第7話 小学生の場合 前編

  一週間の仕事を終えた金曜の夕方。

 コンビニで大量のお酒とおつまみを買い込んだ私がいそいそと帰宅すると部屋の入口に大きな塊が置いてあった。

 家の前まで着いて気が緩んでいたせいか、塊を見つけたと同時にうっかり「うおっ」と声をあげてしまう。


 よくないぞ、私。咄嗟のときであっても「きゃっ」って言えるよう精進せねば。


 そんな反省をしつつも、数秒後にはそれが何だかわかった。


 うずくまっているのは子どもだった。


 人の気配に気づいたのか、その子は顔を上げる。うとうとしていたのだろう、小学校高学年くらいの男の子は半開きの目で私を見てきた。

 私も男の子を見返す。どこかで見たことある気がしたが、思い出せない。

 だが、私と目が合った次の瞬間、男の子の顔がぱっと明るくなった。


「おねえちゃん!」


 私を知っているのか! 会ったことがあるという意味でか、それとも生き別れた姉弟的な意味でかは不明だ。だが私のことをおばさんと呼ばなかったのは評価に値するぞ。

 男の子は私を知っているようなので挨拶は返しておこう。


「はいこんにちは、どうしたの?」


 笑顔で応対する。男の子が私の前まで近寄ってきた。目は大きく、髪はさらさら。なんとなく中性的な顔立ちだ。どこで見たんだっけ?


「あの、今日はお願いがあってここに来たんだけど」

「お願い?」

「うん、あの、おねえちゃんと一緒に住んでる、あの、かっこいいお兄さんに助けてほしくて」


 どういうことかさっぱりわからない。そもそも私はひとり暮らしだし。むしろかっこいいお兄さんほしいくらいだし。

 それとも霊的なあれかな?そっち方面は苦手なので勘弁してほしい。


 事実を男の子に伝えると、一旦目線を下げてからもう一度私を見る。

「うそだ! だって前にベランダの壁に立っているのを見たもん。それにおねえちゃんが持っている袋の中身だってパパがいつも買っているものだもん。お兄さんと暮らしてるに決まってるじゃん」


 すべて理解した。


 物干師さんが来た日に外で見ていた小学生だ。

 道理で見たことがあったわけだ。たぶんこの子はベランダで話している私たちを見て、一緒に暮らしていると勘違いしたのだろう。

 そしておそらく物干師さんの軽快な動きを見て何かを頼みに来たに違いない。

 大丈夫、コンビニで買ったものがパパと一緒だからって傷ついてないわ!


 しかし、私は物干師さんの助手みたいなことをしているが助手ではない。むしろお客さんの立場だ。

「なるほど、わかったよ。でもね、あのお兄さんはお仕事でうちに来たの。おねえちゃんもあのお兄さんのお客さんだから、一緒に住んでないの」

「そっか……。あの、じゃあおねえちゃんがお兄さんにすぐ頼んで?」

「ずいぶん急だね」

「だって困ってるんだもん。早く!」

「待って待って」私は興奮しだした男の子を宥めるよう話す。「何があったかおねえちゃんに教えてくれる?」


 しっかりと私を見ながら話そうとする。


「ママを」


 男の子は涙目だ。


「ママを探してほしいんだ。いなくなっちゃった」








「――それで、お母様を探してほしいというわけですね」


 近くのファストフード店で私たちは物干師さんに事情を話した。


 男の子の名前は阿古賀令(あこがれい)くんで、近くの小学校に通う五年生だ。本来は父、母、令くんの三人暮らしだが、タイミングの悪いことに父親は海外へ出張中で家を空けている。


 警察にも行った。「一晩待ってもお母さんが帰ってこなかったらまた来てください」という話で終わった。


 父親にも連絡は済ませている。

 お父さんは大至急帰ると言ってくれたが、どんなに早くても明後日の昼になるという。頼れる親戚もいないらしく、令くんに家にいるように伝えるのが精一杯の様子だった。

 だから、私からの申し出は最初こそ訝しがられたものの、警察が身分を保証してくれたこともあって了承してもらえた。


 むしろ何度もお礼を言われた程だ。


『お父様が帰るまで私が令くんを預かります』と、自分でも驚く申し出に。


 さすがに家で令くんひとり留守番をしてもらうわけにはいかない。


 なぜかといえば、令くんのお母さんは夕食の準備中にいなくなったからだ。


 自宅で。


 令くんの話では、コンロの火は消えていたものの、切りかけの野菜があったりお皿が並べられてたりしたらしい。


 私は物干師さんに話を続ける。

「今回、一番よくわからないのは令くんのお母さんなの」

「お母様がよくわからない、ですか」

「そう、お母さんは令くんにパートをしているって言ってたわけ。だからそのパート先に電話したらなんと『一ヶ月前に辞めています』って言われたの。正直これが一番びっくりだったよ」

「そのパート先は怪しくないのでしょうか」

「それは怪しくなさそうね。令くんも何度かお母さんが働いているときにパート先へ行ったことあるみたいだし、このあたりじゃ有名なスーパーマーケットだし」

「なるほど。であればパート先が絡んでいることはなさそうですね」


 令くんはハンバーガーをほおばっている。泣いたり塞ぎ込んだりしないところは、子どもながら強い意志を感じる。


 そしてお薦めはしないけど、令くんは物干師さんに憧れている。ベランダに立っている姿を見たときから、この人はすごいと思っていたらしい。ハンバーガーを咀嚼しつつもちらちらと物干師さんを熱いまなざしで見ている。お薦めはしないけど。


 とはいえ、だ。

 私はポテトを口に運ぶ。さっきの私の申し出は自分でも驚くものだった。


 父親はおそらく警察の口添えがあったから許してくれたのだろう。だが、そもそも私は面倒そうなことに首を突っ込むタイプではない。

 普段なら警察に押し付けて逃げてくるところだ。


 気づいたら口から出ていた。私がちょっとだけアクティブになったせいか、物干師さんがいればきっと何とかしてくれると思ったせいか。

 物干師さんに期待しすぎかもしれない。最悪依頼料は私が払おう。


 私は心の内から沸く使命感を抑えきれなった。


 物干師さんが口を開く。

「ご依頼の内容はよくわかりました。報酬等は小学生の阿古賀さんではなくお父様に後ほど相談させていただきます」

「じゃあ引き受けてくれるの?」

「もちろんです。阿古賀さんのお母様を一刻も早く探さなければなりません」

「私もできることはやるから。ありがとう物干師さん!」

「あ、ありがとう」


 令くんの表情が明るくなる。物干師さんが今後の方針を話す。

「まずはお母様が働いていたスーパーマーケットへ行き、仲の良かった人がいるか探します。いればヒントが得られるかもしれません。そのあと阿古賀さんの家へお邪魔し、現場を調べたいと思います。お二人ともご協力お願い致します」


 私と令くんは深くうなずいた。

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