きっと、祈りが届くなら

あたりひ

最初の召喚

 ステンドガラスから降り注ぐ極彩色の光が、聖堂の中を照らしていた。

 天井は遥か高く、ずらりと並んだ会衆席は一体どれほどの人が座れるのか、まるで見当がつかないほどに多い。

 入口からも見える、最奥に立つ天使像の前には大きな十字架がある。カトリーヌは手を組み、腰ほどまである金髪を背中に流して、その前に跪いていた。

 太陽が昇ってすぐに祈祷をはじめ、今や空は茜色になっている。それだけの間、まるで彫像のように目を閉じたまま、ぴくりとも動いていない。


 ふとカトリーヌ以外誰もいない聖堂のなかに、ふわりと風が吹いた。どこの扉が開いたわけでもなく、どこから吹いたかも定かではない。

 その風に運ばれて、一枚の白い羽根が、カトリーヌの前にゆっくりと舞い降りた。


 気配を感じて瞼を持ち上げ、カトリーヌは青い瞳で羽根を眺める。

 そこに刻まれた黄金色の傷は、祈祷の奇跡により授けられた神の言葉――神託だ。


「“異世界人を召喚せよ。それは、国の繁栄に繋がるであろう“?」


 目を瞬かせて、カトリーヌは小首を傾げる。

 時折おとずれる、神の気まぐれの時期だった。


 ♰♰♰♰

 

 長かった聖戦が終わり、数年が経った。人々は平和な暮らしを取り戻し、地平線まで広がっている大きな街に、戦争の爪痕はもうほとんど残っていない。

 青い空を、白い鳩たちが飛んでいる。

 現王の名から取った、リオネールというこの街は、国の首都だ。中央には石造りの城が建っており、その尖塔の一室からは、街の風景を一望出来た。

 いくつもの肖像画が朱色の壁に掛けられ、赤いビロードの絨毯が敷かれた部屋だった。

 大きな硝子窓から差し込む光が天蓋つきのベッドを照らし、そこに腰かけていたカトリーヌは眩しさに目を細める。


「そろそろかしら……」


 呟いてみて、がらにもなく心が躍っていることに気づいた。

 ちらちらと入り口の扉へ目をやって、誰が見ているわけでもないのに、ごまかすように小さく咳ばらいをする。窓の外には気も一つない青空が広がり、何をするにも上手く行きそうな気分にさせてくれた。


「失礼、報告に上がりました」


 コンコンと高いノックの音が響き、カトリーヌはベッドから立ち上がる。

 扉が開き、現れた壮年の兵が流麗な動作で膝を着いた。兜は外し、短く刈った黒髪と、整えられた髭が特徴的な顔が露わになっている。


「カトリーヌ姫殿下。先ほど、異世界人の召喚が成されたとの事です」

「なにも問題はなかった?」

「はい。性格に難もなく、礼儀正しい少年でありました」


 心なしか、報告をする兵士の声も明るく感じた。

 歴史に載っている異世界人はほとんどが性格の曲がった者ばかりで、かつての王族も大いに手を焼いたという。カトリーヌもそれだけが不安であったのだが、ひとまずは安心していいようだ。


