第13話-兎に出会った

「このっ! 大人しくしろ!」

「――――っ!?」


 翌朝、聞きたくない人の声が耳に届き、一瞬で意識が覚醒する。

 まだ薄暗く朝日が登っていない時間帯だった。


 寝起きだと言うのに全身から冷や汗が一気に吹き出てくる。


「……」


 目を開き周囲を見回すが、周りには誰もいない。

 私はそっと寝床にした岩陰から顔を出して、耳を澄ます。




「――――んんんっ!!」

「くそっ噛みやがった……おい! 腕を押さえとけ!」




(聞こえたっ……女の人の声)


 どう考えても放っておいてはダメな感じがする。

 私は慌てて【存在希釈エクシテンス ディリュージョン】をかけて、岩を乗り越えて森の方へと走っていく。


(方向からして……あっち!)


 存在を極限まで消したまま、私は杖を持って森の奥へと駆け出した。

 数十秒走った先で見つけたのは――。


「んんんっ――ゃっ! やめっ――」


 三人の兵士に押さえつけられた一人の女性だった。

 幸いまだコトには及ばれていないが、見つけてしまったからには助けるしかない。


(急がなきゃ)


 一人が女性の両手を押さえて、もう一人が足側に回り込み女性の口を押さえ下品な笑いを浮かべている。

 最後の一人は隣にどさっと腰掛け、小さい木樽に入った酒のようなものを飲んでいた。


 私はなるべく近くの木影に身を隠し【存在希釈エクシテンス ディリュージョン】を解除する。


(でもどうしよう。一気に三人なんて……)


 見た所、魔法使いは居ない。

 不意打ちで一人倒せば、残り二人なら倒せるか。


(はぁ……はぁ……)


 声に出さないよう、息を整え心の中で魔法を詠唱する。

 身体の中にある魔力が右手に集まり、指先がカッと熱くなっていくのを感じる。


(手前に座っている奴の頭が邪魔で奥の二人が狙えない……なら!)


「【風槍エアランス】っ!」


 指先から放たれた風の槍が大砲のような勢いで、手前に座っている兵士の頭を吹き飛ばした。


 その衝撃で二つに割れた風の魔力は、その威力を落とさないまま奥にいる兵士二人の上半身にぶつかる。


「――なっ!?」

「んあっ?」


 完全に不意打ちの形となり、女性に覆いかぶさるように押さえつけていた二人の兵士の格好をした男たちも【風槍エアランス】の余波を受け、吹っ飛んでいく。


 暴力的な力の奔流に吹き飛ばされた兵士は太い幹にぶつかり、身体が盛大にひしゃげる。


「えぇー……」


 魔法を発動するために右腕を差し出したままのポーズで固まる私。


(わたし……人を……こっ、こ、殺しちゃっ……)


