魔界で一番、死ぬ奴ら

ミゾロゲシン

第一章 「デッドシティ、酒場、初夜」

01. 優男のもぎたてスペアリブ

      Ⅰ


 テーブル席でシンシャの帰りを待っていると、酒場に二人組の男が入ってきた。

 黒の祭服カソックで、胸元に銀色の山羊やぎのアクセサリーをこれ見よがしにつけている。


 顔は知らないが、誰かは分かった。アクロイドファミリーの構成員だ。

 この界隈で、あの格好をしていたらそれ以外はありえない。それ以外だとしても本物のファミリーがすぐにやってきて、偽物は速やかに殺されてしまう。いずれにしてもファミリーは来る。

 だから関わらないようにするのが、一般人にできるもっとも賢明な判断だった。


「……」

「おいおいおいおい。テメエ、クソなげえすそがちょっと邪魔なんじゃありませんかねェ! どこに目ぇつけて歩いてんだコラァー!?」


 さっそく、甲高かんだか恫喝どうかつの声が聞こえてきた。

 もちろん僕はすでに顔をさげていた。何もないテーブルの上をじっと見つめて、目立たないように猫背になり、呼吸も最低限にとどめていた。

 声は近いが問題ない。隅にいる僕が、彼らにからまれることはないだろう。


「おいおいおい、何シカトくれちゃってるんですかねェ!? 兄ちゃんテメエ、アクロイドファミリーのこのオレ様をシカトすっとか、ほんとにそれでベターなわけェ!?」


 エェン!? と、さらに高まったハイトーンボイスが聞こえて、僕は思わず首をすくめた。

 それから胸の中で、因縁をつけられている誰かの無事をそっと祈った。どうか痛い感じにはなりませんように……。そう思ったときだった。

 シャツのえりがぐっと持ち上がり、やせた男の顔がどアップになった。顔は叫んだ。


「聞いてんですかねェーーーーイ!?」

「えっ……。僕!?」

「他にどちら様がいらっしゃるんですかねェ! てゆーかあんまナメてっと、超絶恐ろしいあのかたが、オレ様のバックから黙っちゃいねえわけなんですがァーーーー!?」

「す、すすすみません!」


 僕はあわてて弁解した。


「無視していたわけじゃないんです。まさか座ってる僕に声をかけているとは思わなくて……。その、どこに目をつけて歩いてるんだって、さっきはおっしゃっていたようなので」

「ハアァァン!? じゃ何! このオレ様が間違ってるって、テメエ様はおっしゃるわけェ? ハッハァーン、なるほど、なるほど、なるほどねェ……。

 ヘイ、ブラザー。この裾長すそなが野郎、どうクッキングしちゃいますゥ?」


 やせた男が歯を見せて笑い、横を見た。

 二人組のもう一人、相方の男は寡黙だった。巨体に見合う重い声で、ゆっくり答えた。


「腕、一本」


 とたんに、やせた男が声高に叫んだ。


「ヒャッハァーーー! 聞いたかマント野郎、腕百本だとよォ! 今夜の晩飯は、やさおとこのもぎたてスペアリブで決まりだぜェーーーーィ!」

「えええええ! ちょ――」


 やせた男がいきなりなたを振り上げた。軽薄な言動とは裏腹に、その動きは異様なほどに洗練されていた。

 僕は何もできなかった。

 詰まるように悲鳴をあげたあと、反射的に手を顔の前に出してしまい、自分の右腕と、振り下ろされる鉈と、その向こうに見える引きつりを起こしたような男の残忍な笑みを、連続する風景としてただ呆然とながめていた。


 ――0.1秒。

 ――0.2秒。


 秒に満たない刹那の世界で、酒場を満たすタバコの煙を裂きながら、照明の下でにぶく輝く鉈の刃が、僕の右腕をたしかにえぐった。

 そのときだった。


「ス」


「――ギョン!?」


 一瞬、黒い影が視界を横切り、悲鳴をあげた男がすさまじい勢いで店の外へ吹き飛んでいった。

 回転した鉈があらぬ方向に飛び、天井に刺さって照明を落とした。下にいた客から悲鳴と罵声が同時にあがった。

 一拍遅れて、外からも驚きの声が聞こえてきた。なんだ、なんだ。何が飛んできた? ゴミ? うわっ、アクロイド! ヤバイ、つーか顔がヤバイ。


 喧噪は、次第に音を増しているようだった。

 だが反対に、店の中には水を打ったような静けさだけがただよっていた。

 助けられた僕と同じように、誰もが彼女を見つめていたのだろう。

 その視線の中で、男を殴り飛ばした姿勢からゆっくりもどり、彼女は壊れたドアに向かって淡々と言った。


「――ペアリブとは、正確には豚の骨付きばら肉のことでございます。つまり、どのようにクッキングされようとも、御主人様の腕がおいしいスペアリブになることは論理的にありえないということです。あしからず」

「シ、シンシャ……」


 かすれた僕の声に、彼女が振り返った。


「はい。御主人様」


 形のいい顎の先で、光に透ける銀色の髪がかすかに揺れた。

 そのさまを、美しいと僕は思った。

 だが、その幻影はすぐ消えることになる。

 振り向いた彼女の右頬に、大量の返り血がべったり貼りついていたからである。


「いかがなさいました? 御主人様」


 無表情のまま、シンシャはわずかに首をかしげた。


「いや……。あの、ありがとう。危ないところを助けてくれて」 と僕は言った。

「メイドとして当然の働きに労いの言葉は不要でございます、御主人様。

 ともあれ、腕一本で済んでよかったですね。今回は」

「あ、ああ。そうか。たしかに今回は、殺されなくて本当によかっ――」


 そこで気づいた。シンシャの言葉にはおかしなところがある。

 腕一本で、済んでよかった?

 僕は顔を下に向けた。右腕の方にだ。もちろん、そこに右腕はあった。

 ただしそれはテーブルの上に転がった置物のような右腕で、自分の腕には到底見えない何かだった。


「……」

「御主人様? ご鑑賞もけっこうですが、早く拾ってくっつけませんと。

 新しく生やすより、くっつける魔術の方が、いろいろとお得な感じでは?」

「……ごめん。無理」


 テーブルに突っ伏して、僕は速やかに昏倒した。

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