第34話 出汁巻き卵

 自分が頼むメニューを決めていた所、隣のテーブルに座っていた初老の二人が何やら文句を言っているのが聞こえてきた。


 ――チラリと隣を見る。


「それにしても、気品溢れる上流階級の人間が食事をする店に、あのような貧乏人が着るような服を着て食事に来るなぞ、恥ずかしくないのか――、否! 恥ずかしいと思わないからこそ、あんな低俗な服を着て上流階級御用達の店に来られるのだろうな」

「まったく! その通りです! さすが社長!」 

「ワハハハッ!」


 あからさまに俺達の方を見て笑っている。


「申し訳ありません。席を、すぐに代えますので――」


 女性店員が、申し訳なさそうに頭を下げてくる。

 なるほど……、さっき奥の畳部屋が空いているかどうか聞いた時に、戸惑いの表情を見せたのは二人の老人が居たからか。


「大丈夫ですよ」


 まぁ、席を代わるほどの事ではない。

 ああいう輩は必ず存在するからな。

 スルーするのも社会人スキルとしては必須なところだ。


「それで、お客様――、ご注文はどういたしましょうか?」

「まず、卵焼きを持ってきてもらますか?」


 メニュー表にも、店のお薦めとばかりに出汁巻き卵が品書きで書かれているし。

 それに卵なら、そんなにお金は掛からないだろう。

 俺は、周りが何と言おうと自分のペースだけは変えない男だからな。


「た、卵でございますか……、お部屋のカードキーを見せてもらってもよろしいでしょうか?」


 ――ん?

 何か、あるのか?

 ああ、決済前に本当に宿泊している客かどうか確認しておきたいということか。


「どうぞ――」


 部屋のカードキーを手渡す。

 ちなみに俺と桜の部屋のカードキーは、カードの左側に七色に光るICチップが取り付けられている。

 俺のカードを預かった店員さんの目が見開かれる。


「……あ、ありがとうございます。それでは、ご注文を承りました」


 俺、まだ卵しか注文していないんだが――、女性店員がカウンターで寿司を握っている職人の元へと向かってしまった。

 

「し、社長! た、卵を頼みましたよ!」

「ええい! うろたえるな!」


 隣に座っている老人達は、何やら動揺している様子。

 やはり、一番安いと思われる出汁巻き卵を頼んだのは……、流石に店の店員にも悪かったのかも知れない。


 それにしても……、【厳選! 当ホテル! 世界最高! 烏骨鶏の初卵だけを使った出汁巻き卵!】と、書かれているが、どんな味なんだろうな。

 

 ――かなり気になる。


「お待たせしました」


 運ばれてきた料理を見て思わず額から汗が一滴流れる。

 桜が頼んだのは、マグロの大トロで4皿ほど。

 そして、アワビに至っては細かい切れ目が無数に入っており、包丁細工の極致かと思われるほどの物であった。

 さらに軍艦巻きではないウニなども……。


 思わず、立て掛けたメニュー表をチラリと見てしまう。

 スーパーで価格が書かれていない商品などを時たま見ることがあるが、この時ほど時価という言葉に戦慄を覚えたことはない。


 そして――、どうやら……、そう思っているのは俺だけではないようで――。


「――し、社長……、あ、あれは……」

「お、落ち着き給え……。だ、だが――、あれだけの量を最初に頼むとは……、庶民ではないのか? しかし、あの服装は……」


 先ほどまで、俺達を貧乏人だと小馬鹿にしていた連中が、動揺の色を見せている。

 ちなみに俺は、もっと動揺している。


 ――これは、お腹が一杯だからと水だけで良かったのかもしれない。


 ほら、そんなにお腹減ってないし……。

 

