第6話
第六回
その六
石川田りかはひとり覆面パトカーを運転しながら考えた。石田川ゆり子の生活にはどことなくもの悲しい印象がある。大金持ちの娘として男遊びも含めて夜遊びにあけくれていたらしい、しかし、心からそれを楽しんでいたのだろうか。お金は自由に使えただろうし、男もあの容姿だからいくらでも寄って来たに違いない。しかし、真に楽しんでいたのではないのではないかと石川田りかは勝手に解釈していた。妹はアイドルタレントとして世の脚光を浴びている。もしかすると妹に劣等感を持っていたのではないか。だからけんつくばいの態度をとってクラスの中でも他の学生に対して対抗意識を持っているように受け取られたのではないかと思った。
そして石田川ゆり子と心中した中国人留学生の名前はわかっている。しかし、わかっていいるのは名前だけだ。その名前もどこまでが本当なのかはわからない。
そんな彼女とつき合っていた草なぎ山剛と云う中国人留学生は何者なのだろう。写真で見ると特別な秘密も隠し持っていない、きわめて地味な印象を受ける。この男のどこに石田川ゆり子はひかれたのか刑事石川田りかには少しもわからなかった。
鎌倉のほうに向かって覆面パトカーをとばしていると大きな高圧電線鉄塔の下あたりに見たことのあるような人間が背広を着たプロレスラーのような人物と一緒になにかやっている。
「あいつ、なにしているの」
石川田りかは車のハンドルを切った。赤土を跳ね上げて車道からその空き地に車を刑事石川田は乗り込んだ。その男のそばに車を止めると隣に立っている背広を着たプロレスラーのような男の顔には表情がなかった。顔は黒い中華鍋のようだった。その頭の上に深くパナマ帽を被っている。
「なんだ。りかちゃん、こんなところで何をしているんですか」
「それはこっちのせりふだわよ」
「見てくださいよ。この捜査用のロボットが完成しそうなんですよ。ピストルで撃たれても死なない刑事の誕生ですよ。りかちゃん」
その背広を着た怪物は両手を頭上に差し上げると一声ほえた。
「高圧電線の下で試験をすることは非常に重要なんですよ。高圧電線の下ではいろいろな電波が生じていますからね。内部には精密な電子機器が組み込まれているし。それがどんな誤動作をするかもしれない。ここで試験をすることは一番悪い条件で試験をすることにひとしいんです」
「こんなものを作ってそれがどんなに有用だとしても正統捜査一課のものが使うかしら。われわれ、裏捜査一課の人間の作った機械を」
「使わせますよ。いつもわたしたちのことを馬鹿にしている正統捜査一課の奴らを見返してやりたいんです」
ロボットはまたウオーと吠えた。ここで道草を食っているわけにもいかないので石川田りかはふたたび自動車に乗り込むとアクセルをふかした。
「なんだ。見ていかないんですか。このロボットの素晴らしさはまだまだあるんですよ」
裏捜査一課の小川田まことは走り去る車に向かって石川田りかを呼び止めようとして叫んだ。黒い鉄の固まりのロボットもウォーと叫んだ。
石田川ゆり子と心中したことになっている草なぎ山剛が留学している日華大は神奈川と東京の境のあたりのむかしは漁港だけでなにもないところだった町にあった。
刑事石川田りかはむかしそこに行ったことがあったがあまりの変わりように驚いてしまった。
そこはすっかりと新興住宅地になっていた。
子供が海岸で作った砂の城のようにその大学は建っている。草なぎ山剛は北京から日本に経済学を学ぶために、この大学に来て白滓有伸という経済学の教授に師事していたと云う話だ。
受付のところで用件を伝えるとその教授の研究室の場所を教えたので勝手にその部屋へ行った。
「これでも一年の五分の一は中国に行っているんですよ。たまたま尋ねて来てわたしに会えるというのは運がいいんですよ。今は講義もほとんど持っていないし、研究に専念しています。それに修士の学生の指導もやっています」
白滓有伸は五十ぐらいの紳士然とした男で年の割には身軽な感じがした。
