AIのままにわがままにボクはキミだけに渡したいものがある

鈴木KAZ

第1話

「給料3カ月分・・・。まさに背水の陣だな」

稲葉ケンジは宝石店でこぶしにアゴをのせた格好で固まっていた。

ロダンの彫刻「考える人」もこんな気持ちだったのだろうか。


婚約指輪の値段は給料の3カ月分。いつからこんな決まりがあるのか知らないが、背水の陣の方はだいぶ昔の話だ。

男と言うのはいつの時代も追いつめられる生き物なのである。


ケンジは覚悟を決めて居並ぶ3カ月たちから運命を託すひとつを選んだ。


「では、こちらの指輪でお間違えないですね?

 メッセージカードはおつけしますか? 」

「あ、はい」

手渡された用紙を見つめたまま途方に暮れる。

持ち帰って検討します・・・というわけにはいかないか。


眉間にシワをよせてひねり出したメッセージを用紙に書き込む。

「じゃ、これでお願いします」


店員がケンジのメッセージを足元の機械に入れると、 銀色の美しい板がゆっくりと吐き出された。

端をつまんでそっとテーブルに置いた店員がニコリとほほ笑む。

銀色の上空にきらきらと浮かび上がっているのは、ホログラムに生まれ変わった見るに堪えない文章であった。


『よろしくお願いします。

          ミキへ』





--------




ケンジは宝石店を出ると右手に下げた紙袋を気恥ずかしそうにのぞきこんだ。

かわいいリボンがあしらわれた小箱とホログラムカード。

覚悟完了である。


左腕を持ち上げて腕時計を見つめると、スマホのような画面が空中に現れた。


「17時か・・思ったより時間かかっちまったな。

 コマチ、買い物終わった。入口までたのむ」

<<了解しました>>


「コマチ」はケンジのパーソナルアシスタント(=世話役のAI)につけられた名前だ。

コマチが自動運転のクルマ(スマートモビリティ)を駐車場からデパートの玄関に移動させておいてくれる間にケンジはエレベーターで1Fに移動する。


<<ステキな指輪が買えましたね>>

コマチがしゃべった言葉は左腕に浮かぶスマホの画面にふきだしのように表示されている。

いわゆる SNSと同じだ。人間との会話も AIとの会話も見た目上の区別はない。




デパートを出たケンジが待機していたクルマに近づくと自動的にドアが開いた。

<<おつかれさまでした>>

スマホ(腕時計)を操作しながらイスに座ると、コマチはドアを閉じながらすぐにクルマを発車させた。ケンジはハンドルを握ることもなくスマホをいじっている。


<<職場に戻りますか?>>

「ああ、そうしてくれ」


[[職場に行くんだな、じゃあ最短ルートをブッ飛ばしていくぞ!!]]

今度はクルマに搭載されたAIがしゃべり出した。


<<ファントム、ルートはこちらで指示する。それから法定速度は遵守するように>>

[[はいはい、わかりましたよ]]


「ファントム」とは車載AIのコードネームである。

通常はこのような人工知能同士の会話は表に出てくることはない。スマートモビリティの人工知能開発に携わるケンジのクルマは内部の動作をチェックできるように特別な仕様になっているのだ。


<<直接職場に向かいますか? それとも残業に備えて晩ごはんを買っていきますか?>>

「あ、そうだな。弁当屋に寄ってくれ」

コマチはケンジの行動を熟知しているので非常に気が利く。最短ルート以外のおすすめコースを提案するなどお手のものだ。

<<了解しました。

 ファントム、「バクダン弁当 日本橋店」にルート変更だ。法定速度は〜>>

[[わーーったよ!]]


車載AIであるファントムはクルマのポテンシャルを最大限に引き出すように学習が行われている。要はスピードを出したくてしょうがないのだ。

しかしコマチはケンジのサポートが仕事なので、より人間に近いAIの指示が優先される。簡単に言えばコマチの方がエライということだ。




--------




職場へ向かう車中、ケンジの腕時計に電話の着信があった。

相手はミキである。


「こんちわー、今仕事中?」

「いや、ちょうど今 移動中。弁当買ってきた」

デパートの件はミキには秘密だ。


「相変わらず忙しそうね、ずーとそんな感じなの?」

「半年ぐらいかな、そっちはどうだい?」

「こっちは徹夜で荷造り中よ」

「ははは、どんだけ荷物持って行くんだよ」

ミキが海外に行く予定であることは既に知っていた。

スーツケースにぎゅうぎゅうに衣類を押しこめている姿を想像してケンジは笑いをこらえきれなかった。


「どんだけって、段ボール10箱以上よ!!」

「だだ、段ボール?? 10箱?」

いくらなんでも旅行に持って行く荷物の量ではない。


「3年間ほぼ海の上だからねー。研究の道具もたくさんあるし」

「あ!?

 ああ・・・そうだったな。そうだそうだ。

 え、えーーーーと、いつだったっけ出発は?」

「明日の午後3時のフライトよ。

 ほんとはケンジにも挨拶に行こうと思ってたんだけどね。

 お世話になってる教授とか上から順番に回ってたら時間なくなっちゃって。

 ごめんねー!」

「あ、うん・・ ぜんぜんOK。

 見送り、行けたらいくよ」

「あはは、

 仕事忙しいんでしょ。来れたらでいいからね」


ミキは海洋生物の研究者だ。船で海に出ることも多かったが、せいぜい日本近海で1週間がいいところであった。

前にいっしょに飲んだときに海外に行く話を聞かされていたが、てっきり旅行に行くのだと思っていた。

まさか3年間合えなくなるとは!

しかも出発は明日だ。


電話を切った後は、さっそくコマチの出番である。

<<ミキさんとしばらく会えなくなりますね。

 明日空港に見送りに行く予定をセットします>>

[[よっしゃ! 130km/hで飛ばしてくぞ!]]

<<ファントム、一般道でそんな速度を出せる道はない。緊急車両でも80km/hが上限だ。

 速度指定のない高速道路でも100km/hまで・・・>>

[[わーってるよそんなの! コーナーを制限速度いっぱいで攻めてやる!]]

<<危険運転は避けなければならない。ちゃんと間に合うような時間に出発すればいい。

 職場を13時に出発すれば14時に空港に着く>>

[[つまんねーな]]


ケンジはAI同士の掛け合いを聞きながら、買ったばかりの小さい紙袋を見つめていた。


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