あんたいとる!-prelude-
不知火ふちか
001
高校生になって、あっという間に一年が過ぎ去った。初めての終業式は恙無く終了し、特に何も大きなことは起きることなく、春休みに突入した。
新たに二年生なるまでの短い休みの期間、ゆっくり過ごしたいものだ。
穏やかな気温と共に、宮澤家はしばしの休暇を満喫していた。いつもは観ることのない平日の番組や、録画番組の消化など、普段学校に行っていれば間違いなくできないことを贅沢にもこなしていた。これを満喫と言わずなんと言おう。
そんな、人によってはもったいないと思ってしまうような過ごし方をしていた春休みの半ばのことである。少し前まで離れることさえできなかったこたつをしまって寂しくなったテーブルに、俺と妹の舞はいつも通りテレビを観ていた。朝っぱらからずーっと録画リストに溜まっていた映画を消化する、ゆったりとした休みの日だ。
俺は声を出さずにボーッとテレビに視線をやっていた。舞は、時には洗濯物をたたみながら、お茶を飲みながら、春休みの宿題をしながらなど、様々なことをマルチにこなしながら一緒に映画を観ることに付き合ってくれた。これが、宮澤家の春休みの過ごし方だった。春休みってのはこういう感じに、持て余すくらいの感覚の方がちょうどいい。
夏休み以外の少々短い休みは、のんびり過ごすべし!
そんな矢先に家のインターホンが鳴り響く。舞はテレビから視線を外したくないのが見て取れるような表情をして名残惜しそうに受話器を取るために立ち上がった。インターホンのモニターを見て、妹の声色が一気に上機嫌になるのを聞いて、訪問者が誰なのかは容易に察することができた。
「やあ」
数十秒後、その訪問者は肩に当たらない程度の短い髪を小さく揺らして、軽やかな歩調で家にあがってきた。自分の顔の高さくらいまで手を挙げて、俺に爽やかに挨拶をする。春休みだというのに制服を着ていやがる。俺は制服についてはあえて触れずに、リモコンの停止ボタンを押して、観ていた映画を消した。
「ま、まさかいやらしいものを……」
などと、口元を手で覆い隠して、シリアスな顔をしやがる。
んなわけないだろ。
「こんな昼間に堂々と観るかよ」
「なら、夜に隠れて観るんだね?」
「そういうことでもない」
冗談を言って、いつもの微笑に戻りつつ、ヤツは俺の真向かいに座った。キッチンで来客用のお茶の準備を終えた妹がやってきて、俺とヤツに湯気のたった湯呑みを手渡す。それを見て更に笑みを重ねつつ、ゆっくりとお茶を啜る。
「うん、美味しいね。温かいお茶は心も身体も潤してくれる」
「老人かお前は」
「老人ではなくて、ヴァージンだよ」
「そんなこと聞いてねえよ……で、なんだこんな早朝に」
ヤツにしては早い訪問であった。いつもなら昼前くらいに前触れもなくやってくるのに。
今回も前触れはまったく無かったわけだが。
「学校に行こう」
湯呑みをくるくると回して、ヤツは表面に彫ってある文字を眺める。
「学校?」
「うん、学校さ」
ズズッと大きな音を立てて、またお茶を啜った。
「でも唯さん」
来客用のお菓子をテーブルに準備した舞が口を開く。
「お兄ちゃんの学校、春休み中ですよね? 登校とも予定表には書いてなかったと思うんですけど……」
と、至極当然で、的確な質問を舞は俺の代わりにぶつけてくれた。「確かにそうだね」とヤツは一度頷いて見せた。
「ボク達には直接関係無いことなのだけれど」
スカートのポケットから綺麗に折り畳まれた紙を取り出した。開くとA4サイズの何かのプリントであることが見て取れた。
「今日のお昼に、新一年生の予備登校があるらしくてね」
「このプリント、いつ配られたんですか?」
「終業式の日にもらったと思うよ。君ももらっただろう?」
首を若干傾げながら、ヤツが俺に問う。妹からものすごく冷たい視線も同時に向けられたが、そちらは頑張ってスルーした。
そんなプリントもあったような、無かったような。よく覚えていない。もしかしたらスクールバッグの中に入ったままかも。
そういえば、去年の今頃に予備登校があった気がする。今言われて、思い出す程度の記憶しかない。
話を聞くに、ヤツはその予備登校の準備やらを手伝う気らしい。なるほど、だから制服なのか。
「君も一緒に行かないかなと思って」
テーブルに頬杖をついて、ヤツはニヤニヤしている。なんとまあ憎たらしい。
「あ、もしかして予定があるのかな?」
少し首を傾げさせて、ヤツは聞いた。予定があったらこんな朝から映画なんか観ていない。
「特にないけど、めんどくさい」
「ふむ」
ヤツはテーブルに両肘をついて思案した。そんなヤツの顔を見て頬を膨らませた妹が、俺に向かって、
「行ってあげなよお兄ちゃん。どうせ暇なんだしさ」
『暇なんだしさ』、ストレート一発KO級の発言で、心の中でよろけてしまった。どうやら、舞は俺の味方では無いらしい。
確かに、舞の言うことも最もだろう。外出しない兄を見て、少なからず残念な気持ちがあったに違いない。とは言うものの、買い物にはたまに付き合ってやってるんだがな。
深く溜め息を吐いて、俺はぬるくなったお茶を飲み干して、ゆっくりと立ち上がった。
「着替えてくるから待ってろ」
思案していた顔を、ヤツは笑顔に戻して頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます