Have seen better days

小余綾の肴

第1話

 日々音楽を奏でる彼女の指は、私の髪をとかしながら、小舟のようにゆっくりと下へと進んでいき、湖の端までくると、次は雫となって顎の先へとつたっていく。いつも指揮者に合わせ音符を追う目は、今は彼女が一番心地良いと思うテンポで私を見ている。彼女が私に息を吹きこんだなら、どんな音になるのだろう。「……さん」と私を呼ぶ養護教諭の声が廊下から聞こえたから、途中で考えるのをやめた。声は彼女にも聞こえたそうで、一度私の頭をなでてから、またねと言ってベッドから降りると静かに去っていった。窓辺では、別れを告げに来た春風が造花をゆらしていた。授業は午後から出席することにした。女子校の一日は長い。

 本日最後のチャイムが鳴る。私のメトロノームは怠け者のようで、たちまち一人だけになってしまった。彼女はどこからともなくやってくると、ちょっと待っててねと廊下にでてった。楽器を取りに行ったのだろう。吹奏楽部はこの教室のある理系棟とは反対側の文系棟で普段練習している。この教室、棟で練習する吹奏楽部員は彼女一人。以前、楽器を運ぶのを手伝おうとしたが、彼女に丁重に断られてからは、彼女が部室から楽器を運ぶのを見守り、彼女の観客となるのが帰宅部の私の日課になった。帰ってきた彼女を迎え入ると、さっそく演奏が始まった。私は、彼女との関係が始まった時の事を思い出していた。

 

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