「おじちゃん?」

「俺の方は、まだ時間が掛かりそうだから先に食べていていいからな」

「うん!」


 ここで変に動揺するのはよくない。

 何より、隣の連中に意図せず仕返しすることは出来たのだ。

 桜が、大トロを手で掴むと醤油をつけた後、口の中へと入れる。


 ――すると。


「しゅごいの!」

「すごいのか?」


 時価の大トロは俺も食べたことがない。

 果たして、どんな味なのか想像もつかないが、桜が幸せそうな表情で食べているのを見ていると、それはとても素晴らしい味なのだろう。


「うん!」


 目を輝かせて答えてくる桜。

 今日一日、落ち込んでいたのが嘘のようだ。

 やはり、食べ物というのは大事だよな。


「お待たせしました」


 俺の料理も到着したようだ。


「――こ、これは?」


 一瞬、我が目を疑った。

 卵焼きというのは、普通に出汁巻き卵みたいな感じだと思っていたのだが――、出汁巻き卵でも普通の出汁巻き卵ではないというのが一目で分かるほどの料理。


「料理長の神崎と申します。このたびは、当店オリジナルの究極の卵料理をご注文頂きありがとうございます」


 話しかけてきたのは、女性店員ではなくカウンターから近寄ってきていた職人。

 

「究極ですか?」

「はい。その卵は烏骨鶏の初卵を使っています。初卵というのは、烏骨鶏が初めて産む卵になりますので、生涯において一匹につき1個しか取れません。そして! もちろん、烏骨鶏に食べさせる物には一切の農薬が使われていない物を使用しています。さらに、産地に至っても厳選しており、もちろん雄大な自然環境内での放し飼いを心がけております」

「――な、なるほど……」


 何を言っているのかサッパリ分からないが、とりあえず凄い手間暇が掛かっているという事だけは分かった。

 まあ、言われなくても出汁巻き卵の上には金箔が乗っていることから普通ではないのは一目で分かるが……。

 内心、突っ込みを入れていると――、さらに料理長の説明は続く。


「さらに申し上げますと、出汁巻き卵の繋ぎには天然の自然薯を使っております。もちろん最高品質の物を使用しております。さらに! 味を引き上げるために甲殻類のパウダーをも利用しております。それでは、ごゆるりと召し上がってください」


 そう語ると、料理長はカウンターに戻っていく。

 その後ろ姿を見たあと、俺は直観する。

 この料理はヤバイのではないのか? と――。

 

 具体的に言うなら味ではなく――、値段的に……。


 何せ、桜が頼んだ料理が届いた時には料理長は来なかった。

 さらに言えば俺が卵料理を頼んだ時に、隣の連中が騒いだ。

 もっと言うなら、部屋のカードキーの確認までさせられた。


「おじちゃん?」 

「ど、どうした?」

「うんと……ね」


 桜は、俺が戸惑っている間に料理を食べ終わってしまったのか、俺の卵焼きを見た後――、チラリと桜自身の前に置かれている空になったお皿を見ている。

 どうやら、食べ足りないらしい。


「どんどん注文していいぞ」

「ほんと!?」


 多少は遠慮してほしいと一瞬、思ってしまったが……、桜の笑顔を見られるくらいなら気にしない事にする。

 それに美味しい物をお腹いっぱい食べると幸せな気持ちになるからな。

  

「ああ」

「おじちゃんと同じ卵焼き頼んでもいい!?」

「俺のを食べるといい」

「ほんとに!?」


 陰った表情で桜は俺を見上げてくる。


「俺は、別なのを頼むからいいぞ」

「えっとね! はい!」


 桜が箸を器用に使って出汁巻き卵を箸で一つ取ると俺の口元に運んでくる。

 どうやら、桜も思うところがあるのだろう。

 ここで拒絶するのは、よろしくない。


 出汁巻き卵を口に含み――、そして……、咀嚼する!


「――こ、これは!?」


 濃厚でいて、ふわっとした食感に――、さらに言えば後味がサッパリとしつつも味だけはしっかりと強調している。

 俺は思わず料理長の方へと視線を向けた。


 そして――、俺の視線に気が付いたのか料理長は頷いてきた。

 たしかに……、この出汁巻き卵……、普通ではない。

 尋常ではない程の旨さ。

 

 間違いなく俺が作った卵料理と比べたら遥かに格上だ。

 それだけは理解できる。


「おいしいの!」


 桜の笑顔も納得できるものであった。

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