起② さびれたパン屋の主人、ドーンホール
後ろからいきなり声をかけられて飛びのく。ベージュのコックコートを着た大柄な男性がそこにいた。
「驚いた……あなた、全然気配ありませんね。私そういうの結構敏感なんですけど」
「平凡だからな。パン屋の主人が目立つわけもない」
パン屋さんは腕を組んで、じろじろと私を見る。警戒しているようだ。なんだか愛想のない人だなあ、と思ったけど、私が怪しいのかな。
「私はモンブラン騎士団のブランです。今、休憩中で……お昼を買いに来たんですけど」
一瞬、騎士団の名前に反応したように見えた。けど、パン屋さんはすぐに表情を戻す。
「なんだ、客か。そういうことなら……」
安心したのか、店の奥に行って何かを持ってくる。トレーの上に、かわいい円形のドーナツが並んでいる。って、ドーナツ? パン屋なのに?
「俺がスキルでつくったんだ。パン屋はいくらでもあるが、ドーナツ置いてるのは珍しいだろう。どうだ、一つ。できたてだぞ」
「へえ。じゃあ、あなたも愛されものなんですね。私も女神エーディンにスキルを与えられたんですよ。ほら、これ!」
剣を見せる。聖剣が輝いて、神々しい光に包まれた。自慢げにパン屋さんの方を見ると……あれ、いない。いつの間にかまた店の奥に行ってしまっていた。おそろしいほどの速度だ。
「安心してくださいよ。私のスキルは剣技の習得スピード80倍、というスキルですから。それにしてもお菓子づくりのスキルなんて、パン屋にぴったりですね」
「剣技80倍? 甘くないな、モンブランのくせに」
「ブランです! モンブランは騎士団の名前!」
名前に反応したのは単にお菓子好きなだけか……と呆れる。さっさとドーナツを選んで、会計してもらう。早く仕事に戻らなくちゃ。
「ちなみに、そちらは?」
「ドーンホールだ」
「ドーンさん。平和でいいですね、パンに囲まれて。スローライフってやつですよ。私だって、もっと平和に生きたいんですよ……騎士団に入ったのだって、平和を維持するためなんですから」
関係ない人につい愚痴ってしまう。仲間には言えないけど、さびれたパン屋さんに愚痴っても広まりはしないだろうから。ドーンは静かな、とても落ちついた目で私を見た。
「称賛を得たくて入ったんじゃないのか」
「なっ……違いますよ。私はそんなもの興味ありません。でも、私がどれだけ目立ちたくなくても、周りがほうっておいてくれないんですよね……」
ため息をつく。はかったように、店の外から仲間の声が――。
「ブラン様、ここにいたんですね! 緊急の作戦会議です。”魔王”のことで新しい情報が入ったそうで……早く出張所に戻りましょう!」
やれやれ、いつもこうなんだから。ろくに休む暇もない、平穏とは遠い日々。うなだれつつポーチからお金を取りだすと、ドーンが手でしっしっとする。
「今回はいい。持っていけ」
「えっ……タダでいいんですか」
「最初だけだぞ」
素直に驚く。愛想はない割に、愛はある人なのかも。いや、まだ騙されないぞ。これはただの戦略かも。
「商売上手ですね。これで次もうちで買ってくれ、ってやつですか」
「なんだ、それ? パン屋なんて他にいくらでもある、好きなとこで買え。最初は与える、ってのは俺のただのこだわりだ」
へええ。今度こそ私は感嘆した。愛されもので、自分が与えられた身だから……ということなのかもしれないけど。かくいう私がそうだ。
女神エーディンに愛され、力を与えられた。その幸運に応えるためにも、私たち愛されものの多くが戦いに身を投じている。弱音は吐くし、お腹もすくけど、持つべきものの義務を果たそうという意志だけは揺るがない。
仕事は違えど、ドーンも同志だ。愛され、次は自分が愛するものに愛を注いでいる。
同志にお礼を言って、店を出た。スキルでつくったというドーナツをかじりながら走る。ふんわりときいたバターに、しっかりとした甘さが追ってきて、疲れが飛んでいく。
元気が出てくると、私はさっきまでしていた自分の重大な任務をやっと思い出した。
「しまった……! 伝説の愛されものについて聞くの、忘れてた。……まあ、パン屋さんが知ってるわけないか」
仲間に急かされて、聞きこみ調査のことを頭から追い払う。今はそれよりも、魔王に関する新しい情報についてだ。
こりゃ平穏はますます遠のきそうだなあ……と、私はケイク・ケイクの街を駆けていった。
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