蝙蝠光線

@tunetika

第1話

第一回

 会場の中を無重力状態の中に置かれた木の葉のように飛び回っていた無数のこうもりは来栖みつのりが合図をするといっせいに舞台のほうに舞い戻り、舞台の上にしつらえた金属製の前衛芸術めいた樹木の上に飼育されている蜂が養蜂家の被る防護マスクに群がるようにその金属のすべての表面を覆い尽くした。こうもりが会場をわがもの顔に飛び回っているあいだその会場にいた観客はあまりのおぞましさに声も出なかった。こうもりの巨大な顔が頭の上すれすれに近づいてくる。それは定規による大きさではなく絵画の理屈の遠近法の作用でそう拡大されて見えるのである。犬や猿を飼い慣らす芸人はいる。それはそれらのほ乳類が高等な頭脳を持っていて人間ほどでもなくてもその意志の疎通がはかれるからである。目に見えているのか音に聞こえているのかわからないがその情報の意味を自分を取り巻く環境に関連づけることができるからである。

 「さて、十七枚のカードを配り終えましたかな」

普段は誰も絶対に着ないような銀ラメのピカピカするペンギンのような背広が光りを反射してアルミ箔を空中にまき散らしたように光の乱舞になった。そのアルミ箔も薄く青色をつけられているものや、黄色、赤色といろいろとあって虹が細切れにされて空中を舞っているようだった。その光をわれ関せずというように固まっている無数のこうもりは魔術師のしもべのようにじっとして動かない。魔術師の顔はテレビの撮影用のライトに照らされててらてらと輝いた。額の髪の生え際のあたりに浮き出ている汗は視聴者の家に置かれたテレビの受像器の画面には映っていないかも知れない。しかし彼を映しているテレビカメラを操作しているカメラマンには確かに見えていた。

 この熱気はテレビの撮影用の照明用のライトのためばかりではないだろう。

 この魔術師のおこなう奇跡に対する観客の期待が熱気となって生じているのか。魔術師はその観客の期待を確かに感じ取っていたし、観客たちをすべて掌握していると云う舞台に上がると云う業をなりわいにしている人間の特有の喜びや満足感が魔術師の唇を変なふうにゆがめさせていた。油でかためられた魔術師の黒髪はてらてらと輝いている。

 観客の視線は魔術師の一挙手一投足に注がれていた。

 魔術師は自分のことを手品師と呼ばすに魔術師と呼んでいた。その根拠がどんなところにあるのかわからないが、そのいかがわしい容貌にも関わっているのかも知れない。

 まず外見は日本人には見えない。東欧あたりの人間の血をひいているように見える。事実彼は自分はある東欧の地の出身だと言っていた。それも大部分が東欧の血が入っているのではないだろうか。夜と昼の境界があやふやで死霊が飛び回る因習と悪鬼の伝説がまことしやかに語られる土壌に生まれ出た怪人のように見えた。

 古来よりアッチラの侵入によりたえず略奪と殺人の荒波にもまれた土地柄は呪われた血なまぐさい伝説にはことかかなかった。

 そのくせ彼は日本語を自由に扱うことができたのである。

 髪を油でべったりと後ろになでつけ、鷲鼻をはさみつけるような位置にある両目はその球体が幾分か飛び出しているように見え、空を飛ぶ猛禽類のように見えた。

 その魔術師にも魔術をおこなうための助手がいた。彼の妻である。妻も同じ出身だったが東欧の血が流れているわりには小柄で清楚な感じがするのは意外だった。悪鬼に魔法をかけられてくぐつとなって騙され仕えている巫女という感じだった。

 魔術師の名前は来栖みつのりと云う、その助手でもある妻の名は来栖弥栄子という日本名がついている。それがどういう手づるかよくわからないのだが日本のテレビに出始めて魔術を見せ始めた。今日はテレビの公開録画と云うことで新宿の****ホールに三百名の無料の観客を入れてステージの上で魔術師こと来栖みつのりが魔術を見せると云う段取りになっている。

