1-3 ただ静かに暮らしたい

 数日前に渡された女性兵からの嘆願は、こちらも納得できる内容だったが、だからといってホイホイ通してしまえばファンダルに睨まれてしまう。

 よって、俺は今日も現実から逃避しようと裏庭へ来ていた。


「よう、ジェイ」

「これはセス殿下。ご機嫌麗しゅう」

「ハッハッハッ、くるしゅうない」


 ふざけて、これくらいのことは言えるようになっていた。

 何度か会って分かったが、このジェイという男は非常に人付き合いがうまい。線引きができているというか、入ってほしくないところまでは踏み込まないでくれるのだ。

 お陰で今は茶飲み友達というか、話し相手に最適だった。


「それで、相も変わらず両方とうまくやろうとしているんですか?」

「まぁな。色々問題もあるが、ファンダルはオリアス砦をしっかり機能させてくれている。娼婦を連れ込むのを大目に見るから、女性兵とは仲良くしてくれないかな、ってのが本音だ」

「実績だけは認める、ってやつですか。両方を立てるのは難しいですね」


 苦笑いをしているところから、現実的ではないと思っているのだろう。王族の戯言だと、彼の顔には浮かんでいた。

 気ままに話していたのだが、そろそろ時間なのか。ジェイは立ち上がり……少し悩んだ後、一枚の紙片を渡した。


「これは?」

「お守りです。困ったことがあったら、それを見せてください。こう見えても、実は顔が広いんですよ」


 “J”と書かれた紙片にどんな意味があるのかは分からないが、お守りと言われたので懐中時計の中に入れておく。

 そして、なにか貰って返さないのは気分が悪いため、腰の革袋を外した。


「じゃあ、礼にこれをやるよ」

「ハハッ、別に礼なんて――はい?」

「そこそこ入ってるだろ? ファンダルに渡されたんだが、金は持たない主義でな。好きに使ってくれ。……さて、俺も戻るとするか、またなー」


 後ろでジェイがなにかを言っていたが、無視して足を進ませる。

 チラリと見れば、爺さんはなぜか嬉しそうに笑っていた。



 部屋へと戻り、ファンダルの下らない話を聞き、シヤの相談へ相槌を打つ。

 すぐに夜が訪れ、もう嫌だとクッションへ顔を埋めた。


「毎日人の話を聞いている……。辛い……。一人にしてくれ……」

「お疲れ様です、セス殿下」


 爺さんは、良い香りのする紅茶をカップに注ぎ、俺の前へ静かに置いた。

 起き上がり、紅茶の匂いを堪能してから一口含む。……うまい。疲れが少しだけ抜けていく気がした。

 あいつら勝手に仲良くならないかなぁ。起きたら問題が全部解決してたりしないかなぁ。と、あり得ない妄想をしていると、珍しいことに爺さんが話しかけて来た。


「もしご許可をいただけるのでしたら、セス殿下にご質問をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「んー? なんでも聞いていいぞー」


