赤い糸に結ばれて

六条菜々子

近いけれど、遠い存在

 長い平日の日々を乗り越えて、ようやく日曜日がやってきた。映画鑑賞を趣味にしている私たちは、二週間に一回の頻度で映画館に通っている。

 春の風がとても心地いい。風で散った桜の花びらが、公園の道を鮮やかに彩っていく。


 映画のジャンルは特に決めずに、直感で気になったものを選んで見ていた。ちなみに好きなジャンルは恋愛もので、嫌いなジャンルはホラーだ。怖い話は子どものときから苦手で、出来るだけ避けるようにしていた。

 今日見るのは、ネットでも話題になっている恋愛映画だ。原作を少しだけ読んだことがあったので、気にはしていた。だけど、ここまで話題になるとは思っていなかった。巷では『今話題のイケメン俳優』なんて言われているみたいだが、まるで興味のない私には、何のことだかさっぱりだった。テレビは家に一応あるものの、電源を入れることがあまりない。そんな私にとっては、ネットニュースで話題になっている人という認識でしかない。

 映画での演技に惹かれて、その人の出ている過去作をレンタルビデオ店で借りてくることはある。そういう意味で言うなら、世間一般の人々とはかなりずれた生活を送っているのだろうと思う。


 映画館の中に入ると、そこは人で溢れていた。前に進むのが少し大変なほどの込み具合だった。無事に自動券売機の前にたどり着き、いつも通りの席を指定し、券を購入した。もちろん、ポイントカードはしっかりと利用している。

 入場時間となり、人の塊が一斉に入り口の方向へと動いた。もしかして、ここにいるほとんどの人が同じ映画を見るのだろうか。自動券売機での席選択のときに気づいてはいたが、見ようとしていた映画が上映されるところは、ほぼ満席状態となっていた。流行りというのは何とも恐ろしいものだ。ただ、それが良い方向に転じることもある。それまで一般的にはあまり知られていなかったものが、一度流行ると定番化したりするためだ。それがすべてに起こりうるわけではないが、より多くの人に作品を知ってもらうのは、いいことだと思う。


 スクリーンの近くで映画を見るのも迫力があって楽しい。だけども、私は後方から遠くを眺めるような形で見るのが好きだ。なので、いつも指定する座席の位置は決まっている。後ろから三列目の中央が、私の特等席。席がすでに埋まっていたりしない限り、めったに変えることはない。

 上着を脱いで席に座ると、隣に男の人が座っていた。つい最近、どこかで会ったような気がするけれど、それがどこだったのかを思い出せない。ただ、その顔には見覚えがあることは確かだった。気になって仕方がないので、横目で何度か見てみた。あまりにも不審な行動だったから、気付かれてしまったかもしれない。

 近日公開予定の映画の予告編が終わり、照明が消えた。もう顔も見えないので、映画を見ることに集中して、意識の中から隣の人には消えてもらうことにした。


 映画の内容は、はっきり言うと地味だった。予告編でさんざん盛り上げておいて、本編は特に起伏もなく、淡々と描かれていた。むしろその演出に私は感動していた。しかし、上映終了後の観客たちは戸惑いを隠せなかったのか、消化しきれない思いを呟きあっていた。こういう現象は決して珍しくはない。だけども、これは別の意味で反響が大きいだろう。

 そんなことに気を取られているうちに、隣の男の人はいなくなっていた。いつのまに席を立っていたのかもわからないほどに、素早い動きだったのだ。実を言うと、顔がはっきりと見えたわけではなかった。薄暗い館内で、ただなんとなく見覚えがあるようなシルエットだなという認識程度でしかなかったのだ。思い違いならば忘れようと上映終了後に確認するつもりだったのだが、それすらも出来なかった。

 名前も知らない、どんな人なのかも全然わからないその人に、私はすっかり興味を持ってしまっていたのである。


「なによそれ、面白そうね」

 ビールを喉に流し込みながら、私の話に興味を持ってくれたのは親友の真鶴千秋だ。さっきからお酒を水のように飲んでいるけれど、これは彼女の平常運転なので特に気にはしていない。というか気にすると負けだ。高校のときからの知り合いで、私と同じ大学に通っていた。超がつくほどのマイペースな人間で、興味を持たない事柄に関しては一切干渉しようとしない。

