ムーンウォリアーズ〜ある小隊の月面戦記~

汎田有冴

前編

 ナルミ・クレイ少尉から送られてきた映像が、俺が装着している機甲化宇宙服内のディスプレイのワイプ映像に入ってきた。

 黒い空に浮かぶ満地球の下、砂だらけの月の台地の上に真っすぐそびえたつ建物がある。俺たち03小隊の目指す古いエネルギー供給基地だ。


 南極エイトケン盆地郊外は日照率が高いので、月への移民初期から多くの太陽光発電所が作られ、近辺都市にエネルギーを供給してきた。これらがなくては月都市での生活は成り立たない。目的の基地はその中でも最も古いもののようで、建物の区画図や正確な構造などの記録が残っていなかった。このまま突入するには不安があるので、小隊12名は目的地手前の岩陰でいったん停止。哨戒型の機甲化宇宙服を装着してきた少尉が、内蔵された多様なレーダーやセンサーを駆使して基地内部とその周辺の情報収集を行うこととなった。


 集められたデータはその都度隊員たちにも送られてきたが、俺は細かい数値は苦手なので、すべて頭の中の補助電脳の記憶野に放り込み、耳裏のデバイスでつながった機甲服のAIがまとめてくれるのを待つ。他の隊員たちも同様にじっとしていた。


『おい、サイゾウ』


 突如、同じ小隊のラウダから個人間通信が入った。顔をあげると、俺と同じ機動特化型機甲化宇宙服をまとったラウダが、しんがりで静かにたたずんでいる全高3mの哨戒型をこっそり指さしている。機動特化型は全高2.5mほど。特殊なAIやセンサーを詰め込みバッテリーも大きくなる哨戒型は横幅も重量感もあって、機動特化型と並ぶとまるで子供を見守る保護者だ。しかし、ナルミはこの作戦のために施設部から急遽前線部隊に編入されたばかりだった。


『あいつはどうなんだ。使いものになるのか?』


 バッテリーをもたせるために隊員間の交信は音声のみになるのだが、忌々し気なラウダの顔が容易に想像できる。奇しくもナルミは俺の幼馴染だった。仕事では初顔合わせだったが。


『実戦経験は少ないが、あっちではマシンチャイルドっていうあだ名がついていた。仕事は確かだと思う。ただし、性格は保証しない』

 索析中のナルミには丸聞こえのはずだが、俺は思ったことを正直に答えた。


 茶色い台地の影でじっと身を潜めていると、あの小さな映像の青と白のマーブル星が飴玉に見えてきた。ぺろりとなめたくなってくる。ひと戦闘終えてすぐこの任務を仰せつかった身の上としては、もう少し塩分か糖分が欲しいところだ。しかし、こいつをなめられたとしても、たぶん苦い。放射性物質を味わったことはないが、うまくはないだろう。


 何世代か前にはそこに大勢の人類が住んでいたそうだが、我らの偉大な先祖たちが見事に放射線で味付けしてくれたのだ。死の星での生活形態はもはや伝説だ。命からがら月に逃れた人類は、なかなか恩恵を与えない岩と砂の大地で生きていくのに精いっぱいで、過去の記録などという腹の足しにならないものは二の次だった。


 だが、今年が月植民百五十年の節目の年だというのはわかっていた。百周年同様、月都市全体で記念祭を催そうという話が巷ではあったのだが、数年前から活動していた「原帰ポリス統一国」と名乗る集団が南部の十数都市を強制的に総合して国家を名乗り、近くの諸都市へ政治的軍事的な圧力をかけ始めた。最近では月の裏側の未登記都市に巣くっている違法技術屋集団〈ワイルドサイド〉が支援を始めたという未確認情報も流れている。


 おかげで記念祭などという浮かれ気分は吹っ飛んだ。それどころか、もう月にしかいない人類500万人が今度こそ滅ぶのではないかという焦りが月全体を包んだ。

 そこで、月最大の都市連合組織「北部連合」の警備軍である俺たちが出張ってくることになった。南軍と呼ばれる原帰ポリス統一国の本拠地エイトケンを先ほど制圧し、次の周辺の小都市や基地などを抑える作戦に移ったところだった。


 AIがバイザーのディスプレイに情報をもとに作成した地図を提示した。想像していたより内部は広いが迷うほどではいない。通路も俺たちが機甲服のまま行動できる十分な広さがあるようだ。これは宇宙服がまだ分厚く不格好だった月開拓初期の名残とのこと。

 さらにナルミが音声で情報を追加した。耳なじみのよいバリトンヴォイスだ。


『生命反応は十数名分。探知できない地階などに潜伏している可能性もありますが、管制室までならこの隊で充分だと思われます。そしてお分かりだと思いますが、あちらもこちらを察知しています。ステルスモードを外し最大限の情報取得に努めましたので』

『作戦行動は私が指揮してよいのだな、少尉』

 これまで長く03小隊を指揮してきたロン隊長が尋ねた。

『はい。戦闘能力、経験共に曹長の方がはるか上です。俺は後方で補佐します』


 かがんでいたロン隊長の部隊指揮用機甲化宇宙服がゆっくり立ち上がったのを合図に、ラウダや他の隊員たちも動き出した。俺も内包されているスレイブグラブに手を通した。これで機甲服の腕を操作する。操縦者はサドル型シートにまたがるような姿勢で搭乗し、脚部などは筋肉の動きを読み取るセンサーや脳波コントロールで稼動する。全身脳波コントロールで動かすことも可能だが、俺は実際に身体を動かすほうが好きだ。元々コンピュータとの同調率は高くないし、機甲服を着なくて済むなら脱いで戦いたいところなのだが、月面ではこれがないと生きていられない。


『隊長、動きです』


 ナルミの言葉と共にピッとAIが警告音を発した。各隊員のバイザーに情報が投影される。塔の上部にエネルギーの集束を感知──すぐに足元の砂塵が一直線に舞い上がった。同時に基地から武装した十数名が出た。


『これが基地に落ちる隕石を破壊するためのレーザーです。一度も使われたことはないけど』ナルミが冷静に補足した。


『相手が火蓋を切ってくれたな』


 隊長の合図で、ナルミ以外の隊員はスラスターを噴かせて台地の崖を一気に上がった。映像通り、太陽光パネルを敷きつめられた大地が広がり、真ん中に三階建てほどの塔が見える。塔の先端の発射口から再びレーザーの射線がのびてパネルが跳ねた。あたり一面破片がキラキラと舞い散り、強襲する俺たちの視界を阻んだ。


「まだ使える施設なのに、もったいねぇ」

 俺は呟きながらスラスターを細かくふかしてレーザー光と破片を避け、塔から出てきた南軍兵との間合いを詰めていく。それぞれが定めたターゲットも視界にマークされた。南軍兵も機甲服を着て攻撃してくる。その武器が意外なものだった。


「実弾兵装……?」

 金属の弾丸やミサイルを発射するランチャータイプだった。レーザー兵器が主流の昨今では高価な特注品になる。俺達も市街戦の訓練でたまに扱うくらいだ。南軍兵も慣れていないらしく姿勢が崩れたり連射に手間取っていたりしている。なんでこんなもの使うんだ。スプラッタ映画みたいに血を飛び散らせたいのか──疑問に思いながらも低速で飛んでくる弾頭を次々と腕に内装されたレーザーで撃ち落としていった。かなり楽勝だ。


 人材が貴重な時代、なるだけ殺さず捕縛するのが北部のやり方だ。捕らえたら軽労働に従事するか専用施設で再教育して月世界にまっとうに貢献してもらう。対立組織は「洗脳」と呼んで非難するが、大体は命乞いをするのだから殺されるよりましではなかろうか。


 俺は電磁レイピアを抜きながら目標の南軍兵の前に降り立った。さすがに南軍兵も長い銃身を捨てて腰元のレーザー銃を抜こうとする──突撃フレッシュ!──俺はレイピアの先端を相手の機甲服に食い込ませた。しなる剣先から電磁パルスが流れ、服の機器がショートした南軍兵は動かなくなった。いや、動けないのだ。脱着スイッチも効かなくなったのだから出て逃げることもできない。自分の甲冑に閉じ込められたわけだ。気の利いた奴は慌てて機甲服を捨てて簡易宇宙服の身で逃げようとしたが、近くの隊員が剣先からスタンレベルのパルスを発射、気絶した南軍兵を確保した。


