第3話 ここ何県的なところですか?
二人が木々を縫って川に出ると、オトハが裸足で水を蹴っていた。
その姿に一人は驚き、一人は見惚れていた。
オトハがその気配に気付くと、恥ずかしそうに舌を出して挨拶をした。
「あの、こんにちは。」
「こんにちは」
と二人は返す。
「おお!日本語通じるんですね!やった!ここ何県的なところですか?ちょっと迷っちゃって……。」
銀髪をきれいに結った14歳くらいの少女が少し困惑した様子で答える。
「いや、県ってのはよくわからねえけど、ここはルスリプ村の近くだぜ。言葉は確かに通じてるみてえだがこれは日本語ってやつじゃねえ。そういうあんたは外人を通り越して如何にも異世界民って格好だな。」
(口の悪い女の子だなぁ)と思いつつ自分の置かれた状況が挨拶が返ってきた瞬間よりも思ったより良くないことが明らかになって少し焦ってきた。
というのもこの女、アルコールも抜けてきたせいで頭が冷えて、ついでに血の気も引いてきたところなのである。
パニック一歩手前のところをギリギリで繋ぎ止めているのはもう一人の少年、銀髪の子よりも少しだけ年下のような彼の容姿がとんでもなく美少年だったからだ。
「はわわ、まるで吉田秋生の描く美少年、幼い頃のエドワード・ファーロングのようなイケショタ……。」
「お姉さん、困ってるの?俺で何か助けになれないか?」
そう言うと少年はオトハの手を取って岸まで案内してくれた。
「ありがとう……。その、私はオトハ、お二人は?」
「俺はタマナ、このガキはジーンだ。おい、こんなところじゃ何だから俺の家に来い。ちっとくらいは助けになれるかもしれねえぞ。」
「タマナはこの世界のことを何でも知っている物知りなんだ。歳も300歳を超えているから経験も豊富で相談に乗ってくれると思う。お姉さんは迷子になって最初に会ったのがタマナでラッキーだったよ。」
「はいちょっと待って、パニック寸前の頭にまたパンクしそうな情報飛び込んできたよ!その女の子、300歳超え!嘘でしょ!?」
「嘘じゃねえよ。ちょっとした美魔女だろ?」
得意げに胸を張る姿はまるで14歳の幼い所作。
これで300歳を超えているなど到底信じられない。
「ええ~!?美魔女どころの話じゃないでしょ!っていうか平気でこっちの世界のスラング使わないでくれる!?」
「そうなのか?こっちでも使うぞ、美魔女って。」
タマナの軽口のおかげでオトハも少し気持ちが落ち着いて来た。
「そう言えばタマナは最初から私を異世界の人間だってわかっていたみたいだけれど、何で?」
冷静になったところで相手が本当に味方かどうか疑いの心が擡げてきた。
もし二人が自分が油断したところを狙って荷物を奪おうとしていたら。
もし二人が快楽殺人者で獲物を求めていたところ、お誂え向きに遭遇してしまったとしたら。
話を適当に合わせてスキを伺っているのかもしれない。
だがタマナはあっけらかんとして答える。
「簡単な推理だ。俺はこの世界のことなら何でも知っているからな。ところがあんたのことはマジで何にもわからなかった、そうなるとこの世界の外の存在以外ありえない。」
「随分物知りの精度が高いのね。」
「タマナは過去から現在までのこの世界のことを把握している。植物の名前とかはもちろん、いつどこで誰が死んだとか、俺の親父の現在のケツ毛の本数までね。そういう"なんでも知っている"なんだ。でもさ、最初タマナに川の方に人の気配がするって言っても信じてもらえなかったんだよ。」
タマナはジーンのその言葉に頷くと続けた。
「ところが誰もいないはずの川にあんたがいた。びっくりしたぜこんなこともあるのかってな。それであんたが異世界人だと思った。」