 お互いの都合があった日は、こうして二人で飲みに行くことになっている。心置きなく何かを話せる相手というのは、とても貴重な存在である。千秋はそのうちの一人だ。

「そういう言い方しないでよ。それで、どう思う?」

「真智子の予想は当たってるんじゃない? 気のせいとは思えないけど」

 もちろん話題は、映画での隣の男の人についてだった。気になって仕方がないので、千秋に話を聞いてもらうことにした。とりあえず私が今日思ったことをすべて話してみた。見覚えがあるのは、今までにも映画館で遭遇したことがあるからなのではという仮説である。確実とは言えないけれど、無意識のうちに顔を覚えるほど近くにいたならば、覚えていてもおかしくはない。

「やっぱりそうよね……」

「今度行くときに確かめてみたら?」

「どういう意味?」

 千秋は少し微笑んで言った。

「もしかして私のこと狙ってますか? みたいな感じで反応を見るの」

「まだ確定したわけじゃないのに、そんなこと言えないよ」

 そもそもそれが確定していたとしても、そんな直接的に聞く勇気は持っていない。千秋と比べると、私は私自身に自信を持っていない。


 千秋と初めて出会ったのは、美術室だった。どうしても教室に行く気になれなくて、私は授業をサボって文化棟を散策していた。文化棟というのは俗称で、本当は西棟という名前が付いている。文化系の部活動の活動拠点が集まっているので、生徒のほとんどがそう呼んでいた。

「あれ、どうしたの?」

 突然の訪問者に、千秋は嫌な顔をせず話しかけてきた。気を遣ってくれたのか、持っていた筆を置いて私の方へと近づいてきた。

 当時の私は千秋の隣のクラスにいた。移動教室で一緒になることもあったので、顔見知りではあった。ただ、授業以外でこうして会うのは初めてだった。

「ちょっとサボろうかなって思って」

「何言ってんのよ、優等生のくせに」

 そう言いながら、千秋はすごく笑っていた。

 優等生とは、授業を真面目に受けて、テストで高得点を取る人のことを指す。だから、あのときの私は『優等生』ではなかった。授業に出ることが極端に少ない問題児であり、美術部の部長を務めている千秋。優等生という看板が重くなり、少しだけ反抗しようとした真智子。意気投合しないはずがなかった。

 それからは二人で過ごすことが増えていき、現在に至る。


「確定してないからこそ聞くのよ。もう、真智子って本当に内向的だよね」

「それもそうね……」

 私に興味があるわけではないと確定させたほうが、精神的にもいいことは分かっていた。本当に偶然が重なって、こういう事態に陥っていると考えるのが自然だからだ。しかし、それが何度も起こると、それは偶然ではなくなる。

「また行った後に話聞かせてよ」

「うん。ありがと」

 思っていたことを聞いてもらうことで、気持ちの整理をつけることが出来た。霧が少しだけ晴れたような気分になっていた。

 その後、千秋は机に突っ伏して寝てしまい、起こすのに一苦労したのはあまり思い出したくない。


 二週間が経ち、私的『映画の日』がやってきた。仕事とプライベートはきっちりと分けないといけない。よって、ガス抜きをするのはとても重要なことなのである。それが私にとっては映画鑑賞にあたる。

 分けないといけないとは言ったものの、昨日までの私はどこかがおかしかった。仕事中は問題ないのだけれど、休憩中に例の男の人を思い出していたのだ。そうなると、頭の中はそのことで覆いつくされてしまう。だから、仕事をすることで忘れたことにしていた。

 今日は何も考えず、映画に集中しようと思った矢先、それは実現できないことになってしまった。チケット売り場に並んでいたのは、間違いなくあの男の人だった。顔がはっきり見えなかったとはいえ、あの雰囲気はそれだった。だからといって、必ずしも同じ映画を見るとは限らない。同じ時間帯で上映する作品は、いくつかある。もし『偶然』とするならば、今日は私と同じ作品を見る確率は低いはずだ。なぜなら、今日見るのはアクション映画なのだから。恋愛要素が全くないわけではないけれど、アクションを全面に押し出しているので、本当に少しだけなのだろう。

