このお屋敷のみんな、すごい早起き。お寺もそうだったけど、それはお寺だからだって思ってた。でも実はそうじゃなかったんだ。まだ人が寝てるのにバンバンと音をたてて格子の窓板が上げられる。パッと朝日がさす。もう、寝てなんかいられないじゃない。

 私はしかたなく、起きだす。

 朝の身づくろいは、みんな女たちがやってくれる。髪もとかしてくれる。でもそんなに強くひっぱんないでよ……これ、エクステなんだから。って、そんな本格的なものじゃないけど。でも、だからこそひっぱられたら困る。

 「くぇさううぉぞ」

 髪の次は、鏡の前に座らせられた。メークか……。

 あっ、ちょっと待って! もしかしてこの人たちと同じ、真っ白な顔にさせられるってわけ?

 ヤダヤダ、冗談じゃない! 

 「いらぬ!」

 私が叫ぶと、女たちはびっくりしたような顔をして不思議そうに私を見た。

 「など、眉も抜きたまふぁざるや。ふぁも白きふぁ、いとびんなきこと」

 え、歯も? まさかあんたたちのように、歯も黒く染めようってか。

 やめて! 

 もう。ほんとうにもう冗談じゃない! どんなにお姫様になりきろうって思ったからって、これだけは絶対にイヤ! それでもなんか準備してきて、無理やりはじめようとしてる。

 私は思い切って、女たちをはねのけた。

 「やめてよっ! もう、うるさい! きたなーい!」

 女たちは身をすくめて、それから私を横目で見て、互いにひそひそ言い合ってる。

 「うるさし、きたなしとかや」

 「げに、いと、あしゃましきことにてなん」

 ない眉をひそめてるよ、こいつら。

 私はすっぴんでいいんだよ、高校生なんだから……ってのは、言い訳にはならないか……。

 とにかく女たちはあきらめたみたい。でもそれからというもの、なんとなく雰囲気が悪くなった。女たちは化けものを見るような目で、私のことを見る。自分たちが化けものような顔してるくせに。

 なんだかんだしているうちに、やっと朝ご飯が来た。でも、がっかり。お寺とおんなじお粥。

 なんとか食べて、それから何が始まるのかなって思っていたら、何も始まらない。つまり、何もやることがない。お姫様って、こうして一日じゅうボケーッとしているものなの? 

 庭には明るい日ざしが輝いて、新緑がまぶしい。空もよく晴れてるみたい。

 もう、こうしてはいられない。私は立ち上がって、庭の見える窓の方へ行こうとした。そうしたら女たちは、急に慌てだす。

 「いどぅこふぇ、おふぁさんずる」

 「庭。庭が見たい」

 「あなや、あやしきことのたまふものかな。かやうに、ふぁしちかにおふぁしますべきものかふぁ」

 あやしいって、なんで庭を見るのがあやしいんだよ。もしかして私のこと。警戒してるの? この人たち。

 私はこの家に、娘として迎えられたんだ。監禁されに来たんじゃない! あんたたちって、監視役なの? 

 切実に女たちに、そうぶちまけたかった。でも、この人たちの言葉で言える自信がなかったから、黙った。

 もう、ちょーヤダ! 最悪! これじゃあほとんど犯罪者扱いじゃない。

 貴族のお姫様ってみんなこんな感じで、一日じゅう何もしないまま一生を終わるわけ? 冗談じゃない! もうイヤ、絶対イヤ! 早く現代に帰りたい! 

 ほとんど泣きべそになって、私は座った。ほんとうは、大声で叫びまくりたい気分なのだ。

 「てならふぃなんど、いかが」

 兵衛といっていた女が私の機嫌が悪いのを見て、話しかけてきた。ご機嫌とり、見え見え。

 「まなかきたまふなるに、さやうにざえふぁべるおんみにておふぁしましゃば、てならふなんどもよきことと」

 訳が分からないでいるうちに、紙と硯と筆が来た。

 「こふぁ、かなもんじのふぉんなり」

 ひろげられた巻き物には……え??? ――これ、字? どう見ても、ミミズのはったあとにしか……。

 「読んで!」

 私は叫んだ。兵衛は少し私をバカにしたような笑みを見せてから、読みはじめた。

 「昔、竹取の翁といふもの、ありけり。野山にいりて、竹を取りつつ、よろどぅのことに、つかふぃけり・・・」

 「あ、それ!」

 私は、また叫んだ。

 「竹取り物語」

 「しゃなり、しゃなり」

 兵衛はうなずく。そうか、こんな文字で書くんだ。よし、覚えようと、もう一度ゆっくり読ませて、もらった紙に同じ字を写していった。でも、同じになるわけがない。なかなかナギのようにはいかないよ。