 突然お腹の奥から酸っぱいものがこみ上げてくる。


「ぅっ……!!」

「……ぐすっ……ぐすっ……」


 しかし女性の泣き声で我に返り、私は口を押さえながら彼女のもとへと駆け寄った。


「だ、大丈夫……ですか?」

「うぅ……怖かったぁ……ふぇ……」


 もっと大人の女性だと思っていたが、近づいてみると私と同い年ぐらいの女の子だった。

 服は乱れており、二本の飛び出た特徴ある耳も、最初に吹き飛んだ兵士の血で真っ赤に染まっている。


 私はなるべく優しい感じの口調でその女の子に話しかける。とにかく今はここから離れて、血でべっとり汚れてしまった服を洗ってあげたい。


「とっ、とにかくあっちに海があるから、身体洗おう? ね?」

「……ありがとう」


 まだ涙目になっている女の子の手を引き、先程まで寝床にしていた岩場まで戻った。そこでタオルを渡し、汚れてしまった服を脱いでもらい海まで降りて海水で洗う。


 最後に【水球アクアボール】でゆすいで海水を落としてから、岩場に戻った。

 女性はおぼつかない手つきで自分の耳をゴシゴシとタオルで拭いている所だった。


「はい、まだ湿っているから少し風出すね」

「ありがとうございますぅ~……」


 間延びな喋り方をする子だなと思いながら、彼女の服を風魔法で乾かす。


「えっと、私カリスっていいます。貴女のお名前は?」

「あの、わたしリンって言います〜」


 まだ少し泣きそうな表情のままだったが、私はリンと名乗った女性の頭に視線が釘付けになっていた。

 少しまだ汚れているが二つの兎のような白い耳がぴょんと飛び出している。


「あのぅ……?」

「あっ、そ、その、大丈夫だった? 色々と」

「はい〜……おかげさまで……なんとお礼をしたらいいか~」


「お礼とかはいいんだけど、どうしてこんな所に?」

「えっとー…スルツゥェイの……近くに住んでいるんですけれど〜……」


 相変わらず妙にゆっくりと話すリンさんの話を纏めると、彼女はスルツゥェイからスリーズルへ行って、素材を売った帰り道で野営をしていたところ捕まったそうだ。


「あの……森で野宿をしていたら突然あいつらが現れて……普段こんなところに人は居なかったんだけど~……」


 リンさんは兎の様な耳をぴょこぴょこと動かしながら、両手を使いって先程の状況を説明してくれる。


(普段居ない森に兵士が……それって私のせいだよねどう考えても……それで私が……私が……あいつらをこの手で……)


「どうしましたぁ……?」


 顔を覗き込んでくるリンさんを見てドキッと心臓が跳ねる。

 私は慌てて話を変えて、先程から気になってしようがない物について質問することにした。


「えっと、そのリン……さんは、獣人? ……ってやつですか?」

「獣人……最近ではセリアンスロープっていう人が多いんですよぉ~でもその通りです~」

「うわーすごい、私初めて獣……セリアンスロープ? の人に会いました!」


「うふふ……そうなんだぁ~……ちょっと触ってみます?」

「えっと、じゃぁ失礼して」


 恐る恐るその耳に手を触れると、ピクッと耳が動く。

 なるべくゆっくり……と思いながらその耳を手で優しく包むとほのかに暖かかった。


「あんっ……」

「あっ、ごめんなさい、痛かった?」

「いえ、だいじょうぶよぉ~……それよりも~……」

「んむっ――!?」


 突然リンさんが私をギュッと抱きしてきたので、顔がリンさんの胸に埋まる。

 少し息苦しいので離れようとしたところで、頭の上からリンさんが呟くように口を開いた。


「あの人達は私を汚して、それから殺して埋めると言ってました~……だからカリスさんが気にする必要なんてないのです……よ?」

「ん……」

「カリスさんは私の恩人ですよ〜……」

「リンさん……」


 少し抜けた子なのかなと思っていた私の考えは間違えていた。

 ちゃんとリンさんは私の心情を察してくれていた。

 そのことに嬉しくて、私はぎゅっとリンさんの背中に手を回した。


「あのぉ~……多分私のほうが年上だと思うんですが~。タメ口でいいですよぉ~命の恩人ですし~」


 するとリンさんが不思議なことを言い出した。

 年上? どう見ても私と同い年かそれより幼い……まぁ胸は遥かに大人だけれど……。


「私、もうすぐ三十……あれぇ? いま三十歳ぐらいかなぁ」


「えぇぇぇっっっ!?」

「ふふふっ、皆さんそんな反応するのよ~」


 びっくりした表情をみてコロコロと笑うリンさん。

 対して私はどんな表情をしていたのだろうか。


 獣人――もといセリアンスロープというのはみんなこんな若いのだろうか。


「あっ、じゃぁ私が言うことじゃないかもしれませんが、お互い呼び捨てタメ口でどうですか? どうかな?」

「うん~いいよ~よろしくねカリス」

「り、リン――よろしくね」


 私はそのままぎゅっと握手をし、まだ日が昇らない時間だったので、そのまま二人で寄り添うように一眠りしたのだった。

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