最終話 魔法の契りで幸せに

「……久しぶりだね」


 赤レンガの校舎を目の前に小さく呟く。

 以前と変わらず、どっしりとたたずむその様は、まるで別世界のお屋敷のようだ。それでもそれが五月と桜空が通う奥州女学院そのもので、慣れ親しんだものだ。

 今は休日で誰もいないが、そこには三人の影があった。


「そうですね。たった数か月いなかっただけなのに、遠い昔のようです」


 隣の桜空も同じように感じていた。五月よりも短い期間しか通えていなかったが、それでもイオツミスマルの中から見守り、さらに校舎がバノルスの建物と似ていたので、家のようにも感じていた。

 その二人は、今は車いすに座っている。

 まだ、自力で立てない状態なのだ。

 ケセフ・ヘレヴを破壊した魔法は想像以上に体に負担をかけ、その結果発症した魔力消費性疲労症は今なお体を蝕んでいる。

 それでも、徐々に回復していて、桜空は自力で車いすを動かせるようになっている。

 ただ、まだ五月は腕が回復しきってなく、すぐに疲れてしまうので、どうしても介助が必要だった。


「さて、ゆっくり堪能するのもいいが、まずは挨拶だろ? 寮はどっちだい?」


 その五月の車いすを動かしてくれていたのは、お義母さんだ。

 退院して復学できるようになったので、すでにその手続きを済ませており、今日は寮に帰るところだった。

 それでも、五月にいつまでも付きっ切りではいられない。そのため、五月の介助をする人が必要だったが、みんなに話をしたところ、友菜ちゃんが車いすを押してくれることになったのだ。

