第二十一話 みんながいるから 後編

 病室には夕日が差し込む。

五月は「ブラスト」を使った時から、一週間も意識を失ったままだった。

 それを佳菜子と麻利亜、裕樹、ゆかりたちは、なにかの病気になって倒れたのではと不安に襲われていた。

 一週間も意識不明。そして高熱に襲われている。これを病気と思わずして、なんだというのか。

 しかし、医師の診断では原因不明。なぜ倒れているのかがわからないようだった。そのこともあり、佳菜子たちは猶更、五月のことで、気が気でないはずだ。


 サラも心配だったが、五月の様子から、どのような状態か知っていたので、幾分冷静に五月が目を覚ますのを待っていた。

 それでも、娘のようにかわいがっていた五月が目を覚まさないのだから、サラ自身の体験があるのだから、そして、「約束」があるのだから、早く元気な姿を見たいと願っていた。


 五月の症状は、明らかに「魔力消費性疲労症」の典型的なものだ。それも、重めのものである。こちらの地でそのような非現実的なことを、医師が知る由もない。

 魔力を大量に消費する「オラクル」で、赤魔法と青魔法の複合魔法である、「ブラスト」を習得して、その「ブラスト」を、未熟な状態で連発したのだから。それを自在に操っていたのは驚きに値するが、それは「オラクル」以上に体に負担を与え、少なくとも、マジカラーゼの活性が十分でないために、魔力が十分にない、十三歳の少女ができるようには思えない。


 しかし、五月「も」、もう薄まっているとはいえ、バノルスとガリルトの血を受け継ぐ者なのだ。それだけで魔法に関しては天才的であるともいえる。魔力量も常人をはるかに凌駕するほどだ。

