ふたつのてのひら

序章

適当に見繕った素材に、丁寧に布をかけていく。

今日の「手」は傷もなく綺麗で、白く細長い指を持っていた。左手の薬指にはまだ輝きを失っていない指輪が嵌められている。

そういえば結婚式直前、突然倒れてそのまま息を引き取った女性がいたというから、その人の手かもしれない。

生前の持ち主に思いを馳せるように、指輪についた泥も取り除く。

「……うん、」

次の作業に移ろうと針に糸を通したところで、部屋のドアが2回ノックされた。どうぞと声をかけると、なんとなく予想していた通りふたつ年下の妹が怖々とドアを開けて隙間から顔をのぞかせる。

「……終わったの?」

「ううん、もうちょっと、」

「……そう、……ご飯できてるから」

「先に食べてて」

「わかった」

じぶんが夕食を共にしないことも、一緒に降りたら嫌がるくせに申し出を断ると浮かない顔を浮かべることも、いつものことだった。

この仕事を継がない妹は、この部屋には入っては来ない。

レナがやっている作業が、村の人々に嫌われていることを知っているから。誰かの手の加工なんて気持ち悪くて当然、という価値観を両親に与えられ、そのまま素直に飲み込んだ彼女は、レナのことを仲のいい姉と忌むべき職人のどちらに置くべきか決めきれず困っているらしい。当の本人はどちらの立ち位置でも構わないと思っているけれど。


レナはこの仕事を、生き方を、愛している。

たとえ形骸化された文化に取り残され、忌み嫌われた異端だったとしても。



この国に住む人々は、文字通り「手」を使って日々の仕事をこなすことを習慣にしてきた。自分の身体に備わっているそれとは別に、生まれたときに両親から手を与えられ、それを相棒に日々を重ねていく。小さい頃はおもちゃ代わりに遊び、学校に通い始めたら字の書き方を共に習って、仕事を始めたらうまく使って効率よく作業していく、というように。

古くは実際の遺体から切り取ったものを使っていたらしいけれど、村の過疎化と度重なる戦争で綺麗な遺体が確保できなくなってから、人々は布を繋ぎ合わせて模造品を作るようになった。村のほとんどは使い捨ての相棒持ちだ。血も魂も通っていないけれど、安価で動かしやすい。

人々の生活に必要なものでありながら、それを作る者たちは迫害された。それは扱うものが布になっても変わらない。人々は腕のいい職人が自分用に生活を共にする相棒を仕上げてくれることを望みながら、同時に死体を切断し、繋ぎあわせ、主もないのに動き出す「手」を作り出す者たちを疎んじた。

誰にでも出来る仕事ではなかったというのも関係しているのだろう。一度死んだものをまた生き返らせるには、特別な方法が必要になる。それは魔力があれば誰にでも出来ることではなくて、他人より生きながらあの世を見られるような、いうなれば浮世離れした精神が必要だった。生に執着しない性質、といってもいい。

けれど、人の手を実際に使ったものが廃れたわけではない。権力者とその周りの護衛などの相棒は今でも遺体から切り取った生の人間の手だ。やはり、命の通っていたもののほうが魔力の通りがいいから。

しかしそうでなくとも生身の手とそれを作る職人というのは、貴族たちには受けがいいという。日々の家事に煩わされず、夜ごと舞踏会などを開いて華々しく生活している彼らには、忌事を黙々とこなす姿が目新しく面白いものとみなされるかららしい。

恐れと好奇心とが同じ者に矛盾することなく向けられるのだから、人間の価値感とは面白いものである。

レナにこの仕事を教えたのは、今は亡き祖父だった。

そもそもほとんどの人が田畑を耕し生活の糧を得ているこの村で、ものを作りそれを売って身を立てていくというのはそれだけで恵まれた家柄とみなされる。店を興すに足る土地と、人と、許されるだけの縁があるということだからだ。