『少尉来てくれ。入口のロックが解除されない』

 塔の根元でロン隊長がナルミを呼んだ。

 ナルミが右のアームから尖った端子を出して、大きなハッチの横の針の穴のようなソケットに突っ込んだ。

『トラップはなし。人的な有機体を確認。ですが、生命反応はありません』


 ドアのハンドルを回りだし重い扉が動くようになった。トラップはないと言ったが、ナルミが感知できない古典的物理的罠があるかもしれないから慎重に開ける。引っかかっても機甲服が防ぐだろうが、戦傷を見た整備班から冷笑を浴びるのは御免だ。


 中は真っ暗だったが、収集した情報を補助電脳から展開して視界と照合、さらにナルミが追加した情報が重なる。空気は清浄で重力も1Gに近い。外に三人残して、隊長の合図でいつものように俺が真っ先に飛び込んだ。機甲服のAIが環境に合わせてパワーアシストを調節したので、重たい機甲服でも素早く動ける。ゲームの迷宮みたいに迷う事はない。第一目標の管制室はすぐ近くだ。


 警戒しながら地下に降りていくと、堂々と「管制室」と書かれたドアに着いた。すぐ後ろのラウダと共にドアの左右に張り付く。人やトラップはないと聞かされても突入は緊張する。ラウダがドアノブをレーザーメスで焼き切り、行一気に開けた。


 入り口付近の踊り場の先に制御卓の前に壁面のディスプレイへ向いた椅子が三つ並んでいて、それぞれ宇宙服ではない普段着を着た人間が座っていた。すぐにAIに観測を命じる。体温はまだ残っていたが心音や脳波は消こえなかった。目視で確認するために俺とラウドが近づいた時、またピッとAIの警告音が鳴った。


 ボン!と目の前の肉体が爆発した。


 軽い衝撃と目が熱くなるほどの閃光が瞬いたかと思うとすぐに漆黒に包まれ、スレイブグラブも脳波センサーも反応しなくなった。俺は動けなくなった。


 己の呼吸音しかない闇の中で呆然としていると、ずるずると引きずられる感覚があった。ガチャリと頭から胸部まで被ったキャノピーが跳ね上がり、強いライトが顔を射して目が眩んだ。


「大丈夫か、サイゾウ」

 自機のキャノピーも開け、わざわざヘルメットも取って顔を露わにしたロン隊長が俺を覗き込んだ。

「一体どうなったんですか」

「時限式かな。体内に爆発物がしかけられていたようだ。一人でも道づれをということかもな」


 上半身を起こして辺りを見回すと、俺は部屋の隅まで引きずられていた。部屋の明かりがついて、エアダクトの動く音が聞こえ始め焦げ臭い空気が排出されていく。真ん中の席にいた死体は下半身だけになっていた。そこを中心に臓物が飛散し、俺の機甲服は前面が真っ赤に染まっていた。ラウダの方も多少血を浴びていたが、平気で動いていた。


「なんで俺だけ?」

「お前が盾になってくれた。サンキュー」


 ロン隊長は安心した笑みを浮かべたあと、またいつものクールな表情になって部屋であちこち調べているナルミの哨戒型に声をかけた。

「少尉、部屋が少々壊れたが調整できるな?」

「問題ありません」

「では予定通りナルミは管理AIを北軍の制御下において司令部に連絡。残りは有機体の集積があるB3のこことこの部屋まで記録を撮りつつ向かう。生体反応はないと出たが、たまに例外がある」

「隊長、俺は?」

「ナルミとこの部屋を警護。スーツも直してもらえ」


 隊長たちが部屋から出ていくと、すぐナルミの俺を嘲る通信が入った。

「爆発と一緒に強力な電磁波を出すタイプで、いわば電気系統が感電したんだ。お前が運動性に超特化させた分シールドが甘くなったんだな。脳波コントロールを多くしていたら頭にも影響していたかも。もっとバランスよくカスタムしろよ」

「やかましい」


 ナルミが機甲服の腕で血みどろの椅子を死体ごと引き抜き隅に置いた。代わりに自分が椅子のあった位置に膝を立てて座り、機体を固定した。


 シュッと軽い作動音と共にナルミのキャノピーが跳ね上がって、簡易宇宙服を着たスレンダーな本体がするりと出てきた。ヘルメットを取ると、芸能プロから引く手数多の優男が現れる。容姿は甘いが面の皮は厚く、入隊したばかりで上層部にも臆せず意見を述べる図太い神経が通っている。幼馴染の俺には昔から遠慮のかけらもなく積極的にからかってきた。


