第八話 ぬくもり 後編
……寒い。
そう感じると、徐々に体の感覚がよみがえってくる。
とりあえず目を開けると、なにか、大きなものが私の上にのせられている。
そして、私はあおむけになっている。
その状況から、私はどうやら布団の中で寝ていたようだ。
そう認識すると、だんだんと意識が鮮明になる。
とりあえず、布団から出ようとした。
「……寒い!」
おもわず突拍子もない声を上げる。腕を布団の外に出しただけで冷たくて、すぐに布団にくるまる。
バノルスはこんなに寒くないうえに、まだ体が重くて寒気がするので、余計に寒く感じた。
布団にくるまると、ぬくもりがまだ残っていて、ちょっと悪寒はするけれど、あったかい。情けないことだが、このままくるまっていたかった。
しかし、ふと疑問に思った。
「ここは、どこだっけ? 何があったっけ?」
とりあえず、この寒さは、悪寒があるとはいえ、バノルスとは考えにくい。それに、天井を見てみると、木でできていて、石や岩、レンガなどで家を作るバノルスとは考えられない。
そして、私の体調。周りが寒いが、布団にくるまっていても寒くて、体もだるい、だけども咳が出ていない状況だ。その症状に当てはまるのは。
「……魔力消費性疲労症、かな?」
そこまで状況を整理できると、なんで魔力消費性疲労症になったのかを思い出そうとする。
それで、思い出した。
その瞬間、涙があふれそうになる。
クーデターが起きて。
母が逃がしてくれて。
みんな見捨ててしまって。
みんなに見捨てられて。
一人で。
リベルがどうなったかもわからなくて。
逃げるためには仕方なくて。
ヤサコミラ・ガリルトで、逃げた。
なにも、できなかった。
涙があふれてくる。
でも、結局私は一人だ。
魔法しか能がない、ただの女だ。
そう思うと、自分の気持ちを抑えられなくて、むせび泣くことしかできない。
「A……ah! Do you get up? Are you OK?」
その時、急に男の人の声がする。
私は驚いて、まなじりを擦りながら、その人の方を向く。
肌の色は私と同じだが、変わった帽子をかぶった男の人で、見たことのない白い着物を着ていた。その帽子は、頭のてっぺんからかぶるような感じで、帽子が覆っていない頭の部分に生えている髪は、聞いたことも、見たこともない、黒色だった。
それを裏付けるように、彼の言葉が全く分からない。ただ、もしかしたら相手はわかるかもしれないので、とりあえず、「ここはどこですか」と聞くが、彼は困惑するだけ。言葉が通じていないようだった。
そのため、私は魔法を使って言葉をやり取りしようと思った。
「トランスレーション」
白魔法の一種、「トランスレーション」を使えば、自分が知った言葉で読むことができて、コミュニケーションもできる。それを使えば彼と話ができるはずだ。
「私の言葉がわかりますか?」
尋ねると、彼は驚いたように、素頓狂な声を出して返事をする。
「あ、はい! わかります! そ、それよりも! 体の方は大丈夫ですか?」
彼の勢いで、私はビクッとするが、一度深呼吸して落ち着いてから答えた。
「一応、大丈夫みたいです。まだ悪寒が少しして、体がだるいですが、もうしばらく休めば、元気になれると思います」
彼に安心してもらいたくて、少しきつかったが、明るくふるまう。
「そうですか。安心しました。山の中で倒れているのを見たときは、もうダメなんじゃないかって……。ずっと、心配だったんですよ。でも、……元気そうでよかったです」
そう言って、彼ははにかむ。
その笑みは、どこか、リベルに似ていた。
「急いであなたを連れて、手当てをして、ずっと看病した甲斐がありました」
つまり、彼が助けてくれたということか。
それだけじゃなく、ずっと見守ってくれて。
とてもうれしかった。
……が。
そこで、私の服が変わっていることに気付いた。
途端に、顔が熱くなる。
「あ、あのう……、すみません」
「はい、なんでしょう?」
彼は笑みを浮かべたまま聞き返してくる。
……今はちょっと、その笑みがいかがわしく思われるのは、気のせいだろうか。
「ふ、服は……、その……、もしかして……、あ、あなたが……」
……もしかして。
わ、私の体を……。
心持、布団に身を隠すように、手でより強く私の体にくるまらせる。
その言葉で、彼も顔を赤くする。
「あ、いえ、それは大丈夫です! 今田んぼに行っている、母上と、妹の菊にやっていただきましたので……」
「そ、そうですか……」
な、なんだ……。
まだ、リベルに抱かれてもないのに、そんなのをされるのは……。
とりあえず何もされずに済んでた……。
互いに縮こまってしまい、ぎこちなくなる。
「あっ、そういえば……」
