第二十四話 夷門関再び
張石はようやく軍を発し、西に向かって進み始めた。魯の呉子明は動く気配がなく、南方の
兵を失った司馬偃は夷門関まで後退し、この地に兵を結集させた。つまり、梁の旧領は放棄したも同然であり、何の抵抗も受けぬまま張石は梁の旧領全てを占領下に置くことができた。
ここで、軍の者たちの中には、張石に対して「梁王を名乗ってはどうか」と進言する者も現れ始めた。梁の旧領を全て掌中に収めた今となっては、呉子明などより余程梁王の名が相応しい。
だが張石は、首を縦には振らなかった。あくまでも、今はまだその時ではないという姿勢を貫いたのである。
張石はありったけの攻城兵器を用意し、二十万の兵で決戦を挑んだ。そこからは、ひたすら力押しである。
「
田管は、そう指示を出した。直ちに前線に
野戦ではなく攻城戦ということで、田管の騎兵隊の出番はなかった。田管はかつて夷門関に立て籠もって呉子明軍と戦った経験を買われ、攻城戦の前線指揮を任されている。
甬道を破壊されて連絡を断たれたことで、砦の防御力は目に見えて弱体化した。まず手始めに、手前側左右に張り出した二つの砦が張石軍の手に落ちた。残るは奥側にある最後の砦のみである。
司馬偃軍の兵は少なく、激しい抵抗は最早行えなくなっている。張石軍は全力を以て攻撃を仕掛けた。連日の攻防の末、ようやく城門内に兵が殺到し、あっという間に占領してしまった。司馬偃は逃走しようとしたが、張石軍の騎兵に追いつかれ、最早逃げることも叶わぬと剣を引き抜き、自分の首を刎ねた。こうして、張石軍は夷門関を陥落させたのである。
張石軍は勝利に湧いた。この勢いで、武陽まで攻め上らんばかりである。
一方で、勝利を喜びながらも冷静さを失っていないのが、張舜である。彼は、田管を降伏させて夷門関を掌中に収めた呉子明が、結局は公孫業に攻め立てられて関を放棄し撤退させられたことを思った。まだ武陽までには距離があり、敵の抵抗があるであろうことも十分に予測できる。
夷門関を占領した張石軍であるが、流石に将兵の疲労は無視すべからざるものであった。本来であれば敵に迎撃の準備を整えさせたくはないが、下手に焦って疲れた兵を動かしたとて、まともには戦えぬであろう。当面の間、張石は兵を休養させ、英気を養わせることに努めた。
田管は、夷門関近くの練兵場で、一人、馬を走らせていた。
「はっ!」
疾駆しながら、矢を番えて引き絞り、ひょうと放つ。その矢は真っ直ぐに飛び、的の中心に吸い込まれるように命中した。それから立て続けに、馬を走らせ、その背の上で跳ねながら矢を放った。それらはいずれも、的の中心から外れることはなかった。
「ふう……」
額に溜まった汗を袖で拭う。張石軍に迎えられてからの田管は、武術に関しては一貫して教える立場であった。そのため、一人で騎射の鍛錬をするのは久しぶりである。
田管は、あの仮面の騎兵のことを思い出した。悔しいが、今の自分では、あの者には及ぶまい。降伏した敵兵の中に彼の姿はなかったことから、これから先、またあの仮面と相まみえる可能性は存分にある。いや、必ずまた戦場で出会うであろう。彼は馬術も弓術も傑出しているが、真に恐ろしいのはその冷静さと度胸である。自軍が総崩れになっている時でも、彼とその部下は全く取り乱すことなく即応してくる。
今の所、全ての戦いで決め手になっているのは張舜の策である。普軍は仮面の騎兵を擁していつつも、大局的に見れば敗戦を重ねており、武陽までに王手をかけられている状態だ。だが、いつか、あの仮面が策を真正面から打ち破ってくることもあるかも知れない。そうなれば、張舜の身が危ない。
「私が、守ってみせる」
あの者から張舜を守れるのは自分だけだ。そういう自負が、田管にはある。だから、負けるわけにはいかない。次こそは討ち取る。そう胸に誓ったのであった。
夷門関陥落の報を受け取った李建は、流石に身の危険を感じていた。呉子明軍を東の果てへと追いやった時には、反乱の鎮圧も時間の問題だと思っていたけれども、代わりに台頭してきた張石なる男の軍が、公孫業を捕らえ、孟錯を打ち負かし、その勢いで西へ攻め上って夷門関を陥落せしめるという破竹の快進撃を続けている。
李建は国都近辺で労役に当たっている罪人十万人を、すぐさま召集させた。士族たちからなる軍は首都防衛のために残しておかなければならない故に、こういった方法で兵を集めるより他はない。
「敵の首を挙げれば、
そう言われれば、罪人たちも懸命に戦おうものである。罪が許される可能性がある以上、労役などに送られるよりはずっといい。
「かくなる上は私が指揮を取ろう」
濃い髭に覆われた大男が、その役目を負うべく名乗り出た。その男こそ、李建の長男の
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