 そんな奴が俺の愛機に触ろうとしたので慌てて払いのけた。

「なぜ? 直そうとしてるのに」

「自分でできる。お前は自分の仕事をしろよ」

「嘘言え。どうせリセットボタンを連打するだけのくせに」

「感電なんだろう。それじゃだめなのか」

「それでいいんだ」


 ほらこの調子だ──俺は一呼吸ついて機体内部の緊急バイオス起動スイッチを押した。機甲服は沈黙したままだ。かわりにナルミがハハハと天井を仰いで笑い出し、俺のこめかみが痙攣し始めた。

「さっさと直せよ!」

「同時進行でやるから少しかかるぞ」


 ナルミは肩と腹筋をひくひくさせながら自分の機体から二本の端子を伸ばし、一つは俺の機体につなぎ、もう一方を爆発で半壊した血まみれのコンソールに差し入れた。そして自分の機甲服のシートに座ってヘルメットをかぶろうとする──ナルミは完全に脳波コントロールだ。月史上最高の同調率で自分もネットワークの一部になりAIに指示を出している。ナルミがあっちの世界に入って作業に没頭する前に俺は不満を吐き出した。


「だいたいなんでトラップに気づかなかったんだ。ああいうのを先に取り除くのがお前の存在意義だろう」

 こっちを向いたナルミの視線が鋭くなった。

「お前、作戦前にレンカにプロポーズしただろう?」

「……レンカが話したのか」

「俺たち仲のいい兄妹だから。嬉しそうに電話してきたよ」

「だからトラップを教えなかったのか」

「それは考えすぎ。今度は気を付けるよ」


 珍しく謙虚な言葉を聞いて少し冷静になった。電話越しに聞いた恋人の愛らしい声も思い出した。彼女から「ふつつかな兄もよろしく」と言われていたのだった。


 まだ機甲服は使えないが、隊長の命令は遂行しなければならない。生身で電磁レイピアは重すぎるし小さいレーザー銃だけでは軽すぎて心もとない。俺は機体のバックパックを開けて、鞘に収まった80センチほどの刀を取り出した。標準装備のマチェットの代わりに持ってきている家の家宝だ。おかげで俺は「刀の伍長」と呼ばれることもある。


 ナルミはヘルメットの中で目を閉じ機甲服のコンソールで何かを打ち込みながらも「いいのかよ。そんなものを持ってきて」と呆れたように呟いた。ナルミがそう思うのももっともだが、物置で埃被っているよりいい。これが本来の姿なんだから。


 月にいる人間の先祖は殆どが核戦争に追われ命からがら移住してきた。人を詰め込んだシャトルでは荷物も限られ、最小限必要な物以外持ち込めるのは一家族につき一つだけだった。俺のご先祖は刀を持ってきた。サナダ家の魂だと伝わってきたもので、移住初期の物資不足の時代も頑として供出しなかった。持ち込み品として相応しいかどうかは疑問だが、俺としては鍋や宝石を持ってこられるよりよかった。


「それより有機体をリジェボックスに入れてくれないか」

「あるのか。ここにも」

「あるよ。記録は取ったからこいつらは用なしだ。もうすぐ機能も回復する。さすが物がまだ豊かだった初期の施設。量子コンピュータもデカくて完璧だ」


 ナルミが顎で指した壁にそれらしいシューターがあった。俺は2・5人分の有機体を次々と投げ入れた。


 正式には〈リジェネーションボックス〉という。そこに入れたものは全能代謝システムにより様々なものに再生される。地球からの供給手段が失われて以降、月の民が生活に必要な物を手に入れる主な手段だ。特に食物に直結する有機物は貴重だ。腐敗が進むと再生にエネルギーを食って効率が悪いので、有機物はなるだけ新鮮なうちにボックスに入れるのが市民の常識となった。やれるだけの栽培畜産も行っているがそれだけでは圧倒的に足りず、光合成でエネルギーを得るウイルス等を体内に寄生させても食料問題は解決しなかった。月で死んだ者は短い祈りの後、次の死者を生かす糧となる。


