3-1 視察前日

「ひぎゃああああああああああああああ!?」


 右頬の切り傷が深かったらしく、縫われているのだが……これがもうとても痛い。怪我をしていない部分に針をぶっ刺して穴をあけ、糸を通すって正気の沙汰じゃない。

 ハッキリ言おう。俺は泣きそうだ。ギリギリ泣いていないのは、セス殿下泣いてたらしいよ~、あのセス司令が~、みたいな噂を立てられたくないという意地だった。


 全ての処置が終わり、痛みより解放感を持ちながら部屋を出る。

 司令室へ向かう中、エルペルトが嬉しそうに言った。


「傷は男の勲章です。磨きがかかるというものですよ」

「……俺は痛いの嫌なんだけど」

「えぇ、もちろんです。次は必ず守ってみせます」


 俺は気にしていないのだが、当然というかエルペルトは守れなかったことを気にしている。顔こそ笑顔だが、手を強く握っているところを何度も見かけた。

 こんなに助けてもらっているのに、傷一つでなにを責められるというのか。

 気持ちを楽にしてやりたいと思い、ポンッと彼の背中を叩いた。


「ちゃんと守ってくれたよ。……これからも頼むな」


 驚いた顔、悔しそうな顔、嬉しそうな顔。いくつもの表情を経由した後、エルペルトは勢いよく片膝を着いた。


「ご期待に応えてみせます!」

「いや、だから応えてくれているよ? 期待の百倍応えてくれているからね?」

「では、千倍応えてみせます!」

「……うん」


 真面目なやつだなぁと右頬を掻き、ひぎゃっと悲鳴を上げた。



 司令室へ戻ると、室内の空気が重かった。

 ソッと扉を閉じる。そして何事も無かったようにエルペルトへ話しかけた。


「修繕については進んでいるのか? 少し現場を見に行くとしよう」

「セス殿下。皆さまがお待ちです」

「……はい」


 諦めてもう一度扉を開き、全員に見られながら足を進ませ、自分の椅子に腰かけた。

 ソファにはジェイとシヤ。扉の横には長代理のリックと……あれ?


「確か、ミスティだっけ?」

「せやで!」


 エルフの少女、ミスティ。髪はエルフらしい金色なのだが、薄緑が混ざっており、どこか自然を思い出させる少女だ。

 ミスティは笑顔のまま近づき、俺の隣で止まる。よく分からないが、頭をポンポンとしておく。笑顔がさらに深まった。


「うわっ、もしかしてロリコン?」

「違うからね!?」


 机に腰かけながら、俺にロリコンの疑惑を植え付けたのは、先ほど助けてくれた少女、スカーレット=アルマーニ。先代剣聖、エルペルト=アルマーニの娘だ。

 所々に黄色の混ざっている燃えるような赤い髪。猛禽類のような鋭い眼。服の上からも見て取れる引き締まった体。腰に掃いたシンプルな装飾が施された剣すら、彼女を引き立てるために存在しているように思えた。……個人的には、太陽のような笑顔を一番推したい。


 ロリコンでは無いことを説明する俺と、しがみつくミスティ、顔を顰めるスカーレット。状況は一向に改善しなかった。

 コホンと、エルペルトが咳払いをする。


「スカーレット、机から降りなさい。話し合いが始められません」

「はーい」


 彼女は素直に従い、壁の近くへ移動する。話し合いには参加するが、話し合いには興味が無い、といった様子に見えた。

 俺も切り替えねばと、一度深呼吸をする。服を掴まれ、そういえばと思い出した。


「リック。どうしてこの子がここに?」

「今後のことを考えれば、連絡役が必要だろうってことになってん。立候補者は多かったんやけど、ミスティがどうしてもって譲らんから、とりあえずミスティでええかって話になったんや」

「ふぅん? まぁ分かった。その辺のことは後で話し合おう」

「あいよ」


 エルフたちは基本、砦の中へ入ろうとしない。連絡役が必要なのは分かるが、どうして十歳そこそこの少女にしたのだろう?