 現に……。


 そのようにサラが思案していた時だった。

 ベッドからかすかな音がしたのだ。

 サラだけでなく、その場にいた佳菜子と麻利亜、裕樹、ゆかりも振り向くと、ベッドのしわに変化があった。

 それを確認すると同時に。


「う、うーん……」


 五月の声が聞こえる。


「さ、五月?」


 おもわず佳菜子が叫ぶ。麻利亜と裕樹、ゆかりも同様だった。



 ※



 耳に音が入ってくる。体に何かがふれる感覚がする。

 それがいったいなんなのか確かめようと、体に意識を向ける。

 その時、余計な力が入ったのだろう。何かが軋むような音がした。


「さ、五月?」


 そう叫ぶ声がする。


 誰だろう。知っている声だ。それも複数。

 ……久しぶりに聞いた気がする。

 その声を聞くだけでなんとなく落ち着く。

 わずかに残る寂しさが、穏やかにほぐれていくのがわかる。

 その声の主は誰なのか気になる。それと同時に、自分の目が閉じていたことに気付く。

 だから、目を開けてみた。


「……あっ」


 目の前に見えたのは、四人の顔。かなちゃんとマリリン、お義母さん、そして、裕樹だった。


「さ、五月? 気が付いたの?」


 マリリンが必死の形相で訪ねてくる。ほかの三人も同様だ。

 しかし、なぜみんながそんな風になっているのか、よくわからない。

 それに、ここはあまり見たことがないような場所だ。一度訪れたような気がするが、頭がぼうっとして思い出せない。


「ここは……?」


 だから聞かずにはいられない。それに答えたのはかなちゃんだった。


「病院だよ、巫女さん。覚えてないのかい? あたしが髪切られそうになった時、巫女さんが風起こして助けてくれたじゃん」


 それを聞いて、倒れる直前のことを思い出す。

 ……それから、ずっと見ていた夢のことも。


「ということは、わたしはずっと気を失ったままだったの?」


 マリリンに聞いてみると、五月の様子を確かめるように答える。


「それだけじゃないよ、ミーちゃん。すごい高熱まで出してたんだから。このまま起きないんじゃないかって、ワタシ、本当に心配したんだからね!」

「最初五月ちゃんが倒れたって聞いた時、俺、心配でどうにかなりそうだったんだよ……。本当、目を覚ましてくれてよかった……」


 裕樹が続き、かなちゃんとお義母さんに聞いても、同様の返事が返ってくる。


「うーん、心配かけちゃったみたい。ごめんね」


 素直に謝る。それをみんなは許してくれる。

 ……本当に、自分には過ぎた宝物だなと、五月は思う。

 あんなにひどいことをしたのに、それでもずっと心配してくれていたなんて。


 だから、五月は彼女らをもう傷つけないように。

 徐に切り出した。


「……気を失っていた間、夢を見ていました」


 それに静かに四人は耳を傾ける。


「とても、幸せな夢でした。

 お父さんとお母さん、楓と雪菜、みんながいて。

 わたしに双子がいることになっていて。

 裕樹とすごく仲が良くて。

 新しい友達もいて。


 みんなで、楽しく、一緒に過ごしていました。

 本当に、幸せな時間だと思いました。

 だから思ったんです。これが、わたしがほしかった、裕樹と約束した幸せなんだって。


 でも、それはもう、叶わないことです。

 確かに楓と雪菜、お父さん、お母さんはもういないですけど、夢の中で、ちゃんとお別れできたんです。ずっと一緒にいたかったですけど……。今のわたしには、佳菜子がいます。麻利亜がいます。ゆかりがいます。綾花がいます。そして、裕樹がいます。

 その夢のほうにずっといると決めてたら、わたしは帰ってこなかったでしょう。永遠にわたしの幸せは続くはずです。


 でも『みんな』は?

 わたしと別れて、悲しいんじゃないかって、思ったんです。

 わたしがそうだったように。

 わたしにとっての幸せは、もちろん自分の幸せもありますけど、みんなが幸せなことが必要だって気づいたんです。その中には、わたしも必要なはず。だったら、みんなを置いていけない。


 それはつまり、みんなで、楽しく、笑って、一緒に過ごすこと。それが、わたしの、わたしたちみんなの幸せだと思ったんです。

 それに気づかず、わたしはひどいことをしてしまいました。だから、謝らせてください。

 ひどいことをしてしまって、ごめんなさい」


 そう言って、五月は謝る。

 みんなのためと言いながら、みんなのことを考えず、相談もしないで、突き放してしまった。

 しかし、それは間違いだった。

 みんなと一緒にいたい。そんな自分の気持ちでさえも突き放していたのだと気付いた。

 そんな間違いをして、みんなを、自分自身を傷つけてしまった。

 それでも、みんなと一緒にいたかった。

 だからこそ、謝りたいと思った。

 みんなのほうを見る。


「五月、それはあたしたちも同じさ。あんたのつらさに気付けないで、源家当主の仕事ばっかりさせてしまっていたから、あんたが源家の柵に囚われているのを見過ごしてしまっていた。それが重荷になっているとも知らずに。

 佳菜子ちゃんと麻利亜ちゃん、裕樹もそれぞれの間違いがあった。だから、あたしたちだって悪い。お互い様なんだ。だから、謝らせておくれ。

 すまなかった、五月」


 かなちゃんとマリリン、裕樹も、お義母さんに続いて、口々に謝る。

 ああ。

 こんなにいい人たちだったんだな。

 そんな人たちと一緒にいられるなんて、なんてわたしは幸せ者なんだろう。

 そう思った。


 でも。

 これから伝えることを考えると、裏切りになってしまうのでは、とも思う。

 自分や、みんなに対しての。

 ただ、本当に幸せをつかむには、必要なことなのだ。

 だから五月は、それを臆せず言った。


「千葉佳菜子、佐藤麻利亜、暁ゆかり、望月裕樹、源家当主として命じます。

 ……源家当主、源五月に関わると、呪われる危険があります。

 ……命の危険まで。

 それを解決するまで、あるいは対抗手段を得られるまで、……千葉佳菜子、佐藤麻利亜、望月裕樹はわたしと接触しないよう、暁ゆかりは、わたしが中学生ということもあるため、必要以上にわたしと接触しないようにしなさい」

「え……?」


 四人の声が重なる。


 自分にとっての幸せである夢を見た五月の決断は。

 以前下したような、一人になる決断だった。


「ちょっと五月、なんでそうなるのさ? あたしたち、納得いかないよ!」


 そう叫ぶかなちゃんに、マリリンとゆかり、裕樹も頷く。

 予想通りの反論で、五月は落ち着いて答える。


「ごめん。でも、これはみんなのためでもあるの」


 四人はますます困惑する。


「確かに、さっきのわたしの話からすると、不自然に思うかもしれない。

 でも、わたしに関わると、不幸になる。そうでしょ?」

「でも、そんなの言いがかりじゃ……」


 マリリンが異を唱える。


「そうだね。……そうだと、いいね。でも、かなちゃんとマリリンは見たでしょ?

 ……わたしが、魔法を使ったところを」


 二人はそれを聞いて驚愕の表情を浮かべる。ゆかりと裕樹も同様の表情だ。

 当然だ。

 五月が魔法を使ったことを自白したのだから。

 それはすなわち、イワキダイキの妄言が、正しい可能性があることを示すのだから。


「あれは『ブラスト』っていう魔法なんだけど、使う直前に『オラクル』っていう魔法を使って知った魔法なの。

 ということはだよ?

