あの日、水平線に消えた夏。
割瀬旗惰
あの日、水平線に消えた夏。
一章 海が消えた街
第一話
青く白く、海が光っている。
私は目を庇うように手を掲げた。
隣の席では小さな男の子と母親が海を眺めていた。窓に映る男の子の目が海に負けないくらいに光っている。
私は眩しさに顔を歪めて、九年振りになるこの海から逃げるように、目を閉じた。
車内にはほのかに潮のニオイが漂っている。
東京から電車で三時間ほどかけて、地元で一番大きなターミナル駅に着くと、そこからはローカル線で、一時間と少しかけてようやく最寄り駅にたどり着く。
海が見えるこの街に帰ってきた。
荷物を取って電車を降りると、半袖のワンピースが生暖かい風になびいた。海のニオイが一層強く鼻を突く。
お婆ちゃんの家はここから歩いて二十分。
駅を出て小さな商店街に向かって歩く。商店街の突き当りは丁字路になっていて、左には海に続く道。右には小さな山に向かう道がある。右に曲がって少しすると脇道があり、その道をしばらく歩くと二階建ての古い家が見えてくる。そこがお婆ちゃんの住む家。お母さんの生まれ育った家だ。
玄関を開けて中に入る。
「お婆ちゃん。
返事がない。留守なのだろうか。ちゃんと時間通り着いたのに。
「お婆ちゃん、いないの? 上がるよ?」
声が返ってこないから勝手に上がることにした。
自分の部屋は二階にすると決めておいた。荷物を置くと一階に降りてもう一度、お婆ちゃん。と声を出してみた。やっぱり返事はない。
喉が渇いたので冷蔵庫を開けると、少し変色した半透明な容器にパック麦茶が入っていた。奥の方も探してみたけど、炭酸もジュースもなかった。
はぁ、とため息を吐いてから部屋に戻り、麦わら帽子を被って財布を手に家を出た。
丁字路まで戻ると小さなスーパーがある。スーパーイバタ。私が小さいころからずっとここにあってよく来ていた。
古びた建物に入って、コーラのペットボトルと、ついでに豆乳の紙パックも買う。
会計を終えて店を出ると背後から声がした。
「
声のした方を向くと、スーパーイバタの出入り口横にあるベンチに、一人の男が座っている。紙パックのジュースを飲みながらこっちを見ている目が、驚いたというように見つめてくる。
「やっぱり西堂か。久しぶりだな。十年振りくらいか?」
誰だか思い出せずにいると、フッと笑ってその男が立ち上がった。
「俺だよ俺。空木だよ。
「あ~思い出した。久しぶりだね。空木」
「ほんと久しぶりだな。東京に行ってからなんも連絡くれないし、もう帰ってこないかと思ってた」
「まぁ特に連絡することもなかったから」
「てかなんで急に戻って来たの? まだ夏休みには少し早いけど。もしかしてお父さんと喧嘩でもしたか?」
そう言うと空木は少しにやけながら紙パックをゴミ箱に投げ入れた。
「空木はまだバスケやってるの?」
「もちろん。今の高校でもレギュラーだからな」
「へぇ~、うまいんだね」
「まぁ地区大会で毎年初戦敗退だけどな。それなりに楽しんでやってるよ」
「そっかぁ。高校って、あの駅の向こう側のだよね?」
「そりゃここら辺で高校なんてあそこしかないからな」
「うん、そうだよね」
空木が不思議そうに見てくる。どうせ隠してもばれることだし素直に言ってしまうことにした。
「実はね、私あの高校に転校するの」
「え? 転校ってマジで? こんな時期になんでわざわざ」
「色々あってね」
それしか言えずに少し俯いていると、妙に明るい声で、そっかそっかと空木が言った。
「まぁまた一緒に通えて嬉しいよ。よろしくな西堂」
「うん、よろしくね空木」
そして空木は自転車に乗って海の方に走って行った。
私は汗を拭いながら来た道を戻って家まで帰った。少し日が傾いてきている。
家に着いて居間に入るとお婆ちゃんが帰ってきていた。
「おや、朱百合。もう来てたんか」
「もう、四時前には着くって言っておいたでしょ」
「そうだったそうだった。すっかり忘れてたよ」
「もう、しっかりしてよ。これからここで一緒に暮らすんだからね。わかってるよね?」
「わかってるわかってる。そんじゃちょっと
「お父さんにはもう私からメールしといたからいいよ」
「いーや、こういうのはちゃんと電話で伝えとかんと、一人娘だから心配しとるよきっと」
お婆ちゃんはそう言って階段横にある電話に向かって歩いていく。一応携帯は持っているはずなのにお婆ちゃんは全く使いたがらない。
私は買ってきた飲み物を冷蔵庫に入れると、床の間にあるお母さんの仏壇にお線香をあげた。
東京であったことや、しばらくここに住むことなどを報告してろうそくを消すと、床の間を出る。
二階に行こうとすると、お婆ちゃんがまだ電話していた。楽しそうに話すお婆ちゃんを見ているとここに来て良かったと思えてきた。
二階の部屋に入ると、新しい高校の制服に着替えてみた。東京の時に比べて地味な気がするけど仕方ない。
制服も脱いで部屋着に着替えると両手を広げてベッドに倒れこむ。私は昔からこれをよくやる。倒れていく時の一抹の不安と、布団が受け止めてくれた安心感がすごく好きなのだ。
そのまま横になっていると、いつの間にか眠っていた。
そして夢を見た。お母さんの夢。
お母さんは私が小さいころに死んだ。
理由は分からない。
海にさらわれて死んだらしい。
お父さんは事故だったって言っていた。お婆ちゃんも事故だって言っていた。
だから近所の人がコソコソ話しているのが聞こえた時はびっくりした。
西堂さんのところのお母さん、自殺したらしいわよ。なんでも育児ノイローゼだとか。お父さんが全然育児手伝ってくれないらしいわよ。
そんな話でみんなが盛り上がっていた。
確かにあのころはお父さんが出張で家にいないことが多かった。だけど育児放棄をしていたわけじゃない。
出張から帰るといっつもお土産をいっぱいくれた。家にいる時はいっぱい遊んでくれて、何度も隣町の映画館に連れて行ってくれた。
私はあんな噂話は信じていない。
夢の中のお母さんは笑っていた。私も笑っていて、お父さんも笑っている。
砂浜で遊ぶ私を二人が遠くから見守っている。私は幸せに包まれて夢中で砂遊びをしていた。お父さんが近づいてきて一緒にお城を作ってくれる。作り終えるとお母さんの所まで走っていき自慢した。お母さんは笑顔で迎えてくれる。
とても幸せな夢。
それなのに、お母さんの夢を見た後はいつも不安になる。
お母さんは私を恨んでいたのかな。私のせいだったのかな。
目が覚めると私は泣いていた。
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