 ふと、しばらくは熱中してしまった。だけどすぐに虚しくなる。毎日こんなことだけして、それで日々を暮らすってわけ? たまんない。ため息出ちゃう。

 「ミッコ、ミッコ!」

 庭の方で声がする。隆浩だ。

 だけど私よりも早く、女たちの方が一斉に縁側へと出ていった。私ははじめ、簾の中からのぞいていた。女たちはものすごい剣幕で、隆浩をとがめている。

 でもそのうち、女たちの声は悲鳴にかわった。私はすぐに飛び出した。

 隆浩の腕の中には、たくさんの虫籠が抱えられていた。

 「隆浩、サンキュー!」

 今度は私が女たちをバカにしたような笑いを見せながら、隆浩から虫籠をひとつひとつ受け取った。

 女たちは怯えきった様子で、遠まきに見ている。いい気味。

 これがあったらもうこっちのもの! 私は勝ち誇った気持ちで鼻で笑ってから、虫籠を部屋の中へと運んだ。

 もう女たちは、一歩も部屋に入れない。

 そのうち、バタバタと廊下を走りだしたりしてる。

 「うるさいなあ、もう! けしからん人たちねえ! 暴走族? あんたたち!」

 思わず現代語で怒鳴りつけて、ついでににらんでやった。

 「くぇしからず、ぼうぞくなりとかや」

 またひそひそと話してる。まったくマナーのなってないやつら。女中として失格よ! 

 でも私は、そんなのにかまってられない。

 長い髪がうるさいから両耳にはさんで、虫籠をひとつずつのぞきこんだ。これこれ、これがなかったら、私はここでは生きていけない。

 現代には帰りたいけど、やっぱりここでしかできない蝶の幼虫の羽化を観察してからじゃないと……。そうしてその日は、あっという間に暮れた。

 都合のいいことに紙と筆を持ってきてくれているから、記録をとることもできた。

 夜になって寝床に入ってから、今日はいったい何月何日なんだろうということが気になってきた。この時代に来てからの日数を思い出して数えて、日付にあてはめてみた時、私はハッと気づいたことがあった。

 隆浩は、困ったことがあったら何でも言ってくれって言った。でもこれだけは、絶対に男である隆浩には言えない。女としての緊急事態が迫っているのだ。

 翌日になってから、思い余って私は大夫おばさん――本当は、大夫の君って呼ばないといけないみたい――を壁に囲まれた部屋へと連れて入った。

 若い女たちが、何か私に敵意の目を向けているような雰囲気の中、この人だけは変わらずに優しく私に接してくれているようだったからだ。

 「あのう、私、生理が近い」

 もちろん、通じるわけがない。そこで一度部屋を出て、きのうお習字に使った筆に墨をつけて持ってきて、お寺で使っていた白い扇に「生理」と書いて見せた。

 それでも分かってもらえないようだった。そこで、保健体育の時間の用語の、「月経」と書いてみた。

 「あな、しゃふぁりものにや」

 やっと分かってくれたみたい。一応、安心。

 でもまさかナプキンやタンポンが出てくるわけないと思っていると、出てきたのは箱に入った綿みたいなもの。

 「これ、ぞ」

 そう聞いてみると、大夫の君はニッコリとうなずく。

 「グァマのフォワタにてこそ」

 グァマって、ガマ? ガマガエル? ガマガエルからこんな綿が? 

 ま、いいや。とにかくこの綿みたいなのが、ナプキンの代わり? でも、どうやって使うの? 私、ぱんつはいてないし、アンネショーツだってあるわけないし……。

 「こを、いかやうに?」

 「しゃれば」

 大夫の君は綿をつかみ、私の袴の脇から入れた。そして短い腰巻きのうしろの部分ではさんで、それを前の帯に下から入れる。

 これじゃあ、ふんどしじゃないさ。

 この時代の女の人って、みんなこうしてるんだ。

 「ありがとう」

 私がそう言うと、大夫の君は首をかしげた。

 「など、ありがたきことぞ」

 そうだ。言葉の意味が違うんだった。せっかくここの言葉をだいぶ覚えた私にとって、このことが大きな壁になっているようにも感じられた。

 

 毎日が髪を耳にはさんでの、虫とのにらめっこの日々だった。

 考えてみればちょうどいい季節。だって、今が羽化の頃だから。

 しっかり観察してからじゃないと、現代に帰れない――と、言っても、本当に帰れるのかなあ。それだけが不安。ここでいくら虫の観察しても、現代に帰れなかったら何の意味もないものね。

