第11話 お姫様は追跡中

「さて。とにかくここを離れないか。こんな谷間で夜を迎えるのは嫌だぜ」


 ノワールに促されて、イザが辺りの様子をうかがう。


「本当に騎士たちは黒き魔女についていってしまったのか」


「誰もいないわね」


 姫君もきょろきょろと辺りを見回す。


「騎士たちはそれはもう、嬉しそうに黒き魔女について行っちまったよ。馬まで楽しそうだったぜ」


「馬を持っていかれてしまったのは痛いな。ここから徒歩で山を越えるのは女性の足では厳しいかもしれない」


 姫君はイザと視線を合わせると、両こぶしを握って力んでみせた。


「私なら大丈夫よ。ダンスで鍛えているから」


 イザは少し目を細めて「そうか」と優しく言った。姫君は満足して歩き出す。その背中に、ノワールがのんびりと声をかける。


「お姫様、どこへ行くんだ?」


「隣国よ。ポールモリスへ行ってヘンリー王子様をお守りしなくては」


 意気揚々と歩いていく姫君に追いつき、その腕をとったイザが苦笑して言う。


「方向が全然違う。それに来た道を戻って街道まで出なくてはならない。山越えして隣国に入るのは国境破りになる。違法だ」


「まあ、そうなの。いろいろと難しいのね」


 姫君は振り返り、イザを見上げる。


「イザ、本当に頼りになるわ。ありがとう」


 姫君の言葉に、イザは神妙な表情を見せた。じっと姫君を見つめている。姫君は小首をかしげた。


「どうかしたの、イザ」


「君と、どこかで会ったことがあるような気がしたのだ。昔、どこかで」


 パッと笑顔になった姫君はイザの両手を取った。


「思い出してくれたの!?」


 チリっと刺すような痛みが指先に走った。イザの表情は急に硬くなり、姫君の手を払う。


「……いや、やはり気のせいのようだ」


 背中を見せて歩き出したイザを、姫君は悲し気に見つめる。ノワールが姫君の肩を優しく押した。


「呪いは簡単には解けないみたいだな。ともかく、行こう。はぐれたら大変だ」


「……ええ。そうね」


 ノワールに背中を支えられ、姫君は坂道を歩きだした。


 来た時に通って出来た雑草の分け目を通るので、少しは楽に歩けるかと思っていたが、草はほとんど元どおりに立ち上がっている。姫君は森の草木の生命力の強さに感心しながら、イザの背中を追って歩く。


 女性の足を気遣ってイザの進み方はゆっくりだ。その分、草を踏みわけて姫君が通りやすいように気を配っている。女性を守るのも騎士の本分であると知っているが、それでも気遣いが嬉しくて、姫君は明るい気持ちになった。


 谷間の日暮れは早い。高い稜線の向こうに日は隠れてしまい、厚く葉を茂らせた木々が夕焼けの光さえ遮ってしまう。ほとんど手探りで進んでいたが、とうとうイザが足を止めた。


「これ以上進むのは危険だ。今日はここで夜明かしをしよう」


「そんなにゆっくりしてはいられないわ」


 姫君は暗くて見えないイザの表情を読もうと目を大きく開いた。しかし、ほんの少し目鼻の位置が確認できたくらいで、暗さを再確認することになっただけだった。


「この暗闇では道を確認することもできない。むやみに進んでも……」


 ガサガサという音をたててノワールが姫君とイザを追い越して先に進み出た。


「人間はこれくらい暗くなったら見えないんだな。不便なもんだ」


 ノワールが手を伸ばして姫君の手を握った。


「はぐれないようにお手てをつないで行きましょうかね」


「ノワール、もしかして道が見えているの?」


「これでも猫だからね。けど、もっと暗くなったら無理かもしれない。急ごう」


 ノワールに手を引かれて踏み出しながら、姫君は暗闇の中を探してイザの手を握った。イザはビクリと震えた。


「どうしたの、イザ」


「……いや、なんでもない。気のせいだ」


 ノワールが立ち止まって振り返る。


「お姫様と手をつないだことがあるような気でもしたか?」


 イザはしばらく黙っていたが「いや」と小さく呟いて首を振った。


「なんでもない。進もう」


 ノワールは肩をすくめて足を踏み出した。姫君はイザがぎゅっと手を握ってくれるのが嬉しくて、微笑みながら歩いた。




 人の手で整備された道に出ると、星明りで姫君にも周囲の様子が見えた。ノワールが立ち止まって空を見上げる。


「今夜は明るいなあ」


「猫の目はすごいわね。この星明りだけでも明るく見えているのね」


「ああ、お姫様のかわいい顔もはっきり見えてる」


 ノワールは手を伸ばして姫君の頬を撫でた。黒猫のノワールがすりすりと体を擦り寄せたときのような心地よさを感じて、姫君は「うふふ」と小さく笑った。イザがやけに低い声で言う。


「いちゃいちゃしていないで、さっさと進むぞ」


「おや、焼きもちか」


「違う」


 イザは、ふいっと顔を背けると、姫君の手を引いて歩きだした。ノワールは後をついていきながら、ニヤニヤと笑う。


「もう道が見えてるんだから、手はつないでいなくてもいいんじゃないか?」


 ノワールの言葉にイザはハッとして、あわてて姫君から手を離した。


「大変、失礼した」


姫君は不思議そうにイザを見上げる。


「どうして謝るの?」


「女性の手を許可もなく握って離さないなど、騎士としての落ち度だ」


「あら。手をつないだのは私からだから、かまわないのではないかしら」


「いや、しかし」


 二人のやり取りを面白そうに見ているノワールが口をはさむ。


「お姫様におかれましては、歩きにくいから手を引いて欲しいとのご所望だぜ」


 イザはムッと表情を硬くして答える。


「彼女はそんなことは一言も言っていない」


「イザ、手をつないでくれたら嬉しいわ。暗くて心細いもの」


 姫君は優雅に手を差しだした。イザは条件反射であるかのように、さっとその手を取る。にっこりと笑った姫君をまじまじと見つめて、イザは眉根を寄せた。


「やはり、なにか奇妙だ」


 姫君はイザが次の言葉を発するのを辛抱強く待った。ノワールは少し離れた場所からイザを観察している。


 イザはぎゅっと姫君の手を握り、その目を覗きこんで、なにかを探しているようだった。姫君の瞳は星明りにきらめいていて、エメラルドもかくやというほど美しい。暗闇の中でもイザの姿をしっかりと映していた。

 イザの心はその美しさに揺れているようだった。


「君は……だれだ?」


 イザに問われて姫君の瞳が揺れた。それは姫君が一番知りたいことで、できればイザに教えてもらいたいことだ。


「……私は、私よ」


二人ともたどりつけない問いの答えを知っているノワールは、だが、ただ静かに二人を見つめることしかできなかった。

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