 イワキダイキの言った、わたしに関わるとみんな死ぬっていうの、死ぬまではいかないにしても、何かしら、無意識に呪うって可能性が、あるんじゃない?


 でも、わたしは、それが嫌なの。わたしの幸せって、さっきも言ったとおり、みんな一緒じゃなきゃ嫌なの。でも、わたしに関わったら、欠けちゃうかもしれない。それが嫌。

 ……お父さん、お母さん、楓、雪奈をうしなった時みたいに。


 もう、あんな思いをしたくない。

 みんなにもさせたくない。

 たとえ、わたしが一人になるとしても。

 絶対に、譲れない。


 だから、それを解決するか、対抗する手段を得られるまで。その……、お願い。

 みんなを傷つけたくないの……。

 解決できなくても、わたしの魔法で、どうにかできるようにするから、だから! ……わたしと、しばらく、距離を、とって、ください……。お願い、します……」


 最後の部分は涙声になる。

 でも、これ以外にいい方法がない。

 五月と関わると不幸になってしまう。そして、五月は魔法を使える。

 それはすなわち、イワキダイキの妄言、「暁五月と関わると死ぬ」という妄言が正しい可能性があるのだ。

 五月は無意識に呪ってしまう可能性があるのだ。

 五月が魔法を使えることを知った四人も、その結論に至ってしまう。

 それと同時に、みんなと一緒にいたいのに接触するなと言った五月の気持ちを理解する。


「……源家当主」


 ……ただ。


「どうやって対処法を見つけるつもりだい?」


 ゆかりがそう言う。


 対処法。

 思えば、聞きたくなるのは当然だ。

 関係を疎遠にしたとしても、呪いを対処する手段、解決するための手段がなければ、みんな、納得できない。

 五月は深呼吸をして、落ち着いてから答える。


「……『桜空さくら伝』を読みます。それで、手掛かりを探します。

 それで見つからなくても、先ほど言った魔法の、『オラクル』があります。今はまだ不安定ですが、この魔法は、未来を見たり、新しい魔法を習得できたりします。それで有用な魔法を見つけ、練習をして自在に操れるようになり、『オラクル』で一定期間ごとの未来を予知することで、呪いに対処できるようにします。

 幸い、『オラクル』は、使用したときに必要なことを知られるので、ある程度はすぐできるようになると思います。ただ、まだわたしの体が対応できないので、とりあえず、まずはなれることから始めようと思います」


 おそらく、「桜空さくら伝」には何かしら書いてあると思われる。魔法を使えたという初代源家当主、源桜月が書き、その情報を検閲された内容となっているのが、今日の「桜空さくら伝」で、その原本には、伝わっていない内容が含まれているためだ。

 それに加え、「オラクル」で未来を見たり、魔法を習得することで、呪いに対処できるはずだ。誰かに見られても騒ぎにならぬよう、記憶を操作する魔法を得る必要があるとは思うが、「オラクル」を少しではあるが、使ったことで、その性質をある程度理解できていたので、その魔法もすぐに得られると考えた。


 正直、みんながこの話を理解できるとは思えない。現実に起こっていることではあるが、普通はあり得ないことのためだ。

 それでも。


「……そうかい。あまりよくわからないが、何とかできるんだね? 源家当主」


 ゆかりは、とりあえず手段だけはあることを知りたかったようだ。

 それに、五月は頷く。

 ゆかりがため息をつき、それ以上口を出さない。

 とりあえず、納得してくれたようだった。


 しかし、一同を沈黙が包み込む。

 空気が、重い。

 呪いを回避するためにも、疎遠になり、五月の負担を避けられない事実が、重くのしかかっていた。

 五月は、それでも、やるしかなかった。

 幸せをつかむには、ほかに手段がなかった。


「わかった……、五月」


 かなちゃんの声。

 五月も含めたみんなが、かなちゃんを向く。


「でも、これだけは忘れないで。

 あたしたちはズッ友だから。

 味方だから。

 つらくなったら、少しの間でもいいから、あたしたちに相談するぐらいはしてくれない?