 チケットを購入し、自分の座席へと向かった。この作品は、特に目立った宣伝をしていない。上映する映画館も限られているので、ここでは上映されないと思っていたけれど、さり気なく上映劇場一覧に入っていた。諦めるつもりだったので、それに気づいたときはすごく嬉しかった。

 空席が目立つほどの人数しかいないので、特等席のまわりには誰もいなかった。これだけ空いているのだから、特に隣になる必要もない。そう思っていた。

 例の男の人が三つ隣の席に座っていた。まさか同じ映画を見るはずがないと考えていたので、上映終了まで気が付かなかった。気づいたときにはすでに手遅れで、声を掛ける間もなく去っていった。偶然ではないとするならば、一体どうやって私の見る映画を判別しているのだろうか。それとも本当に偶然なのだろうか…。


 千秋に連れられてやってきたのは、おなじみの居酒屋だった。チェーン店だけれど、料理の質がいいので気に入っていた。

「それって偶然の域を超えてない?」

「私もそう思ったの」

 千秋と私の意見はほとんど一致していた。例の男の人は、意図的に私と同じ作品を見ているのではないかというものだ。

「でもねえ……本当にわざとなら声くらいかけてくればいいのにね」

 ここで私から声をかけるのはルール違反なのだろうか。そもそも、気になっている人に近付こうとするために、同じ映画を見ようとするなんて。わずかな可能性として残っているのは、趣味がほぼ一致しているのではないかというものだ。それならば、まだ納得できる理由だ。

「見かけたら逃さないようにね。このままだと『偶然』が終わってしまうかもしれないから」

 いつも通りの賑やかな雰囲気の漂っている居酒屋も、私たち二人の周りだけは異様なまでに薄暗くなっていた。それが私のせいなのは、言うまでもなかった。


 その日は休日出勤だった。どうしても月曜日の会議までに提出しないといけない書類が、まだ完成出来ていなかったのだ。仕事の要領が悪いのが原因なのだけれど、どうして『映画の日』とかぶってしまったのだろう。今日もきっと、例の男の人が映画館にいるに違いない。私がいないことに気づいているのだろうか。それとも、何も気にかけていないだろうか。


 結局、映画館に行けたのはそれから一週間後だった。いつも二週間ごとに通っていたので、こういうことはめったになかった。三週間しか経っていないのに、すごく懐かしい感覚になっていた。

 今回見るのは、高校生を主題にした学園恋愛ものである。『甘酸っぱい青春物語』という副題が付いており、今どき珍しい作風に惹かれて見ることにした。最近の学園恋愛ものは、場面展開が早すぎてついていくのが大変なのである。対してこれは、空白の時間を有効活用して、感情に訴えてくる描写がいくつもあった。こういうのを私は求めていた。久しぶりに無くしていたパズルをはめることが出来たような感覚になった。だが、そうして気持ちよくなっていたところを崖から突き落としたのは、例の男の人だった。

 その人がいることには、特に問題は無かった。問題はそこではなく、仲がよさそうに並んで歩いている女は、一体誰なのかというところだった。今までずっと一人で映画を見ていたので、てっきりそういう相手はいないと思っていた。だけども、この姿を見せられると、とてもそうとは思えなかった。

 目線を送り過ぎたのか、例の男の人が私の姿を見るなり慌てだした。なぜそんな不審な動きをするのかは謎だけれど、もう私の出る余地は無さそうだ。

 とんでもない急展開である。まさか、本当に偶然だったということなのだろうか。そして、私に対しての恋愛感情なんてものは初めから存在しなかった。存在しないどころか、実際には彼女がいた。そうして勝手に思い込んでいたのが悪いのだけど、無性に悲しくなった。私は、一人でなにをやっているんだろう。