「なるほど、それで何でも知っているあなたが驚いていたのね、ちょっと何でも知っているの範疇が広すぎてびっくりだけれど、私が異世界の人間だとすばやく判断したことの納得がいったわ。」
(ということはこの世界の人はタマナの前ではプライベートも何もないのかしら。)
彼女の心の声を見抜いたようにジーンが言う。
「タマナに見透かされるのは何かもう慣れちまうんだ。産まれたときからそういうもんだから。それにタマナはそういう人の弱みを言い触らしたり、それで強請るとかもしないしさ。たまに宴の席で冗談交じりにネタにされることはあるけど。まあ、300歳のババアに何知られてても思ったよりも気にならないものさ!」
「ババアってさ~、見た目はピチピチの14歳なんだしよ、もう少し年長者を敬う言い方できねえのかよ。」
オトハは二人のやり取りにクスリと笑うと、二人は悪い人ではないのかもと思うのだった。
* * *
「もう少しで着くぜ。」
とタマナが言う。
川から二人に付いて暫く歩くと遠くの方に村の影が見えてきた。
どうやらあれがルスリプ村らしい。
道中にはポールと紐で線が引かれていて、彼らはその線に近づかないようにして歩いていた。
タマナが言うには、道に引いてある線を超えて歩いてはならないらしい。
この線は街道も無視して引かれており、ジーンとタマナは道よりもその線を優先して歩いていった。
その地域特有のルールだろうか、(呪術的な意味があったりしたら怖いけれどロマンがあるなぁ)などと呑気に思いながら進んでいたが、村に近づくにつれてどうやらその線が狭まっており、今では大人二人がすれ違う程度の幅しかなくなっていた。
ところで残業明け、飲み会明けの上、不眠も重なりオトハの体力は限界に近かった。
足取りが少しフラついている為、ジーンが寄り添うように横を歩いてくれているが、それでも足元が覚束なくなっている。
タマナも心配になり、何度も休憩を促す。
「おい、マジでフラッフラじゃねえか。少し座って休憩したほうがいいんじゃないか?」
そう言われるとオトハはしゃんと背筋を伸ばして返事をした。
「いえ!大丈夫!今座るとね、絶対寝ちゃう気がするからダメ。あと少しなら頑張るから進もう!」
勇ましく踏み出したその瞬間、オトハは体のバランスを大きく崩し、右へとよろめいて、そのまま線を越えてしまった。
それを見たタマナとジーンは大きく目を見開いた。
空気が変わった。
オトハの右隣に人影が見える。
2メートルは超える長身。
黒い影のような曖昧で大きな人影。
オトハは自分の血の気が引いていくのを感じる。
顔には樹洞のように開いた目と口のようなものがあり、それがオトハの顔を覗き込んでいる。
(目が合ったらマズい)、本能的危機感と恐怖に板挟みにされて、指も一つも動かせずにいた。
(いつ現れた?)(いつからいた?)いくつもの疑問が頭に浮かんでは焦りや恐怖、次々を肥大化する感情で泡と塗りつぶされていく。
「オトハ!!!」
そう叫ぶとジーンはオトハを庇うように大人顔負けの力で後ろへ引っ張った。
その反動でオトハは大きく左後ろに飛んで尻もちをつく。
「イテテ……。」
痛みとともに少し冷静さを取り戻したが、そこに見えたのは黒い人影が恐ろしい速さで左手をムチのようにしならせる姿。
「あ、マズい。」オトハがそう思った瞬間、ジーンは腰に隠していた短剣をすばやく引き抜き、黒い人影の攻撃を弾いた。
大きな音とともに左手の軌道は逸れ、少し先の地面を抉った。
まるで地面が豆腐のように吹き飛ばされるさまを目の当たりにして、オトハは自分が立たされた状況、命の危険を改めて認識した。
あんなものに直撃すれば人間の体などひとたまりもない。
「すまねえ!今の一撃で手が痺れて、次は防げそうにない!」
そう言うとジーンは躊躇もせずオトハを庇うように覆いかぶさった。
「馬鹿野郎!ガキが粋がってんじゃねえ!もう少し命を大事にしやがれ!」