 その魔術は最近はやりの大がかりのものではなかったが、たねが絶対に割れないということで充分神秘的だった。しかしプロのマジシャンは絶対に見破れると主張してその手品のうらを自分なりに予想しているものもいた。それに対して魔術師は反論することもなかった。そしてこうもりを自由に扱えるとい不思議である。

 小ぶりな手品だったが決定的に誰かがたねを明らかにすると云うことはなかった。それが意図的なのか、不可能だったのか、面倒くさかったのか、わからない。

 そしてその中のマジックのひとつを魔術師は披露しようとしていた。それがカードの十七と云うマジックだった。

 まず十七枚のなにも書かれていないカードを魔術師は用意する。そして一枚一枚に星を十六個、自分の用意した黒いマジックインキで書き込む。つまり十六個の星が書かれたカードが十七枚出来たと云うことを意味する。

そして出来たカードを十七人のテレビ局のスタッフが持って観客席に降りて行った。それから観客席の後ろのほうに行って観客に渡した。と同時にえんじ色をした布の袋を持って行き、それらの袋も同時に渡した。

「カードを手渡されたお客さまは立ち上がってくださるかな」

魔術師は舞台の上で数歩前に出て、客席のほうに向かって話しかけた。彼の声は会話をするくらいの大きさだったが、胸元にピンマイクがついているのでその声は拡声されて客席のうしろのほうにまで届いた。

 助手の来栖弥栄子は魔術師のうしろのほうで無表情に立っていた。

そして彼のしもべであるこうもり達もじっとして彫像のように動かない。

 カードと布の袋を渡された観客は自分の席をその位置で立った。彼らの両手にはカードと布の袋が握られている。そこにいる観客たちはうしろの席に立っている十七人の客のほうをちらちらと見た。これらの十七人は魔術師がこのマジックに協力してくれるかと客に問いかけたとき、何人もの観客が手をあげたうちの魔術師が指定した客だった。

「まず、袋を調べてみてくださるかな」

魔術師がそう言うと立っている客はえんじ色の袋を裏返したり引っ張ったりして吟味した。しかし、そこになんの細工もなされていないようだった。

「なんの仕掛けもないと同意してくださるかな」

壇上で魔術師が言うと立っている客は同意して手をあげたり、首を振ったりした。

「同意してくださったかな。では、今度はカードのほうを見てくださるかな」

魔術師が言うと客たちは今度はカードのほうを見た。もちろんカードがただの厚めの紙かと言う意味である。

「それにスペードが十六個描かれているかな」客たちはカードの裏表を見てそこの片面に魔術師がマジックインキで描いた十六個のスペードが描かれていることを認めた。あるものは結婚式の宣誓のようにカードを肩よりも高い位置にかかげた。

「カードになんの仕掛けもないことを確認しましたかな。それなら袋の中にそのカードを入れて袋の口を締めてください」

客たちはそのようにした。壇上から十七人の観客がその作業を終わるのを確認して魔術師はそのカードの入った袋を自分の足下に置くように要求した。

「袋の口をしっかりと締めましたかな。足下に置いてくれましたかな」

魔術師はそう言うと指をパチンと鳴らした。その瞬間、固まっていたこうもりが飛び立って会場のすべてを支配するように飛び回った。会場には悲鳴があふれた。そして会場の照明はいっせいに消えてその中は真っ暗になった。事実は真っ暗ではなかったが目が明るいところに慣れていた客たちは全くの漆黒の闇に投げ込まれたと思ったことだろう。そして闇の中でおぞましいこうもりが飛び回っている。こうもりの羽音が聞こえる。突然のこの現象に客たちは自分の席に座ったまま瞬間的に絶対零度の魔法をかけられて凍り付いたように身じろぎもしなかった。もちろんこのアクシデントもマジックのパフォーマンスの一環に過ぎないということを観客は知っている。しかしそれは頭の中でも理屈を取り扱う部分でこの事実を受け止めてでの話である。

