第三話 夷門関の戦い

 夷門関に到着した田管は、そのまま関所の衛兵を配下に加え、急いで糧食や矢などを運び込み、呉子明軍を迎え撃つ用意を整えた。

「さぁ来い。賊軍ども」

 田管は東の空を睨みつけた。

 やがて、烽火台ほうかだいから、高らかに狼煙のろしが上がった。呉子明軍の姿を捉えたのだ。そして、東の地平線から、雲霞うんかの如き大軍が迫ってくる。渦巻く民の怒りが、暴風のように吹き荒れて、夷門関に襲い来る。

 まず、呉子明軍に牙を剥いたのは、落とし穴であった。それを切り抜けた先には、拒馬きょば柵が互い違いになるように配置されており、これが立ち塞がった。そして、ここにもまた、鉄蒺藜まきびしがあちこちに撒かれている。それらは大いに彼らの足を削いだのであるが、結局は時間稼ぎにしかならない。そうして、数々の防備を切り抜けた呉子明軍が、とうとう夷門関の前に姿を現した。

「攻撃開始!」

 関の前方左右には砦が築かれており、関と砦は斜めに甬道ようどうで繋がれている。その左右の砦から、弓弩の兵が、突進してくる呉子明軍の歩兵に向けて矢弾の斉射を始めた。反乱軍の兵士は次々と矢に貫かれて倒れてゆくが、それでも次から次へと、無尽蔵ではないかと思わせる程に兵が湧いてくる。矢のみではなく、投石機から岩石を発射したり、城壁の真下に殺到した兵に熱湯を浴びせたりと、とかくあらゆる手段で田管軍は攻撃を加えた。

 呉子明軍はそれでも全く挫けなかった。そも、普に対して反旗を翻した時点で、三族族滅は免れない。戦いを諦めても生き延びる道などないのであるから、反乱軍の兵士は全員、死兵のようなものである。

 太陽が西の地平線へ没しようという時刻となり、呉子明軍は一先ず退却していった。一日目の攻防が終わったのである。

 数日は、同じような攻防が続いた。呉子明軍の兵士は、そうしている間にも続々と夷門関の前に集まってくる。もう、関に通じる街道に設置した数々の仕掛けは、全て取っ払われてしまったであろう。田管はその秀麗な双眸を細めて、常時苦い顔を浮かべていた。

 そうして、数日が経った。

雲梯うんてい、来ます!」

 とうとう、呉子明軍の側から、大型の攻城兵器が姿を現した。雲梯とは城壁を登るための折り畳み式の梯子を備えた車である。それは遠方から、じりじりと接近してきていた。

「よし、火矢を使え!」

 砦の指揮官の号令で、火矢を番えた弓兵が城壁の上部に姿を現し、接近してくる雲梯目掛けてそれを射かけた。火矢の命中した雲梯は、立ちどころに炎上し、焼け落ちていった。

 攻城兵器による短期決戦は、取り敢えず防いだ。だが、それでも事態は全く好転しない。依然として、官軍の側に後詰の援軍は来ないのだ。

「まずいな……矢が足りぬ」

 田管は糧食よりも、矢の心配をしていた。兵糧攻めにされずとも、矢がなくなれば抵抗の手段はほぼ潰えると言っていい。数で大きく劣る相手に、刀槍矛戟とうそうぼうげきを取って真正面から白兵戦を挑めるものでもない。

 かといって、関を放棄することもできない。普の法では敗軍の将は斬刑であり、関の放棄は田管自身の死を意味する。

 もし、このまま援軍が来ないのであれば、諸手を挙げて降伏してしまおうか……そう考え始めていた。元より自分の家は、普ではなく、普に滅ぼされた梁に仕えていた一族である。田管が生まれた頃、梁という国はすでになく、普に併合され消滅していたのであるが、それでも彼の父は梁のでん一族の誇りを持っていた。故に、幼い頃より、田管の心には、梁という亡国への憧憬が抱かれていたのである。

 それでも、田管は自らの職責を放棄はしなかった。もしやすれば、援軍が来ないとも限らない。そう信じて、連日襲い来る敵から関を守り続けた。

 田管と呉子明軍の戦闘によって、夷門関の東西、つまり普の国都武陽と東方の領土との交通は遮断された。東方から武陽に入るには、南部に迂回して入るより他はない。これぐらいの騒ぎになれば、流石に国都の方でも話題になるであろうし、そうなれば援軍を寄越してくれるはずだ……田管はそう考えていたが、一向に援軍が到来する気配はなかった。

 このような状況を鑑みて、田管は一計を案じた。

 夜、田管自らが、騎馬の壮士三百名を率いて、こっそりと出撃した。馬の口にばいを含ませ、呉子明軍の陣地に忍び寄った。

「今だ! 攻撃!」

 呉子明軍の兵は、暗闇の中、自軍の松明に照らされる碧眼を見た。その眼は、敵軍の大将、田管その人のものである。突然の攻撃に、呉子明軍は大混乱に陥った。これまで山のように動かなかった田管軍が、夜襲を仕掛けてきたのである。田管率いる騎兵は、呉子明軍をさんざんに打ちのめし、その将である班裕はんゆうの首を取った。その勢いで陣地を荒らし回り、矢と糧食を奪って、日の出る前に帰還した。

 夜襲の成功に、田管軍は大いに湧いた。だが、田管自身の表情はちっとも晴れない。夜襲が成功したとて、結局これも、危険を冒す時間稼ぎに過ぎない。しかも、次からは対策を講じてくるであろうから、詰まる所初見殺しの奇策というより他はない。将の首を取るには取ったが、敵軍を動かす根本の動機に普の統治に対する怒りというものがある限り、彼らを完全に止めることはできない。

 どうして、こんなことになってしまったのか。一体、我々は何を間違ってしまったのか、田管はそのようなことを考えた。考えてみると、そもそも、普の統治が全て間違っているのではないか、という考えに至った。勿論、そのようなことを木っ端の武官に過ぎない自分が口に出せば、すぐさま捕らえられて斬刑にでも処されようものである。そのようなことは考えたとて仕方のないことであった。

 田管軍は、ひたすら粘り強く戦った。この数の違いでよくぞと言えたものである。しかしそれも、もう限界に近づいていた。

「城門を開けよ。我らは降伏する」

 糧食や矢が底を突いてきた、というのもある。だが、それ以上に、田管の心が負けたのだ。この若い美貌の武官は、いつまで経っても援軍を寄越さない普の朝廷に対して、忠誠心を保てなかった。端的に言えば、愛想を尽かしたということである。

 田管の目の前にいる将兵たちは、皆悲痛な面持ちでそれを聞いていた。

 田管軍三万余は、とうとう、呉子明軍に降伏したのであった。これは、夷門関が反乱軍の手に落ちたということを意味していた。

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