6-3 燃える森と風の大精霊
本来ならば、わざわざ敵に体勢を立て直させる必要は無い。
少しでも多くの恐怖を与えるため、追撃をするべきだ。
しかし、俺は逡巡していた。
すでにそれなりの被害は与えた、もしかしたら撤退してくれるかもしれない、と考えていたためだ。
その考えが甘すぎることは分かっている。だが、無闇に犠牲を増やしたいとも思えず、その命令を出せなかった。
「セス司令。エルフたちが独自の判断で、敵への追撃を始めました。深追いしないように伝えてあります」
「……そんな命令は」
シヤに返答をしようとしたがピタリと止まる。
自分でも、追撃をするべきだと分かっていた。こちらの数は圧倒的に相手より少なく、優勢な状況で下がってはならない。
戦争だ。犠牲は出る。今、躊躇うことで、自陣により多い犠牲が出る可能性だってある。
一度深呼吸をし、頷いた。
「こちらへの犠牲を最小限にできるのであれば、追撃について許可は必要無い。現場にいるやつらのほうが、状況を理解しているはずだからな」
「了解しました」
殺人の許可を出すというのは、腹部に重いものを感じる。
落ち着かない気持ちでいると、良い香りのする紅茶が差し出された。
「少しは気が安らぐかと思われます」
「あぁ、ありがとう。……エルペルトくらい場数を熟していれば、こういうことにも慣れるのかな?」
「そうですね。人が死ぬという事実を当たり前として受け止められるようになれば、心の揺らぎは減っていきます。しかしそれは、人が死ぬような環境で生きているということになります。セス殿下は、そういった生き方をお望みですか?」
少し想像してみたが、体調不良を起こす未来しか見えず、首を横に振った。
「いやぁ、慣れる前に倒れそうだ。なので、戦わない生き方を目指したいね」
「戦わずして勝利する。セス殿下のお考えは、達人の領域に入っておりますな」
「都合よく解釈を変えないでくれるかな!?」
困ったものだと、少し笑う。だが先ほどよりも体から力が抜けているように思えた。
今は、ジェイが戦線を見てくれている。相手に大きな動きが無い限りは休憩時間だ。
椅子に背を預け、目を閉じる。寝るつもりはないが、体だけでなく心も休ませたいと思っていた。
「司令! 伝令です!」
「……一時間くらいは休めたのかな?」
「現実を見なさいよ。まだ五分も経ってないわ」
「はい」
スカーレットに現実を突きつけられ、肩を回しながら兵からの伝令を聞く。
「ホライアス王国の兵たちが森に火を点けました! エルフの部隊は安全な場所まで撤退! 想定外な事であるため、急ぎお越しいただきたいと――」
「はあああああああああああああああ!? ……こほん。了解した、すぐにジェイ副司令の元へ向かう」
「し、失礼します!」
一瞬取り乱したが、すぐに平静さを取り戻している。伊達に修羅場を潜ってはいないのだよ。
立ち上がり、急ぎ向かおうとする。だが机の角に足が引っかかり、前に倒れかけたところを、アルマーニ親子に支えられた。
「あ、ありがとう」
「動揺を隠そうとしているみたいだけど、普通に驚くと思うわよ。あたしも驚いたし。ねぇ、父上?」
「スカーレットの申す通りです。いやぁ、戦場ではなにがあるか分かりませんな」
どうやら父上は驚いていないようですよ? むしろ楽しそうです、とスカーレットへ目で訴えかける。
彼女は、さすがは父上ね! と自慢げな顔をしていた。
城壁へ辿り着くと、先には炎と白煙が広がっていた。
「本当に火を点けてやがる……」
あまりにも考えなしな行動に思えるが、それだけ森が邪魔だと判断したのかもしれない。土の魔法などで地ならしをするのには限界があるので、火を点けるほうが楽だと命令を下したのだろう。
風はこちらに流れており、このままではおリアス砦が煙に包まれることになる。全て計算通りということか。
普段は飄々としているジェイも、かなりマズい状況だと思っているのだろう。渋い顔で近づいて来た。
「セス司令、どうしますか」
「……水の魔法で消せないか?」
「範囲が広すぎます。対処しきれませんよ」
「……雨を降らせる、とか」
「一応探しますが、それほどの水魔法を扱える者がいるかは分かりませんね」
「……なにか案はある?」
「正直、オレにはなにも思いつきません。……なので、あいつを呼んでおきました」
あぁ、あいつね、と頷く。
森のことに詳しいだろうあいつなら、山火事の対処もお手の物だろう。
テクテクと、こちらへ近づいて来る二人のエルフ。リックとミスティは……すげぇ困った顔をしていた。
