第十四話 直阜の戦い その一

魏遼ぎりょう、よくやった」

 王敖軍の本営で、眉の白い、年老いた甲冑姿の男が、自分よりも頭一つ分以上小さい少年兵士に労いの言葉をかけていた。その少年も目の前の老人同様帯甲しており、その目元は黒塗りの仮面で覆い隠されている。仮面の孔から見える碧眼は、まっすぐ老人の方を見上げている。

 この老人こそが普の主力軍を率いる王敖将軍であり、魏遼と呼ばれた少年は、呉子明軍を恐怖させている例の銀髪碧眼の騎兵である。

 北方で長年騎馬民と戦ってきた王敖は、降伏してきた騎馬民の部族たちも受け入れ、現地採用という形で自らの傘下に加えていた。その中に、この魏遼という少年がいた。夷狄いてきと呼ばれ蔑まれる異民族を軍に加えることに、周囲からの反発がなかった訳ではない。特に古参の将兵の中には、彼ら蛮族と同じ釜の飯を食うことを嫌がる者たちもいた。故に、百人規模の部隊長以上の地位を与える夷狄出身者は、中原人と同じ姓を与えたのである。名を変える、というのは即ち夷狄の彼らが中原に帰化したことを現わしている。魏遼も、本名は別にあるのだが、王敖の傘下に加わったことでこの名を与えられ、中原の人となった。

小臣わたくしには勿体無いお言葉です」

「まぁそう言うな。お前の働きは皆が認めている所だ」

 魏遼は、王敖が見出した夷狄の兵の中で、最も優れた素質を持っていた。王敖が魏遼を軍に迎え入れたのは彼が十三の頃で、それからまだ一年しか経っていないのであるが、若いながら弓馬の術は軍中でも抜きんでており、咄嗟の判断力にも秀でている。それによってこの少年は、若年で尚且つ夷狄の出身という条件を備えながらも周囲の信頼を勝ち得たのである。このような逸材は、王敖の武官生活四十年の中で初めて目にするものであった。

 

 王敖軍の勢いは、全く衰えることはなかった。公孫業が敗北し張石軍の虜囚となったことは少なからず王敖にも衝撃を与えたが、それが却って王敖に決断させたのである。

「呉子明軍を撃滅し、返す刀で張石軍を迎え撃つ」

 そこからの行軍は、まさに電光石火であった。宋商の送った許雍軍十万はあっという間に打ち破られて潰走してしまい、呉子明軍もまた追い詰められ、どんどん東へ後退させられていった。戦いの主導権は、完全に王敖の側に握られた。

「これ以上は抗しきれぬ」

 そう判断した呉子明は、幕僚たちと僅かな手勢を引き連れて梁の旧領を放棄し、魯の国内へ逃げ込んでしまった。呉子明が占領した梁の旧領の北部地域は、全て王敖が取り戻した形になったのである。

 張石軍が動き出した頃、すでに王敖軍はそれを迎え撃つ準備を整え、南西へ軍を向けて行軍を開始していた。予想外の速さに、張石も張舜も、驚愕せざるを得なかった。

「やはり王敖は只者ではない」

 と、張石もうなった。

 やがて、北東に進む張石軍と、南西に進んでこれを迎え撃つ王敖軍が、直阜ちょくふという土地で衝突した。

 

 田管率いる騎兵四千は、総大将張石直属の中央軍の前列右側に編入されていた。太鼓の音を合図に、騎兵隊は一斉に敵に向かって突撃した。

「臆するな! 今までの訓練を思い出せ!」

 銀髪を揺らしながら、田管が声を張り上げる。騎兵隊の動きは改善を重ねられて手慣れたものとなっている。これまでは田管個人の力量に頼るような部分があったのが、そうではなくなっていた。田管の指導の賜物である。

「くっ……張石軍にこれほどの騎馬隊がいるとは……」

 王敖軍の騎兵も、これには少々驚いているようであった。彼らは北方の騎馬民、つまり馬を操るためだけに生まれてきたような者たちを相手に戦って生き残ってきた者たちであり、騎馬同士の戦いであれば負けない自負があった。呉子明軍にあまり強力な騎兵が存在しなかったのも、そういった驕りに拍車をかけていた。自分たちに対して、互角の戦いを演じて食い下がっている敵の存在などは、全く予期していなかったのである。

 そうして、初日の戦いが終わり、両軍は陣地へ引き上げていった。

 

 その後も、連日のように衝突は続いた。中央軍、左軍はいずれも互角の戦いであった。数の上では王敖軍に利があるが、呉子明軍と戦った後、強行軍で張石軍とぶつかったため、疲労が溜まっているのだ。だが……

「右軍の消耗が激しすぎる」

 本営にはひっきりなしに伝令が届いている。張石と、その左隣にいる張舜は、敵の左軍とぶつかった右軍が急速に削られ崩壊間近の様相を呈していることを怪訝に思った。

「あの仮面の騎馬がいるのか……」

 張舜は、右軍が削られている原因を、噂になっている例の騎兵に求めた。銀の髪をかぶとから垂らし、目元は仮面に覆われているという、謎多き騎兵。呉子明軍を相手に暴れ回り、恐怖の象徴として扱われていた者である。それが、どうやら敵の左軍にいるらしいという報を受け取っていた。

「このままじゃ中央軍が側面を攻撃される」

「では、援軍を送るか」

 父である張石が、張舜に問う。

「そうしたいけど、こっちも手一杯だ。あんまり余裕はない。ここは右軍を下げてこの地点で迎え撃たせよう。こっちが敵軍を押し切ったら援軍を出そう」

 張舜は盤上の地図においてある、右軍を示す木製の駒を移動させた。そこは山に挟まれた狭い道で、この地に陣取って守れば数が劣っていても守りやすく、加えて騎兵の機動力も殺すことができる。その間に中央軍が敵を押し込めば、そちらに援軍を回すことができる。

「この地を抜いてくるようなら……その時は田管隊に頑張ってもらうか」

 こちらにも、田管という騎射の名人がいる。例の騎兵が敵左軍にいるなら、それに対抗できるのは田管しかいないであろう。張舜はそのように考えたのであった。

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