 私は観察日記のように、毛筆では書きにくいけれどがんばってどんどん記録をとった。

 新しい虫は、隆浩がどんどんとってきてくれる。

 だ、羽化の観察には、さなぎもいる。急がないと。だって、もうかなりさなぎも減っている頃。ああ、自分で出歩いて探すことができたら、どんなにか――隆浩に頼んでじゃ、いと心もとなきわざなれば――ずいぶん、ここの言葉にも慣れてきたでしょ(笑)。

 それにしても庭はもちろん、部屋のまわりの廊下に出てでさえ、女たちはつべこべ言う。

 同じ敷地内の建物でも、渡り廊下でつながった隣の建物は、私には無縁の世界。こんなところに閉じ込められるんなら、ショーでは下女の役でもやっていた方がよかったかも。

 はじめは隆浩のこと下人、下人って馬鹿にしてたけど、今では隆浩がうらやましい。

 真っ白のメークや歯を黒くすること、これだけは今でも断固拒否している。でも、それが女たちにとってはよっぽどへんなことらしくて、いつも白い目で見られる。それにも、もう、うんざり。

 「隆浩! もう、息が詰まる! これ以上こんなところに閉じ込められてたら、自閉症になっちゃうよ、もう!」

 ある日また、虫を待ってきた隆浩をつかまえて、私は切実に訴えた。

 「お姫様なんかになるじゃなかった。そしたら、自由に歩きまわれたのに!」

 「ばーか、おめえなあ、外なんか出てみろよ。町じゅう、臭い臭い。みんな道端で、ウンコしてやんの。男も女もだぜ。そんでもって、人間の死体もごろごろしてんだからよ。それも一人や二人じゃないぜ。あっちこっちにごろごろだぜ」

 「げ! うそォ!」

 「またそれに、ハエはたかってるし、犬は食ってるし」

 「も、いい! やめて!」

 私は耳をふさぎたい気分だった。

 「このお屋敷の中にいて、正解だよ。それよりおめえ、ちゃんと、メシ食ってんのか」

 「うん。わりとまともなもの食べてるよ。ちょっと粗食かなって気もするけど。お肉はないけど、鶏肉なら出るし」

 「いいよなあ。おめえ、お姫様だからこそ、俺たちの時代の庶民と同じものが食えんだぜ。俺なんかなあ、この時代の庶民のもの食わされてるけど、まずくって食えねえよ」

 「は、かわいそ! それより、虫は?」

 「ちゃんと、とってきたよ」

 私はまた、虫を受け取った。

 虫を部屋の中で飼うようになってから、女たちはめっきり部屋の中に近づかなくなった。それでいて、廊下のあたりでひそひそと、私の陰口たたいてる。私に聞こえてるって分かってるだろうに、自分の主人の耳のあるところでその主人の悪口言うなんて、この人たちどういうシンケーしてんの? 

 「いみじくしゃかしたまふぇど、ここちこそまどふぇ」

 「この、おんあそびものよ」

 「いかなるふぃとてふどぅる姫君ふぃめぎみに、つかうまつらん」

 ま、聞いてもまだ、全部は何言ってるか分からないけどね。でも人のことネタにして笑ってるなんて、まじムカつく! 

 「眉ふぁしも、かふぁ虫だちたんめり」

 「しゃて、ふぁぐきこそ」

 「かふぁの、むけたるやうにやあらん」

 また、笑う。いいかげんムカついて、あいつらに向かって虫の一匹でも投げつけてやろうかと思って立ち上がろうとした瞬間、大夫の君がしずしずと、私の悪口言ってた女たちのところに行った。

 「若人わかうどたちふぁ、何ごと、言ふぃおふぁしゃうずるぞ。てふでたまふなるふぃとも、もふぁらめでたうもおぼいぇず。くぇしからずこそおぼゆれ。しゃてまた、かふぁ虫ならべ、てふと言ふふぃと、ありなむやふぁ。ただ、それが、もぬくるぞかし。そのふぉどをたどぅねて、見たまふぞかし。それこそ、心深けれ。てふふぁとらふれば、手にきりつきて、いと、むつかしきものぞかし。また、てふふぁとらふれば、わらふぁやみしぇしゃしゅなり。あな、ゆゆしともゆゆし」

 こんな長い言葉、まだほとんど分からないけど、なんだか意見してくれてるみたい。だって、言われた若い女たちはふてくされて行ってしまったから。たぶん、私に味方するようなことを言ってくれたんだろう。「虫」とか「てふ」とか言ってたものね。

 このおばさんだけは、私に味方してくれる。

 あと、大納言様も。

 だってここで虫を飼うことは、ちゃんと大納言様のお許しを得てのことなんですからね。でも大納言様だって、陰で何言われているか分からないね。蜂なんか飼ってるんだから。

 

 そんなある日、やっとひとつのさなぎが羽化し始めた。これは見もの。しかもオオムラサキよ。オオムラサキの羽化の実物なんて、日本の高校生で見たことある人、いる? 