「その彼の下に案内していただいてもよろしいかしら? ええと、」

「マルセルと申します、姫殿下」


 頭を垂れたまま、壮年の兵士――マルセルが答えた。

 カトリーヌは一瞬目を丸くしてから、笑みを取り戻す。


「では、マルセル。案内していただいても?」

「仰せのままに」


 歳を感じさせないきびきびとした動きで、マルセルはカトリーヌに一礼した後、背を向けて緩やかに歩き始める。

 慣れたものだ。多少無礼なことをされたとしてもカトリーヌは別に気にしないというのに、兵たちは皆、この徹底された振る舞いを示し合わせることなくやってみせた。

 城を出て、城壁内の庭園を通り、小川に掛かった橋を渡る。すると見えてくるのは、円形の土台を持った石造りの塔だ。


「離れで行うとは聞いていたけれど、こんなに厳重なのね」

「異世界人には常識が通じませんゆえ。近衛兵五百名を警備に当たらせております」


 塔の周辺には、腰に剣を挿し、片手に槍を持った兵士があちこちに見て取れた。

 カトリーヌに気づくと、彼らはすぐに礼の姿勢を取った。カトリーヌは微笑みを返しながら、塔の中へと入っていく。


「こちらにございます。万一のことがなさいますよう、少し下がってお待ちください」


 石造りの冷ややかな廊下の半ばにある扉の前で、マルセルは足を止めた。

 一見豪奢なだけの扉は、よく見ると鉄によって補強されていることがわかる。それだけ異世界人に対する警戒が成されているのだ。

 扉が開かれていくのを見ながら、思わずカトリーヌもごくりと喉をならした。


「姫殿下が参られた。控えろ」


 扉の先には、椅子に座り、数人の兵士に囲まれて肩身狭そうにしている少年がいた。絨毯が敷かれただけで石肌が見えている部屋は、あまりにも簡素だ。

 マルセルの一声で、兵たちが少年から離れて頭を垂れる。


「マルセル、あなたたち、少し下がっていてね」


 カトリーヌは兵たちに声を掛けながら、少年に歩み寄る。

 特別、身体的な拘束を受けているわけではないようだったが、物々しい雰囲気の中では、身体の力も抜けなかっただろう。


「こんにちは、異世界人さん。わたくしはカトリーヌ・ド・ロヴナ。あなたを召喚するように神託を受けた者です」

「あ、こ、こんにちは」


 腰を折り、目線を合わせて挨拶をする。

 少年はカトリーヌの姿を見て、すこしだけ頬をゆるめた。

黒い髪に黒い目、身長はカトリーヌとそう変わらない。白いシャツと黒いズボンで隠されているが、その体つきも、頑強であるようには見えなかった。


「お名前はなんとおっしゃるのですか?」

「えと、坂井和也と申します」

「サカイ、カズヤさま……わたくしは異世界の名前には詳しくないのですけれど、よい響きですね」

「あ、ありがとうございます」


 どうにも、少年は肩ひじに力が入り過ぎているように見える。

 場所か、あるいは状況が悪いのだろうか。カトリーヌが片手を軽く上げると、マルセルが傍らに跪いた。


「マルセル、客室の準備をしてちょうだい」

「それは、カズヤ殿の部屋でございますか?」

「ええ。広すぎず、狭すぎず、片付きすぎていない部屋がいいわ」


 一礼して、マルセルが部屋を出ていく。

 カズヤに視線を戻すと、愛想笑いのようなものを浮かべていた。この少年が緊張しているのは、少なからずカトリーヌにも原因があるらしい。

 カトリーヌはカズヤの傷一つない細い手を取ると、軽く手前に引いた。


「今のうちに、城内を案内してさしあげますわ。さ、いきましょう?」


 なにかを言おうとしたのだろうか。口を意味もなく開閉しながら、カズヤは頷いた。

 カトリーヌが手を引いて部屋を出ると、その後ろを兵の一人がついてくる。本当に緊張をほぐすのなら、兵はついてこない方が良いのだが、姫という身分である以上、そうも言ってはいられなかった。


 ††††


「どうかしら、カズヤ。この世界にはもう慣れた?」


 明るい日差しに照らされた薔薇庭園。その真ん中にあるガゼボの下で、カトリーヌはティーカップを傾けていた。使用人とマルセル、あとはカトリーヌとカズヤだけしかいないガゼボの下は、静かで穏やかだ。

 召喚から三十日が経った。最初はなにをしていても落ち着かない様子だったカズヤも、ずいぶんと素直に過ごしているように見える。

 問われて、カトリーヌの真似をして紅茶を飲んでいたカズヤは、慌ててカップを置き、姿勢を正した。


「はい、カトリーヌ様のおかげで自由ですし、みなさん、すごく優しいから」


 そんなに慌てなくてもいいのに、と笑いながら、カトリーヌもティーカップをソーサーに置く。そういう世界で育ったからなのか、カズヤの性格は度が過ぎるくらいに謙虚だった。