私は布団から出て、彼に向き直す。妙な空気で、恥ずかしいうえに、寒いが、それを抜きにして、伝えなくてはいけないことがある。
「助けてくださり、誠にありがとうございます。
私、サラファン・トゥルキア・バノルスと申します。よろしければ、あなたのお名前をうかがってもよろしいですか?」
まだ互いの名前を知らないこと、何より彼に感謝していないことを思い出した。
「どういたしまして。自分は、朝日と申します。
よろしくお願いします、……えっと、バノルス」
朝日は私のことを家名で呼ぶ。
それだけのことだが、心に刺さる。
「あ、あのう……」
「はい、なんですか?」
「私のこと、サラファンと呼んでいただけないでしょうか? バノルスは、家名ですので、その……、た、助けてくださったのですから、親しくしたいなあと……」
対等に接してくれること。王女であった私にとって、日ごろからの願いで、家名で呼ばれるというのは、距離を感じてしまい、嫌だった。
それに、頼れる人がほかにいなかったので、彼とはなるべく距離を近くしたかったのだ。
ただ、男の人に「サラファン」と呼ばれるのは、リベル以外におらず、自然と私の頭の中で、「恋人」のような関係が浮かび、もじもじしながら言った。顔が熱い。赤くなっていることだろう。
しかし、朝日は少し驚いたように返事した。
「え……、バノルスって、家名なんですか? 自分はてっきり名前だと……」
朝日の言葉で、勘違いだったと理解する。そして、彼は名前の方で呼んでくれようとしているのがわかる。
なぜだかわからないけど、胸の中に安堵感が広がる。
そんな人は、家族を除いて、リベルだけだった。
そのリベルの代わりを、彼はしてくれそうで、距離が近く感じた。
「そうですね。バノルスは家名です。なので、サラファンと呼んでください」
「わかりました。よろしくお願いします、『サラサン』」
しかし、発音が正確に伝わっていないのか、「トランスレーション」がうまく発動できていないのか、それとも彼が発音できないのか、私の名前を正しく言えていない。
「『サラファン』ですよ」
苦笑しながら、正しい発音を再度伝える。
「ああ、すいません。よろしくお願いします、『サラサン』」
……。
これは、彼が発音できないせいなのかもしれない。
何度も正しい名前の「サラファン」を伝えたが、彼は「サラサン」としか言えない。
お互いに困ってしまう。
「そうだ! いいことを思いつきました!」
彼は不意に大きな声を出す。私はびっくりして彼の方を向く。
「あだ名で呼んでいいでしょうか?」
あだ名。本名とは別の名。
私は、王女だったため、失礼がないようにと、つけられたことはない。ただ、バノルスの民衆は、親しい人ではあだ名で呼ぶことも多いという。
つまり、対等で、親密な関係の証だ。
対等に扱ってほしかった、そして、今は一人の、私にとって。
救いともいえるもの。
とても、うれしかった。
「……はい。お願いします、朝日」
すると、気をよくしたのか、上機嫌に笑みを浮かべて、彼はその名を付けた。
「『
「桜空」。
「サラ」という音をした名前で、とても響きがよくて、可愛い名前だと思った。
しかし、気になる言葉があった。
「ありがとうございます。
ですが……、その、『桜』とは一体何でしょうか? 聞いたことがない言葉なので、教えてくださいませんか?」
これまで王女として、政治や魔法など、いろいろ学んできたが、「桜」など聞いたことがない。
そのため、いい名前だとは思うのだが、どのような意味が込められているのか、イメージができない。
一方の朝日は、私の言葉に、少しばかり驚いたようで、目を大きく見開いた。
「え……、桜を見たことがないのですか?」
「はい。見たことも、聞いたこともございません」
「そうですか……。『桜』というのは、木のことで、春に白から桃色の花を咲かせます。それはそれはきれいなもので、貴族などで和歌を詠む人も多いほどです。ちょうど咲いているので、ご覧になりますか?」
お願いします、と答えると、朝日は、木組みに白い、紙のようなものを張り付けた窓のようなものを、開け放つ。
日光が差し込み、私たちを強く照らす。まぶしくて、私は手で影を作る。
目が慣れると、そこには。
一本の、木があった。
それは、太いたくさんの根と幹で支えられ、大地にどっしりと構えているかのよう。
その様は立派で、力強く感じる。
しかし、幹からたくさん伸びる、枝の部分は、その力強さとは違う、可憐な雰囲気を醸し出している。
白から桃色に包まれていて、本当にこれは木なのかと疑ってしまうほどだった。
だけど、よく見てみると、それは、小さな花が一つ一つ咲いていて、その花がたくさん集まって、枝を彩っていた。
もはや、それは木ではないと思った。