 三人は寮への道を進んでいく。

 いつも当たり前のように見ていた光景を眺めながら、五月はいまだに目を覚まさない桜月のことを思った。




 ……五月たちが目を覚ましてから、一か月が過ぎた。

 その間、色々な検査やリハビリなどを懸命に頑張った。

 幸せになるためなら、苦にもならなかった。

 それに、桜空もいるし、みんなもいる。

 時々お見舞いに来ては、励みになっていた。


 それでも、桜月は目を覚まさない。

 やはり、三度も「ライジング」を使った影響は重くのしかかった。

 桜襲とムーンライト・カノンも壊れ、五月と桜空が自力で魔力を少しずつ分ける日々だ。

 ただ、容態は安定していたので、思ったよりもひどくはない。


 みんなで幸せになりたいという願いが、少しでも届いているのかもしれない。

 それに、信じている。

 絶対に帰ってくると。

 そして、桜月は五月と桜空の幸せを願っていたのだ。

 それなのに暗い顔をしていたら、桜月に申し訳ない。

 今は、みんなと一緒に楽しく過ごしながら、ずっと待っている。


 でも、大丈夫。

 全てを乗り越えたのだから、桜月も戻ってくる。

 いつ起きるかはわからないけど、その眠りが覚めた時、伝えるのだ。

 ありがとう。

 お疲れ様、と。


 そう物思いにふけっているうちに、桜の木と、白い建物が見えてきた。

 ……奥州女学院での五月たちの家、「月見荘」だ。

 ついに、帰ってきたのだ。

 そして、その入り口には人影が六人ほど。

 帰ってきた姉妹を出迎えに来た、親友と、先生たちだった。


「お帰り、五月ちゃん、桜空ちゃん」


 早由先生がまず笑顔で迎える。


「おう、暁姉妹。待ちくたびれたぞ。おめえらがいねえと、部員が寂しそうなんだよ。俺もつまんねえし。とにかく、元気になっているようでなによりだ」


 ぶっきらぼうながらも、生徒想いの高井先生。


「五月、桜空……。あんたたちがいないと、ホント、寂しかったんだから……。……っ、とにかく、……お帰りなさい」


 目に涙を浮かべている、優しいリーちゃん。


「五月、桜空、お帰り。元気そうで何より」


 無口だけれど、友達想いの柚季ちゃん。


「ヤッホー! また遊べるね! お帰り! 五月、桜空!」


 持ち前の明るさは相変わらずで、元気を分けてくれる亜季ちゃん。


「……五月ちゃん、桜空ちゃん。お帰り。ずっと、みんな待ってたよ。帰ってきてくれて、ありがと」


 涙ぐみながらも微笑んで迎えてくれる、暗い夜道を照らす光のように、心を癒してくれる友菜ちゃん。

 改めてみんなの想いが伝わってきて、目頭が熱くなる。

 それくらいうれしい。

 だから、満面の笑みを浮かべて五月と桜空は言った。


「ただいま」




 その後、お昼を食べるために寮の食堂に行くと、他の寮生たちも一緒に、復学を祝福する歓迎会をしてくれた。

 いろいろな話をしたり、食事したり、ゲームをしたり、ピアノを弾いたり。

 今までとは違い、親友同士以外の人とも、楽しい時を過ごす。

 先生たちやお義母さんも一緒になって、二人の回復を祝ってくれた。

 特に桜空にとっては、普通の女の子としての暮らしにあこがれていたのだから、ここまで思ってくれてすごくうれしくて、幸せな時間だったに違いない。

 もちろん、五月も同じだ。

 ただ、楽しい時間というのはあっという間で、あっという間に夕方になる。

 すでに十一月になっていて、最近日が落ちるのが速い。

 もうそろそろ、お義母さんは帰らねばならないということで、歓迎会はお開きになった。


「じゃあ、五月、桜空。しっかりやるんだよ」

「はい」

「しっかり頑張りますよ」

「ま、あんたらなら大丈夫なのはわかってるけど、さ。あと、友菜ちゃん、寮が同じ部屋だから、改めて五月の介助を頼みたいんだが、いいかい? 桜空はもう自力で車いすを動かせるようにはなったんだが、まだ五月の体はすぐ疲れるから、そこまで回復してないんだ」

「任せてください。つきっきりで世話しますから!」


 お義母さんの願いを友菜ちゃんが聞き入れると、お義母さんはうれしそうに微笑む。一方の当事者の五月は、うれしく思いながらも、少し申し訳ないような気がした。


「ごめんね、友菜ちゃん。迷惑じゃない?」

「……? 全然! むしろ、五月ちゃんが怪我とかしないか心配だから、ぜひぜひやらせて! もちろん、桜空ちゃんも!」

「ありがとうございます。ぜひ、よろしくお願いします」

「……。ありがと。それじゃ、お願いするね」


 どうやら、友菜ちゃんは進んで助けになりたいようだ。

 おそらく、五月と桜空、そしてみんなを大切に思ってくれているからだろう。

 その好意はありがたく受け取って、なにかの時にお返ししたいものだ。


「もちろん、リーたちも手を貸すわよ」

「むしろ仲間はずれにしないで」

「そうそう! 五月、ちょっと遠慮する傾向があるぞ。もっと頼っていいからな!」

「ありがと、みんな」


 みんなも同じ気持ちらしく、なんだかうれしい。素直に笑顔で感謝した。

 それをお義母さんは見届けると、後ろに立つ先生たちに向き直った。


「いろいろと大変ですが、どうかよろしくお願いします」

「はい。五月ちゃんと桜空ちゃんが元気に学校生活を送れるよう、きっちり手助けするので」

「ですから、もし何か不安なこととかありましたら、ぜひご連絡ください。こちらも大事な生徒ですから。しっかり守りますので」

「ありがとうございます」


 先生たちにお義母さんは頭を下げ感謝する。

 大事な娘が厄介になるのだから、最低限の礼儀もある。だが、それ以上に、生徒のことを第一に考えてくれるいい教師に預けることができたのだ。その感謝を伝えずにはいられなかった。