 頭が半分出た。今頃羽化するのは、オオムラサキでも遅い部類に属する。アゲハなんかは木の枝にさなぎを作るけど、オオムラサキは葉の裏に作る。今羽化しているさなぎがついているのは、エノキの葉だ。

 「おん北のかた、わたらしぇたまふ!」

 え、やだ。まじ? やめてよ、こんな時に! ちょっと待って、いちばんいい時なんだから! 

 そう思っているうちにもう、廊下の方には衣ずれの音が響いてきた。そして、しずしずと入って来る奥方様――ここでは、私のお母さんだけど――。お願いだからもっと早く歩いて! 羽化が終わっちゃう! 

 そんな私の気も知らないで、ゆっくりと奥方様は畳の上に座る。私はしかたなく、その前に畏まった。

 「虫かふぃたるなりとや」

 「はい」

 私は手で、部屋の中の虫籠を示した。奥方様は、ちょっとだけない眉をしかめた。

 「殿の、おん許しを得てはべりぬれば」

 「シンデンにてふぁふぁち、ニシノタイにてふぁ鳥毛虫カファムシとふぁ、あな、いかなるしゅくしぇの、ゆうぇならん」

 今度は、ため息なんかをついている。

 「殿ふぁしゃもあらばあれ、わかごじぇふぁ若きふぃめならん。いと、おとぎきあやしや。ふぃとふぁ、みめうぉかしきことをこそ好むなれ。むくつけげなるかふぁ虫をきょうずるなると、世のふぃとの聞かんもいとあやし」

 完璧に私に意見してる。誰かチクッたな。

 それにしてもこの人、私が虫を飼うのに意見するってことは、大納言様が蜂を飼っていることもきっとよく思っていないんだろうな。夫婦仲も、うまくいってるのかなあ。年も離れてることだし。

 ま、そんなことは、私の知ったこっちゃない。ああ、羽化が終わっちゃう!

 「苦しからず」

 私は伏せていた顔をあげて、大納言様が言っていたとおりに言ってみた。さらに一所懸命、頭の中で文を組み立てる。

 「何ごとも、もとを知って末を見るが大事と思ふ。恐がるなど、いと幼きことなり。鳥毛虫カファムシの、てふとはなるなり」

 蜂よりかはずっとましじゃないと言おうと思ったけど、それはやめた。そうしているうちにも、オオムラサキの羽化はきっとどんどん進行していってる。

 「しゃふぁあれど……」

 奥方様はまだ何か言いかけたけど、もう、こっちの身にもなってよねって感じ。

 「あ、ちょっと」

 そう言って私は、ふたがあいたままのオオムラサキのさなぎの籠を持ってきた。

 「ごらんぜよ。鳥毛虫カファムシがまさしく、てふになるところなり」

 もう、からだの半分がさなぎから出てしまってる。とんだ邪魔が入らなければ、もっとゆっくり観察できたのに。

 「人の着る絹も、蚕のまだ羽つかぬ時に出して、てふになりたれば糸も出さず……エット……用なきものにこそ」

 ほんとは蚕は蝶じゃなくって蛾なんだけど、ま、いっか。素人にはこっちの方が分かりやすい。

 奥方様はオオムラサキの籠からは目をそらして、そしてまたため息をついている。

 「あなや、あやしのかぐやふぃめなるかな。鬼とうぉんなふぁ、ふぃとに見いぇぬぞよき」

 それだけ言い残すように言って、奥方様は立ち上がって行ってしまった。怒らせちゃったかな……

 でも、大納言様が味方なら大丈夫。

 それに、実は私には、ある計画がある。ひととおり羽化の観察が終わったら、ここを逃げ出すつもり。こんな狭い部屋に閉じ込められて暮らすのは、もう限界! 隆浩には、まだ言っていないけどね。

 それにしても「あやしのかぐや姫」か。たしかにかぐや姫は、こんなふうに虫なんか飼ったりしなかっただろうからね。

 ただ、若い女たちといい、奥方様といい、ずいぶん私の噂があちこちに広がっているような言い方してたね。ま、いいけど。

 かぐや姫の話はたしかこのあと、五人の求婚話になるんだったよね。やだ、冗談じゃないと一瞬思ったけど、ま、そんな物語どおりにいく訳ないし、心配いらないと思った。

 