「あんなんどないするんや? わしら、森の民やで? 戦いやめて、火を消したいわ」
「消すことはできるのか?」
「戦わずに消火だけなら、まぁ可能やな。というか、このままじゃこの辺り一帯が焼け野原や。頭悪すぎちゃうか?」
全く持って同意だ。このままでは撤退するか、降伏して消火活動に専念するしかない。
一瞬、相手もやりすぎたことを悔いているかもしれないので、一時休戦を申し込もうかと思ったが、ファンダルの笑う顔が浮かぶのでやめた。
まだ少しだけだが時間はある。なにか良い手は無いかと頭を悩ませていたら、一陣の風が流れた。
「ちょっとちょっと! どうして森が燃えてるのさ! 早く消し止めてくれよ!」
「やぁ、
「そんなのは君たちの都合だろ!? 森に棲む多くの動物や植物、精霊を犠牲にするのはやめてくれ! これは、精霊長としての訴えだ!」
「うぅむ……」
アネモスの言うことは間違っていない。より多くを救うことを考えれば、戦なんて二の次だ。
しかし、俺も命がかかっている。どうぞ首を持って行ってください、消火しましょう、とは言えない。
顔を歪めながら、アネモスに聞いた。
「その、良い手とか無いかな?」
「あるよ! 火を消すことはできないけれど、範囲を広げないことならできる! ミスティとボクの力を合わせて、山火事を制御すればいいのさ!」
なるほど、とアネモスの言葉に皆が同意していく。ミスティ本人ですら、うちらならやれるで! と乗り気だった。
しかし、俺はその案を却下した。
「ダメだ。それはできない」
「どうしてだよ!? セスの命も助かるし、森の生物も助かる! お互い良いことづくしじゃないか!」
「子供に、虐殺を行わせるわけにはいかない」
「……あっ」
混乱していたアネモスも理解したらしく、小さく声を上げた。
他の者たちも分かっていたが、ただ一人、ミスティだけが首を傾げる。
「セスはん、どういうことなん?」
「簡単な話だよ。山火事を止めるために風で堰き止めるのであれば、火や煙を流す方向は木々の無い開けた場所。つまり、敵の集まっているところだ」
火が届くかは分からないが、煙は確実に届く。息もできなくなり、多くの人が死ぬだろう。……ミスティの魔法で、だ。
もちろん、そんなことをさせるつもりは無い。他の案を皆で話し合っていたのだが、ミスティはキュッと胸元を握りながら言った。
「……山火事も消せて、敵も倒せる! なら、うちがやるよ!」
「やらんやらん。いいから大人しくしてなさい」
ポンッと頭に手を乗せると、ミスティに強く払われた。
「うちだって、みんなを守りたいんや! 子供扱いせんで! 人を殺すくらい――」
「なら先に俺を殺しなよ、ミスティ」
「……え?」
「俺を殺すだけなら犠牲は一人だ。違うかい?」
「……それ、は」
ミスティは俯いて黙ってしまう。優しい子だ、そんなことをできるはずがないと分かっていた。
自分のことを、悪い大人になったなぁ、と苦笑いを浮かべる。だがそれでも、子供に責任を負わせるよりはマシだろう。
「やらないよりはやったほうがいい。とりあえず一時休戦の使者を送ってみよう」
「了解しました。すぐに人を送ります」
「リックは魔法を使える者を集めてくれ。なにか良い案が出るかもしれない」
「分かった。長と一緒におるはずやから、すぐに呼ぶで」
いざというときに避難することも念頭に置いていると、アネモスが大きく溜息を吐いた。
「はああああああああああああ。分かった、分かったよ。考え無しな相手が全て悪いし、今回はボクがどうにかするよ」
「いや、悪いのは戦っている俺たちだから、アネモスが責任をとる必要は……」
「やめてくれ。ボクの契約者の手を汚さぬために、君たちは窮地に立ってくれているんだ。この土地を守る精霊長としても、感謝以外なにも無い。……あぁ、もう一つ付け加えるとするなら――」
アネモスは言葉を止め、真っ直ぐに手を伸ばす。それに合わせ、徐々に風が強くなり……気付けば、山火事が起きている地帯は、竜巻に覆われていた。
一度、アネモスが手を大きく振り払う。すると竜巻は消え、同じく山火事も消え失せていた。
こちらへ顔を戻したアネモスは、肩を竦めながら言った。
「森を燃やしたやつより、君たちのほうが好きなんだよね」
圧倒的な力を見せつけた大精霊アネモスの笑みに、体がブルリと震える。オリーブが小さな声で、「アネモスハ等級詐欺シテルカラネ」と言っていたことを知ったのは、遥か先のことだった。
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