし。失礼なことこのうえない。


「ねえねえ、あの子すごくかわいいよね。モデルさんかな」


「そうだよね。なんかオーラがでているもん。制服を着ているからプライベートかな。写真、撮ったらダメ?」


「やめときなよ。隣りに目つきの悪そうな男子がいるじゃん」


「あれ、まさか彼氏とかじゃないよね」


「そんなわけないじゃん。あれ、どう見たってつり合ってないよ」


 ちっ。丸聞こえなんだけど。彼氏じゃないのは認めるけど、あれ呼ばわりされるとことさら腹立たしい。思わずじろりと睨み返す。


「こわっ!睨まれちゃったよ」


「やばっ。まさか因縁とかつけてこないよね」


「それはないんじゃない。ほら、足揃えちゃってガチガチって感じだもん。ヘタレっぽいじゃん」


 ぐっ。言いたい放題、言いやがって!


 これだから女子って嫌いだ。グループになると余計に質(たち)が悪い。若いのにおばちゃんのガサツさが見え隠れしている。平民男子の繊細なハートを破壊するには十分なこと言ってるぞ。


 景色を眺めるふりをして誤魔化す。心を静めねば。


 青い空。たゆたう白い雲。青く芽吹いた若葉が車窓を流れていく。


 月日はだれにでも平等に訪れる。春は恋の始まる出会いの季節なんて言われているが、こちらに関して言えば平等とは限らない。


 独り身の多くが期待を寄せるが、高校生の恋愛実態調査によると、現在進行形で恋人がいるのは全体の約二割。残りの八割は独りボッチのままだ。


 てことで大多数は恋人なんていない。平民男子のまま卒業を迎えるのだ。焦ることも恥じることもない。


 さらに言えば、仮に上手くいったとしても、初恋の人と結婚できる確率はたったの1パーセント。一学年に一組いれば良い方だ。


 どんなに好き合っていても、いずれは甘酸っぱい青春の思い出として記憶の彼方(かなた)に消えて去っていく。


 高校生の恋なんてそんなものだ。だから、僕は羨(うらや)ましいなんて思わないし、分不相応な期待はしない。


 外を眺めながら、そんなひねくれた考えを巡らして気を紛らす。1パーセントの恋を育む対手として、佐伯優では無理がある。


 隣りにいても遠い世界の住人だ。ただ電車に並んで座るという、今の状況ですら荷が重い。


 美しいものに憧れるのは本能だから仕方ない。が、残念ながら向かいの三人組の意見は正しい。人間、みな平等なんて教育は間違っている。明らかに神様は不平等だ。


 天は与える者には二物も三物も惜しまない。容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能!三拍子揃い組のクールビューティ、天下無双の学園の神聖女子(アンタッチャブル)こと佐伯優。神に選ばれし存在。いや、俺には女神そのものに見える。


「よいっしょ」


 えっ。佐伯優が拳一つの距離を詰めて座り直す。肩と肩、お尻とお尻が密接する。女子独特の柔らかい感触と熱が伝わってくる。


「なっ、なんでくっつくんだよ」


 ホットミルクのような甘い香りが漂ってくる。向かいの女子大生三人組が揃ってアッと声を漏らすのが聞こえた。


「いいじゃん。減るもんじゃないし」


 甘え顔で見上げてくる。上目遣いのキラキラの瞳。俺を殺す気か?


「いや、減るもんはある。俺の寿命が減る」


「そんなの聞いたことない」


「もう少し、美少女としての自覚を持って自重(じちょう)してくれないか。みろ、心臓が爆発しそうだ」


 優の手が俺の制服の胸元にスッと伸びる。


「本当だ。凄い。ドクドクいっている」


 アホ。やめろ!心臓が苦しい。追い打ちしてどないするんだ。


「私もだよ。ホラ」


 んが・・・。手を引くな。俺の手を胸に乗せるな。こんもりと膨らんだ優の胸は制服のうえからでも柔らかい。初めての感触。


 ドキ!


 ドクドクって。生きているんだ。女神にも心臓ってあるんだなー。って、感心している場合かよ。


「やめてくれ・・・。ほんと死ぬから」


「ねっ。私も普通の人間でしょ。周りのみんなが期待するようなもんじゃないんだから。


 もう見られてばっかの生活なんて息がつまる。私だって普通に欠伸だってするし、机に突っ伏して自由に寝たいときだってあるもん」


 神聖女子(アンタッチャブル)は、自分の胸にあてた俺の手に両手の平を重ねて祈るような仕草をした。さらに密着するだろが。 


「それ、俺か?」


「うん。一哉は自由でいいよね」


「美少女って意外に不便だな」


「もう、学校では監視されまくり」


 だよな。彼女の周りには、あやかり女子がガッチリガードしてるもんな。


 あやかり女子というのは優の美しさに引かれて寄ってくるイケメン男子どもを狙う平民女子。肉食乙女の欲望丸だしで、監視なんてされたら結構怖いかも。


 神のちょう愛を受けた美男美女の生活なんて知るよしもないが、共感できずとも理解はできる。万能もそれなりに苦労しているんだな。


 が、平民男子は注目されんぶん、自由奔放と思ったら大間違い。自らをパシリとして、奴隷ライフに身を置くものはまだましだ。俺みたいな半端ものは孤独と退屈を満喫するしかないんだぞ。