 うっとうしい雨が続いた。梅雨になったみたい。気候もますます暑くなっていく。

 もう最近では女たちの中でまともに私の話し相手になってくれるのは大夫の君だけで、ほかの若い女中たちは完全に私を変人扱いしてる。

 でも何よりの楽しみは、隆浩が採ってきてくれる虫。

 「え? 何、これ?」

 曇り空の下、その日隆浩が取ってきた虫の中には、カマキリとかカタツムリまでいた。

 「こんなの、頼んでないじゃん。蝶の幼虫だけでいいんだよ」

 「だって、それだけじゃ芸がないだろ」

 隆浩は笑っている。

 それからその日はその後でまた雨が降りだしたので、カタツムリが跳ね上げた窓の下の部分の上のヘリを勝手に歩いているところなんか見てた。

 蝶の幼虫じゃなくたって、こんなカタツムリでも何だかかわいらしくなっちゃう。

 いちばん大事なのは、ただ観察や研究の対象としてだけでなく、虫への愛情よね。一つ一つの生命とかかわりたいっていう精神よ。

 そんなこと思いながら私、カタツムリを見ながら「で~んでんむ~しむし、か~たつむり~。お~まえのあ~たまはど~こにある~」なんて、大声で歌ってた。こんな歌にも、現代への懐かしさを感じてしまう。

 暇つぶしっていえば、最近隆浩は虫を持ってくる時に一人じゃなくって、仲間になったみたいでほかの下人を連れて来るようになった。

 すぐに友だちを作ってしまう隆浩の社交性というかずうずうしさというか、ちょっぴり、本当にちょっぴりだけど尊敬してしまう。

 それにしても、みんな若いんだあ。現代だったら、中学生くらいかなあ。それなのにこの時代では、もう働いてるんだなあ。

 こいつが誰それ、こいつが誰それと隆浩は一人ひとり名前を紹介してくれるけど、いちいち覚えるのもめんどう。

 「その人はカエルみたいな顔してるからケロオ。次がカマキリまる。その次はバッタのすけ」

 なんて私が勝手に名前付けて、自分で受けて笑ってた。言われた本人たちは訳が分からずきょとんとしていたけど、隆浩も大笑いだった。

 そしてこの盆地に激しい雷が鳴ったのをきっかけに、雨も少しずつ少なくなっていった。

 このところ大納言様は、毎日帰りが遅いみたい。隣の建物のことだから、気配でわかる。ただ、今日は珍しく、外出はしていないみたいだった。

 「殿は、忙しくて?」

 私は、大夫の君に聞いてみた。大夫の君、ちょっと首をかしげた。こうじゃないんだ。「忙しい」って、なんて言うんだろう。まだまだ語彙力足りない。

 「いそがふぁしくとや?」

 大夫の君の方から、助け舟。さすがいい勘してる。

 「イチウィンの、なやましぇたまふぃてなん、ウチもウィンのチャウも、ののしりわたれるなり」

 ああ、こんなこみ入った話になると何言ってんだかぜんぜん分からない。誰かが誰かをののしってるの?

 ま、いいかと思っていると、昼下がりに庭の方で隆浩が私を呼んだ。私のかわりに大夫の君が、立って縁側の方まで行った。近頃では私と隆浩の会話には、間に大夫の君が入ることになっている。これも貴族のお姫様の宿命。どうせここを逃げ出すまでの間のことだけど。

 それで、すぐに大夫の君は戻って来た。手には、なんだか袋みたいなものを持っている。

 「たれぞや、かやうなる物を持ち来たれるとぞ」

 そう言ったってことは、隆浩からのものじゃないみたい。全体的に重い。袋には、紙が結びつけられていた。

 「私に? ああ。じゃない……我にか?」

 誰がなぜ、私にこれを? 

 そう思って、紙を開いてみる。何か書いてあるんじゃないかと思ったから。

 やっぱ、書いてある。でもまた、ミミズがはったような字。読めないよ! 

 最初は「波ふ」? 波ふ波ふ、君……その次、分かんない。そんで、あた……だな。次は、里? 

