Lumo

わたりあき

Lumo


 チェーン店のファミレスで頼んだパフェは、もう溶けかけていた。バニラとチョコのアイスが、マーブル状態になってグラスの中に漂っている。

 あたしは半分ほど食べかけていたデザートを、食べ直す気にはどうしてもなれなかった。ただ、右手に細長いスプーンを持ったまま、目の前にいる涼助を見つめていた。

 涼助は水を飲んでばっかりで、ちっともあたしのほうを見ない。あたしは、このまま涼助のペースには乗りたくなかった。

 だから、自分から口を開いた。


「ねえ、さっきの、どういうことなの」

「は? だからそのまんまの意味」

「それが分かんないから、聞いてんの」


 あたしはマスカラを付けた、ボリューム満点の目力を涼助に注ぐ。絶対、こっちから目を逸らしてやるもんか。半分あたしの意地だった。

 涼助は、コップに入っていた氷をガリガリ噛み砕く。右の顎しか使わないその癖を何回見てきたんだろうって、ちょっと考えてしまった。

 涼助はごくんと喉を鳴らして、氷を飲み込んだ。

「だからさあ。今日でお前とは、ばいばいなの」

 分かる? と目でも言われ、あたしはスプーンをぎゅっと握り締めた。

「好きな子でも、できたの」

 できるだけ冷静に訊ねると、涼助は首を振った。

「ちげーよ。お前に飽きただけ」

「飽きたって、どこが」

「ちっ、もういいだろ。めんどくせえ、それよりさっさと帰ってくんない? 今からダチが来るって言ってんだよ」

 涼助はスマートフォンをポケットから出していじり始めた。スマホには、あたしとお揃いのテディベアーのストラップが付いていたはずなのに、なかった。

 あたしは、がちゃっとスプーンを乱暴に置いて、自分のストラップを引き千切り涼助に投げつけた。涼助のTシャツに軽く当たったテディベアは、ころっと床に落ちてしまった。

 涼助はストラップに見向きもせず、青白い液晶画面を見下ろしている。

 自分が涼助に八つ当たりすればするほど、余計惨めになるような気がして、あたしは急いでファミレスを出た。


 


 あたしは高校に入ると同時に、涼助と仲良くなった。お互い派手なことが好きで、体育祭で意気投合して涼助から告白された。夕暮れの、学校の帰り道だった。

付き合い出してから、学校のイベント事には先生に叱られながら一緒に盛り上がって、夜遅くまでおしゃべりした。

 デートにも行った。ローカル線しか通らない田舎だから、電車で大きなショッピングモールまで行って、プリクラ撮ったり、カラオケ行ったり、ケーキやパフェを仲良く半分こして食べた。

 それが、結局こんな別れ話ってあるかっての。

 あたしは外に出て、ファミレスを振り返った。時間はもう夕方で、暗くなりつつある。店の眩しい明かりがアスファルトに投げかけられていた。

 涼助とさっきまでいた窓側の席、あいつは一人でまだ携帯を扱っている。ふざけんな、二年も付き合った彼女に対して。あんたなんか、一生いい人と巡り会わないんだからねっ。

 あたしは握っていたスマホのケースに、涼助と撮ったプリクラを貼っていることを思い出した。慌てて剥がそうとして、爪に塗ったシャーベットピンクのマニキュアが目に入った。

