第八話 成梁攻略戦 その二

 楊龍軍三万は、騎兵一万、歩兵二万という軍容である。騎兵を使って張石軍の横腹を急襲、分断し、歩兵に包囲殲滅させる。楊龍の頭の中にある戦術はそのようなものであった。

 馬蹄が砂煙を巻き上げ、甲冑の揺れる音がけたたましく響く。反乱軍に対して逃げ出さずに抗戦を選んだ者たちだけあって、楊龍軍の練度と士気は高い。

 視線の先に、張石軍の姿が見え始めた。まさにその時であった。

 楊龍軍の左方、つまり東側の林から、騎兵が飛び出してきたのである。黄塵を蹴立てて突進してくるそれは、猛然と矢を放ってきた。

「な、何だと! 馬鹿な!」

 思わぬ方向から奇襲を受けた楊龍軍はたちまちに崩れた。突然現れた騎兵にろくな抵抗もできず、彼らの放つ矢弾に射抜かれ倒されていく。

 この騎兵隊を率いているのは、田管であった。西進して安城へ向かう本隊を囮にして追撃を誘い、反対側の東の林に騎兵を待ち伏せさせておいて奇襲攻撃を行う。これが張石軍の策だったのである。

「歩兵は円陣を作れ! 騎兵は左右に展開! 殲滅せよ!」

 楊龍も、ただ一方的にやられるばかりではない。素早く指示を飛ばし、残存する歩兵を密集させて円陣を組ませた。戟兵が盾と戟を構えて外円を守り、その背後から弓兵弩兵が矢弾で攻撃を加える。さらに騎兵が左右に翼を張り、歩兵の円陣と合わせて三方向から田管の騎兵隊を撃滅する構えを作り上げた。田管の率いる騎兵の数は四千で、楊龍軍の兵数には大きく劣っている。

 対する田管隊も、楊龍軍の対抗策に即応した。歩兵の円陣から離れて距離を取り、騎兵を誘い込んで騎馬同士の戦いに持ち込んだのである。楊龍軍の騎兵も、田管隊を放っておく訳にはいかず、これを追い始めた。歩兵と騎兵が切り離されたのである。

 呉子明軍と戦っている時には、広い平野で正面からぶつかる機会がなかった故に殆ど発揮されなかったが、田管が本来得意としているのは、野戦における騎兵戦である。田管は果敢に突進し、次々と敵兵を射倒していく。その碧眼に捉えられた者で、矢に貫かれて倒れない者は一人としてなかった。

 両軍の騎兵は矢弾の驟雨を浴びせ合った。数では負けているものの、田管隊は一歩も引かない。その中でも、田管の騎射の正確さと速さは群を抜いている。

「な、何だ……化け物か……奴を集中攻撃せよ!」

 楊龍軍の騎兵は、田管個人に狙いをつけ始めた。だが、田管はまるで自分の手足であるかのように馬を操り、のらりくらりと矢をかわす。そして、田管に狙いが集中したことで、楊龍軍の騎兵隊に隙が生まれた。田管軍の騎兵はがら空きの背や横腹に向かって矢を放ち、一気に敵騎兵を倒したのである。

「持ちこたえろ!後もう少しで我らの勝利だ!」

 敵兵の放つ矢弾を回避しながら、田管は馬上で叫ぶ。一進一退の攻防であったが、田管個人の働きと、それに引きつけられて楊龍軍が隙を晒したことで、田管隊がやや優位に立ちつつある。円陣を組んだ歩兵が騎兵と切り離されて棒立ち状態となったのも大きいであろう。

 そして、田管が待ち望んでいたものが、戦場に姿を現した。

「かかれ!」

 西へ向かっていたはずの張石軍の本隊が、楊龍軍の円陣を背後から襲ったのである。

「な……奴ら、もしかして最初からこれを狙って……」

 歩兵の円陣の中央で指揮用の馬車に乗っている楊龍は、目前の大軍を見て泡を食ってしまった。城壁の包囲を解き、長い隊列を晒しながら西へ向かったのは城内から軍を誘い出すためで、騎兵を待ち伏せさせたのは隊列の伸びた本隊を守ると同時に時間を稼ぐためであった。楊龍はその策の全容を察したが、それが分かったとて遅きに失している。

 これによって、楊龍軍は前後から挟み撃ちにされる形となってしまった。歩兵の堅陣も数の前には無力であり、もはや全く抗しようもない。

 円陣の中央で守られていた楊龍は、すぐさま敗北を悟り自刃した。残った副将と兵たちは、最早抵抗の術なしと、降伏を取り決めた。


 こうして、張石は成梁を手に入れた。だが、これで終わりではない。まだ梁の旧領の内で南西の部分は普の支配下にある。そして、普の王朝に対して反旗を翻した軍である以上、いずれは普の国都である武陽の攻略にも取り掛かる必要がある。

 側近の内の幾人かは、張石に進言した。

「成梁を手に入れた今、張将軍は梁王も同然です。梁王を名乗ってください」

 だが、張石はそれをやんわりと退けた。今はまだ、その時ではない。今梁王を名乗れば、先にその号を名乗った呉子明と、いらぬ軋轢あつれきを生みかねない。梁の北部を支配する呉子明は確かに目の上のこぶではあるが、今は普という共通の敵と対峙する者同士でもあり、まだ敵対する時ではないのだ。


 田管は、成梁の市街地を歩いていた。何処となく陰気な雰囲気は、天下の騒乱をそのまま表しているかのようである。

 田管の家は梁に仕えた家系であるが、彼が成梁の城内に入るのは、生まれて初めてのことである。生まれた頃にはすでに梁という国はこの世になかったので、そういう意味では梁人とは言えないのかも知れない。それでも、懐かしい香りを仄かに感じてしまうのは、自分の内に流れる梁の血によるものなのであろう、と思った。

「そこのお兄さん」

「ん? 私か」

 突然、田管に声をかける者があった。甲高い子どもの声である。声の方を向くと、そこに立っていたのは、声の印象の通りの、小柄な体躯の少年であった。

「お兄さん、田管さまでしょ。普の将だったっていう」

「如何にもそうだが」

 妙に馴れ馴れしい口調の少年である。それでもあまり棘を感じないのは、多分見た目の印象のせいであろう。その顔貌は整っていると同時に温和さを感じさせるものであり、それでいて横一文字に切り揃えた前髪や左の目元にある黒子ほくろは、温柔さの中にも色っぽくあでやかなものを添えている。

「ああ、まだ名乗っていなかったね。僕は張舜ちょうしゅん。張石将軍の息子さ」

 名乗りながら、目の前の少年、張舜はにこりと笑った。この少年が、張石の息子……田管は目を見張った。

「張将軍の……無礼をお許しください」

「いや、いいんだ。それに一度田管さまとお話がしてみたかったんだよね。まぁ、立ち話も何だから、他に用事がなければこっちの屋敷に寄っていってよ」

「それなら構いません」

「じゃあ決まりだね」

 そうして、田管は張石が仮の住まいとしている屋敷に通された。

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