 あたしたちだって五月を一人にしたくない。

 つらそうなところを見たくない。

 だから、その重荷を少し支えるぐらいのことはさせて。もっとあたしたちに甘えて。……お願い」


 それは、五月がお願いしたこととは、逆のこと。

 頼ってほしい。

 一見すると、今までの話を聞いていなかったと言われても、おかしくないこと。

 でも。

 かなちゃんの気持ちは、五月の苦しむところは、見たくないということ。

 そうなるくらいだったら、呪いに巻き込まれてでも、五月を助け出したいということ。

 それがわかった。

 ……やっと。


 今まで、何回も五月に言ってきたのだから。

 五月が魔法を使っていること、呪いの元凶なのかもしれないことを知っても、変わらないでいてくれたから。

 ズッ友だから。

 かなちゃんの気持ちを、理解できた。

 他のみんなの方を見る。

 マリリンとゆかり、裕樹も、かなちゃんと同じだった。

 ……みんな、五月のことを思ってくれていた。

 そのことを、改めて感じたから。

 四人を直視できない。涙で視界がゆがむ。


「……うん」


 嗚咽も交じり、うまく言えない。

 そんなわたしの背中を、かなちゃんが撫でてくれる。

 かなちゃんが言ってくれたことが、みんなの気持ちが、ありがたい。

 みんなと関わらないようにはするのは譲れない。

 みんなの幸せを壊してしまうかもしれないから。


 それでも、五月が潰れてしまっては水の泡。

 そんな五月を、誰も見たくないし、そうならないように、自分が巻き込まれても構わないと思っていてくれている。

 つまり、みんなも、五月が一緒でないと、幸せではないということ。

 五月が、みんなと一緒でないと幸せでないというのと、全く同じ。

 五月は、みんなも五月と同じく考えてくれていたから。

 五月の気持ちを理解してくれていたから。


「みんなを巻き込まないようにはするけど、つらいときは、みんな、よろしくね」


 みんなを頼ろうと思った。

 先ほど言ったこととは違うけれど。

 みんなの気持ちが伝わったから。

 みんながいるから。

 みんなを、頼ることができるんだ。



 ※



 日が暮れてきた。

 逢魔が時だった。


「……さて、そろそろあたしらはお暇しようかね。これ以上は五月に負担かけるだろうし」


 そうお義母さんがみんなに呼び掛ける。

 もしかしたら、もう二度と来ることのない時間が、終わろうとしていた。


「……そう、ですね……」


 名残惜しい。


「よし、じゃあ五月。元気でやるんだよ!」


 かなちゃんが、雰囲気が暗くならないように声を出す。


「五月、さっき言ったこと、『つらくなったら、相談をする』。忘れないでね。ワタシたちを、頼っていいんだからね」


 マリリンが、頼っていいと言ってくれる。


 一方の裕樹は。


「……」


 席を立とうとする様子は、見られない。


「裕樹……」


 思わず、裕樹の名を呼んでしまう。


「……五月ちゃんと、二人にしてもらっても、いいですか? すぐに終わりますので」


 裕樹はゆかりの許可を取ろうとする。

 どうやら、二人だけで話したいことがあるようだった。


「……わかった。あまり長くするんじゃないよ」

「感謝します」


 ゆかりが許可をする。

 かなちゃん、マリリンは、最後に五月を一瞥してから、ゆかりとともに病室を出た。


「……大丈夫、なのか?」


 裕樹がそう切り出す。


「……はい。大丈夫です。先ほども言ったとおりです。それに、もしつらくなったら、みんなに相談しますので、大丈夫です」


 五月は先ほどの繰り返し。先ほど伝えたことが、伝えたかったことのすべて。


「俺には、まだ大丈夫な気はしないな」

「……え?」


 しかし、裕樹の一言が五月に衝撃を与える。

 悪く言えば、五月のことを信用していないことと同義だからだ。


「だから、五月ちゃんに、これを」


 そう言って、裕樹は懐から、あるものを五月に差し出した。


「これって……」


 赤い組紐くみひもだった。


「覚えてるかな? 前に、雪奈と、楓ちゃんと、五月ちゃんと、一緒に作った組紐だよ。これは、俺が作ったやつ。

 お守りとして持ってたんだよ。

 これを、お守り代わりに、五月ちゃんが持っていてくれないかな?