 いくつかのディスプレイが明るくなった。AI制御が進んでいるようだ。

「おい、テレビで面白いものをやっているぞ」

 言葉とは裏腹にナルミの顔は厳しかった。


 画面の一つに手を振り上げ厳しい口調で演説する男が映った。自称原帰ポリス統一国首相シュウ・トヨトミ──今回の乱の首謀者である。


 彼はいつものように地球時代の生活の復元による人間性の回復を訴え、南軍以外の人間をゾンビと呼び北軍政府の指導者を非難した。南軍の都市ではリジェボックスの使用は最小限に抑えられ、食糧は農業由来の物のみ、光合成ウィルス寄生は禁止、低重力下でも健康に育つよう赤ん坊に施す遺伝子操作も禁止したので、栄養失調になる者や新生児の死亡率が増加した。南軍では死んだ人間は土に埋められる──それが人間として死者を悼む正しい姿だというのだ。


 その為養うべき人口は減ったが有機体の保存量も減少傾向にあり、このままだと20年後には月人口の約3分の1が飢餓状態となるという試算が出た。シュウは何か打開策があるようなことを言っているが、未だその策は示されない。


 現状を無視し、亡くなった人を「自然淘汰の結果で人間が更なる進化を遂げる為の尊い犠牲」と諭す論調も北部の俺たちには受け入れ難いのだが、俺個人にとっては先祖が仕えたという地球の王〈トヨトミ〉を名乗っていることが一番鼻についた。


「これは局に送られてきた1時間前の映像らしい」

「じゃあ、奴はエイトケンの包囲網から脱出したってことか。作戦は失敗したのか」

「作業終了。本部に報告を入れる」

 ナルミは厳しい表情で操縦シートのカメラを注視した。テレビ画面の隣りに作戦指令室のレクトル大佐が映った。ナルミはカメラに向かって軽く敬礼した。


「第03小隊のナルミ・クレイ少尉です。北部AIと13区01発電基地の接続終了いたしました」

『ご苦労。こちらでも今確認している。思った通り広い基地だな。他の隊員は地下を確認中か』

「そうです。テレビで南軍の演説が流れてますね」

『本物かどうか調査中だ。包囲網を抜けたとは考えにくいが。ところで例のものはあるのか』

「あります。大佐、取引の件お忘れなくと将軍方にお伝えください」

『わかっている。地下の安全確認後、引き続き最重要機密防衛の任務につけ。他の基地の報告確認後、追加部隊を向かわせる』

「了解」


 俺は長官の画面が消えてから急いでナルミに問いただした。

「なんだよ最重要機密って。何を取引した?」

「これだよ」


 ナルミが左手の手袋を取ると小指に指輪がはまっていた。プラチナとゴールドの重ね付けしたデザインだ。


「やっと身を固める一歩手前にきたのか。応援するぞ」

「いんやまだ遊びたりな……じゃなくて指も違うだろ。これに見覚えはないか?」

 どこかで見たような気がするが、補助電脳のメモリーを探っても出てこない。

「祖母の形見だ。これで地球の話を読んだだろう」


 そうか、幼少期の記憶だ──原始の脳の奥から懐かしい感情と共に曖昧でおぼろげな記憶が沸き上がってきた──「この指輪のことは内緒にしてね」柔らかな微笑みを浮かべたナルミの祖母がおもむろに抜いた指輪を機械に読み込ませると、子供の俺とナルミとレンカが持つタブレットに「世界神話伝承シリーズ」がダウンロードされる。そこには地球を舞台にした色々な物語が載っていて、それぞれが興味を持った章を夢中になって読んだ。砂と金属と人と少数の家畜だけじゃない、形容様々で躍動感に満ちた自然、多彩な民族の暮らし──どれも月にはないものだった。


 俺の先祖は刀を持ち込んだが、ナルミの先祖は電書タブレットだった。指輪にはその中身が記録されていたのだ。本物はとうに供出してどこかのAIの部品になっている。


「子供のころは物語に出てくる魔法の指輪だと思ったよ。ただの指輪の形をした記録媒体なんだろうが」

「その通りなんだが、この指輪には別の記録も読み込まれていてね。俺の先祖の一人は地球がやばくなる以前からここで研究職に就いていて、その記録も入っているんだ」


 話しながらナルミは自機のスレイブグラブに指輪のはまった素手を入れた。

首のデバイスに何かが吐息を洩らしながら折りたたんでいた体を伸ばしていくような気配が伝わってきた。基地が軽く振動する。哨戒型を通して基地のコンピュータに指輪のデータが取り込まれ、眠っていた領野に電子の血が通いだしたらしい。冷汗が出てきた。