 想像の千倍くらい良くやってくれている爺さんへの褒美だ、とニッカリ笑って見せたのだが、その顔は僅かに重い。

 嫌なことを聞かれそうだなぁと、背筋を正した。


「セス殿下は、なぜ――」


 廊下から大きな音が聞こえ、話が中断される。小説とかによくある展開だが、現実は違う。誰かが転びでもしたのだろうと、肩を竦めた。

 一礼した爺さんが、扉へ向かう。何が起きたのか調べに行ったようだ。

 しかし、扉へ触れる直前で、爺さんは後ろへ下がった。


「――殺気です」


 爺さんにいつもの笑みはなく、俺を立ち上がらせ、守るように前へ立つ。

 片手は剣にかけられており、俺は緊張しながら紅茶をもう一口飲んだ。

 ガチャガチャとドアノブが音を立て、扉に斧が振り下ろされる。何度か斧が振り下ろされた後、板が引き剥がされ、伸びた手が鍵を解除した。


 部屋に入って来たやつの数は5。全員がフードを深く被り、口元を隠していた。

 男の一人がくぐもった声で言う。


「お前がセス王子か」


 この物騒な輩は、俺が王子だと知っていた。それはつまり、最初から俺を狙っていたということだ。

 情報をリークしたのは誰か。俺を害して得をするのは? ……単純に考えれば、俺が手柄を立てるかもしれないと勘違いをした、兄弟姉妹の派閥に属する誰か。


 しかし、俺は能無しで評判だ。様子見もせず、このような行動へ移るのには早すぎる。

 なら答えは出たなと、一つ頷いた。


「糸を引いているのはファンダルだな。俺が送り込まれたことでマズいと判断し、隣国と手でも結んだのだろう」


 事実、その推測も含んだ答えは正解だったのだろう。

 特に申し訳なさそうな顔もせず、あっさりとファンダルは扉の影から姿を見せた。


「良くお気づきになられましたね」

「他に選択肢が無かっただけだ。しかし、尚早だったとしか言えないな。今すぐ無かったことにするなら忘れてやってもいいぞ?」

「ホッホッホッ。確かに尚早だったことは認めますが、すでに話はついてしまいました。セス殿下の身柄を条件に、ホライアス王国で重用していただきます」


 隣国、ホライアス王国の名を出したことから、話の信憑性は高い。

 そして、この砦にいる戦力のほとんどはファンダルの手の内にある。

 他の者を始末してしまえば、今後ホライアス王国の兵は、砦を素通りできるというわけだ。

 ファンダルはニタリと笑いながら言う。


「悪いようにはしません。大人しく捕虜になっていただけませんか?」

「そうだなぁ、そうするしかないかなぁ」


 俺たち二人で最高80人を相手取るのは無理がある。

 良くしてくれた爺さんを死なすのも気分が悪いため、素直に降伏するしかないと諦めて両手を上げた。

「……分かった、言う通りにしよう。ただし、この爺さんは王都に戻してやってくれないか?」

「お優しいことで。しかし、約束しましょう」


 ファンダルは国を裏切ったクズだが、約束したのだから履行してくれるだろう。

 信じて素直にお縄になろうとしたが……爺さんに止められた。


「おいおい、なにしてんだ?」

「年寄り一人を見逃す理由も無いでしょう。ならば、セス殿下へお供させていただけませんか?」


 約束はしたが、守るとは思えない。そういう爺さんの意見も否定できず、素直に頷いた。


「まぁなんかそういうことになったから、爺さんもセットで頼む」

「……おい」


 一人が二人になるくらい、と思っていたことは認める。だが、彼らにとっては違ったらしい。

 ファンダルの部下は爺さんを取り囲み、躊躇わず武器を振り下ろした。

 それは流れるような動きだった、としか形容できない。まるで来ると分かっていたように攻撃を避け……三人の首は切り落とされた。

 首を跳ねた爺さんは平然と、取り出したハンカチで剣を拭っている。


「敵がいるぞぉ!」


 ファンダルの行動も早い。躊躇わず仲間を呼び、俺の腕を掴んだ。


「来い!」

「うるせぇ」

「ふぎっ!?」


 持っていたカップをファンダルの顔面へ叩きつけ、爺さんの後ろへ下がる。

 これは想定外だったが、まぁ悪くはない展開だと言えるだろう。

 敵を睨みつけている爺さんへ問う。


「俺を連れて逃げられるか?」

「もちろんです。……しかし、たかだか80人・・・・・・・。斬り殺したほうが早いでしょう」