 魔術師はまた指を鳴らした。すると照明がまたついて会場は明るくなった。それは時間としてはほんの数分のことだった。こうもりはもとのように止まり木を覆い尽くしていた。

「みなさん、少し驚かせたことをお詫びしますかな。では十七人のお客さまにまたお願いを申し上げます。みなさんは照明が消えているあいだその袋にも、袋の中に入っていたカードにもなにもしなかったと証明できますかな。しかし悲鳴をあげてわれを忘れていた人もいるようですな」

客たちは同意した。

「では袋の中をあけてそのカードを確かめてください」

魔術師がそう言うと客たちは袋の口をいじっていたが最初にカードを取り出した客がけげんな顔をしている。あとに開けた客たちもけげんな顔をしてつづいた。

「なにか、変わったことがありますかな」

壇上から魔術師が言うと後ろのほうに立っていた背の高い客が大きな声を出して答えた。「スペードが一個増えています」

「他の人もそうですかな」

他の十六人も同意した。そこで拍手がわき起こった。もちろん、その拍手は同時に自然発生的な意味もあったがテレビ局のアシスタントがそれを強要したのである。

 不動付言は客席の中でそのマジックを見ながらそのたねを自分なりに考えていた。魔術師のマジックを見に来たのはテレビ局で発行していた入場券を持っていた同僚が急な用事で見に行くことが出来ず、ゆずられて、そのうえちょうど空いてる時間があったので暇つぶしに新宿まで出てきて見物したのである。 不動付言は自分なりにスペードが一個増えたマジックのたねを考えてみた。

 一番簡単なのは無作為に選ばれたように見える十七人の観客が実はさくらだったという線である。これが一番わかりやすいし、可能性が高いような気がする。その観客がカードをすり替えたのか、自分でスペートを加えたのか、いくらでもいんちきは出来る。魔術師がマジックインキでカードにスペードを描いているときに細工がなされたという線も考えられる。マジックインキが特殊なもので時間が経ったり、状況の変化がおこらないと紙に絵が表れてこないのかも知れない。そして一瞬こうもりが会場を飛び回っているパニックがおこったこともある。こうもりに気をとられてカードの中のスペードどころではなかっただろう。ごく日常的な自然現象でかなり不思議なことはたびたび起こるものだ。そのことに興味を持って見ないことで見落としているのである。不動付言は不思議なことを考えてみた。

たとえば遠いところから放された伝書鳩が自分の巣に戻って来るというのは不思議なことだと思う。どこかの高い塔の一角から瓦屋根が波のように並ぶ民家の鳩小屋に戻ってくるのは地球の表面に直線が引かれてそれに沿って戻ってくるのだろうか。その直線のことを測地線と呼んでいる。飛行機の中に積まれたジャイロコンパスと同じものがあるのか、地球の地磁気を感じる特殊なセンサーが鳩の内部にあるのか。ともかく地図を印刷する能力も地図を分析する能力もない鳩が自分の巣箱に戻って来るのは不思議なことだと思った。流しの中に水を張ってそれを排水口から流したときいつも一定の方向に渦の回転ができる。それも不思議なことだ。

 そんな誰の目にも一見不思議と思えない不思議なことが目の前で起こっているという感じだった。もしかしたらこの魔術師が本当の魔術をやっているのではないかということだった。それが真実なら何食わぬ顔をしてそばにやって来てとなりに立っているだろう。もちろん逆もありうる。しかしそれはそれの現れ方をまねした偽物のやりかただ。

 魔術師は自分のねたは観客には絶対に理解できないだろうという自信に満ちた顔であたりをへいげいしている。そのばた臭い顔を見ていると不動付言はいまいましい気持ちもする。

そういった感情を少し和らげてくれるのはその助手をつとめている魔術師の妻の笑顔だった。西洋人にしては小柄で年のわりには愛くるしい顔をしている。魔術師は三十五、六でその妻は三十前後だろうか。