しかしそういうタマナも彼らを庇うように手を広げるばかりで黒い影の攻撃を防ぐすべがないように見える。
(これは、私が線を越えてしまったせいで現れたの?)恐らくはそうなのであろう。
人々はあの恐ろしい黒い人影と遭遇しないために線を引き、古くから使われていた街道を明け渡したのだ。
オトハはこの絶望的な状況を作ったのが自分のせいだとわかってくると、自分がなんとかしなくてはならないという脅迫的な感情が湧いてくるのを実感した。
しかし、先程の転倒で腰が抜けてしまって起き上がれそうにもない。
自分の無力を感じる。
いずれ右手の攻撃が飛んできて、オトハたちは薙ぎ払われ、肉も骨も吹き飛んで死んでしまうだろう。
(そんなのは嫌だ。)
そうは思ってもなすすべはない。
周囲に身を隠せそうな場所はなく、盾となるような物も落ちていない。
そもそもちょっとやそっとの岩程度では黒い人影の攻撃は防ぎ切れないだろう。
そう考えるとジーンの短剣は如何に効率良く攻撃を弾いたのかとその技巧に驚かされる。
しかし今はそれどころではない。
(何か、身を隠す手段があれば。相手と自分たちを隔てる強固な壁のようなものさえあれば!)
オトハは強く願った。
三人には黒い人影が右手を振りかぶるのが見えた。
誰もがもうダメだと思った瞬間、巨大な鋼鉄の襖が人影と彼らの間に出現し、勢いよく閉じた。
攻撃で大きな音を立てて襖が揺れる。
だが、一部が凹んだだけで襖はビクともしない。
「な、なんだこりゃ!?」
驚きのあまり口を開けていたタマナだったが、ハッと我に返り叫ぶ。
「ジーン、走れ!」
言うが早いかジーンはものすごい速さで村に向かって走る。
「す、スゴい足の速さ……。」
「よし!これでジーンが人を呼んでくれるはずだ。あとは……!」
タマナは急いで背嚢から草の束を取り出すと、マッチで火を点けた。
黒い人影は襖に対して断続的に強打を繰り返している、そのたびに大きな音を立てて襖が振動し押し込まれている、それがいつ突破されるかという不安を駆り立てる。
それにいずれにせよ、このまま押されると今度は反対側の線を越えることになりそうだ。そうしたらどうなるのだろう、もう一匹こいつが現れるのだろうか。
そうなったら今度こそ絶望だ。
「ちょ、何めちゃくちゃ煙い!前が見えない!」
タマナが火を点けた草の束はまたたく間に強烈な煙を吐き、もうもうと辺りを埋め尽くそうとしていた。
煙はタマナとオトハを包み、やがて襖や人影をも埋め尽くしてしまった。
するとどうだろう、襖を叩く音は止み、辺りはシンとした。
「ねえ、タマナさん、どこ?」
オトハは不安に駆られてタマナに呼びかけると、タマナは優しく答える。
「ここにいるぜ。」
煙の中から手が伸びてきてオトハの手を握った。
温かい人の手だ。
襖の向こうで気配が消えた。
「アイツらは煙とかで視界を塞ぐとどこかに消えていくんだ。もし見つかったときはこうやって逃げるんだが……、ギリギリだったな。今回はマジで死ぬかと思ったぜ……。立てるか?」
「う、うん。」
オトハはタマナの手を借りて立ち上がろうとしたが、そのとき激しい頭痛が襲ってきた。
目玉の裏側とこめかみに鉄の棒でも突っ込まれてかき混ぜられるような耐え難い痛みが走る。
わけもわからず立ち上がれぬまま頭を抱えると、吐き気を抑えきれず嘔吐をする。
そしてそのまま意識を失い倒れた。
「おい!?オトハ?どうしたオトハ!?」
煙の向こう側でタマナが呼びかけるが返事がない。
タマナが狼狽しているとジーンが村の大人を連れて戻ってきた。
煙はだんだんと晴れ、さっきまであった鋼鉄の襖も消え失せていた。
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