 聞くには年も十五と、カトリーヌより五つも若いらしい。


「それはあなたが品行方正だからだわ。そういえば、料理のお手伝いもしたのですって?」

「元々、料理は好きだったので。余った食材で、僕の世界の料理を作ってみたんです」

「あら、わたしも食べてみたいわ。それ、余ってないの?」

「少ししか作ってないので……。カトリーヌ様がそう言うなら、また作りますね」


 神託によれば、この少年は国に繁栄をもたらすそうだった。

 それがカズヤの手によって起こるものなのか、カズヤがいることでなにかが起こるのかまではわからない。

 ただ、カズヤは目立って悪事を働く様子もない。いつか大役を担わせることになるのなら、今くらいは自由に楽しんでもらいたいと、カトリーヌは思っていた。


「では、花壇の水やりを学んできますね」

「ええ、いってらっしゃい」


 一通り話を終えて、カズヤは丁寧にお辞儀をしてから庭園のなかを去っていく。

 それを見届けたあと、カトリーヌは背後に控えるマルセルに振り向いた。


「そんなに警戒しなくてもいいのよ?」

「陛下が私をこの任に就けましたのは、姫殿下に足りない、危機感を補うためでございます」

「お父様も心配性ね。マルセル、あなたはあの子のこと、どう思っているの?」


 カトリーヌに問われて、マルセルはふむ、と視線を動かした。

 慣れてきたといえば、彼も護衛を始めたときより、ずいぶんと態度が柔らかくなったように感じる。初めは、命令以外の言葉に答えることはなかったのに。


「敵意はまるで感じられませぬ。我々のことを恐れているきらいはありますが、姫殿下に危害を及ぼすことはありますまい」


 マルセルは近衛兵のなかでも一、二を争う実力だそうだ。その彼が問題ないと言っているのなら、カトリーヌの安心の理由にもなる。

 使用人に片付けを任せて、カトリーヌはガゼボから日差しの下に出る。

 カズヤのいた場所とは違い、この国は一年を通して安定した気候だ。寒くもなく、暑くもなく、非常に過ごしやすい。


「繁栄もいいけれど、わたしはこんな生活でも満足だわ」


 太陽に手をかざし、目を細める。

 風が吹き、長い金髪がなびいた。

  雲一つない空は、まるでカトリーヌの言葉を肯定しているようにも見えた。


 ††††


 夜深く、妙な気配を感じて、カトリーヌは目を覚ました。

 寝装のまま、身体を起こし、天蓋越しに部屋を見回す。影が見える程度では、おかしなものは見当たらない。

 少しずつ動いて、カトリーヌは天蓋を開いた。部屋は暗く、窓から射し込む月明りだけが照らしている。


「……カズヤ?」


 ふと、扉の前に立つ少年の影に気付いた。

 ベッドから足を下ろして、立ち上がる。一体こんな夜更けに、なんの用事だろうか。


「どうしたの? 何か、あった?」


 冷たいものを背中に感じながら、努めてカトリーヌは微笑んだ。

 なぜか、胸のうちがざわざわと落ち着かない。まるで背後からなにか恐ろしいものが迫ってきているような、言いようのない不安感がある。

 歩み寄ろうとして、足を止めた。


「カズ――っ!?」


 月明りに、カズヤの握っていたナニカがぎらりと輝いた。

 思わず目を向けると、それが手首から指先くらいの刃渡りを持つナイフだとわかる。カトリーヌは急いで足を引いた。そしてガラス窓に近づくと、留め具を外し、押し開ける。

 瞬間。

 カズヤがナイフを両手で持つと、腰だめにカトリーヌへ走り出した。


「マルセル!」


 窓の外に向かって、精いっぱい声を上げると、ベッドに向かって飛びのく。

 直後、一歩遅れたカトリーヌのドレスの裾をナイフが引き裂いた。やわらかいベッドに受けとめられながら、その事実に息を呑む。


「一体どうしたの、カズヤ!」