「わたしのやっているのは魔術でありますな。決して手品ではありません」

不動付言はその魔術師の発言がこのショーの神秘的な感じを盛り上げるための演出だということははっきりとわかっていた。このテレビの公開録画の終了の時間もせまっていたのでここで司会者のエンディングが入ってディレクターが顔を出してこの企画は終わるのだろうと思った。台本にもそう書いてあるのだろう。魔術師夫婦は舞台のうしろのほうに下がり、司会者が前のほうに出ている。司会者はまとめに入っている。

「少し待っていただけるかな」

客席のほうから声がした。司会者がなにも言わないうちに客のひとりが立ち上がった。開襟シャツを着た初老の紳士だった。不動付言はその客のほうを見て以前に見たことのある人物だとすぐに覚った。

「魔術だと宣言するのは少し科学的ではないのではありませんかな。少なくとも科学的ではない。だから最初からこれはマジックだとことわってくれれば少しも文句はないんですよ。全然物理的じゃないよ。袋の中の紙の中に見えない力でスペードが一個描き加えられたなんて常識のある大人だったら信じられるわけがないじゃないですか」

「えっえっ」

急に立ち上がって話し始めた紳士に対してステージの上の司会者はあきらかに狼狽を示している。紳士は片手に資料のようなものを持って膝の前あたりでぶらぶらさせている。不動付言が見たことがあるはずで立ち上がった観客は専門の物理学者で違うテレビ局の番組で自称超能力者のインチキを見破ったことがある。それは金属の鍵が液体化して解けてなくなるというものだった。今度もそれと同じことをやるのだろうか。相変わらず司会者は狼狽している。それは時間通りにこの公開録画の番組が終了するかというあせりのようだった。

 司会者はステージのはじの方にいるチーフディレクターのところに相談に行った。窓口で待たされている客のように物理学者のほうは少しいらだった表情で椅子に腰掛けてステージのほうを見ている。相変わらず司会者とチーフディレクターは小声でなにかひそひそと話している。なにか話がついたのか司会者は舞台のほうに戻った。

「とにかくなにかこの番組に要求があるなら言ってください」

「そんな描かれてもいないスペードが一個増えるなんて誰が考えてもおかしいじゃないですか。それは物理法則を否定するということですよ。念力と同じようなものですよ。離れたところに障害物を通して力を加えることが出来るならパチンコ屋でお金をする人なんていないわけだ。ガラスを通してパチンコ玉が落ちて行くときに穴の中に入れてやればいいわけだから、そうすればいくらでもパチンコ玉は出てきますよ。そうしたらパチンコ屋はすぐにつぶれてしまいますよ」

「じゃあ、**先生は魔術師の魔術がトリックだと言うわけですね。トリックだとすればそのねたがあるわけだ。先生にはそのトリックがわかるのでしょうか」

司会者は魔術師のほうをちらちらと見ながら言った。あまり自信がないようだった。

「わたしのやっているのは魔術です。トリックではありませんな。わたしはどんな挑戦でも受けるつもりですな」

魔術師はにやりと笑いながら言った。まわりの招待された観客は何も言わずにこのやりとりを聞いていた。

「じゃあ、挑戦を受けてもらいたいですな」

「よろしいでしょう」

魔術師がにやりと笑うとその犬歯がきらりと見えた。

「じゃあ、とにかく、ステージの上に上がって来てください」

司会者はやはり台本にない展開にうろたえている。科学者はステージの上に上がって行った。

「わたしがこの手品のインチキをあばいても文句を言わないですよね。それでマジックの仕事が一つ減ったなんて言われたら始末におえませんからね。日本でのホテルの滞在費を出してくれなんて言われたってホテル代は僕は出しませんよ。テレビ局のほうに請求してくださいよ」

「もちろん」

魔術師は腕を組みながら薄笑いを浮かべて科学者のほうを見た。いつの間にか物理学者はステージの上に上がっている。

「前にも一度、来栖さんですかな、魔術師さんのマジックを見せてもらったことがあります。それでこんなものを用意してきたんですよ」

物理学者は透明なビニール袋を前に出した。

「これを使ってもらいたいんですな」

彼は客のほうを意識せずに魔術師のほうを見ながら言った。そしてビニール袋の中から大きななにも書かれていないカードとどこでも売っていそうなマジックインキを取り出した。