 不思議には思ったが、後で聞くことにしたのだから忘れることにし、他の問題について話し合うことにした。


「まず最初に話し合うべきことは、言うまでもなく分かっているだろう」


 室内に緊張が走る。

 俺は静かに頷き、口を開いた。


「――明日の視察についてだ」

「ちっがうでしょうがああああああああああ!」


 バシーンッと、スカーレットが壁を強く叩く。

 それが怖かったのか、ミスティが抱き着いて来た。大丈夫だよと、背中を優しく叩いておく。


「落ち着いてくれ、スカーレット。子供が怖がってる」

「おかしいのは落ち着いていないあたしじゃなくて、落ち着き過ぎてるあんたでしょ!?」

「……なんで?」

「なんで? じゃないわよ! さっき殺されかけたのよ!? そっちの話し合いをしなければならないのに、どうして視察が先なのよ!」


 先ほどのことを思い出し、ズキリと痛む右頬に手を当てる。

 心臓は早鐘を打っていたが、顔だけでも平静を保とうと努力し、笑顔で言った。


「うん、まぁ刺客は逃げたからね。短期間に何度も襲って来ないと思うし、いざ襲って来たとしても、エルペルトとスカーレットが近くにいれば、心配することは無いよ」

「……まぁ、そうかもしれないけど」


 スカーレットは口をへの字に曲げていたが、納得はできたのだろう。渋々といった様子で引き下がってくれた。

 では、と改めて視察についての話し合いを再開した。


「明日、第三王子ティグリス=カルトフェルン殿下が視察に訪れる。滞在期間は恐らく一日か二日。長くても三日といったところだろう」

「随分と曖昧じゃないですか」

「大体の日程は送られてきているんだけど、ティグリス殿下は気分屋でね。なんとなくもう少しいよう、なんてこともあり得る」


 うげぇ、とジェイが舌を出す。同意するように苦笑いを返しておいた。

 しかし、長くは滞在しないだろうと読んでいる。ティグリス殿下は非常に気分屋で、なによりも退屈を嫌う・・・・・。特に問題の起きない砦など、苛立ちしか覚えないはずだ。


「仕事さえ終わればさっさと帰るさ。砦が正常に機能しているかと、後は、まぁ……金の動き、とか?」

「そちらについては、ファンダルの作った改竄資料を提出する予定です。次に視察があるのは、恐らく数年後。それまでに正しい運用ができていれば、どうにかなるかと」

「ありがとう、シヤ」

「いえ。正直、こんな物使いたくはありませんが、他に方法がありませんからね……」


 ファンダルの作った嘘に嘘を重ねた資料で誤魔化すなど、それだけで気分が悪いのだろう。気持ちは分かるが、時間が足りない。まずは乗り切る必要があることは、シヤも承知してくれていた。


「エルフたちについては、鎧をつけての巡回を頼んであるが……」

「それなんやけど、人数分の防具が足りんくてな。ある分だけで使いまわして、なんとかする予定や」

「最悪、兜無しでも構わない。耳だけ見えないよう布を巻いてくれ」

「ええんか?」

「あぁ、問題無い。能無しの第六王子が砦の司令になったんだ。統率のとれていない不良兵がいたとしてもおかしくないだろ?」


 そういうことかと、リックが笑い出す。もちろん、俺も笑っておいた。能無し設定は最大限に活かし、今後改善致します、と汗でも流しながら言っておくことにしよう。

 残る問題は一つ。


「金だ。書面上は誤魔化せるが、実際に見せろと言われれば……」

「ファンダルはいまだに吐きません。申し訳ありません、セス司令」

「困ったなぁ。どうにか、宝物庫に入られない理由を考えないといけない」


 みんなで呻いていると、クイックイッと服が引っ張られる。


「ミスティ?」

「中に物がいっぱいで入れなくなってればええんやない?」

「そりゃそうだが、都合の良い金目の物がなぁ」

「うち、ええもん知ってるで!」


 目をキラキラとさせるミスティに、全員が目を瞬かせる。

 そしてミスティへ連れて来られた先にあったのは――。


「水蛇の遺体? ……なるほど、そういうことか。確かに、眼や牙に舌を入口近くに置き、奥には鱗や骨を詰めれば、一時的にだが誤魔化せるかもしれない」

「せやせや!」

「よくやった、ミスティ! リックはエルフたちに話を通し、一時的にでいいから素材を砦に運んでくれ。もちろん返すことは約束する」

「別に疑ってへんから安心せぇや。すぐ行ってくるわ!」

「ジェイは、兵たちに水蛇の素材を宝物庫へ運ばせてくれるか?」

「了解だ、セス司令」


 宝物庫の奥に金はあるが入れないので確認できない。素材は近々行商が確認しに来る予定となっているが、水蛇が突然現れたため、他に良い置き場を用意できなかった。


「……よし、いけるな。長く保存できる魔物の素材は、宝石に等しい。疑われることもないだろう」


 宝物庫へ向かい、どういう風に詰めていくかを話し合っていると、お尻をバンッと叩かれて飛び上がる。


「なになになに!?」

「もっと情けないやつかと思っていたけど、結構やるじゃん王子様!」

「……いや、うん。ありがとう」


 スカーレットに情けないやつだと思われていたことにショックを受けたが、よく考えれば情けないやつだという自覚はある。今さら気にすることでも無い。

 少し評価が上がったならいいかな? と前向きに捉えていたのだが、なぜかエルペルトが深く頭を下げた。


「ん? どうした?」

「娘がご迷惑をおかけします。セス殿下が見ていないところで、態度を改めるようには言っているのですが……」

「あぁ、そんなことか。別に気にしないでいいさ。視察のときだけね、気を付けるように言っておいてくれよ」

「さすがセス殿下、器の広さに感服いたします」


 他の王族ならば首を斬っているかもしれない態度だが、俺は特殊だからね。

 いいよいいよ、と手を振っておくと、エルペルトは深く溜息を吐き、独白を始めた。


「年老いてからの子なせいか、病弱だからか……。可愛くて仕方なく、どうしても甘やかしてしまいます。いえ、それだけではありませんな。若いころの自分を思い出すと、まだマシかと考えてしまうもので……」

「えっ!? ちょ、ちょっと若いころについて詳しく」

「面白い話ではないのですが、一言で言えば傍若無人で、蛮族のような生き方をしておりました。反省すべきことばかりです」

「うっそだろ」


 この、そんなところは欠片も感じさせない老紳士が、若いころは蛮族だった? ……まるで想像がつかない。

 口を大きく開いて固まっていると、ジェイに呼ばれる。


「今度、また今度な! 若いころの話と、どうして変わったのかを教えてくれよ!」

「はい、必ず」


 エルペルトはほんの少しだけ言いたく無さそうに、だがどこか懐かしむように、静かに微笑んでいた。

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