 胸に手を当て、ドクドクと脈打つ心臓を鎮めるように意識する。

 このままカズヤが落ち着かなければ、カトリーヌの身どころか、彼自身も危険だ。騒ぎを聞けば、王城にいる夜番の兵がやってくる。

 姫の殺害を企てたなどということが知れたら、処刑は免れないだろう。それはきっと、カトリーヌが弁明したとしても止めることは出来ない。


「答えなさい!」


 ゆえに、カトリーヌの語調は強くなった。

 カズヤは反応もせずに、黒い目を大きく見開いて、ふらふらと身体を揺らしている。ナイフの先は、未だカトリーヌに向いたままだ。

 そして再び、腰だめにナイフを構えた。

 しまった、とカトリーヌはベッドに手を着く。姿勢が崩れている今、もう一度刺しに来たなら、躱せない。


「姫殿下! 無礼をお許しください!」


 ぐ、とカズヤの足に力が入ったと同時、扉が蹴破られ、マルセルが現れた。片手には鈍色の剣を持ち、普段は外している羽根つきの鉄兜まで着けている。


「カズヤ殿――」


 マルセルは部屋内の状況を見て、迷いなくカズヤへ走った。

 驚いたのだろうか、動きを止めたカズヤを、マルセルが突き飛ばし、そのまま腕を掴んで床に押し付ける。そして暴れるカズヤの腕を踏みつけ、その手からナイフを奪うと、マルセルは片手に持った剣を頭の傍へと突き立てた。


「姫殿下、お下がりください。すでにこの外には夜番の兵が参っております」


 何も言うことができず、カトリーヌは頷きを返して部屋を出た。

 焦りで失っていた感覚が、急激に戻ってくる。あまりの出来事に立ち眩みを起こしながら、カトリーヌは名も知らぬ兵に身体を支えられて歩いていく。

 マルセルが優秀でよかった、だとか、カズヤが剣の修練を積んでいなくてよかった、などという自己保身の安堵ばかりが浮かんできて、涙があふれた。

 いっそ嘘であれば、夢であればいいのにと願いながら、カトリーヌは月光に照らされる白い聖堂へと、歩みを進めていった。


 

 それから、カズヤの処遇が決まるまでは早かった。姫の命を狙った逆賊として、むしろ処刑方法についての会議のほうが、長引いたくらいだ。

 噂は一瞬で城中に広まり、面々は口々にカズヤの事を貶めた。料理を教えていた者たち、庭園を共に整えた者たちは、カズヤに刃物を渡したのではないかと疑われた。

 穏やかだった空気は崩れ去り、誰もが気を立てていた。

 カトリーヌの傍には起床から就寝中まで護衛の兵が付き、カズヤ一人の犯行であったのか、その証拠が見つかるまでそれは続いた。

 そして、事件の真相は呆気ないほど簡単に判明した。

 錯乱効果のある薬をカズヤに飲ませ、暗殺を企てたのは、花壇を手入れしていた異教徒の男だった。カズヤはカトリーヌと話をした後、その男の手によって、都合のいい刺客として利用されたようだった。


「姫殿下を襲った逆賊に、裁きを!」


 裁きを。民衆が声を上げる。

 王城の門の前に、二本の十字架が建っていた。

 腕と足を縛られ、磔にされているのは、カズヤと彼をそそのかした男である。

 カズヤの顔には、絶望が貼りついていた。泣き叫び、時に怒り、そして最後にはなにも話さなくなった彼の目は、カトリーヌを見ていた。

 処刑人の手により、十字架に炎が灯される。

 わずかに湿った木製の十字架は、よく煙を上げた。すぐに白い煙のなかに二人の男の姿は隠されていく。

 その光景を目に焼き付けながら、ごめんなさい、とカトリーヌは呟いた。

カズヤは焼けただれた頬の筋肉を動かして、口を開閉させる。


『帰りたい』


 声にならない言葉を、カトリーヌだけが見ていた。

 信じられないくらい青い空の下、そこにいる者たちらは、歓声を上げていた。

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