 このマニキュアは、涼助が買ってくれたものだ。デートの帰り道で寄ったドラッグイレブンで、あたしの誕生日プレゼントって言って。

 可愛いピンクだったから、デートする日には必ず爪に塗った。手を繋いでいる時なんかは、幸せって思ったのに。

 ぼうっとしていると、話し声がしてあたしは視線をそっちに向けた。学校でよく見かける男子たちが、ファミレスに入って涼助のいるところに行くのがここから見えた。

 涼助は男子たちを見ると笑顔になって、店員を呼ぶとあたしが頼んだパフェを片付けさせた。あたしはプリクラを剥いで、ヒールの先端で突き刺すように踏みつけた。




「ここから、どうやって帰ればいいんだっけ」


 あたしは最寄り駅に向かって歩きながら、暗くなった道をうろうろ歩き回っていた。

 涼助の家の近くのファミレスだったから、あたしはここの土地勘がない。近くには家があるけど、わざわざ訊くのも恥ずかしいし。


「お母さんに、電話するしかないかな」


 けど、端末の電池残量がもう3パーセントしかなかった。うっそ、マジで。どうしよう。

 彼氏には振られて、迷子で、電池もヤバイって、あたしどんだけなんだろう。もう、自分が嫌になってきた。


「あーっ、もう!」


 星が見え始めた黒い空を見上げると、泣きたくなってきた。今ここにはひとりぼっちなんだって思ったら、尚更寂しくなるのが分かった。

 本当にこっちでいいのかなと不安になりながら、歩く。ヒールが高いサンダルを履いてきたせいか、足がじんじんしてきた。


「あれ、森野じゃん。どうした?」

「え」


 聞き覚えのある声がして、あたしは顔を上げた。自転車のブレーキ音がすぐそばでして、見ると隣には同じクラスの吉田がいた。


「やっぱ森野だ。こんなとこで何してんだよ、お前の家ここじゃないだろ」

「そうだけど。ちょっと、迷子」

「え、迷子?」


 吉田は驚いて目を丸くした。 

 吉田とは、幼稚園と小学校、中学も高校も一緒の腐れ縁だ。よくいう幼馴染なのだと思う、学校でも時々話したりするけど。

 見ると吉田の自転車のカゴには、釣り道具が入っていた。あたしは随分年季が入った釣り竿に目をやる。


「何、今日釣りでもしてきたの」

「そう、釣れなかったけど」


 吉田が苦笑する。

 あたしはすかさず、吉田に言った。


「ところでさ、あんた帰るとこだよね」

「うん。あ、でも俺も迷子なんだよね」

「えっ」

「さっきからずっとぐるぐるしててさ、ここあんまり来たことないから」


 あたしは力が抜けそうになったけど、はっとして吉田に問いかけた。


「そういや、あんたスマホは?」

「スマホ? ああ、家に忘れて来た」

「えっ、何やってんのよっ」


 あたしは思わずバックで吉田の背中を叩いた。痛えよっと吉田が叫ぶ。

 まさか吉田と迷子になるなんて。ああ、今日は何てついてないんだろう。

 目にじわっと涙が溜まる。でもここで泣いたらパンダ目になるじゃん、それだけは嫌だ。

 攻撃が止んだと思った吉田が、そろそろと近づいてくる。


「ていうか、お前いつも彼氏と一緒じゃん。彼氏はどうしたんだよ」


 まさか振られてしまったなんて、とても吉田には言えなかった。あたしが気まずくなって適当に方角を決めて歩き出すと、吉田もついてきた。


「なあ、おい」

「何よ」

「彼氏は」

「言いたくないっ」


 ツカツカとヒール音を響かせ、あたしは早歩きになる。


「あ、もしかして振られた?」


 吉田の言葉にあたしは言い返せなかった。吉田は納得したようで、背後でそっかと頷いた。


「ふーん、なるほどね」

「何よ」

「うん。でも、あんまりお似合いじゃないと思ってた」

「あんた、うるさいっ」


 かっときてあたしは振り返った。吉田は平然とした様子で自転車を押していた。

 あたしがきっと睨みつけても、吉田は全く気にしていなかった。


「あんたなんかに、分かるわけないでしょっ」

「そりゃあ、そうだよ。当人にしかそういうのって、分からないと思う」

「じゃあ、もうほっといて」

「ほっとけないよ」


 あたしは、はあ? と吉田を胡乱げに見つめた。


「ほっとけないって、何で」

「お前ほっといたら、迷子になるだろ。一緒に帰ろうぜ」

「その前に、もう二人とも迷子でしょ」

「あ、そっか」


 吉田が惚けたように笑った。あたしは今度こそ脱力して、はあとため息をついた。

 そういえば、吉田は昔からこんなやつだった。こっちが必死で説明しても伝わっていないことがよくあった。

 小学校三年生の時だったかな。冬に、風邪で休んだ吉田の家にプリントを届けることになって、あたしは家に上がった。吉田の家はあたしの家の近くだったから、吉田のお母さんとうちのお母さんは仲良しだった。

