第100話 ノーマン辺境伯の指針
――コンコン
辺境伯邸の執務室内に扉をノックする音が響き渡る。
「入れ」
「失礼します」
室内に入ってきたのはナイルであった。
「どうかしたのか?」
「ノーマン様。ゴロウ様が、こちらの世界に来られました」
「ふむ……」
ノーマンは小さな溜息と共に執務室内――、自分の仕事をしている机の上に置かれている羊皮紙に視線を向けた。
その様子に、思うところがあるのかナイルは、言葉を続ける。
「ゴロウ様は、来賓室に通しております」
「それで、例の案件は?」
「はい。伺っております」
ノーマンに促されるような形で、ナイルは馬車の移動中に吾郎から聞いた内容を思い出しつつ言葉を紡ぐ。
「まず異世界ですが、人口300人ほどの村とのことでした」
「以前は、人口3000人ほどの国と聞いていたが衰退したということか」
「はい。おそらくは――」
「ふむ……」
顎に手を当てながらノーマンは思案する。
それが本当なら、かなりマズイ状態に陥っているとノーマンは思いながら――、
「それと店の経営に関しては上手くいっているようです」
「そうか。商売は軌道に乗るまでが大変だからのう。だが――」
そこでノーマンは一端、言葉を区切る。
「――つまり、現時点では人口300人程度の村にまで衰退した王国に吾郎は居るということか。ふむ……」
「ノーマン様?」
考え事をしたノーマンの様子に内心、首を傾げるナイル。
「ゲシュペンストも上手くやったのかも知れぬの」
「どういうことでしょうか?」
「ナイルよ、よく考えてみるがよい。人口300人程度の村に住んでいるだけで、何十トンもの塩を、こちらの世界に売りに来られるような平民が居ると思うか?」
「それは……」
「それに、ゴロウの店には数々の見た事が無い魔道具や、儂達が知らない革新的な保存法の技術があった。それはどう思う?」
「――と、言う事は!」
「儂の見立てが間違いないなら、一介の平民が動かす物の量を超えている。つまり、ゲシュペンストは異世界で、それなりの地位――、領主となっていた可能性がある」
「なるほど!」
ノーマンの見立てに、ナイルは頷く。
たしかに普通に考えれば平民が何十トンもの貴重な塩を動かすことは出来ない。
それなら、人口が少なくとも領主などの特権階級に居ると考えた方が貴族世界に慣れ親しんでいる彼らには納得できると言ったものであった。
それと、同時に吾郎や桜の教養の高さも貴族ならと理解出来てしまう。
そうなると問題が浮上する。
五郎が貴族だった場合――、それは異世界での地位であってエルム王国内の地位ではないという問題。
それは、即ちエルム王国の庇護を受けていないという事になる。
「これは困ったのう」
「はい。王宮も何かしらの意図があって書簡を早馬で送ってきたと考えられますので」
同意し頷いてくるナイル。
「ノーマン様、一応ですがゴロウ様はルイズ辺境伯領の貴族と言う事で貴族院に登録してあります。――ですので……」
ノーマンの後ろに控えていたアロイスは遠慮がちに言葉を紡ぐ。
「うむ。それは分かっておる。問題は、この書簡には副将軍エメラスの名前が書かれていることだ」
「エメラス? それは、エメラス・フォン・クラウスですか?」
「そうだ。あの軍事参謀のカルタス・フォン・クラウスの次女にして姫将軍の名を持つ彼女が来ることが書かれている。あとは――、ルイーズ王女か」
「それは……、下手をすると大問題になるのでは……」
アロイスの言葉に執務内が静まりかえる。
大問題どころではない。
下手をすれば王宮の政策に真っ向から対立する事になりかねない。
そうなれば、お家の取り潰しの可能性もあり得る。
それを知っているからこそ、誰もが言葉を呑み込んだのであった。
「軍事参謀のクラウス家の関係者が来るということは戦争も視野に入れているということかのう」
「――ですが、異世界にはゴロウ様が連れていくしか術はありません。大軍を異世界に展開することは出来ないはず」
「だからこそ、大問題になる。ただ――」
ノーマンは、執務室の椅子から立ち上がる。
そして――、扉を開ける。
「異世界での商売が上手くいっているのなら――」
「ノーマン様、宜しいので?」
「うむ。孫や曾孫が異世界で暮らしていてくれるのなら、儂はこれ以上の幸せはないのう。王宮一行が来る一か月後――、それまでにゲートを閉じることをリーシャ殿に頼むとしよう。その方が――、政争に巻き込まれるよりに孫にとっては良いだろうからのう」
ノーマンは執務室から出ると、ゴロウが待っている来賓室へと向かうのであった。
辺境伯邸の客室に通されてから、20分ほど。
何時もなら、すぐにノーマン辺境伯が姿を見せるというのに、現在――、室内に居るのは俺と金髪の20代後半のメイドさん二人。
さすがに長い時間、女性二人と待たされるというのは気まずい。
俺は出された紅茶を飲みながら時間を潰していると客室のドアがノックされる音が室内に響き渡ると共に扉が開く。
「待たせてしまったようだのう」
「いえ」
ナイルさんやアロイスさんを連れて、ノーマン辺境伯が姿を現した。
そのまま、ノーマン辺境伯はソファーに座る。
「――さて、ゴロウ」
「はい」
「前回の、こちらの世界で商売をする上で国に確認を取ると言ったことを覚えておるか?」
やはり早急に会いたいと言ってきたのは、異世界での経営についてのことだったようだ。
店が営業をするなら、扱う商品もそこそこ珍しい物が多いので、ルイズ辺境伯領の利益には繋がる。
問題は、保存食などに関してだが、その事に関してもある程度は解決していると見ていいのかも知れない。
「覚えています」
「うむ。――それでは、こちらの世界での商売に関してだが――、国からの許可は下りなかった」
「――え?」
「異世界の商品の販売許可を国が認めないということだ。つまり商売をすることは出来ない」
「――で、ですが塩などの取引は……」
こちらの予定が全部狂うような言い分に――、今までは店舗の開店の協力の確約すらしてくれていたノーマン辺境伯の代わりように俺は内心苛立ちを覚え始めた。
「塩に関しても今後は一切の取引を禁止とする。――それと、異世界と此方を繋ぐゲートは封印し二度と利用できないようにする。これは、エルム王国――、王宮の決定であり通告になる。そして、王宮の決定は――、そのままルイズ辺境伯領を預かっている儂の命令ともなる」
「それは……、リーシャさんからの婚約を受けなかったからという意味でしょうか?」
それ以外には考えられない。
何しろ、保存食に関しても塩の流通に関しても莫大な利益を辺境伯には発生するはずだからだ。
それを手放すなんて普通は信じられない。
さらに言えば、それ以外の調味料も含めて市民の生活を向上させるのなら、月山雑貨店は絶対に必要なはず。
それを断ってくるのは、俺が婚姻に関して後ろ向きだったという以外は考えられない。
「それは答える必要があるのか?」
「――ッ!?」
まるで他人と接しているかのような目で俺を見てくると同時に、冷たく吐き捨てるように話してくるノーマン辺境伯。
「――で、ですが……。ノーマン辺境伯も塩は大事だと言っていましたよね?」
俺の言葉にノーマン辺境伯は溜息をつくと。
「これは王宮の決定だ。お前が口を出すことでない」
まったく取り付く島もないほど吐き捨ててくる言葉。
そして、こちらの意見や考えをまったく聞かないように思える。
それどころか眉間に皺を寄せて怒りからなのか体全体が震えているかのようで――、
「ノーマン様、そろそろお時間かと――」
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