 そして、頭を上げると、五月と桜空を再び見つめた。


「それじゃ、元気にやるんだよ。桜月が目を覚ましたら、真っ先に連絡するから」

「ありがとうございます」


 二人で頭を下げるのを見届け、お義母さんは去っていった。

 それを見送ると、いったん解散となったので、みんなで五月と友菜ちゃんの部屋に集まり、先ほどの続きを数十分程することにした。

 その主な話題は、ズッ友たちの動向である。


「ねえ、佳菜子ちゃんと麻利亜ちゃんは元気?」

「うん。昨日、みんなで行った蕎麦屋で一緒に食べてきたよ」


 友菜ちゃんからの問いかけがきっかけで話し始めながら、昨日のことを思い出した。




「まずは復学、おめでとう、巫女さん、サラ姉」

「ありがと、かなちゃん」

「ありがとうございます、佳菜子」

「ホント、無事に退院できてよかった……。心配したんだからね」

「ごめんね、マリリン。でも、ほら。この通り、元気だよ」


 そう言って力こぶを作るようなポーズを五月はとるが、まだ体が言うことを聞かないので、すぐ疲れてしまう。


「はあ……。ちょっと疲れた」

「無理しないでくださいよ。まだ五月は体調が完全に戻ってないんですから」

「それは桜空もでしょ? とりあえず、体がよくなるまで車いすなんだから」


 そう言い合いながらも、仲がいい証なのか、二人は笑顔だ。

 まるで、本当の姉妹のようだ。

 ……いや。

 今は、本当の姉妹となった。

 孤独だったころの二人の面影はもうない。

 幸せな日々へ一直線に向かっているようで、かなちゃんとマリリンもうれしくなる。


「でもよかったよ。元気になってくれて。あとは、桜月が目を覚ますだけだね」


 そう。

 かなちゃんの言うとおり、あとは桜月がそれえば、全てを終わらせられる。

 それは、けじめかもしれない。

 いずれにしても、幸せへ向かって加速していくのは確かだ。そのため、みんな桜月が起きるのを待っている。


「実際のところどうなの? ……大丈夫、だよね?」


 それでも不安になるのはしょうがない。

 なにせ、この一か月間、ずっと目を覚まさなかったのだから。

 二度と覚めないような、深い眠りの底に落ちている。

 やはり、何度も体を無理させてきた影響が色濃く残っている。

 ただ、その眠りはとても穏やかだ。

 安らかに寝息を立てていて、熱もない。

 普通の人が、ずっと眠っているような感覚で、医者も目を覚まさないこと以外はいたって健康と言っていた。

 それほど安定しているのだ。

 だから、きっと目を覚ますはずだ。


「……大丈夫。体も安定してるし、激しい症状もないもん。だよね、桜空?」

「はい。私もいずれ目を覚ますと思います。時間はかかるかもしれないですけど、信じましょう。そうじゃないと、桜月がかわいそうですよ」


 桜空も同じ考えだ。

 それを聞いて安心して欲しかったが、まだマリリンは視線を惑わしていて、不安をぬぐいされていないようだ。


「麻利亜」


 そのマリリンの肩に、かなちゃんが手を置く。


「二人がこう言ってるんだから、大丈夫だよ。なんたって専門家なんだよ? それに、あたしらが楽しんでないと、桜月だって悲しいだろ? だったら、起きた時、うらやましがるほど楽しくしてないと」

「……佳菜子」


 かなちゃんにマリリンが視線を合わせる。

 今の言葉を、もう一度繰り返し聞くかのように。

 かなちゃんが微笑むと、マリリンもようやく表情が和らいだ。


「……うん。そうだね」

「そうそう。信じよう。楽しくしよう。それで、楽しくするってことは……」


 マリリンが納得して、終わりかと思ったが、かなちゃんはそのまま五月に視線を向ける。

 不気味な笑みを浮かべていた。


(……っ!?)


 その瞬間、背筋を寒気が襲う。

 まずい。

 こういうときのかなちゃんは、なにかよからぬことを……。


「巫女さん、裕樹さんとはどうなの?」


 はい! 来ました!


「……! あ、えと、その……、う、うー」


 いきなりのことに取り乱すが、ふと、桜月の言葉を思い出す。


(恥ずかしがることはないよ。みんなも五月の幸せを願ってるから。だから、みんな喜んでくれるよ)


