梁国復興記——美貌の男子たちが亡き国を復興するまで

武州人也

第一話 美貌将の憂鬱

 馬上の男、田管でんかんは、小高い崖の上からじっと遠くを見据えていた。その向こう側には、迫りくる大軍の姿がある。ほぼ少年と言ってもいい年頃にも見えるこの若い男の白い肌は陽光の下に輝き、長い銀の髪は兜の下から垂れて、時折吹き寄せる風になびいている。顔貌は女人のように艶やかで美しく見えるが、その目つきの峻烈しゅんれつさはまさしく武将のものであった。

「出来ればこのような戦などしたくはなかった、が……」

 幕僚の耳に拾われない程の小声で、田管はそっと呟いた。


 今、目の前に迫っている大軍は、この国に弓引く反乱軍たちである。これに対して、郡の長官である郡守ぐんしゅは恐怖に駆られたか足早に逃亡し、田管は残された軍を率いて反乱軍と相対しているのである。今相対している軍は他国の軍ではなく、武器を取った自国民であり、そのことが田管を暗澹あんたんたる気分にさせていた。

 郡守が恐れをなしたのも無理はない。向かってくる反乱軍の数は今や五十万にも届こう程になっており、それに対して今田管の統率下にある軍はたったの四万という数なのだから。五十万という数からすれば、四万の軍など吹けば飛ぶようなものである。しかも、普の帝室に対する憎悪に燃えている反乱軍に対して、田管がまとめた軍はその勢いに気圧されて腰が引けている。唯一、田管の軍が勝っている点と言えば、あちらが農民兵主体の素人の軍であるのに対して、こちらの主体は戦闘訓練の施された強兵であるということだ。

 でん一族は元々、普に滅ぼされたりょう国に仕えており、代々武門の誉れ高く、名だたる武将を排出した名門であった。しかし、田管はその田一族の嫡流ちゃくりゅうではない。一族のとある武官が西方の血が混じった銀髪碧眼の少年を引き取り、後にその武官の姉が少年と子を成した。少年が十六という若さで夭折するまでに男子二人をもうけたという。少年の姓が不明であったため、その子は両方とも母方の田姓を名乗った。その息子の内の長男の側が、田管の先祖にあたる人物なのだという。

 混血が進むにつれて、その先祖たる銀髪碧眼の血もまた薄まり、他の中原人ちゅうげんびとと変わらぬ容姿になっていったが、奇しくも田管の母親が、同じ銀髪碧眼の特徴を持つ異民族の出身であった。そして、田管もまた、その形質を受け継いだのである。田管の白い肌、長い銀髪、澄んだ碧い瞳は、この母に由来するものなのである。

 傍流であるが故に、田管の父はただの刀筆吏とうひつり、つまり木っ端の小役人に過ぎない人物であった。母は昨年に流行り病でこの世を去り、そして父もそれを追うようについ先月病没し、帰らぬ人となった。けれども田管は騎射の腕で頭角を現し、喪に服するいとまもなく、若いながら二千騎の騎馬部隊を任される将となった。そして、その任命の直後に、この反乱騒ぎが起こり、郡守は怖気づいて逃亡してしまったのである。全軍の信頼を繋ぐに足る将は、この郡においてはただ田管をおいて他にはなかった。故に残された軍を取りまとめて、賊軍の鎮圧に当たることとなったのである。


 田管は、全軍に待機を命じていた。弓兵と兵は射撃の体勢に入りながら、一矢たりとも放ってはいないし、前線のげき兵や騎兵も、石像のようにじっとしている。

 蟻の群れのように見えた反乱軍の兵たちは、接近するにつれてよりはっきりとした人の型を取り始めた。もう、彼らは矢の届きそうな位置まで、田管軍に接近してきていた。

 その、兵士たちの脚が、泥濘ぬかるみに嵌まった。反乱軍たちが当惑の表情を顔に浮かべた、まさにその時であった。

「今だ! 攻撃開始!」

 田管の号令と共に、太鼓が打ち鳴らされる。それが、攻撃の合図となった。弓弩の斉射が始まり、足の鈍った反乱軍の頭上に、放たれた矢弾の驟雨しゅううが降り注いだ。

 一見、あしおぎが生い茂るただの平野に見えるこの土地は、水はけが悪く、雨が降ると近くの山から水がしみ込んで幅広く泥濘ぬかるみを作ってしまう。田管はこの土地の性質を、よく理解していた。

 田管軍は、ひたすらに矢を浴びせ続けた。飛蝗の大群のように空を覆ったそれは、情け容赦なく反乱軍の兵たちに襲い掛かった。それでも、数の差故に、その効力は最前線の兵を削るに留まっている。

 だが、これでよい。田管はそう考えていた。敵は戦の素人の集まりではあるが、何分勢いがある。戦においてはその勢いこそが恐ろしい。であるから、敵の攻撃を受ける前に敵の出鼻をくじき、極力それを削いでおくことが何よりも先決であった。敵が沼地を避けて迂回してくることも考えたが、彼らは何分大軍である、兵糧の消費は激しいであろうし、迂回するにしても大軍を難なく通せるような土地は近くにない。故に彼らは速攻を仕掛けるためにここを無理矢理にでも抜けようとする。そう田管は読んでいたのである。

「いい頃合いだ。総員退却!」

 銅鑼が打ち鳴らされ、田管軍の兵士が後方へ退いていく。号令を下した田管自身も、馬首を翻して後退し始めていた。反乱軍はその背を追いかけようとしたが、泥濘がそれを阻んだ。もたついている間に、田管軍の姿は、反乱軍の視界の向こう側に消えてしまったのであった。

 敵の戦力を削りながら逃げ、そして次にはまた守りに向く土地で待ち構え、敵を削る。そうして遅滞戦術を行いながら、中央からの援軍を待つ。田管の頭の中にあるのは、そのような戦いであった。

 だが、と、田管は思考を旋回させる。そも、援軍など来るのだろうか、と訝らざるを得ないのが現状である。籠城戦も考えたが、その選択肢はすぐに頭から消した。中央からの軍隊がやってくる気配が、一向にないからだ。都に使者を飛ばしてはいるのだが、未だ何の音沙汰もないのが実に苛立たしい。これだけの大反乱だ。首都の方とて、この事態を把握していないとはとても思えない。けれども、送り出した使者が帰ってくることはなかった。故に、大軍を相手に野戦を仕掛けるよりは他にない。地の利を活かして軍を分散し埋伏させ、遊撃戦を行うという手も考えたが、これも頭の中から消し去った。ただでさえ数で大きく劣る自軍をさらに小分けにしてしまえば、各個撃破の危険がある。それに、自軍の腰が引けている以上、自分の近くから軍を引き離したくもない。将帥たる自分が軍を引き締めていなければ、統率が失われて脱走されかねないからだ。

 にもかくにも、五十万に対して四万では、取りうる選択肢が少なすぎる。しかし、ぼやいたとて敵が減るわけでもないし、自軍が増強されるわけでもない。今自分が動かせるものだけで、何とかやりくりしていくしかないのである。

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