第40話 はじめてのストーキング?

 ○月○日


 今朝はすごく幸せだった。やっと恋人つなぎができたから!

 恋人……特別……いいよねぇ……少しくらい踏み込んでも、少し他の人より近くに行っても許されるんだもん。

 それにしても、なんでさっちゃん先輩はうちの近くにいたんだろう?

 私に会いたかったからって言ってくれたけど、それは嬉しかったけど、ちょっとなにか引っかかるんだよね。

 まだ本調子じゃないけど……尾行を再開してみようかなぁ……


 ――稲津華緒、『さっちゃん先輩観察日記』より。


 ☆ ☆ ☆


 理沙に看病してもらえたおかげか、今の沙友理の体調はすこぶるよかった。

 平日の朝は、いつも理沙と一緒に家を出て学校に向かうのだが、今日は少し違う。

 途中まではいつも通りだったが、我慢できなくなってきたのだ。


「あ、理沙。今日は寄りたいところがあるので先に行っててほしいのです」

「え? あー、構わねぇけど。どうせねーちゃんとは途中で別々の道進むことになるし」

「ありがとなのです」


 すんなりと受け入れてくれた理沙と別れ、沙友理はある場所へ歩を進める。

 その道は学校へ続くものとは違っている。

 むしろ遠ざかっているといった方がいいだろう。

 向かっている先はもちろん、あそこだ。


「はぁ……着いたのです……」


 沙友理は息を切らし、その家を見る。

 和風な造りで落ち着きのある雰囲気のその家は、華緒が住んでいるところだ。


「行ってきまーす」

「はい。気をつけてね」


 沙友理が物陰に隠れると、ちょうどタイミングよく華緒が家を出てきた。

 ついているのかもしれない。


 沙友理はそう思い、華緒にスマホのカメラを向ける。

 シャッター音をなるべく小さくして、シャッターを切る。


 華緒は無表情だったが、それだけでも十分輝いて見えた。

 何の変哲もない、ただの華緒の横顔写真だが、沙友理はそれだけで“好き”がヒートアップした。

 その写真をずっと見ていたいくらいだ。


「いっちゃんが写真を飾りたくなる理由がわかった気がするのです……」


 沙友理はそう呟くと、少し距離をおいて華緒の後をつけていく。

 行先は、十中八九学校だろう。

 だから、後ろから声をかけて一緒に学校に行くという選択肢もあるが、沙友理はこのままストーキング兼盗撮を続けたかった。

 理由はわからないが、ただそうしたいと思った。


「……ん?」


 その時、華緒が突然振り返ろうとする。

 沙友理はあわてて家の影に隠れる。

 決して見つかってはいけない。


「……気のせいかな……」


 そうつぶやくと、華緒はこちらを見ることなくまた前を歩く。

 少しだけ、ほんの少しだけ寂しさを感じたが、仕方ないと自分に言い聞かせて沙友理も歩きだす。


 ――声をかけたい。

 そんな想いが募っていく。

 ストーキングというのは、こんなにもどかしいものなのか。


「いっちゃん……」


 ぽそりと蚊の鳴くような声でつぶやく。

 思っていたよりいいものではなかった。

 最初は楽しかったが、時間が経つにつれどんどん華緒のそばにいたいという想いが強くなる。


 だが、今声をかけて不審者扱いされたくない。

 いや、華緒のことを不審者だといっているわけではないが。


 手がかじかむ。耳が痛い。鼻の感覚がない。脚がスースーする。

 冬の寒さを実感する。

 華緒が隣にいてくれたら暖を取れたのだろうが、あいにく今はカイロくらいしか頼れるものがない。

 沙友理はカイロで手を温めながら、華緒の手の温もりを思い出していた。


「あれ? さっちゃん先輩?」

「えっ!? あ、いっちゃん……」


 華緒のことをずっと考えていたら、本当に華緒が声をかけてきた。

 だが、今リアルで声をかけられても、あまり嬉しくない。

 どちらかというと、後ろめたさで今すぐにでも逃げたかった。


「どうしたんですか? 家こっちの方じゃないですよね?」


 沙友理はその問いにどう返そうか悩んだ。

 本当のことをいうわけにもいかないし、嘘をつくわけにもいかない。


「え、えっと……いっちゃんに会いたくて……」


 だから、それくらいしか言えなかった。

 これは嘘ではなく、本当のことだ。

 ただ重要なところは伏せているだけで。


「え、そうなんですか……? 嬉しいです!」


 沙友理の言葉を聞いて、華緒は表情を明るくさせる。

 混じりけのない無邪気な笑顔に、沙友理は少し胸が痛んだ。

 本当のことをいうべきか否か。


「あ、さっちゃん先輩手が赤い……私が温めます!」

「ふぇ……?」


 華緒の大きな手が、沙友理の小さな手を包み込む。

 それだけで、沙友理は満たされた。

 カイロのような温かさはない。

 それでも、じんわりと身体の芯までぽかぽかと染み渡るものがあった。


「あ、ありがとなのです……」

「いえいえ。このまま手をつなぎながら歩きましょうか」

「そうするのです!」


 沙友理と華緒は恋人らしく、恋人つなぎをしながら歩く。

 沙友理にとって、華緒の隣にいる時間がなによりの宝物。

 それは絶対に変わらない。


 だから、もうストーキングは終わりにしようと考えた。

 実に呆気ないものだ。


「また今日も一緒に帰りましょうね」

「はい。もちろんなのですよ!」


 それは当然だ。

 だって、沙友理はまだ――ストーキングの本当のよさを知らないのだから。

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