 映画館の外に出ると、小雨が降っていた。灰色になってしまった空が、泣いていた。


 それからしばらく経ち、千秋にその日の出来事を話してみることにした。いつまでもこうしていては、息が苦しい。

「それから映画は見に行ってないの?」

「……うん」

 あきれたような顔をして、千秋は缶ビールを飲み切った。これが三缶目である。私があまりお酒を飲まない代わりに、千秋がそのぶんを飲んでいるような気がした。

「まだ確定したわけじゃないのに、もう諦めるの?」

 行動しないと何も起きないけれど、これは行動するしない以前の話になっていた。これではまるで、あの男に振り回されているみたいだ。

「諦めるというか…。ねえ?」

 始まってもいない物語を、急になかったことにされたような気分だった。スタートラインにすら立たせてもらえなかった。一体いつから『そういう関係』の人がいたのだろう。もし私が気付くより前の話なのだとするならば、変に誤解されるようなことはしないでほしかった。

「まあ、今日はゆっくりしていけばいいよ」

「うん。ありがと」

 千秋の家は、駅から十分ほど歩いたところにある、まだ築年数が二桁に達していないアパートだ。地方特有の一軒家の文化が根強く残っているため、アパートやマンション自体が珍しい。市街地まで行けばそれなりに増えてはいるけれど、それでもまだ数は少ない。つまり、千秋はすでに一人暮らしを始めているのだ。

 部屋はいたってシンプルな作りで、ワンルームに狭い台所が付属しているような感じだ。物が少ない代わりに、本棚には本がびっしり詰まっていた。あと目立っているのは、コピー機とノートパソコンくらいだろうか。千秋の本業はライターなので、当然ながらノートパソコンの横には書類の山があった。

「何か飲む? 冷蔵庫から取ってくるけど」

 そう言いながら、千秋は冷蔵庫のほうへと向かっていた。途中で何度かふらついていたけれど、まさか飲んでいないよね。

「じゃあ、チューハイお願いします」

 最初でこそ千秋と飲むのだからと、一缶目はビールにした。けれど、やっぱりビールは苦手だ。あの独特の味がどうしても受け入れられなかった。そんな私をからかってくる千秋のほうが、大人なんだろうな。考え方がしっかりしているように見えるし、周りに流されることを嫌っている。そんな千秋が、私には憧れのような存在だった。

 いつになれば、私は私であるということを自信を持っていえるようになるのだろう。


 日付が変わってから随分と時間が経っていた。お酒も回っていたので、二人とも眠気の限界が来ていた。

「そろそろ寝る?」

「そうね……」

 千秋の家に泊まるのは、三か月ぶりくらいだった。何かで行き詰ったときや千秋から誘われたときにこうして泊まりに来る。そうはいっても、誰かを泊めるように準備がされているわけではない。たとえば、シングルベッドでこうして二人が寝ることになるのだ。

「ねえ、真智子」

「なに?」

 すぐ隣で寝転がっている千秋は、目を合わせずに呟くように言った。この雰囲気が、修学旅行で夜更かしをしていたときと重なった。あのときも、こうして千秋に恋愛のことで相談にのってもらっていた。いつだって、千秋は私のそばで話を聞いてくれている。

「高校のときにも、こういうことあったよね」

「内海先輩のこと?」

「そう」

 内海先輩というのは、高校のときの元生徒会長である。当時の私は先輩のことが好きで、生徒会役員を続けていた。だが、卒業とともに先輩との接点は切れてしまい、今に至る。

「また後悔するよ、きっと」

 今でこそ懐かしい思い出になっているけれど、当時は悲惨だった。心を支えていた柱が、急に切断されたような痛さだった。あのとき諦めていなければ、どうなっていたのだろうと考えたこともあった。それがどんなに無駄な行為であったとしても、心に負った傷を見過ごすことは出来なかった。

「きちんと自分に向き合いなよ。もういい歳なんだから」

「わかってるけど……」

 自分のことを子どもと思えるような時期は、とっくの昔に終わっている。周囲から見れば、どんなに未熟な私でも大人として扱われるのである。そろそろ、大人にならないといけない。けじめをつけるべきなのだ。