 ……。

 その言葉を心の中で繰り返す。

 すると、だんだん落ち着いてきた。

 まだ気恥ずかしさは残っていて、顔から湯気が出そうなほど熱いが、かなちゃんも、マリリンも、桜空も、みんなも応援してくれているのだから、素直に口にした。


「……順調、だよ。最近会えないけど、よく電話とかするし、会えた時は手を握ってくれるし」

「……そっか」


 たった一言ではあるが、ズッ友だからこそわかる。

 今までつらい思いをしてきて、それでも裕樹との約束を頼りにして、必死に頑張って、ようやく好きな人と幸せな日々を過ごせているのだ。

 それを間近で見てきたからこそ、その一言にすべての気持ちが込められていて、それが伝わってきた。


「よかったね、ミーちゃん」

「うん」


 マリリンも笑顔で祝福してくれる。

 きっと、みんなも同じだろう。

 そんなみんなと親友になれて、本当に良かった。


「ありがと」


 だから、自然と感謝の言葉が出る。


「……さ、伸びないうちに食べましょ! せっかくのおいしい蕎麦がもったいないですよ!」


 それを見届けると、桜空が蕎麦へと注意を戻してくれる。

 そのままみんなで感想を言いあいながら舌鼓を打っていた。



 ※



 季節は風のように移り変わっていき、春になった。

 未だに桜月は目を覚まさない。

 それでも、五月たちは帰ってくることを確信していた。

 その桜月に、そして、大切な人たちに、五月と桜空は会いに、千渡村に戻っていた。

 ちょうど、お彼岸の季節で、タンポポが咲き誇っている。

 目当ての場所は、三か所だ。

 そのうちの二つは、同じ施設にあるので、自転車で向かった。

 駐輪場に止め、荷物を持ち、しばらく歩くと、目的の場所についた。

 五月はそこに駆け寄るが、桜空は距離を置き、見守ることにした。


「……久しぶり、雪奈。元気してた?」


 ……。

 返ってくる言葉はない。

 それがすごく遠いところに行ってしまったことを突き付けるけれど、なぜかすぐそばにいる気がしてならない。

 それに、一番初めの親友だったから、恋人の妹だから、報告しなければならなかった。


「……わたしね、裕樹と付き合ってるんだよ。びっくりしたでしょ。恋人同士。それで、ね。まだ高校二年生になるくらいだから、早いんだけど、もし結婚したら、家族になるんだよね。

 なんか、不思議だね。まだ先のことはわからないけど……。わたしは、それがいいなって……。だから、いいかな? これからも、一緒でも」


 ……。

 とても静かで、風が草を撫でる音が響くだけ。

 だけれども、とても温かな風が不意に巻き起こり、葉がすれる音が鳴り響く。

 まるで、五月の言葉に応えるように。

 それは、五月に、「いいよ」と言ってくれている気がした。


「……ありがと。雪奈。じゃ、楓にも挨拶してくるから。またね。……絶対、幸せになるからね」


 しゃがんでいた態勢から立ち上がり、五月は桜空のところに戻る。


「ありがと。桜空は挨拶しなくて大丈夫?」

「……そうですね。ちょっと行ってきます」


 桜空も雪奈のそばへ駆け寄る。


「こんにちは。はじめまして、ですかね。五月の姉ということになりましたけど、あなたにとって、『桜空さくら』ということになります。

 ……。

 あなたたちのこと、守れなくて、ごめんなさい。

 でも、約束します。必ず、五月を、みんなを幸せに導きますので。やっと、乗り越えられたんです。だから、今は安らかに。

 また会いに来ますね」


 何度後悔したかわからない。

 もし魔法があったならば、あの時の事故はなかったかもしれない。

 もし魔法があれば、あの時の事故から救い出せたかもしれない。

 結局、全ては自分が、リベカが始まりだとしか思えない。

 古の魔法による因果に巻き込んでしまった。

 だからこそ、みんなで幸せにならないと、申し訳ない。

 雪奈が一緒にいられなかった分、五月のそばにいたいと思う。

 そのまま踵を返す桜空を、風が撫でる。

 少しでも許してもらえたような気がしてならなかった。




 その次に、楓のお墓に行った。

 楓と同じく、裕樹のこと、桜空のこと、幸せになることを報告した。

 そのほかにも、言うことがあった。


「……楓。あの時はありがと。手を伸ばしてくれて。暁家に迎えてくれて。本当にうれしかった。もしあなたがいなかったら、どうなってたことか……。ありがとね。わたし、幸せになるからね。それじゃ、またね」