「これを使ってさっき見せてくれたマジック、いや魔術を見せてもらいたいんですよ。それで十六個のスペードが一個増えて十七個になるんだったら、僕もあんたのやっていることがたねも仕掛けもない魔術だということを信じましょう」

魔術師来栖みつのりは王朝風の背の高いテーブルに片手をつきながら物理学者の話を聞いていた。その金メッキされた彫刻の施されているテーブルの上で逆さにしたシルクハットの中から鳩を出したりしていたのだ。

「それを使ってもいいんですがな。あなたが私の魔術に挑戦してくれるという立場ですから、わたしも好きなシチュエーションで自分の魔術をおこなってもいいでしょう」

「ほら、それだから、おかしいんですよ。魔術というからには、使う道具にも依存しないわけですよ。それだから魔術というわけだ。それだからマジックだと言われるわけですよ」

物理学者の反論にも魔術師は顔色ひとつ変えなかった。そこにあの動揺していた司会者が割り込んできた。

「いちおう、****先生は来栖氏に挑戦するわけですから、そのですね。来栖氏の要求も少しは取り入れていただけませんと」

語尾のほうはしどろもどろになっている。

「まあ、いいでしょう。少しぐらいのバリエーションの変更は許してあげましょう」

物理学者は余裕のある態度を示した。ステージはフアンタジー小説にでてくる魔法使いの部屋を模しているらしく、おどろおどろしい変な測定装置や天球儀のようなものが置かれている。ステージのはじのほうには魔法の本が本棚に収納されていて作り物の背表紙がたくさん並んでいる。

 魔術師が指をぱちんと鳴らして合図をすると来栖みつのりの助手の来栖弥栄子がその本棚のほうに行き、作り物の背表紙のあいだに手を伸ばした。全部作り物の背表紙ではなかった。そのあいだに中身のある魔法の書もはさまれていた。まるで中世の宮廷の淑女のようにその中の本を一冊取り出すと彼女は胸に抱えながらその本を来栖みつのりのところに持ってきた。巫女のように。

 かなり大きな本である。百科事典ほどの大きさはある。煉瓦色の表紙に装飾文字で金色で何か読めないような題が書かれている。

 来栖弥栄子はその本を魔術師に渡した。

「あなたが自分の用意したカードに自分で用意したマジックインキでスペードを十六個描く。それをこの本のあいだにはさむ。そしてこのテーブルの上に置く。そして時間が経ったらこの本を開いてカードを確認する。いいですかな」

物理学者はかなり不満気な顔をしていた。

「もちろん、その百科事典になんの仕掛けもないか確認するため見せてもらいますよ」

物理学者はその本をひったくるように受け取ると調べた。全部のページをくくっていた。そこに何もないことを確認するとステージ上のテーブルの上に置いた。彼の手には真っ白なカードとマジックインキが握られている。

「では、そこにスペードを十六個描いてくださるかな」

魔術師がそう言うと物理学者はスペードを十六個描いた。それからおまけだと言って自分のイニシャルをカードのすみに描いて挑戦的な目をして魔術師に渡した。魔術師はそのカードがよく見えるようにして公開録画に来ていた観客に見せるとくるりと身体を回転させて百科事典のページを開いてそのあいだにカードをはさんだ。

 すると同時に舞台の上の照明が消えて数分のあいだ、真っ暗になった。そしてまた電気はついた。そのあいだ舞台の上にいた人物たちは一歩も動かなかった。いや、動かなかったのだろう。電気が消える前と同じ位置で立っていたからだ。

「では、さっきのカードがどうなっているのか確認していただけますかな」

魔術師はいやに余裕のある表情でそう言うと物理学者に促した。物理学者は大きな本をめくっていたが自分ではさんだそのカードを見つけたらしかった。と同時に物理学者の表情はみるみる曇っていった。