「そもそも映画鑑賞が趣味なのに、映画を見に行かないなんて本末転倒でしょう?」

「確かにそうね。千秋の言う通りだよ」

 趣味をおろそかにするのは良くないこと。このままでは、ただ一人で苦しむばかりだ。問題の根本をなくすことは出来ない。それでも、映画を見るという行為は、今の私にとっての息抜きだったはずだ。こんな状態では、自分に自信を持てるはずがなかった。

「次の休みは行きなさい。映画の感想を楽しそうに話してる真智子を見るほうが、私は好きだから」

「何よ、それ」

 千秋は少しだけ微笑み、目を閉じた。私は改めて、この人には一生勝てないなと思った。


 私は、その日から特等席には座らなくなった。


 偶然にすれ違うことは何度かあった。しかし、声をかけようとはならなかった。やはり、確証が得られないのである。

 ただし、分かったこともあった。それは、例の男の人が女性を連れて歩いていたところを見たのは、あの日以降一度もなかった。彼女さんは映画があまり好みではなかったのだろうか。

 全く関係性のない二人が同じ映画を見る確率は、一体どれくらいなのだろう。知り合いでさえも会うことはないのに、接点がそもそもなければ余計に確率は低くなるはずだ。だからといって、私が例の男の人に固執する必要性はない。偶然は『偶然』のままで終わらせたほうが、お互いのためになる。そう思わないと、辛くなるだけだった。


「あの、すみません」

 聞き慣れない高めの声が、背後から流れてきた。振り向くと、そこにいたのは例の男の人だった。ただし、隣には誰もいなかった。今日も一人で映画を見に来ていたのだろうか。まるで、何かを口にすることをためらっているかのように見えた。一方で私は、あまりの不意打ちに言葉を失っていた。諦めたことにしていたのに、この人はあろうことか自ら接点を作ってきたのである。実際の時間では、ほんの数秒の出来事だった。しかし、思考が止まってしまった私には、それは何十秒にも感じた。きっと第三者からは、見つめ合っている恋人同士のように見えているに違いなかった。

「……お久しぶりですね」

 お互いがお互いのことを認識していたにもかかわらず、これが私たちが初めて会話をした瞬間だった。想像していた声とは少し違っていた。男の人にしては高めの声だけれど、大人っぽい落ち着きがあった。

「なんで席の場所、変えたんですか?」

 彼はずっと私のことを見ていたし、私も彼のことを見ていたんだ。もうこれで、私は逃げることも隠れることも出来ない。彼のことがどうしようもなく、気になっているのだから。今まで使っていたお気に入りの席を変えてしまうほどに、彼が視界に入ってしまうのだから。

「俺、あなたのことが……」

 騒がしかったはずの映画館のロビーが、ものすごく静かに感じた。もう私には、彼の声しか聞こえなくなっていた。

「困ったんですよ。あの女の人は誰なんだろうって」

「もしかして、あのときのことですか」

 今まで忘れていたような顔で、彼はこう続けた。

「あれは会社の同僚で、半ば無理やりに連れてこられたんですよ」

 なんて苦しまぎれな言い訳なんだと思ったけれど、それ以上責めるつもりはなかった。私にとっては、そんなことどうだっていい。

「えっと、大垣と言います」

 あまりにも唐突な自己紹介だったので、彼は目が点になっていた。だが、それに続ける形で、彼も自己紹介を始めた。

「近藤です。よろしくお願いします」

「こちらこそ」

 ぎこちなさがあるお互いの自己紹介に、二人とも笑い始めた。それまであった緊張を無くすには、とても効果的だった。どんな結果であろうとも受け入れる覚悟は、もうできていた。

「近藤さん、もしよければ映画を一緒に見ませんか?」

「いいですよ。ジャンルはどうしますか?」

 その質問の答えは、すでに決まっていた。考える必要さえなかった。なぜなら、この二人がよく遭遇していた映画のジャンルは……。

「恋愛映画に、しましょうか」

 彼からの提案を断る理由は、見つけられそうになかった。だって、彼がこんなにも嬉しそうなのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

赤い糸に結ばれて 六条菜々子 @minamocya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