 両親を失い、イワキダイキによって、体をえぐられたような傷を心に負った五月。

 それを救い出してくれたのが、楓、雪奈、裕樹。

 とくに、楓は家族になってくれて、ずっと一緒にいてくれた。

 手を伸ばしてくれた。

 だからこそ、少しでも前を向くことができたのだ。

 その感謝をしたかった。

 あるいは、それは楓たちの分も幸せになるという誓いでもあるかもしれない。

 いずれにせよ、雪奈にも、楓にも、ずっと見守ってもらいたい。

 だって……、二人も、ズッ友だから。




 そのまま二人は、自転車を再び漕ぎ、源神社のある山へと向かう。

 ただ、神社へと続く道とは違う、木々が生い茂った道に行くと、いくつもの石が並んでいた。

 ここは、代々の源家の者たちが眠る場所だ。

 そこのある場所へと二人は向かう。

 五月の両親である、まもる深月みづきのお墓だった。


「……お父さん、お母さん」


 楓と雪奈に伝えたことを、再び伝える。

 知って欲しかった。

 娘は元気に、幸せに向かって歩んでいることを。

 親友ができたことを。

 かけがえのない、姉ができたことを。

 恋人ができたことを。


 そして、桜空はもう一つ伝えたかったことがあった。

 源家を、古の運命に巻き込んでしまったことを、謝るというもの。

 自己満足かもしれないが、謝っておきたかった。

 そして、全てが終わったことも。

 そのすべてを桜空と伝え終わると、二人は立ち上がる。


「また来るね。幸せになって戻ってくるよ」

「それでは、失礼します。今は安らかにお眠りください」


 そのまま去ろうとするが、ふと桜空は一つの石に目を奪われる。


「……桜空?」


 五月が声をかけるが、気づかない。

 なぜか、桜空だけが感じ取れる、不思議な雰囲気。

 ……最愛の人と、同じ雰囲気を感じた。


 その石の目の前に来ると、それはもっと強くなる。

 それを撫でるが、何も書かれていない。

 だけれども、桜空はわかった。


 ……ここに眠っているのは、朝日だ。


 そう確信する。

 数百年の時を超えて、ようやく逢えた。

 突然の別れから、ずっとそばに感じられなかった。

 でも、今目の前にいる。

 まなじりに涙を浮かべながら、桜空はつぶやいた。


「……ひさしぶり。朝日。元気だった?」

「桜空……」


 茫然と五月は見つめていたが、桜空は気にならない。

 ひたすらに最愛の夫の雰囲気を感じ、永い時の空白を埋めていた。



 ※



 その後、二人は桜月が入院している病院を訪れた。

 病室の扉をノックするが、返事はない。

 やはり、まだ起きていないようだ。

 それでも、顔を見るだけでよかった。

 二人は中に入ると、眠り続ける姉の姿が目に入る。

 その傍らにある椅子に腰かけ、いつものことをした。


「じゃ、行くよ、桜空」

「はい」


 二人は魔力を集め、解き放つ。


「マジカル・シェア。リカバリー。ヒーリング」


 いつも、お見舞いに来たときは魔法を使って、少しでも早く目を覚ますように手助けする。

 それでも、毎回なにも起こらず、ただ見守るだけになっているのだ。

 早く起きてくれることを祈りながら。

 二人は魔法を使い、視線を桜月に向ける。

 ――その時だった。

 桜月の手が、少し動いた気がした。


「……っ!?」


 思わず息をのんだ、次の瞬間。


「……う、うーん」


 ……桜空の目が開かれた。


「さ、桜月!?」


 驚いた桜空は顔を桜月に近づけ、大声で呼びかける。


「……あれ? 母様? ……五月?」

「そうですよ! 私ですよ! 桜月、桜月……!」

「ご先祖様! よかった……。本当に良かった……」


 五月も駆け寄る。

 ……生きて、戻ってくれた。

 そのふんわりとした声も、触れ合った時の温もりも、以前のまま。

 なにより、誰一人欠けることなく乗り越えられたのだ。

 桜空にとっては、たった一人の娘であり、五月にとってはご先祖さま。

 そして、今は一番の姉だ。

 数少ない、「源」の名を持つ家族だ。

 五月と桜空は歓喜の涙をこらえられない。

 涙を浮かべながら喜ぶ二人を見て、しばらく桜月は茫然としていたが、やがて何をしていたかを思い出した。


「……ケセフ・ヘレヴは?」

「やったんですよ! ようやく、終わったんですよ!」

「……そうですか。よかった……」


 桜空の言葉で、桜月は終わったことを知る。

 それから、桜月も加わり、三人で泣いた。




 桜月も一か月入院した。

 今日は、退院の日だ。

 暁家に三人で集まり、話をしていた。

 ただ、決していい話ばかりではない。

 医者から聞かせられた、残酷な現実。

