第02話-監獄からの脱出

「ん……やばい! 寝過ぎた!」


 遅刻する! と思いガバッと起き上がり目に飛び込んでくる景色に、一瞬で深い絶望感が襲ってくる。


「あっ……」


 いつもの暖かな布団ではなく硬い木の寝台。

 ボロの囚人服を着た自分。


「…………やだ、諦めたくない! こんなところで死にたくない!」


 起き抜けの頭を覚醒させ、できることはないかと考え続ける。


「あっ……」


 ふと扉を見ると、窓口から木のトレイに乗せられた食事が差し入れられていた。


 私は恐る恐る近づき、トレイを手にとった。


 堅そうなパンと具のないスープ。

 食器はなく手で食べるしかなさそうだ。


「そういえば昨日何も食べていない……」


 思い出すとお腹が急に空腹を訴えかけてくる。


 パンを割ろうとするが堅すぎて割れない。

 仕方なくスープに浸してふやかして口に入れる。


「粉の味がする……」


 それでも死なないために喉に押し込んだ。


「ふぅ」


 やっと脳に栄養が入った気がして、頭がスッキリしてくる。


「そうだ……ここがあの世界と同じなら私、魔法が使えるんじゃ……」


 あのゲームの通りならクリスは魔法が得意でいくつかの魔法が使えるはずだった。


「記憶通りなら……」


 私は恐る恐る手を石壁に向ける。


「【氷玉アイスボール】……きゃぁっっ」


 突如手首に熱い鉄を押し付けられた様な鋭い痛みが襲ってきて、私は尻餅をついてしまう。



「おい、解っているとおもうが、その呪印は剥がせないからな」


 扉の外から例の野太い声がして、私は痛む手首に恐る恐る視線を落とす。

 真っ白い両手首には、赤色の文字で刺青のような痣があった。


「ったぁ……これのせいか」


 魔法を使うことが出来る犯罪者を拘束するための呪印――魔力を流すと激しい痛みが全身を襲うという代物だった。


 寝台に崩れ落ちるように座り、かぁっとヒリヒリする手首をさする。

 一番基礎中の基礎で、魔法が使えるものなら子供でも使えるという魔法ですら使えなかった。


「……はぁ」


 やっと糸口が見つかったと思ったのだが、現実はそんなに甘くなかった。


「なにか……どうにかならないの?」


 私はクリスとしての昔の記憶を必死に思い出す。


 伯爵家の長女としてそれなりに英才教育を受け、魔法の適性が高いと解った後は魔法の勉強に力を入れてきた。


 結果、学園では魔法で一番の成績を修めていたのだ。使えない魔法でも知識だけは持っている。


 でも、この呪印があるから魔法は使えない。


「……使えない? 本当にそう?」


 他人の魔法を完全に使えなくする方法はない。少なくとも私は知らなかった。

 けれど魔法を封じ込めるための術はいくつかある。


 確かこれはそのうちの一つ、鋭い痛みで魔法の行使を妨げるものだ。


「【氷玉アイスボール】……ぐぅぅぅ」


 再びあの鋭い痛みが走り、魔法が使えるというイメージが霧散する。


「はぁはぁ……だめか」


 この痛みを我慢して魔法を発動できたらと考えるが、とても我慢できるような痛みではなかった。


「でも、やらなきゃ……死ぬ……死ぬよりは、マシよ」


 私はそれから、埃っぽい匂いのする布団に潜って裾を噛みしめる。

 そのまま声が出ないように魔力が尽きるまで魔法を詠唱、霧散を繰り返し続けた。




「食事だぞ!」


 天井の小窓から差し込む光が無くなる頃、私は汗でびっしょりになった服を引きずり、粉っぽいパンを無理やり口に押し込める。


 その後、再び布団に包まり、気絶するまで痛みに耐え続けるのだった。


 ◇◇◇


 翌朝。


「頭いたい……でも……」


 次の日も朝から同じように基礎魔法を繰り返す。


「お風呂入りたい…髪の毛洗いたい……」


 汗でびっしょりの髪が頬に張り付き気持ち悪い。

 お風呂に入ってないため、自分で自分の体臭が臭く感じる。


「でも……がんばろう……」


 既に私の眼はうつろになっていた。

 時間の感覚はなく、手の甲に焼けた鉄の棒を突っ込まれるような痛みを歯を食いしばって我慢し、魔法を唱え続けたのだった。



――――――――――――――――――――



 何日、同じことを繰り返したのだろう。

 もはや起き上がる気力もなく、絶え間なく襲ってくる痛みに脳がすり切れる気がする。両手首は真っ赤に腫れ上がり、元の白魚のようなきめ細やかさは失われていた。


 それでも私は、意識がある限り、この痛みに慣れることが出来ると信じて自傷を繰り返す。



――ドンッ!ドンッ!


「クリス、処刑の日程が決まった。三日後の朝、王宮前広場にて四肢切断の後、火刑となる」


「三日後……四肢切断……」


 虚な目で自分の手首を眺める。

 忌々しいまでに真っ赤な呪印が目に痛い。


「……っ!!」


 私は無言でその手首にかぶり付き、手首の皮を噛みちぎった。



 ◇◇◇



「【灯火ランプ】――やっ……た……」


 真っ暗な室内にある寝台の毛布の中。そこに小さな明かりが灯ったのは、そろそろ空が白んでくるような時間帯だった。


 布団の切れ端を巻き付けた血だらけの掌に、あの痛みを感じることなく魔法を詠唱出来た。


 傷の痛みで神経がおかしくなったか、呪印が一部無くなったせいか、痛みに慣れたせいか判らない。


「あとは……」


 天井付近にある小窓までの浮遊魔法と、あの鉄格子を壊す魔力があるかどうか。


 だが私はこの七日間、起きてから眠るまで魔法を使い続けた結果、体内の魔力量がびっくりするほど増えているのに気づいた。


灯火ランプ】を唱えたとき、魔力が無くなる感覚をほとんど感じなかったのだ。



「よし――【浮遊フライ】」


 その瞬間身体が浮遊感に包まれ、つま先が地面から離れた。


 そのまま少しずつ慣れない空中遊泳で小窓の鉄格子に近づき手を伸ばす。


「あと少し…!」


――バリバリッッ!!


 鉄格子に手が触れた瞬間、激しい痛みと電撃が右手を包み込む。


「――――っっ!!」


 悲鳴を上げなかった私すごい。と、よく判らないことを考えながら床に打ち付けられ、私は意識を失った。


◇◇◇


 私が気を失っていたのはほんの少しの間だけだったようだ。


「うぅぅっ……」


 折角うまくいくと思ったのに、振り出しに戻ってしまった。

 泣かないと決めていたのに、涙が溢れて止まらない。

 顔をぐしぐしと拭きながら、血が垂れる腫れ上がった手にシーツを巻き付け、床に大の字に寝転んだ。


 外はすっかり日が登ったようで、鉄格子の先から明るい光が差し込んでくる。


(明日……私は殺されるんだ)


 ……私がやりましたと言えば痛みなく死ねるのだろうか。


 最後まで無実を主張しても、民衆からしてみれば、悪名高い名家の女が一人死刑にされるだけとしか思わないだろう。


(もう……このまま消えてしまいたい)


 私は全てを諦めて目を閉じた。

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