 吉田のお母さんがあったかいココアを作ってくれて、飲んでいたら急に吉田がやって来た。パジャマ姿でさ、仮面ライダーのプリントパジャマ。

 あたしが、今日は学校でこんなことがあったよって言っても、吉田はふうんしか言わなかった。ココアを羨ましそうに見ていた吉田は、「今日は、給食なんだった?」って訊いてきた。


「さっき、話したよ」

「え、知らない」

「もう、だから」


 って、こんなやりとりばっかりやってた。吉田はちょっと抜けてるとこがある。それも、あたし以上に。

 吉田はきょろきょろ辺りを見渡すと、急にこっちだと言って進み始めた。あたしは本当かなと疑いたかったけど、吉田についていくことにした。


「こっちで合ってんの」

「たぶん」

「もー」


 自転車を押す吉田の隣に並んで、あてもないほうへ行くのは変な気分だった。頼りない二人で、暗い場所にいるのは。ふわふわと、覚束ない。

 カラカラカラと自転車の音がする。次第に家が見えなくなって、草がびっしり生えた空き地を通り過ぎた。

 ひっそりと立つ外灯には、虫が集まっていた。

 さすがにここまで来ると、こっちに来たのはまずかった気がしてきた。


「ねえ、引き返さない」

「え、行ってみないと分かんないだろ」

「はあ」


 正直歩きたくない。サンダルのせいで、足の裏が擦れて熱を持っている。いっそ裸足になろうかとあたしが真剣に考えていると、吉田はおっと声を上げた。


「ちょっと、何よ」


 訊いても吉田は答えない。足の疲れと吉田にイライラして、あたしも吉田の視線の先を追った。

 暗い、海が見えた。

 コンクリートの低い壁の向こうに、大きな黒い海が広がっていた。気がつくと波の音が静かに聞こえて、あたしと吉田は黙り込んで海原を見つめていた。

 外灯と星明かりしかなかったから、青くない海は不気味で怖いなと思ってしまった。海だなんて、最近見ていなかった。

 むわっと潮の匂いがぬるい風に運ばれてくる。昔は、家族で潮干狩りによく行っていたなあ。バケツいっぱいに貝を採って、長靴で歩いて。

 あたしが貝殻を拾い集めてたら、いつの間にかお父さんたちとはぐれて、泣きながら歩いたのを覚えている。


「へえ、こんなとこに出るんだなあ」


 吉田が近くで呟くように言った。そうだ、今は吉田がいるんだった。

 自分の隣に誰かがいたことを思い出して、あたしは少しほっとした。

 大きな夜の海は、あたしたちを包み込むように、たたずんでいた。あたしは、涼助のことでうじうじしていたのをすっかり忘れていた。


「じゃあ、引き返すか」


 吉田があっさりと踵を返していく。

 あたしはマニキュアを塗った爪を見つめた。外灯に、シャーベットピンクの光沢が僅かに輝いている。

 こんなに暗いとこじゃ、あの可愛いピンクも見れないんだ。当たり前だけど。

 あたしは、陰ってしまった手をそっと下ろした。


「おーい、行くぞ」


 吉田の間延びした声に、あたしは夜の海に背を向けた。

 帰ったら、マニキュアは捨てよう。あいつとの写真も、プレゼントも全部。

 あたしが追いつくと、待っていた吉田がゆっくり歩き出した。

 前を行く吉田の背中が、星のひかりに、かすかに灯っていた。

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Lumo わたりあき @wk5

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