 黙っていた方がいいかと思い、桜月に治るかもしれないと思わせればもしかしたら本当に治るかもしれないと思い、医者は伝えなかったが、あえて桜月に伝えようと思った。

 これから幸せを目指すにあたって、決して目をそらしてはいけないからだ。

 桜月は今日まで、リハビリや治療をがんばった。

 ……それでも、体はボロボロだった。

 もう、歩くことができないということだった。


「……そうですか」


 それでも、桜月はそれを予期していたかのように、すんなりと受け入れた。


「……つらくないのですか?」


 五月が尋ねると、なんでもないかのように桜月は微笑んだ。


「うん。これくらい、なんてことはないよ。……まあ、やっぱり魔法を使えない体になっちゃったけどね」


 最後に桜月は寂しそうに俯く。

 そう。

 もう、桜月は魔法を使えない体になってしまった。

 一応、多少の魔力は集まるが、それだけでも体に負担がかかり、すぐに寝込んでしまう。

 それを治そうと様々な魔法を五月と桜空は使ってみたが全く効かなかった。

 桜襲はもう壊れてしまっている。

 つまり、桜月は帰れないということだった。


「でもね、いいんだ」


 それでも、桜月は笑った。


「こっちに来る時、戻れないって感じてたから。家族とか、蘭とか、大切な人に、お別れしてきたの。だから、大丈夫」

「桜月……」

「それに、母様。もう、終わったんです。だから、本当の意味で終わらせましょう? 魔法を滅ぼす時です」


 魔法を滅ぼす。

 かつて、桜空と桜月が約束した、災厄を回避するためのもの。

 幸せになるために、普通の女になるために、必要だったもの。

 それを成し遂げるときが来たのだ。

 桜月はもう帰れない。

 ケセフ・ヘレヴと、呪いはもうない。

 終焉の時が、ついに訪れたのだ。


「……」


 そのことを、三人は噛み締める。

 そして、ようやく決心がついた。


「……桜空、やろう」

「五月……」

「わたしたちの手で、全て終わらせよう? それが桜空の願いでもあるでしょ?」

「……はい」

「じゃ、宝物殿でやろうか。やっぱり、最後はあそこでやりたいんだ」


 宝物殿。

 桜空の時代から、現代まで、ずっと立ち続けている、唯一の建物。

 始まりの象徴と言えるものだ。

 そこで、全てを終わらせる。

 それがいいと三人は思った。


「そうだね。それじゃ、行こうか」

「はい」

「じゃ、ご先祖さま。魔法は使わないでください。わたしたちが終わらせます」

「うん。お願い」


 そこで一旦お義母さんに話をつなぐ。


「……そうかい。いよいよかい」

「うん……」

「それじゃ、行ってらっしゃい。無理だけはしないでくれよ」

「うん……。行ってきます」


 そのまま五月と桜空の靴をもって、再び部屋へ戻る。

 そして、魔力を集め、解き放つ。


「ゲート」


 最後の空間魔法で宝物殿へと渡る。

 懐かしいような、寂しいような、複雑な空気感。

 ……ああ。

 これで、終わりなんだね。


「じゃ、行くよ」

「はい」

「……お願いします」


 五月と桜空は再び魔力を集める。


「コネクト・トゥ・ヤサコニ・イオツミスマル」


 最後に遺った神器。

 それがイオツミスマル。

 桜空にとって、故郷そのもの。

 桜月にとって、母親との、運命の子との思い出。

 五月にとっては、全てを乗り越える、鍵となるもの。

 今までのことが、一瞬のうちに脳内を駆け巡る。

 つらいこともあった。

 それでも、最後には幸せになれるのだ。

 そのことを、リベカにも、もう逢えない人たちにも伝えたかった。

 みんなに届くように、魔力を五月と桜空は集める。

 そして。


「……アウェイキング・オブ・ヤサコニ・イオツミスマル」


 ついに、魔法が滅びたのだった。



 ※



 それから六年後、一人の女性と、一人のプロ野球選手が結婚式を挙げた。

 新婦は、望月五月。旧姓、暁五月。

 新郎は、望月裕樹。

 望月裕樹はプロ二年目で新人王を獲得したこともあり、大きな話題となった。

 新婦の五月は新人教師で、日々生徒への指導に明け暮れているとのこと。

 そして、すでに妊娠五か月だという。


 結婚式は二人の故郷である、千渡村の源神社で執り行われた。

 家族や友人はもちろん、村人、チームメイトも大勢駆けつけて大騒ぎだったとか。

 もちろん記念撮影もしたが、二人は大切な人たちとだけの写真も撮ったという。

 その写真と一緒に、数年前のお祭りにみんなで一緒に撮った写真を部屋に飾っている姿を報道されたのは、結婚式の後だ。

 そのインタビューで、二人はこう語った。


「最高に幸せです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る