 「読んで」

 私はそれを、大夫の君に渡した。

 「ふぁふふぁふも きみがあたりにしたがふぁん ながきこころのかぎりなきみふぁ」

 何これ? 短歌? どんな意味? ぜんぜん分からない。

 「袋など、開くるだにあやしく、重たきかな」

 大夫の君がそう言って、袋の紐をほどいた。

 「「「「「きゃああああああああ!!!」」」」」

 居あわせた女たちが、一斉に悲鳴をあげたのはほとんど同時だった。袋の口からは、蛇が頭を出していた。

 私もさすがに、それにはゾッとする。でもここで恐がってたら、生物部部長の名がすたる。まわりの女たちと、同じ次元ってことになっちゃう。

 「騒ぐな!」

 そう言ってから私は、蛇の袋をそっと引き寄せた。蛇は頭を出しているだけで、動こうともしない。

 女たちの中には、ドタバタと走って逃げていく者もあった。

 しばらくして、足速の足音が聞こえてきた。

 「いと、あしゃましく、むくつけきことをも、聞くわざかな。しゃる物あるを見るみる、みなたちぬらんことぞあやしきや!」

 姿より先に、声が聞こえてきた。大納言様の声だ。

 部屋に入った大納言様は多くの蜂を侍らせて、手にはなんと刀までを持っていた。誰かが呼びに行ったんだろう。

 「いどぅこぞ、くちなふぁふぁ!」

 大納言様は、私の目の前の蛇を見付けると、刀の鞘の先で蛇の頭をこづいていた。蛇はやっぱぴくりともしない。次に大納言様はゆっくりと手をのばし、ひとさし指で蛇の頭をつついた。

 「こふぁ……!」

 大納言様は、蛇をにぎってつかみ上げた。そして、大声で笑った。

 「いみじう、ものよくしけるかな」

 私の前に、蛇は投げ出された。ニセモノだったんだ。しかも袋をあけたとたんに首を出すなんて、よくできたビックリ箱――じゃ、なくって、ビックリ袋。

 「かしこがり、ふぉめたまふと聞きて、したるなんめり。かふぇりごとをして、ふぁやくやりたまふぃてよ」

 また笑いながら、大納言様は行ってしまった。

 もう、笑いごとじゃないんだから! 一瞬まじで心臓が止まりそうになったんだからね! 

 でも誰が……? いったい何の目的で……? 嫌がらせに決まってるだろうけど……。

 どの時代にもいるんだね、こんな嫌がらせやイタズラする変態男って。

 それにしても、こんなイタズラするやつがいるってことは、よっぽど私の噂は広がってるんだ。どうせ、ここにいる女たちが広めたに決まってるけど。

 「作りたる物や」

 「くぇしからぬわざ、しけるふぃとかな」

 口々に女は言い合っている。ほんとうは犯人とグルじゃないのとも思うけど、そのうち大夫の君が紙を持ってきた。半紙というより画用紙といった感じの紙。

 「かふぇりごとしぇずふぁ、おぼつかなかりなん」

 これに何か書けってか? 苦情でも書こうか。でもこの時代のしきたりでは、どうしたらいいんだろう。そこのところが、まだよく分からない。

 「何を、書けば?」

 「しゃれば、かふぁりてつかうまつらん。いざ」

 ゆっくりと大夫の君は短歌を言うので、私はそれを書きとめた。

 「チギリアラバ ヨキ極楽ニ行キアハン マツハレニクシ虫ノ姿ハ」

 わけの分からないことばを書くには、カタカナにかぎる。でも「極楽」や「行き」「虫」「姿」くらいは、ちゃんと漢字で書いたよ。それにあんなミミズ文字じゃなくって、ちゃんとした字で書いてやった。

 「ふくちのそのに」

 短歌が終わっても大夫の君は、まだ何かを言う。どこに書いたらいいか分からないでいると、私が書いた短歌の左側を、大夫の君は指さした。

 その夜はイライラして、いつまでも寝付けなかった。いったい誰のいたずら? ちょームカつくんですけど! 

 「ネー、ミッツー!」

 庭の方で、拍子木の音とともに声がする。時計がないものだから、夜中でも下人がこうして、時間を知らせてまわるんだ。

 しかも、今日の声は隆浩の声だ。

 隆浩にも、とうとう順番がまわってきたみたい。ちょうどよかったと私は跳ね起きて、手さぐりで部屋の外まで歩いた。

 「ちょっと、隆浩」

 私は格子を押し上げて、声を殺して隆浩を呼んだ。

 「なんだ、ミッコか。びっくりさせんなよ。元気か?」

 「元気かじゃないよ! なに、あの昼間の袋? 誰が持ってきたの? あんなの」

 「ああ、あれか。知んねえよ」

 「知んねえよって、あんたでしょ、取り次いだの」

 隆浩の顔は、その手に持った火のついた棒の明かりでよく見える。たいまつっていうには小さいし、ろうそくよりかは大きい。左手にそれと拍子木の片方を持ってるんだから、たいへんそう。