この家も多分に漏れず周りの家々よりは栄えた商家であり、歴史も古く現在の当主であるレナの父が12代目である。

けれど父は手縫い業を継がなかった。20歳で別の商家からこの家に嫁いできた母が家中の権力を握っただけではなく、本人が手に触ることすら嫌がったからである。古くは皇族の方――国の中心部の宮殿で暮らす最高権力者である――にも上質な手を献上し、褒美と誉れをいただいた店だのに、と祖父は残念がっていたけれど、父は頑として首を縦に振らず縫い針に触れようともしなかった。

その後家の中でただひとりの職人だった祖父が流行り病で亡くなり、手を使った商いが出来なくなってから――正確に言えばレナだけはそこそこ手を縫えたのだけれど、客を取るほどの能力は当時なかった――それをいいことに母は手縫い業を畳むことを勝手に決め、実家と同じ雑貨店を営んでレナたちを養ってきた。

ではなぜいまレナが手を縫っているのかと言えば、単純に年齢と技能が上がって売り物になるだけのものを作れるようになったこと、村に手縫い業をする商家がとうとうこの家だけになってしまったことが原因である。

もともとこの村にはふたつ手縫い業を営む家があり、歴史はもうひとつの家のほうが歴史も長かった。祖父と同い年の老人がいて、若いころは喧嘩ばかりしていたというのがお互いの口癖だったのだけれど、その老人の死後お家騒動で店自体が潰れてしまったのだ。

なんでも当主となった長女と次女の夫の不倫が発覚し、怒り狂った妹がふたりを殺したあと自殺してしまい、店が立ち行かなくなったという。レナはこのことを知ったときおじいさまが生きていたらどう声をかけたのだろう、と他人事ながら思ったものだ。

しかしこのことで新しく生まれる子らに手を作って与える店がなくなってしまったから、手縫い業を忌み嫌っていた両親も再開を余儀なくされた。布を使った作業は幸い手先が器用な父と雇い入れた職人たちでなんとかなるけれど、生身の手を使ったものはレナ以外にこなせるものがいない。家族総出で商いをしていくしかなかった。

再開に伴って、家族の仲も微妙に変化し、たびたび軋むようになった。昔はレナと妹は仲良い姉妹であったし、両親も祖父に習うことにいい顔はしなかったもののそれ以外は普通の親子であった。夫婦仲だって、睦まじいとまではいかなくともうまくやっていたと思う。けれど、いまはレナひとりが部屋にこもり、母は忙しく立ち振る舞い、父は黙々と布を織り、家での作業を恐れた妹は村の少女たちと夜遅くまで遊んで帰ってくる。会話もなく食事を共にするのも朝だけで、それすらほんの少しの短い時間に過ぎない。手縫い業が家を変えてしまった。


けれどレナは手を縫い人々の生活に送り届けるこの生業が、嫌いではなかった。

常々、こう思って自身を戒める。

(わたしはちょうど家柄と、精神と、そのどちらも生まれ持ってきてしまった。

由緒正しく、誰からも嫌われるという矛盾した一族。

生きていながら手を介して死を垣間見る能力。

普通に生きたいと思ったことがなかったわけではない。

この家に、身体に降りてしまったせいで、同い年の少女たちと心を触れ合わせることもなかったし、大人に可愛がられることもなかった。

でも、この文化を絶やしてはいけない。わたしにはこの文化を続けていかなければならない理由たりうる罪と、幸せがあるから)


仕上げをする前に食事を済ませておこうと、立ち上がった。



それは何でもない日だったと思う。少なくともレナは、いつも通り日が昇るころに起きて家族と食事をとり、部屋で昨夜磨いた若い女の手を縫っていた。

ひとつひとつ針を通すごとに、生前とはまた違った力がみなぎっていくようなやりがいを感じて微笑んだ時、荒々しくドアを叩く音がして軽く飛び上がった。

「レナ、レナ!」

普段は母たちに押されて覇気のない父の声が、ドア越しでもわかるほど異様に震えていた。

「皇后さまからお前にお声がかかった。次の春に生まれる皇女さまのために、手を縫うようにと」

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ふたつのてのひら @endroll_4

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