第4話 お姫様は落涙中
呼び出された魔術師が裁きの間にやってきて、裁判は再開された。
群青色のローブをまとった壮年の男性魔術師はすでに事情を聞いていたようで、つかつかと姫君に近づくと、姫君の手首をとった。どうやら脈を診ているらしい。
そのまま姫君の目を覗きこむ。魔術師の黒い目が真っ直ぐに姫君の中に入ってきたように感じた。魔術師はぐんぐん姫君の奥深くに潜っていき、きょろきょろと姫君の中を無作法に探索していく。昨夜のこと、少女時代、幼少期、どんどん記憶を探り、生まれた瞬間まで遡った。
魔術師の目が姫君の表層に戻っていくにつれて奥深いところから清水が湧きだした。その水は光を放ちながら目からぽたぽたと流れ出ていく。
裁きの間にいる全ての人が驚きの声を漏らした。
「まさか、光輝の涙!?」
だれもかもが口々にその言葉を囁きあう。裁判官長官が「静粛に!」と叫ぶが、皆の驚きは大きすぎたようでざわめきは納まらない。
その中で魔術師は冷静に姫君の目から力を抜いた。その手首を離され、姫君は両手で流れ落ちる涙を掬ってみた。金色に輝いて、ひんやりと冷たい不思議な手触りだった。
「このものは記憶を失くしております」
魔術師は静かに語る。
「皆様がごらんになったように、光輝の涙を持つものです。光輝の涙は清廉な魂を持つもの、神に祝福された乙女である証拠。乙女が真実だと申すのであれば、それが真実。この先、このものが記憶を取り戻しさえすれば、姫君の行方を話すでしょう」
裁判官長官が大きな声を上げた。
「そんなもの、なにかのまやかしだ! 誘拐犯の策略だろう」
魔術師は小さく首を横に振った。
「どのような魔法であっても、光輝の涙を作り出すことはできません。神の恩寵は絶対です。ですから時間はかかりましょうが、記憶を取り戻すのを待つのが得策かと」
「そんな悠長なことを言っている場合ではない! 今この時も姫君が危うい目にあっているかもしれないのだぞ!」
「ですが、ほかに手がかりはありません」
「ならば、さっさとその女の記憶とやらを戻せ」
魔術師は小さく首を振った。
「残念ながら、これほど強い呪いは私には解けません」
魔術師は長官から視線をそらすと姫君に向き直り、優しい声音で尋ねた。
「あなたは裁判で黒衣の女を見たと証言したのでしたね」
「はい。長いドレスを着た、真っ赤な目の、見たこともないほど美しい女性でした」
頷いた魔術師は国王を見上げた。
「これは黒き魔女が復活したのやもしれません」
裁きの間がざわめいた。皆がひそひそと声を交わしあう。
「静粛に! 神聖なる裁きの最中である」
長官の大声でなんとか場は静まったが、人々の表情は先ほどまでとは一変した。皆、どこか不安げに落ち着かない。
「しかし、黒き魔女の封印は二百年解けぬのではなかったか。対魔の戦からまだ三十年しかたっていない」
「黒き魔女の力がそれほど強かったものか……、あるいはだれかが封印を解いたのか」
再びざわめきが戻ってきたが、今度は長官もうろたえて制止の声を上げることができない。
「どちらにしろ、黒き魔女の塔を確認しに行かねばなりません。封印が解けて自由になっていたなら、再び魔女は世界を支配しようとするでしょう」
「しかし、もし封印が解けていたとして、王家の血を引く少女でなければ再び封印することはできないのでは。姫君が攫われた今、どうしようもない。姫君を探すのが先だ」
魔術師と長官の会話を国王が手を上げて止めた。
「先の黒き魔女との戦いにおいては王妃が封印の一助となったのは確かだ。だが、王家の血は濃くなくとも構わぬのではなかったか」
問われた魔術師が頷く。
「はい、左様でございます」
「触れを出して先祖に王室の出のものがいる家系を探すように」
「その必要はございません、ここに王家の血を引く乙女がおります」
魔術師が言うと、皆の視線が姫君に集中した。姫君は凛と背筋を伸ばしてすべての視線を受けとめる。
「先ほど流れたこの者の心の水は金色に輝いておりました。王家の血の証でございます」
「そんな話、聞いたこともない。魔術師もグルになって姫君を攫ったのでは……」
長官に国王はもう一度手を上げてみせた。
「王妃が病で臥せったときに見たことがある。魔術師の治療中のことだが、その時も同じ説明を聞いた。王家の血を引くものは金色に輝く涙を流すと」
国王は姫君をじっと見つめた。
「なぜだろう。私はこのものを信じることができるような気がするのだ。このものの目が嘘をついてはいないと思うのだ」
澄んだ目は姫君がもっとも父に似たところだった。幼いころから国王は、今と同じ瞳で姫君を優しく見つめ続けてくれていた。
「娘。黒き魔女の塔へ赴き、その扉を再び閉じてはくれぬか」
大臣が慌てて口を挟む。
「陛下、そのようなものに温情をおかけになるのは……」
国王は立ち上がり、きっぱりと言い渡す。
「温情ではない。私は国王としてこの娘に封印の塔探索を依頼する。この娘を解放し、探索隊に同行させる」
裁きの間に再びざわめきが起きた。国王はだれの言葉にも耳を貸さず、姫君だけに語りかけた。
「危険な旅かもしれぬ。だが、どうか行ってくれぬか」
「承りました。お役、必ず果たして参ります」
姫君はしっかりと顔を上げて国王を見つめた。国王は頷くと裁きの間を後にした。
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