「そのカードをみんなに見せてくださるかな」

しぶしぶ物理学者はそのカードを観客のほうに指し示した。

 そのカードのスペードは十七個に増えていて、カードのすみには物理学者のサインも確かに書かれていた。

 不動付言はそのトリックを見破ることは出来なかった。なぜスペードが一つ増えていたのか。そのカードには物理学者の描いたサインも確かに残っている。と同時にステージの上の照明が半分消えてレーザー光線のような光が無数に飛び回って無数のコウモリがステージ上を飛び回った。そしてトランプのカードに変わってステージの上に落ちて行った。こうもりの姿はどこにもなくなっていた。

カードのマジックよりも不動付言にはこのこうもりのほうが不思議だった。

 帰って行く観客の波に押されるようにして不動付言も出口に出て行くと声をかけられて振り向いた。

「不動じゃないか」

「なんだ吉田か」

出口のところにとんぼめがねをかけたグループサウンズの生き残りという感じの背の高い男が立ってこちらに手招きをしている。

「こっちに来いよ」

そう言ったのはスタッフの通用門のところだった。なんの原因だったか覚えていないが中学のとき急に転校してきてその後不動のわからない問題を起こして転校していった生徒がいた。彼は誰とも話さなかったのだが不動とは座席が前後していたので半年ぐらい一緒に下校していた中学生がいた。それが吉田だった。吉田はテレビ局のディレクターになっていた。不動付言は吉田につれられてスタッフ控え室に入っていった。控え室といっても地方の分校の控え室ぐらいの大きさがあった。

「ここに座れよ。しんちゃんアイスコーヒー二人分」

控え室のはじのほうに机があって外人が日本人と談笑している。よく見ると来栖みつのり夫妻とあの物理学者ではないか。そのことを聞くのはさすがにためらわれた。

「今日の公開録画はいつ放送するんだい」

「お前、なに言っているんだよ。あれは生中継じゃないか」

「本当」

「本当だよ」

「騙された。家のビデオで録画しておくんだった」

「今日、ここに来たこと家族に言っていたの。きっと誰かがきみのことを見ているぜ」

不動付言のまったくの勘違いだった。彼自身この番組がなんの根拠もなく録画番組だと信じ切っていたのだ。

「じゃあ、ついでに聞くけどなんで魔術師と****教授が一緒のテーブルで談笑しているわけ」

「やらせだよ。やらせ。この組み合わせ、つまり対決だね。これを五回分に分けてやることになっている。もう台本も出来ているよ。今日は教授を下げて来栖さんを上げる構成になっていただろう。次回は逆だ。それで結論はあいまいなままにして五回やって、評判がよければ来年もやるつもり」

吉田は足を組んで鼻からたばこの煙をはいた。

「良心の呵責を感じないの。放送人として」

「遊びだよ。遊び。エンタティメントじゃないか」

「じゃあ、魔術なんていんちきなんだ」

「当たり前だろう」

ふたりでアイスコーヒーをちびりちびりやっていると不動は誰かの人影を感じた。

「あの、なにかお話があると聞きましたんですけど」

「ああ、来栖さんの奥さん、今度の放送のときはもう少し派手な衣装にしていただけるとありがたいんですが」

「はあ」

そう言って来栖弥栄子は大きな目でじっとふたりのほうを見つめた。不動付言はどきりとした。作り物の世界の中に本当のものがあるという感じだった。

「いや、奥さん、頼みますよ」

「ええ」

来栖弥栄子はほほえんで向こうに行った。

「美人だろう。彼女に見つめられるとどっきりするよ」

「なんであんなに日本語がうまいんだ」

「あの夫婦は十六分の一日本人の血が流れている。れっきとした東欧人なんだけどね」。来栖みつのりに来栖弥栄子か。少し視聴率を稼がせてくれるといいんだけどなあ」

吉田は自分の台所事情を語った。

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