 「なんか突然若い男が入って来て、若御前わかごぜに渡せって言うんだからしょうがねえだろ」

 「若い男?」

 「ああ、けっこう身分が高そうなやつだったぜ」

 「どこの誰?」

 「あのなあ、俺、ここでは一応下人なんだぜ。んなこと聞けっかよ」

 「突然入ってきたって、どっから入ってきたのよ。門からだったら、門番が止めたでしょ」

 「この屋敷の塀、あっちこっちがいっくらでも壊れてるぜ。門からじゃなくったって、どっからでも出入り自由だよ」

 「え! 信じらんない! そんな、無用心な! この屋敷のセキュリティー、いったいどうなってんの? 下人たちはなんで直さないのさ」

 「そんなこと言ったって、ここの下人たちは命令されなきゃ何にもしないよ。じゃあな」

 愛想笑いだけを残して、隆浩は行ってしまった。

 結局、何の手がかりもつかめなかった。だからイライラはまだ残っていたけど、でもいいことを聞いた。屋敷の塀が壊れてて、出入り自由――私が逃げ出す時、好都合じゃん。そう思ったら急に安心してか、やっと眠たくなってきた。

 

 雨も上がったし、久しぶりのいい天気だから、私は簾をあげて窓から外を見ていた。窓といっても、全部の側の壁の上半分は窓なんだけど。虫を飼いはじめてから、うるさい女たちもあまり私に近づかなくなったし、その分だけ自由になれたといってもいい。

 もうそうとう蒸し暑くなっていて、暑っ苦しい上着なんか着ていられない。

 白い着物の上には、白っぽい黄土地の薄いうちかけだけの姿。袴も長袴じゃなくって、ふつうの短いのを持ってきてもらった。またこれが、真っ白の袴。ほんとうは袴もいらないって感じなんだけど、下がミニスカートくらいの腰巻きだけじゃあ、ねえ……。座るときは胡坐あぐらかくんだし。

 もっとも部屋の奥にいる時なんかは、上のうちかけも脱いじゃってスケスケルックでいたりもするけど。

 今は一応うちかけも着て窓から外を見ると、建物のすぐそばまで木立がせまっていて、そろそろ蝉も鳴きだす頃じゃないかなって気もする。

 季節が変わっていくにつけて、ふと現代のことを思い出してしまう。みんなどうしてるんだろう。私たち二人が行方不明になったこと、新聞にも出たかなあ。

 でも、この時代に来てからもうひと月以上たって、少しは馴染なじんじゃった。隆浩もいっしょだってことが、悔しいけど心強かったし、もし独りだったらって思うとゾッとする。

 その隆浩は、目の前の木立の中をうろうろしていた。そのうち、私の方を見た。

 「おお、ミッコ。あっちこっちの木に、いろんな虫がいるぜ。おめえのせいでよ、俺も虫に興味なんかわいてきちまったぜ。ほら、見てみ」

 最初はあれほどいやがっていた隆浩も、今ではいちばんの協力者。虫のいる小枝を折って、縁側の近くまで持ってくる。

 「変な形だろ。これ、なんていうんだよ」

 小枝にいるのは、頭に角がある虫。

 「それ、スミナガシの幼虫。タテハチョウの一種でね、現代…ていうか未来の令和の日本じゃよっぽど田舎に行かなきゃ見らんないものだよ。ちょっと、もっとこっちに持ってきて」

 「ほい。おめえが、もうちょっと出てこいよ」

 そう言うから私は簾をもっと押し上げて、欄干のついている縁側の方にまで上半身を乗り出させた。隆浩は、虫のいる枝を私の方に突き出す。

 「それ、こっちにちょうだい。スミナガシの幼虫」

 「そんなこと言ったって、とどかねえよ。四、五匹はいるぜ」

 「じゃあ、とにかく縁側に落としてよ」

 言われたとおりに隆浩が枝を振ると、虫はたしかに五匹くらいいて、縁側の板の上に落ちた。

 「直射日光が苦しいんだね。こっちの方にはってくる。ねえ、拾って部屋の中に投げてよ」

 「拾えってか」

 隆浩は、イヤそうな顔をした。まだ素手でつかむには、抵抗があるんだ。そこで私は、いつも使っている扇を出した。いろいろ筆談に使ったり、虫の観察の記録をとったりしてるから、ぎっしりと字が書いてあるけど。