 顔を抑えているファンデルと、仲間たちの体がブルリと震える。これがハッタリだとは、微塵も思っていないようだ。

 だが実際のところ、爺さんが10人だか20人斬り伏せられたとしよう。その場合、相手は士気を保てず瓦解するはずなので、間違ってはいないように思える。

 頷き、爺さんに許可を出した。


「よし、やれ」

「かしこまりました」

「ヒィッ!?」


 予想通りというか、爺さんの圧に負けたであろうファンダルたちが逃亡を始める。

 後はこの場を脱し、王都から救援を呼べば終わりだ。

 直にホライアス王国との戦争開始。ババーンってわけだ。

 残念なことになったなぁと思っていたのだが、そんな俺に対し、爺さんが言った。


「先ほどの続きをお聞かせ願えますか?」

「この状況で!? いや、逃げてからでも――」

「なぜ、力をお隠しになられるのですか?」

「……はい?」

「想像はついております。しかし、できればお聞かせいただければと思います」

「いや、だから、なにを言っているのか……」


 誤魔化そうと思っていた。いや、誤魔化して十五年間生きて来た。話す必要などない。今までと同じく能無しでいい。

 そう思っていたはずなのに……爺さんの真剣な眼差しに押され、頭を強く掻いた。


 もういい、全部打ち明けてやろう。俺のなにに期待しているのか、陛下になにを言われたのか知らないが、幻滅させてやれば終わりになる。

 決めてしまえば早く、感情のままに溜め続けていた言葉が吐き出された。


「だって……仕方ないだろう! 俺より頑張ってる兄弟がいて、俺より才能がある姉妹がいて、俺より好かれているやつらがいる。そんなやつらと競って勝てると思うか? 勝てるはずがないだろ! だから、俺はなにもしない。生き残るためには、それが最善だと信じて疑わないからだ!」

「……」

「そもそも俺はな、王位になんて興味ねぇんだよ! どうして、血の繋がった家族と殺し合わなければならないんだ! しかも、俺の母親はメイドで妾だぞ!? 誰も味方なんてしてくれやしない!」

「……セス殿下」

「だから、全部諦めた、全部諦めたんだ。人も、金も、手柄もいらない。持っていなければ、脅威にならない。なにも無ければ静かに暮らせる。……ただ生きたいと思うことの、なにが悪いって言うんだ」


 顔を押さえ、ソファヘ座り込む。

 分かっていたさ、オリアス砦で問題が起きていたことくらい。俺を送り込んだ理由だって、最後のチャンスを与えようと考えてのことだ。

 成功すれば良し。失敗すれば全ての責任を負わせてさようなら。どちらに転んでも問題無しだ。

 この独白も全て、爺さんから陛下へ届けられるのだろう。


 だがもういい、正直疲れた。これで全部終わりだ。

 ……そう思っていたのだが、爺さんは優しく笑いかけてきた。


「セス殿下の望みは分かりました。では、前にお話ししていた通り、どこかへ逃げることにいたしましょう」

「はぁん?」


 爺さんの予想外の言葉に目を白黒させる。

 そんな俺を見て、爺さんはカラカラ笑った。


「ずっと誤解されているようですが、自分は陛下に言われて来たわけではありません。本当にセス殿下へご恩があり、それを返すためだけにお供させていただきました」

「いや、そんなやつがいるわけ――」

「――ここにおります・・・・・・・


 一番辛いとき、誰も助けてはくれなかった。その後は、自分から諦めてしまった。

 そんな俺に対し、爺さんは味方だと、ハッキリと目で告げている。

 初めての味方だと、本当かどうかも、信頼できるかも分からないのに。

 俺は心の底から信じ、嬉しくなってしまっていた。

 だからだろう。俺は少しだけその思いに応えたくなってしまった。


「爺さん……いや、エルペルト=アルマーニ」

「はい」

「この場を治め、オリアス砦を正常化させる。その後は、何も起きていなかったことにし、俺は働かない無能として静かに生きていく。……力を貸してくれるか?」

「仰せのままに」


 エルペルトは胸に手を当て、深々と頭を下げる。

 彼がいればどうにかなるだろうと、初めて本気の行動を開始することにした。

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