『少尉、何か動きが?』ロン隊長の通信が入った。

「いえ、作業の一つです。異常ではありません」


 ナルミは腕を抜くと夢中で哨戒型のコンソールに指を滑らせる。二色の指輪に残るセンサーの粒子が艶々と光った。


「ここで何を研究していたんだ?」

「生物の基は隕石に付いてきたという説がある。先祖は『ならば月に衝突した隕石にもその痕跡があるのではないか』と考えた。表面積は狭いが地球の外周にあって衝突する回数が多く大気で燃え尽きることもない。衝突の衝撃に耐え月面下に潜って宇宙線の影響を受けにくい隕石のコアや欠片を探した……そして見つけた。地下に眠る小さな有機体を。だが月に溢れる難民に物資を割かなくてはならず、研究は続けられなくなった。そこで研究所部分だけを閉鎖し、ここはただのエネルギー施設となった。研究者は月都市に散らばり、ここでのノウハウを生かして代謝システムを開発して今日に至る……」


「なぜ今まで秘密にされたんだ?」

「繊細な有機体なんだ。月都市の混乱した時代には管理できないと判断された。管理に必要な量子コンピュータも別のことに使われる恐れがあった。そのコンピュータと研究所を目覚めさせる鍵がこの指輪に眠っていた」


 壁の一部が開いて、どこかの部屋と繋がった。ナルミは素早くヘルメットを脱ぐと薄暗い部屋に無防備にかけていく。俺は慌ててついていった。


「気をつけろ」

「平気だよ」


 ナルミは壁のスイッチで明りを点けてさっさと奥に向かう。俺がレーザー銃を構えて恐る恐る中を覗くと、俺には使い方のわからない器具が並んでいる物置のような部屋だった。ナルミは臆することなく業務用冷蔵庫に似たクローゼットを開けると、人間大のカプセルが10基並んでいた。


 カプセルの側面は透明で中身が見える。ビーチボールくらいに膨らんだアメーバが表面の薄膜を波たたせて浮かんでいた。ナルミは嬉々としてカプセルの一つに張り付いた。


「これはその有機体を人工細胞に組み込んだものだ。俺はここで先祖の研究を継ぎたい。それを交換条件にして上層部に指輪のことを進言したんだ」


 俺たちはそのカプセルを傍にあった専用台車でナルミの機甲服の隣りに運んだ。ナルミはそれを機甲服と有線でつないでヘルメットを着け、AIとぶつぶつ会話し始めた。リセットボタンを押すことしかできない俺はただそれを見守るしかない。


「なあ、サイゾウ」ナルミがプログラムを打ち込みながら話しかけてきた。「ばあさんの話で、どんな話が好きだった?」

「そうだなぁ。聖剣、馬で駆ける騎士、闇夜を徘徊する怪物や妖精、吸血鬼、ダークエルフ、サキュバス……」


 カプセルのアメーバがむくむくと動き出した。縦に伸び突起が出て黒い皮膜が体を覆い、翼を形成し髪の毛と尖った尻尾が生えて、俺が今想像した通りのサキュバスが現れた。理想のナイスバディ、そして顔は婚約者レンカ。


「なんだこれは!」

 ナルミがイーヒヒヒヒと悪魔の嬌声をあげた。

「月の有機体は電磁波などの波長の揺らぎに敏感で、人の脳波にも反応する。このあたりが扱いの難しいところなんだ。並のコンピュータではその揺らぎを計算しつくせない。試しにこの子の感度をお前の脳波に合わせたんだが、神話のデータも入っているおかげでいい感じに反応したな……ボディラインがレンカと違うなぁ。欲求不満か?」

「勝手に試すな! 自分でやれ!」


 ナルミはこみ上げる笑いを必死にこらえながら各隊員の通信回線を開いた。

「隊員各位、実験成功! じゃなかった……本部へのミッション達成の報告完了。地下班は順調ですか?」


『今のところ何もない。もうすぐ有機体の集積がある場所へ着くところだが』

 ロン隊長の渋い声が聞こえてきた。


「では、引き続き探索をお願いします。なお、何かあってもなるだけレーザー兵器の使用は控えてください。未確認の有機体へ撃ったりすることは厳禁です」

『未確認の有機体?』

「最重要機密に関することなので詳細はあとでお話します。サンプルもお見せしますよ」

「これ隊長たちに見せるのか? やめてくれ! レンカに殺される!」


『それはそれは、わしにも見せてほしいなぁ』

 突如、聞き慣れない声が介入してきた。発信者はUNKHOWN。

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