 「これ、使ってよ」

 扇を投げてやると、隆浩はそれに器用に虫をのせて、部屋の中に一匹ずつ放り投げる。キャッチ失敗。一匹は床に落ちた。

 「あれ? どっかいっちゃった」

 明るい外を見ていたものだから、室内の暗さに急には目が慣れてない。

 「あ、いたいた」

 やっと見つけて拾うと、廊下の向こうから大夫の君が歩いてきた。意見されるな、来るなと思ったら、やっぱ来た。

 「いらしぇたまふぇかし。あらふぁなり」

 「恥づかしうはあらず」

 そうよ。人に姿を見られたくらいで、なんで恥ずかしいのさ。まっ裸を見られたわけじゃあるまいし。

 「あな、こころう。そらごとと、おぼしめすか。そのたてじとみのつらに、いと、ふぁどぅかしげなるふぃと、ふぁべるなるを。奥にて御覧じぇよ」

 庭に人がいるって? 私をのぞいてるってこと? 人の家の中に勝手に入って、勝手にのぞくなよな! 

 「ちょっと、隆浩! 見てきてよ」

 隆浩は走っていって、すぐに戻って来た。

 「ほんとうにいるぜ。しかもこのあいだの、あの袋を持って来たやつだよ。今日は女装してる」

 「女装ぉ? まじぃ?」

 私は慌てて簾をおろして、中へと入った。性懲りのないヤツ。しかも女装だって。もう完璧に変態確定じゃん。まじきもいし、まじムカつくし、もうまじまんじ

 「隆浩! どこの誰だか、ちゃんとつきとめてきてよ!」

 簾の中から、私は叫んだ。

 「あいよ」

 気のぬけた返事! それからしばらく奥に入っていると、大夫の君が紙を持ってきた。

 「この、かしこに立ちたまふぇるふぃとの、わかごじぇにたてまつれとて」

 「またあ? 誰がこれを」

 「隆浩たかふぃろまるこそ」

 隆浩ったら、誰がまた手紙をとりついでこいって言ったのよ。どこの誰だかつきとめてこいって言っただけなのに。なにミイラ取りがミイラになってんのよ。

 それにしても、相手もそうとう図々しいヤツだね。ストーカーもいいとこじゃない。

 開いてみると墨ではなくって、草の汁かなんかで書いたような緑色の文字だった。やっぱ読めないから、大夫の君に読んでもらう。

 「かふぁ虫の 毛深きしゃまを見つるより とりもちてのみ守るべきかな」

 なんだか分からない。

 「あな、いみじ。ウマノスケの、しわざにこそあんめれ。こころうげなる虫をしも、きょうじたまふぇるおんかんばしぇを、見たまふぃつらんよ」

 大夫の君は、ひとつため息をついた。「ウマノスケ」――これがこの手紙の主の名前? ――そうなればあの蛇事件の犯人も、こいつってこと? 隆浩に言ってつかまえさせようかとも思ったけど、もうかかわりたくもなかったからやめた。

 「かふぇしふぁいかに」

 と、大夫の君が言う。返したらどうかって? とにかくもう、かかわりあいたくないの!

 「好きにいたせ!」

 私がそう言うと大夫の君は、自分のふところに入れてあった紙にさらさらと何か書いていた。

 「ふぃとににぬ 心のうちはかは虫の 名をとひてこそいはまほしけれ」

 自分が書いたものを朗読してから、

 「これにていかに」

 と、大夫の君は言う。どういうことかよくわからなかったけど、面倒だから、

 「よしなに」

 と、言っておいた。

 大夫の君は縁側の方に出ていき、しばらくしてからまた別の紙を持ってきた。同じように草色の文字。またウマノスケの返事? もう、いいかげんにしてよ、しつこいなあ! 

 「かふあ虫の まぎるるまいのけのすうぇに あたるばかりのふぃとはなきかな」

 分かんないけど、何なんだろう、この手紙。

 からかいの手紙? それともまさかラブレター? どっちにしたってあんないたずらするやつなんて、ロクな男じゃないはず。どんな身分の高い貴公子だとしても、スケベな変態野郎に決まってる。

 「また、かふぇしふぁ?」

 カフェシって、返事のことなんだ。

 「いらぬ! 捨ておけ! それより、ウマノスケとは何者?」

 だいいち、へんな名前。馬みたいな長い顔してんだろうか。

 「あるカンダチメのみこの、うちふぁやりてものおでぃしぇず、あいぎゃうどぅきたるなると、聞こいぇ高きキンダチにて」

 分かんないけど、分かったふりしてうなずいといた。どっちにしたって、もう私には関係のない人。

 「これからは、案内すな」

 大夫の君にはそう言ったけど、そのあとどうなったか――続きは二の巻にあるはず……。

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