まるで、天使のようだった。
「きれい……」
おもわずため息をつく。
それほどきれいだった。
これほどきれいなものは、見たことがなくて。
私の目は、その「桜」という木にくぎ付けになる。
さらに、桜の背後には、満天の青空。
コバルトブルーで、一層桜を引き立てていて。
これほど一本の木に心を奪われるのは、初めてだった。
「どうです? きれいでしょう?」
私の邪魔にならないように、朝日は桜がある方とは反対側に座る。そのまま、私を見ればわかるはずなのに、この景色が自慢なのか、朝日は得意げに私に尋ねてくる。
「ええ……。本当に……」
その可憐さに目を奪われ、無意識のうちに微笑みながら、朝日に向き直って答えた。
すると、彼が息をのむ。
それはそうだろう。
私が彼の前で初めて微笑んで。
それを背後の桜が彩っていたのだから。
最高の景色に彩られた、微笑んだ可憐な女に、目を奪われない男など、いないはずがない。
現に、彼は少し赤くなりながら、目線を合わせられずに言った。
「こ、これが桜です。あなたが笑えば、この桜のように、とても可憐だと考えて『桜空』という名前を考えたのですが……。そ、想像通り、……いや、それ以上でした……」
彼の賛辞に、私も照れくさくて、俯き、赤くなりながら言った。
「あ、ありがとうございます……。とても、とてもうれしいです。
『桜空』、『桜空』か……、ふふふ。
いい名前をありがとうございます」
うれしくて、笑みが自然と浮かぶ。
何だろう。
久しぶりに笑えた気がする。
なにより、彼から、この景色のように、可憐だと思ってもらえていることが。
とても……。
うれしかった。
そのせいだろうか。
胸が高鳴って。
ドキドキして。
とても、痛くて……。
リベルが言ってくれたことではないのに、リベルへの感情と同じようなものを持ち始めているのを感じて……。
とても、切なくなる。
会いたい。
自然と、目頭が熱くなる。
でも。
さらに彼に、朝日に頼まなくてはいけないことがある。
だから私は、いったん深呼吸して、心を落ち着けてから、彼に向き直る。
「あの……、朝日」
「何ですか?」
朝日は、変わりなく、明るく聞き返す。
「その……、ここに、居候させていただけませんか?
帰るところがなくて……。
私、料理とか、掃除とか、家事全般できます。
だから……。
ここに、いさせてくれませんか?
せめて、怪我が治るまでは……。
世話になっておきながらではありますが、お願いできますか?」
私には、帰るところがない。
味方もいない。
いるとしたら。
助けを求められるとしたら。
目の前の、朝日しかいなかった。
「……確かにうちは楽ではありません。それどころか、楽なところは、まずありません。
ですが、だからといって、あなたを追い出すわけにはいきません。
あなたはけが人で、病人なんです。
この家には、両親と妹もいますが、何とか説得しましょう。
優しい人なので、大丈夫だと思います。
それに、この家は名主でもあり、自分はその中でも、神社の管理を任された身なので、名主としての作物の徴収のほかに、神社としての作物の徴収もあります。
その分たくさん領主に納めなくてはなりませんが、やっていけないわけではありません。
だから、心配しないでください。
あなたは、ここにいても、大丈夫なんです」
ここにいても、大丈夫。
その言葉は。
すべてを失って、一人になってしまった私にとって。
一番、欲しかった言葉だ。
目が熱い。
慌てて顔を伏せるが、どんどん涙がこぼれてくる。
悲しくて、つらかった。
それが救われたような気がして。
涙が止まらなかった。
その時、朝日が私を抱きしめる。
会って間もないのに、そんなことをするのはおかしいと思ったけど。
なぜか、嫌な気はしなかった。
それどころか。
胸が大合唱を始めてしまう。
余計に顔が熱くなる。
おそらく、真っ赤になってしまうだろう。
そんなのは。
リベルしかいなかった。
「いいんですよ。
つらいことがあったんでしょう?
ここには誰もいませんから。
誰にも言いませんから。
泣いたって、いいですよ」
そういう彼のぬくもりが、暖かくて。
すべてを包み込んでくれて。
つらかった気持ちを抑えられなくて。
彼に抱き着いて。
彼の胸元で、号泣した。
※
それが彼――朝日との出会いだった。
その日から、私は「
彼からもらった、初めての贈り物だった。
その名前を口にするたび、彼とつながっている気がして。
彼のやさしさに触れられるようで。
救われる気がして。
あの穏やかな日々を思い出して。
……とても、切なくなる。
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