「修士の学生というとどんな学生を指導しているんですか」
「ほかの研究室と少し違っているんですが。僕が指導しているのはみんな中国から来た留学生なんですよ。近年あそこも市場原理を取り入れていて経済学の必要もあるんですね。なかなかみんな意欲的です」
「日本の学生とは違いますか」
「違いますね。彼らは目的を持っているから」
「先生はよく中国に行かれるという話ですが、どんな目的で中国に行かれるのですか」
「調査ですよ。僕は少し変わったことを調べている。中国のマフィアが市場経済に与える影響とかですね。少し社会的な側面が強い」
「危ないことはないんですか」
「それは少しは危ないこともあります」
刑事石川田りかは見た目はふつうの人のようだが随分と変わったことをしている人だと思った。
「指導している学生はみんな中国の留学生なんですか」
部屋のすみに置かれている雑誌の本棚には中国語の雑誌しか置いていない。
「そうです」
「指導している学生のひとりに草なぎ山剛という学生がいましたね。どんな学生でしたか」
「草なぎ山剛ですか。真面目なよく勉強をする学生でした。前にも日本人の女子大生と心中をしたと云うことで刑事さんが調査に来ましたよ。あれは心中事件ではないんですか。僕は心中をすると云う理由がよくわからなかったんですが」
「相手の家族から強い再調査の要望が来たんです。心中なんかやるわけがないと云う話でしたわ」
「心中と云うと世間体が悪いですからね。相手はホテルやゴルフ場を経営している大金持ちの娘だと云う話じゃないですか」
「そう、わたしもつまらない心中事件だと思っているんですが、家族の再調査の要望があまりに強いんですよ」
石川田りかは石田川の両親の自分の娘が殺されたと云うわりには冷たい表情を思い出した。世間体をつくろうために心中ではなかったと調査を依頼しているのではないかと云う疑いも石川田りか警部は持っていた。
「僕は個人的なことは学生に対しても少しも知らないです。だから草なぎ山くんが心中事件を起こしたとしてもそんなものかなと云う印象しか持っていなかったんですが、もうひとり受け持ちの学生でときどき草なぎ山くんと食事を一緒にすると云う学生がいるんです。その学生の話によると草なぎ山くんが悩んでいる様子だと感じたことがあると云う話も聞いたことがあります。この建物の最上階に学食があるんですが、そこで一緒に食事をしたとき草なぎ山くんは少し悩んでいたらしく憂鬱な顔をしていたそうです。カレーライスの皿にスプーンをつっこんでご飯とカレーを口に運ぶ途中でその手を五分ほど止めているのを見たことがあるそうです。その悩んでいる内容については具体的なことは聞かなかったそうなんですけどやはり男女問題で悩んでいたのではないでしょうか。それもあとで聞いて知ったことなんですが。相手は大金持ちの長女だと云う話ではないですか。わたしはなるほどと自分では納得したわけですよ」
白滓有伸は自分で至極納得しているようだった。石川田りか警部もそれが妥当な線だと云う考えを持っている。貧しい中国人留学生と大金持ちの良家の娘との恋、家族の反対がないわけがない。それで事件が起こる。しかしこのつまらない事件のふたつの展開がある。ひとつはこのふたりが絶望してみずから死を選んだという展開である。そしてもうひとつはこの困りごとをいっきに解消するために他殺がおこなわれたということである。後者のほうでもっと細かな解釈も考えられる。まず無理心中というものがある、まず別れ話のもつれから草なぎ山剛が石田川ゆり子を殺してその復讐のために誰かが草なぎ山剛を殺したと云う線である。そうなると草なぎ山を殺したのはゆり子の父親という線が強くなる。ふたりの死体はほぼ同じ場所にあったが折り重なっていたということではなく、同時に息たえたということも証明出来ないと鑑識は石川田に報告した。そういうことも考えられるのではないか。
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