 少しの間、離れ離れでも、この組紐で、俺たちがつながっている、結ばれていることを、思い出して、少しでも励ましになるように」


 今となっては、遠い記憶。

 楓、雪奈、裕樹との、幸せの日々。

 その欠片ともいえるものだった。


「……でも、裕樹は?」


 でも。

 そんなものだからこそ。


「これを持っていなくて、大丈夫なのですか?」


 裕樹にとっても、かけがえのないもののはずなのだ。

 それを手放して、本当にいいのか、本当に大丈夫なのか。

 聞かずにはいられない。


「俺は大丈夫。俺よりも、いつも一人になってしまう、五月ちゃんに持っていてほしいんだ。

 俺や、雪奈、楓ちゃん、そして、佳菜子ちゃんと麻利亜ちゃん、ゆかりさんに綾花さんの思いと、五月ちゃんを結ぶもの。

 俺はそう思う。

 俺はみんなと会おうと思えば会えるけど、五月ちゃんは会うことさえ慎重にならなきゃいけない。だからこそ、この組紐が、みんなの代わりとして、五月ちゃんに必要だと思うんだ」


 裕樹はそう言って差し出してくれる。

 裕樹の言うとおりだと思った。

 そして、五月が自分から言ったことを思い出した。


「……わかりました。『みんなを頼る』って言いましたからね。頼らせていただきます。

 ありがとうございます、裕樹。

 絶対、また、幸せな日々を送れるようにしますので、それまで、この組紐を頼りにさせていただきますね」


 そう言って五月は受け取ると、自分の黒髪に結いつけた。


「……似合ってる、裕樹?」

「……うん、可愛いよ、五月ちゃん……」

「……ありがと」


 互いに見つめあう。

 互いに満たされあい、自然と笑みが浮かぶ。


 こんな時間が、いつまでも続けばいいのに。

 そう思う。

 でも、今はまだそれは叶わない。

 前に進まなくてはならない。

 これ以上つらい思いをさせてはならない。

 そう思ったから裕樹は、思わず打ち明けたくなった想いを、すんでのところで飲み込んだ。


「……じゃあ、五月ちゃん、最後に、また約束をしよう」


 一呼吸してから裕樹が言った。


「約束、ですか」


 以前にもこのやり取りがあった。


「そう、約束」


 楓と雪奈たちを失って、絶望にとらわれていた時。


「『絶対に幸せになる』というものだ。

またここで、改めて約束しよう。再出発するために」


 それを、今、再びする。


「そう、ですね」


 五月は、笑顔で応える。

 そして、お互いの小指を絡ませて。

 互いの温かさを味わいながら。

 裕樹のぬくもりに包まれながら。


「それじゃあ、約束」


 裕樹と声をそろえて言った。


「絶対に幸せになる」



 ※



 ……言い出せなかった。

 言い出せるわけがなかった。

 それが、五月ちゃんにとって、残酷な意味を持つことくらい、わかっていたから。

 この気持ちを伝えられたなら、どれだけよかっただろう。

 それだけでなく、互いに思っていたとしたら、俺は、そして五月ちゃんは、どんな気持ちになっただろう。

 幸せに違いない。


 でも、……それはできない。

 五月ちゃんは、怖がっている。

 みんな呪ってしまうんじゃないかと、怖がっている。

 五月ちゃんは呪いを、無意識に、大切な人たちにかけていると思っている。


 俺は、否定したかった。

 でも、できなかった。

 呪いで死んだ人は、五月ちゃんの両親、楓ちゃん、佳菜子ちゃんのお母さん。

 そして、雪奈……。

 その時の五月ちゃんを知っているから、そして、今、五月ちゃんが考えている幸せを聞いたから、もう、どうしようもなかった。

 五月ちゃんを、一人にさせるしかなかった。

 それが、ひどく悲しい。

 無力だと思った。


 そんなときに言ってくれた佳菜子ちゃんの言葉が、五月ちゃんを、そして、俺を動かしてくれた。

 五月ちゃんは、みんなの気持ちをわかってくれて、つらいときは頼ると言ってくれた。

 それだけでも、うれしかった。

 でも、俺は五月ちゃんがどん底だった時を知っている。

 二度と、そんな姿は見たくなかった。

 五月ちゃんの、その姿だけは。


 だから、解散するとき、俺だけ五月ちゃんのところに残って、組紐を渡したんだ。

 それは、確かに大切なもの。

 雪奈たちと一緒に過ごした思い出の欠片。

 雪奈が死んでから、ずっと、雪奈の代わりだと思って、大切にしてきたものの一つ。

 でも、だからこそ、五月ちゃんに必要だと思った。

 これから、一人になる五月ちゃんの支えになると思った。

 雪奈と、楓ちゃんと、俺との思い出の欠片だから。


 ……それに、たまたまだけど、赤い色で、組紐で、糸を組み合わせて作ったものだから。

 もし、彼女の呪いが解けたのならば。

 この気持ちが届くように。

 だけど、一番は彼女の幸せ。

 幸せになってくれるのならば。

 喜んで、思い出の欠片を託そう。

 ……だから、どうか。

 「約束」を果たせる日が、訪れますように。

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