 てか、ヘタレライフに憧れているのはわかったが、他に平民男子なんて腐るほどいるだろ。教室のあちらこちらで腐臭を放っている。朽ち果てる寸前の輩(やから)がクラスの大多数を占めるのだから。


「あのさー。美少女の孤独は理解できるけど、なんで俺なんだ」


「うーん。一哉が一番好き勝手に生きてるから」


「それ。誉め言葉になってないから。俺だって人並みに悩んでいるし、寂しい思いだってしてるんだ」


「うん。だから悪友(ワルトモ)に認定してあげたの!


 ねっ、見た目とかじゃなくって中身で私の事をちゃんと見てね。


 一哉なら生涯の親友になれると思うの」


 そう言って優は俺の肩に頭を預けてきた。


 だからー。その行動は親友ちゃうやろ!無防備すぎる。俺なんかの心を溶かしてどないすんだよ。バターじゃねえんだよ、俺は。


「一哉ってさ、ちっちゃい時、やんちゃ坊主だったよね。木登りとか駆けっことか得意で。泥まみれで小魚を捕(と)ったりとか」


「昔の話だ。なんで知ってんだ?」


「憧れてたんだよ。ガキ大将!私もあんな風になりたいって」


「なんのことかな?」


「忘れちゃったんだ。私の事?」


「忘れる?最初っから知らんし。キミみたいな美少女なんて記憶にない」


「酷い」


 優はプイっと顔を背けた。すねる姿も美少女そのままで愛らしい。


 本当に知らんけど。俺の人生でこんな美少女との接点はこれっぽっちもない。断言できる。


「もっと高く木に登れたら、もっと速く走れたら、もっと素早く魚を取れたら・・・。仲間に入れてくれるって言ったじゃない。


 だから私、頑張ったんだよ。大好きなケーキも諦めて、体も頭も鍛えて」


「・・・」


「もう、ドンくさデブじゃないんだから」


「ドンくさデブ?ドンくさデブのユウタン?」


 小学校三年の時に転校していった、おかっぱ頭の小太りな女の子。のろまでおっちょこちよいの!いつも俺達にひっついてきて足を引っ張るドンくさデブ。


「三島優(みしま ゆう)?」


「やっと思い出してくれた。両親が離婚して名字が変わったんだ」


 嘘だろ。面影がこれっぽちもない。容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能!三拍子揃い組のクールビューティ。共通項が一つも見つからない。醜いアヒルの子とかありえへんし。


「きゃふっ。この背中、憧れだったんだよね。やっと追いついた」


 さ、触るな!追いついた?全速力で追い越したの間違いだろ。ドンくさデブのユウタン。信じられん。なんてご都合主義な展開なんだ。


「あのさー。俺、もうあの頃の俺じゃないから」


「大丈夫。私が一緒に戻してあげる。やんちゃしてた頃の工藤一哉に。カズッチは私の永遠のガキ大将だもん。私、カズッチの悪友(ワルトモ)にやっとなれた」


「・・・」


 感動の再会とかちゃうから。サルじゃあるまいし公園の木なんてもう登らないし、鬼ごっこだってしない。魚とりなんて、この年で考えたこともない。


 彼女の取り巻きである、あやかり女子どもの眼中にも入らないヘタレ平民男子が今の俺だ。


 俺、絶対にクラスで抹殺される。その自信は間違いなくある。悪友(ワルトモ)ポジョンなんて詭弁は通用しない。1パーセントの恋を夢見るクズ野郎認定まっしぐらじゃんかよー。


 ほら。優がくっつくから真向いの女子大生三人組、驚き顔を通り越して、瞳に敵意を宿しているじゃん。


 通りすがりの赤の他人ですらこの反応。平民男子が神聖女子(アンタッチャブル)に近づくことは許されないのだ。


 過去になにがあろうと、くっつかれるなんて認められない。バラ色の青春が始まったなんて、お気楽な勘違いやろーには到底なれない。


 俺はとんでもない過ちを犯してしまったと、今頃になって思い知った。


 やっちまった事の大きさに、俺の心臓がトクンと鳴った。

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