第1話 電車の女の子

 僕は、菅原 道央。

 平凡な高校一年生だ。


 この春、サクラはサカズ……。志望していた学校に入れず、滑り止めで受けた三流高校に通っている。


 僕は、冴えない上に、運のない、親泣かせの男だ。

 僕の名前と一字違いの学問の神様、菅原道真を祭る神社に、母親が足を運んで買ってきてくれたお守りとマスコット……。申し訳なくて部屋にも置けず、どちらも今は鞄の底で冬眠している。




 僕はどうしていつも、ここぞという時に自分の力を発揮できないのだろう。


 しまいには、今の学校で、社会のゴミみたいな連中に目をつけられ、いじめに遭っている始末だ。



 通学に使う電車から見る空は、いつもぱっとしない青色をしていて、僕はこの空がずっと続く世界なら、何の希望も見出せないなと思っていた。

 そう、彼女に出会うまでは――。





 彼女というのは、僕がある日、電車の中で見つけた女の子だ。

 名前を茂木 希衣奈という。「キイナ」って、面白い名前だな。でもなんだか、鋭い響きが良いな、と思う。



 その日、僕はいつもより少し遅めの電車に乗っていた。下校途中に例の連中に足止めを食らったんだ。恥ずかしい話だけど、ボコボコに殴られて、抵抗もできずに財布の中身を抜き取られた。


 車内の人達は、僕になんか興味はないだろうけど、擦れ違うだけで目に毒な僕を自然と避けている感じがする。情けない姿だけれど、それはそれで清々した。

 そして僕は、まるで不良にでもなったように、ドカンと座席に腰を下ろした。


(いてっ。)


 口を横に引くと傷口に触るみたいで、ぴりりと痛い。薄暗くなった車窓にうっすらと映る顔をよく見ると、腫れた下唇が裂けて血が滲んでいる。

 そっと指で触れる……。指紋の溝が赤くなった。


(かっこわる……。)


 室内灯に照らされた顔色はいつもより蒼白に見えるので、窓に反射する車内も人間も肉眼で見るより不気味だった。

 自分の顔の確認を終えた僕は、やることもなく、ぼうっとしていた。


 そのときだった。


(あれ、あの子、さっきからいたっけ?)


 僕の右視野の隅っこに、女の子が座っている。

 それだけなら別に何にも問題はない。しかし、その子は、風変わりだった。


 どこの学校か分からないが、ブレザーの制服姿。きっと高校生だと思う。センター分けのストレートヘアは艶やかで美しい。照明のせいもあるかもしれないが、この世の者とは思えないくらい色白で、古文の……紫式部とかが描きそうな登場人物みたいだ。


 その子は、一目で人を惹き付ける容姿の持ち主であると同時に、ちょっとヤバめな雰囲気も醸し出している……。その原因っていうのが、ピンクのクマのぬいぐるみ。

 赤ん坊くらいの大きさかな……、けっこう大きめのぬいぐるみを大事そうに抱えて、時おり毛並みを撫でたりしている。


(変な女だな、関わらないようにしよう、ってなんだ、こっち来る!?)


 女の子が急に立ち上がり、僕の方へ近づいてくる。もちろんクマのぬいぐるみも一緒だ。


(どうしよう、気付かないふりして別の車両に移動しようか……それも無理あるか。)


 ダメージを受けた体も思うように動かないし、僕は、女の子が車両に揺られながらこちらに向かってくる様子を伺うことしかできなかった。


『これ、やるよ。』


(は?)



 誰の声だ。この子? いやいや、ありえないだろ。聞こえてきた声は、ずいぶん気の抜けた癒し系の……アニメ声っていうか、彼女の声ではないだろう。

 大体にして、彼女の口は動いていなかった。

 それでも、目の前のこの子は、今、僕に一枚の絆創膏を差し出している。



「あ、ありがとうございます。」


 ……僕は素直にそれを受け取った。


 そして、その子はそのままふらふらと移動していき、次に停まった駅で降りていってしまった。



 呆気にとられた僕。その他、数名が車内にいたのだが、あの声を聞いたであろう人たちは各々、笑ったり驚いたりと何かしらのリアクションを取っていた。

 僕は狐につままれたように、あの天の声を頭の中で反芻し、残りの電車の時間を過ごした。





 あの絆創膏は、今でも大事にとってある。


 僕と希衣奈の運命を繋げた大切な宝物――。

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